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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

入道崎から仙台空港へ

2014年02月02日 | 
 朝、男鹿半島の先端、入道崎へ。



 ここも風ばかり。
 雪は吹き飛ばされている。

 次いで「なまはげ館」へ。

 中に入るとたくさんのなまはげが展示されている。



 なまはげは地区ごとに行われ、ここには現役のなまはげに加え、使われなくなったものも展示されているそうだ。
 33地区60体というから勢ぞろいというところか。

 なまはげはニュースで子どもたちが泣き叫ぶところをよく見る。

 しかし、それはなまはげの一面にすぎないという。
 無病息災を願い、毎年大みそかに行われる神事なのだそうだ。



 各家々では当主が正装してなまはげを迎える。
 時代とともに変わりつつあるとはいえ、地区によっては当主となまはげとの問答など、古い形式を今に伝えているところもあるらしい。

 郷里串本の祭りについて聞いた話を思い出す。
 厳しい定めごと、しかし時代とともに崩れゆくそれ。
 
 ここも例外ではなさそうだ。

 それにしても、このなまはげの面構えはどうだろう。
 ユーモラス、素朴、力強さ・・・。



 20年ほど前、沖縄に行ったことがある。

 シーサーをぜひ買いたいと思っていた。
 が、どこのみやげもの屋でも欲しいと思うものはなかった。
 
 家々の屋根についているシーサー、この一つひとつはとてもすばらしいのに。

 当地、男鹿のみやげもの屋でもなまはげは売っている。


  (みやげもののなまはげ)

 でも、これはおもしろくない。
 いかにも作りものの「おみやげ」でしかないのだ。

 職人芸ではなく、地区ごとに手作りされた面の数々。
 それは一つひとつ、いつまでたっても見飽きない。



 ぼくはバスの出発時刻ぎりぎりまでこの表情に見入った。



 次いでバスは角館へ。
 武家屋敷の並ぶ通りは一面真っ白。



 さすが東北の内陸だ。

 ここで昼食のあと、一路仙台空港へ。

 秋田から岩手に抜ける道はまさに深い白銀の世界。



 さらば、また訪れてみたい冬の東北。
 
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竜飛岬から男鹿半島へ

2014年02月01日 | 
 竜飛岬からJR五能線(五所川原~能代)鰺ヶ沢駅へ。

 ガイドの話、当地では鎌倉時代、アジがたくさん獲れたのが地名の由来だとか。
 なら、暖かい季節ならアジング・・・などと思ってしまう。



 ここで列車に乗り換え、車窓からの日本海観光。
 という予定だったが、強風のため列車は臨時運休。

 やむなくそのままバスで南下。
 
 車窓から見る日本海は暗く、荒れ続く。
 現れては消えゆく家々。
 その姿は大地にへばりついているかに見える(失礼)。

 見慣れた太平洋側の光景とはまったく別ものだ。



 能代ねぶながし館を経て、八郎潟をかすめる。



 津軽平野と同じような雪原が広がる。

 夕刻、男鹿温泉郷に到着。

 夕食までの間、ホテルの近くを散策。

 廃墟となったホテル、人の気配のないホテル。



 同じく廃墟となったスナックや店舗。



 一種異様な雰囲気だ。

 地元で事情を尋ねてみた。
「ええ、ホテルは閉館したところもあります。冬季休業もあります。」
「ボロボロの空き店舗もありますが?」
「あれはこの温泉街がにぎやかだったときは営業していたんですが・・・」

 日本の観光も全般には下降線だと聞いたことがある。
 ひょっとするとここもそうなのかも知れない。
 寒々したところだ。

 夕食は名物だとされる「石焼料理」。
 熱い石の上で何か焼くのかな?
 と想像していたが違った。

 だしを入れた桶、そこに味噌をときながら真っ赤に焼けた石を入れていく。



 そこに魚や野菜を入れるというもの。

「この石は普通の石ではないですね?」と尋ねる。
「はい、普通の石では割れてしまいます。火山から出た石です。」 
「ほう、どこから持ってくるんですか?」
「海岸で探して拾い集めるんです」
 一同感心。

 明日はいよいよ最終日。 
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下北から竜飛岬へ ここで聴いた「津軽海峡 冬景色」

2014年01月31日 | 
 朝、下北半島の北東にある尻屋崎へ。

 ここには粗食と寒さに耐えるという寒立馬(かんだちめ)がいる。

 黙々と草を食んでいる。



 県指定の天然記念物だとか。
 元は農耕用だったが、今はもっぱら観光用らしい。
 がっかり。 

 次いでJR大湊線下北駅。



 ここから野辺地駅まで列車。

 再びバスに乗り換え、青森市内へ。



 街は雪が多い。
 市内を歩く人の足はほとんど長靴。
 当地では、冬はこれが一番無難なのだろう。

 津軽半島を北上して竜飛岬をめざす。
 車窓から見る津軽平野は白一色の雪原。



 竜飛岬

 ここには「風の岬」という看板。



 大間崎に劣らず風が強い。

 灯台に至る。



 雪は降り続くが、強い風に吹き飛ばされ、ほとんど積もっていない。

 一帯は主として草原。
 強風で樹木も育ちにくいようだ。



 みんなが「津軽海峡 冬景色」の歌碑前に集まっている。



 スピーカーから石川さゆりの歌が流れる。
 それに合わせておばちゃんたちが大合唱。
 ポーズをとりながら歌う姿、その陽気さに思わず笑ってしまう。

 が、改めて思う。 
 この歌、三連符が長く続く、実に個性的な歌だと。

 三連符に合わせて「ごらん」「あれが」「たっぴ」「みさき」・・・
 と三文字の言葉が並ぶ。

 今は亡き阿久悠の作詞らしい。

 おそらく三連符にかなう言葉をあれやこれやと悩みながら綴り合わせたのだろう。
 よく練られた歌詞だと感心する。

 大ヒットのない今の歌謡界だが、この分野では名曲に数えられよう。

 顔が痛くなるような冷たい風。
 一同肩をすくめながらホテル竜飛崎に入る。

 明日は男鹿半島。
  
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厳寒の東北

2014年01月30日 | 
 東北の岬を回るツアーに参加。

 今回は応募者が少なく、13名。
 バスもガラガラ。

 青森 三沢空港から下北半島北端 大間崎へ向かう。

 地吹雪よけ

 北上する道の左(西)側には金属板の壁。
 東北ではよく見る。



 ぼくはてっきり道路に雪が積もるのを防ぐためだと思っていた。
 が、聞いてみると違っていた。

 地吹雪で雪が舞い上がり、運転者の視界がゼロとなる。
 そこで交通事故が起きるのを防ぐためだという。

 なるほど。

 大間崎

 本州最北端、大間崎に到着。
 バスを降りると吹き飛ばされそうな風。

 岬の先端まで向かうが、前掲姿勢でないと歩けない。
 が、参加者一同、初めて体験するような強風に歓声。

 沖合600メートルの弁天島に立つ大間崎灯台。



 この写真一枚をとるにもよろめくほど。

 雲の間にときおり北海道が見える。
 距離にして約18キロとか。

 せっかくここまで来たのだからマグロで有名な大間漁港を見たい。

 風に背を押されて漁港へ。

 人は誰もいない。
 ゴーゴーと言う風のうなりだけ。
 しかし、途中でときどき見かけた小さな漁港とは違う。



 小型、中型の漁船がびっしり。
 そこに活気を感じてしまうのはぼくの思い込みか?

 斗南ケ丘

 むつグランドホテルに到着。

 ホテルは小高い丘の上に立つ。

 ガイドの話では、「斗南ヶ丘」と言われ、
 戊辰戦争に敗れた会津藩士たちが入植、開墾を始めた、その中心地だったところだとか。


 (ホテルからむつ市内と釜臥山を望む)

 火山灰でやせた土地、冬の雪と風、初夏のやませ・・・
 藩士たちはここで慣れぬ農業に取り組んだが、成果は上がらなかったそうだ。
 間もなく廃藩置県により維新政府からの補助金も打ち切られ、1万8000人の藩士はほとんどが離散。

 入植事業は挫折に至ったという。

 病死者、餓死者も多かったそうだ。
 近くにはその墓も残っているらしい。

 凍りつくような冬の下北にて、藩士たちの絶望を想う。
 
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わたらせ温泉でノボリの話を聞く

2014年01月23日 | 
 串本から京都へ。

 途中、本宮のわたらせ温泉に立ち寄り。

 新宮から北上する国道168号線。
 先の台風の痕跡が熊野川のここかしこに残る。

 対岸をながめて『あんなところまで水位が上がったのか』と驚く。

 わたらせ温泉。
 客室は広く、とても快適。

 


 露天風呂。
 「西日本最大」とか。
 浴槽が五つもある。



 地元出身のホテルマンのひとりにアマゴの話を聞いた。

「私らは中学時代、アマゴというより、このあたりで呼ぶノボリをねらいました。
 釣りではなく、突きですね。
 いまどき、そんなことをしたら怒られますけど。

 懐中電灯をもって潜るんですよ。
 すると、岩の奥の陰にいるんですよ。
 それを突くんです。」

「懐中電灯ということは、夜ですか?」
「いいえ、昼間です。
 昼間でも暗い岩陰にいるので、懐中電灯なしでは見えんのですよ。」

「潜るというと、やはり夏ですか?」
「いえ、夏の前でしたか、昔のことではっきり覚えてないんですが。
 とにかく体が冷えるので、たき火をしながらでしたね。」

 突きとはおだやかではないが、そんな話を聞くと、あこがれは尽きず。

 
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高山から新穂高温泉(2)

2013年12月29日 | 
 さて、露天風呂の期待は裏切られ、新穂高ロープウェイへ。

 雪が降ってはいるものの、添乗員の話では
「山の上に登れば青空ということもありますが・・・」。

 で、パンフレットにあるような絶景に淡き期待。


 (旅行会社のホームページから借用)

 一気に1000メートルを上がる。


 が、展望台、近くの木々しか見えない。。



 天候に恵まれれば北アルプスの峰々を見渡せるというが・・・。

 下山して、次は平湯の大滝。

 もう氷結が始まっている。



 凍ったところが薄い緑色、とてもきれいだ。

 子どもらは衣服の濡れるのもかまわず、雪の上を転がったり、滑ったり、と大喜び。



 細かいきれいな雪だ。

 ぼくも子どもの頃だったら、あんな風にはしゃぎ回ったろう。

 次いで「飛騨高山まつりの森」へ。

 ミュージアムに入ると高山まつりの「屋台」(複製)が展示されている。



 『京都の祇園祭のようなものか?』
 と思っていたが、かなり違う。

 高山まつりの屋台はうるし塗、彫金細工、一刀彫りなど、日本の伝統的な職人芸のかたまりだ。
 漆塗りの車輪を見ると、引いて歩くのがもったいないような感じ。

 さらに、からくり人形。
 ぼくらはここで金太郎と熊の相撲を見物。



 これらの動きは、祇園祭のカマキリに比べるとかなり複雑で、見ていておもしろい。

 そんなことに感心しながら、旅のスケジュールは終わった。

 それにしても天候というのはむずかしい。
 雪景色だけはたっぷり見せてもらったが。

 
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高山から新穂高温泉

2013年12月28日 | 
 飛騨高山を経て新穂高温泉に至るツアーに参加。

 いつもは年輩者の多いツアー。
 今回は冬休みとあってか、子ども連れが多い。

 高山市内。

 今は年末とあって、旅行者も少ないそうだ。

 観光名所の高山陣屋。



 江戸時代、代官所が置かれ、維新後は一時期、県庁が置かれたとか。
 高山はこの地方の要所だったようだ。

 国分寺。



 寺自体、珍しくはないが、境内の大イチョウがすばらしい。
 樹齢1200年とか。

 黄葉はさぞかし見事だろう。

 さて、高山から銀世界の峠を越え、穂高荘山のホテルに到着。



 和洋折衷のような落ち着いたホテル。
 なかなかいい雰囲気。

 今回の期待は露店風呂。


   (旅行社のホームページから借用)

 この景色をながめながら、温泉につかりたかったのだ。

 が、あいにく空は曇り、雪。

 それに入浴時間帯はすでに暗く、外の景色は闇の中。

 こんなはずではなかったのだが・・・。

 
 ならば明朝!
 と思ったが、出発時刻が早く、朝風呂も暗いうちに入るしかないとのこと。

  しかたがない。
 雪をかぶりながら暗い露天風呂にひたった。

  
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面河川をあとに さらば四国の山河

2013年11月24日 | 
 道後温泉を出発。

 面河渓に向かう。

 ところが三坂峠にさしかかると、あたりは銀世界。



 「いやあ、これは紅葉よりも雪景色が見られそう」
 と喜ぶ。

 道のかたわらを流れる面河川(おもごがわ)。
 ここも変化に富んだいい渓相だ。

 面河渓谷到着。

 しかし、道の雪はシャーベット状になり、普通の靴では歩けない。

 なんとか川べりにたどりついた。



 この面河川、高知にそそぐ仁淀川の上流になるらしい。

 アマゴの年券は2300円とある。
 吉野川に比べて格安。

 魚影はうすいのかな。

 次いで石鎚スカイラインへ。

 と思ったが、雪のため通行止め。
 このツアーで一番に期待していたところだったのに・・・。

 バスの添乗員が急きょのやりくりで砥部焼館訪問に切り替え。



 (添乗員もあわただしく。楽ではない。)

 ともかく、こうしてツアー予定は終了。

 でも、四国というとこじんまりしたイメージながら、山は深く、それだけに川も豊かそうだ。

 釣りに通ってみたいが、遠いのが難。

 もうひとつ、吉野川筋でもそうだったが、野生のケヤキが多いこと。



 赤茶色、黄色、橙色・・・と、同じケヤキでありながら、木々によって違う葉色。
 それが紅葉全体に彩を添えている。


 京都市内では街路樹としてならいっぱいあるが、野生のケヤキはどうだったかな?

 
 さらば、四国の山河。
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足摺岬から道後へ

2013年11月23日 | 

 足摺岬

 初めての足摺岬。
 灯台への道を歩く。



 郷里 潮岬の原生林とそっくりだ。
 太平洋側の海辺というのはみんな似たような気候だからか。

 そうして灯台。



 大海原に向かって立つ姿。
 「孤高」という言葉が似合う。
 改めて灯台の姿はエエもんやなあ、と。

 潮岬と比べると、ホテル・旅館が多い。

 日本の同じ代表的な岬ながら、どうしてこうも違うのだろう?
 

 竜串海岸

 ここでは久しぶりに観光グラスボートに乗り込む。



 いろいろなサンゴの群落。

 ウツボがくねくね。
 ハタが小魚の間をゆうゆう。
 ネンブツの大群・・・。

 見ていると飽きない。

 が、見つめていると船酔いしそう。
 ぼくは船に弱いのだ。


 外泊石垣集落

 愛媛県愛南町の果てにある石垣集落 外泊(そとどまり) 。



 
 明治初期、人口増で住むところがなくなった次男、三男のために開拓されたところだとか。
 斜面を切り開き、石を積んで造成したらしい。

 海に面して設けられた台所の窓。
 一家の主婦は、この窓から船の動きを見つつ家事にあたったという。
 これが「遠見の窓」と呼ばれ、石垣にもくぼみが入っている。



 平穏な暮らしがしのばれる。
 なんとも生活感にあふれる窓のたたずまいだ。

 明治初期の地方集落、
 人口が増えても働ける場所があったというのがいい。

 が、それも今は昔。 
 この集落、上に登れば空地が多く、売りに出されたものも。

 道は狭く、車も入らず、勾配もある・・・となれば生活はつらい。

 ここでも過疎化は例外ならず。 


 (石垣集落中腹から漁港を望む)


 遊子水荷浦の段畑

 宇和島のこれも半島の果てにある集落。

 山の急斜面につくられた段畑(だんばた)。



 およそ300年の伝統があるらしい。

 半農半漁の生活。

 畑一段の奥行は1メートル前後しかない。

 この急斜面、地元の人が黙々とジャガイモを植えている。

 先ほどの石垣集落にせよ、この段畑にせよ、石積みを維持していくのはさぞや・・・というところ。
 すき間だらけの粗い石組、大雨でも降れば補修も大変だろう。

 日本にたどり着いたポルトガルの宣教師。
 日本人の生活を見て「日本人はなんと勤勉な国民」とその驚きを記したと聞く。

 このつつましやかな段畑を目の当たりにし、それを思い出した。


 道後温泉

 さて宿泊地の道後温泉に到着。

 相変わらず、ここはにぎやか。

 本館(通称 坊ちゃん湯)は湯浴み客が引きも切らず。



 ここの湯は単純温泉。
 肌ざわりはごく一般的で、あまり印象に残らない。

 道後温泉の抜群の集客力の理由はなんなのか。

 日本最古という歴史の古さ?
 四国では数少ない源泉の熱さ?
 やはり「坊ちゃん」がらみ?

 この格差、いつも不思議に思ってしまう。
 
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四万十川にて

2013年11月22日 | 
 四国カルスト 天狗高原

 朝から高知と愛媛の県境にある四国カルストへ。

 秋吉台などと並ぶ日本三大カルストのひとつだとか。

 標高1400ほどとのこと。
 バスの車窓はみるみる曇る。

 目的地 天狗高原に着くと雪。

 これはトド松かな?
 さすが高原、北海道以来の眺め。



 風は強く、寒い。
 が、せっかく来たのだからと歩く。

 ときおり雪雲の晴れ間から見える山々。
 すばらしい景観だ。




 四万十川

 続いて四万十川。

 ここは河口から約30キロのところにある沈下橋。



 さすがに四万十川。
 吉野川に劣らず大きい。

 水もきれいだ。



 さて、ここでも遊覧船に。

 船頭さんが説明してくれる。

 この川は河口付近は別として、人工の護岸はなく、自然のままなのだと言う。
 「だからきれい・・・日本一の・・・」と。

 くりかえし聞かされ、やや食傷気味。

 が、ふと思った。

 過日、ぼくがブログで書いたこと。
 古座川をゴミ捨て場にする一部の人々の生活習慣についてだ。

 四万十の船頭のような誇りがあってこそ、川は手厚く守られるのではないかと。

 単にゴミ捨てだけの問題だけではない。
 もっと深刻なダム建設、林道建設などについてもだ。

 そう思うと船頭の川自慢にも納得。



 それにしてもこの川、なぜダムもなく、また自然の護岸が保たれてきたのだろう。

 サツキマスの遡上も盛んと聞くが、条件は最良なのかもしれない。

 自然を広く残したこの大河。

 その背景を知りたいものだ。
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