goo blog サービス終了のお知らせ 

稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

時を超えて「フィンランディア」再び

2022年05月17日 | 日々
 初めてシベリウスの「フィンランディア」を聴いたのは中学時代だったろうか。

 力強い旋律と華麗で厳粛な旋律が交錯するすばらしい曲だった。

 レコードの解説を読むと、
帝政ロシアに対する国民の抵抗が主題だという意味のことが書いてあったように思う。

 そういえば、この曲には劇的と思わせる要素が確かにある。

 その国、フィンランドがこれまでの中立政策を転換して、
スウェーデンとともにNATOに加盟申請した。

「ウクライナ侵攻ですべてが変わり、
ロシアを隣にして平和な未来を信じることはできない」(マリン首相)

     

 伝統的にロシアを刺激しない政策をとってきたフィンランドを
プーチン自身がNATOの側に追いやった形だ。

 ある評者によれば「これはプーチンのオウンゴールだ」と。

 「なるほど」と思わず笑みをうかべてしまう。

 帝政ロシアからソビエト政権時代を経て、
今に至るまで慎重にふるまってきたフィンランドの人々。

 その彼らがこうべを上げて新たな選択をしたことに惜しみない拍手を贈りたい。

 初演から100年以上の時を経て、「フィンランディア」が再び鳴り響くかのようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀しき会見

2022年04月27日 | 日々
 事故以来、逃げ回っていたかのような桂田社長。
 
 「ようやく」の今日の会見は土下座で始まった。

     

 土下座とともに「周到に」準備してきたであろう原稿も読み間違いだらけ。

 「最終的には船長の判断」という言葉に至っては、守りに徹する姿勢も垣間見える。

 今となっては半ば絶望的でもある船長の帰還。

 こんな社長が、こんな会社が跋扈していいのだろうか。

 とても哀しい。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドン・キホーテ」400年のときを経て

2022年03月08日 | 日々
 学生時代にいつか読もうと思っていたこの作品。

 長編であるだけに長く紐解きかねていたが、やっと読むことができた。

 あらまし
 スペインのある村に住む五十歳になろうとする男、幾多の騎士道物語を読みふけるうち、
自ら騎士となって諸国を遍歴することを思い立ち、同じ村の農夫 サンチョを従えて旅に出る。

 二人は多くのできごとに遭遇しつつも、最後にドン・キホーテが決闘で敗れ、
失意のうちに帰郷、そこで己の愚行に気づくとともにその生涯を閉じるというもの。

     

 本書のおもしろさ
 主人公ドン・キホーテは誠実で心優しく、いたってまじめな人。

 ただ、思い込みが激しく、冷静な判断をくだせないのが欠点。

 風車を「巨人」と誤認し、突撃しては跳ね飛ばされたり、
砂埃を上げる山羊や羊の群れを軍勢と誤認しては突っこむなどだ。

 従士サンチョの「あれはただの羊たちの群れに見えまさあ」という意見にも、
ドン・キホーテは悪魔がそのように見せているだけだと信じ込み、聞く耳をもたず等々。

 こうした抱腹絶倒の旅は最後の決闘まで延々と続いていく。

 ドン・キホーテ 臨終の告白
 しかし帰郷後の臨終の場で、ドン・キホーテは騎士への憧れをすべて否定して曰く。
「わしは今にしてああいう書物の馬鹿馬鹿しさと欺瞞とがようやくわかるのじゃ。」

 また
「残念なことは、この迷妄から目覚めるのがあまりにも遅すぎて、魂の光ともなるべき他の種類の書物を読んで、
いくらかのつぐないをする時間がわしに残っていないということじゃ。」と。

 著者 セルバンテスの意図
 解説によると、スペインではたくさんの騎士道物語が出版され、
この時代には下火になりつつあったとはいえ、まだよく出回っていたそうだ。

 セルバンテスはそれらを批判するためにこの作品を著したという。

 実際これ以後、騎士道物語は出版されなくなったというからすごい影響だったのだろう。

 作品中の臨終の告白から推測すれば、著者は世にあふれた騎士道物語を
くだらない通俗的なものとみなし、読書するならもっと良いものを、と考えたのかもしれない。

 作品から転じて思い出すこと
 読み終えて、ぼくはふと政治青年であった自分の若い頃に思いをめぐらす。

 風車を巨人、羊たちの群れを軍勢とみるなど、主人公の妄想ともいうべき誤認。

 それは「日本の夜明けは近い!」などといった当時のぼくらの
独りよがりな時代認識あるいは錯覚に重なりはしないかと。

 あれは多くの日々を狭い範囲の仲間たちだけと過ごしたり、
またその種の書籍だけしか認めなかった、そんな閉じられた世界にいたことの所産ではなかったかと。

 今年の2月、あの連合赤軍事件からもう50年の歳月だという。

     

 ぼく自身は彼らと同じ道を歩みはしなかった。

 とはいえ、政治青年だった多くの者に、
あの暴走と悲劇の可能性は多かれ少なかれ潜在していたし、その根はやはり共通していたという気がしてならないのだ。
 
 参考 「ドン・キホーテ」前篇 1605年出版
             後篇 1616年出版
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界中、とりわけロシアでの抗議に救い

2022年02月27日 | 日々
 キエフにロシア軍。

 大統領は国民に徹底抗戦を呼びかけている。
 
 ぼくには痛々しく、胸がしめつけられる。

 圧倒的に膨大な軍事力のロシアに対抗しても犠牲だけが・・・と。

 ただ、ここにきて世界中で抗議の声が上がっていること。

 とくにプーチンの足元、ロシアでもという報道には救われる思いだ。

     

 ロシア国営放送では露骨な攻撃のことを報道していないが、
同国民はSNSで事実を知り、抗議しているらしい。

 思い起こすのは日本軍が南京を陥落させたときのこと(1937年)。

 他国の領土に侵攻して・・・、というのは今のロシアも同じ。

 南京陥落の直後、日本国内各地では、
ちょうちん行列でその勝利を祝ったという。

 ぼくらの父祖の時代の信じられないようなできごとだ。

 情報統制ということもあったろうが、
諸国民がそれぞれ安易にナショナリズムに傾いていた時代のことだ。

     

 ロシア国内での抗議運動、
これは大戦の惨禍を通して、世界中で人々が気づき始めたことを示しているのだとしたら、
この一歩は大いなる希望だと信じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪夢のようなロシアのウクライナ侵攻

2022年02月25日 | 日々
 まさか本当に!と思うような侵攻。

 帝国主義の時代に逆戻りしたような感覚だ。

 報道ではロシア国内の一部にも反戦の機運があるという。

 それがどの程度で、今後どうなるのかはわからない。

 が、二度にわたる大戦を経てきた人類にとって、
そこだけは昔と違ったものであってほしいと願うばかり。

     

 岸田政権にもがんばってほしいところ。

 ロシアといえば、
常に北方領土交渉をちらつかせては日本を翻弄してきたようにみえる。

 が、ここはふんばりどころ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワリエワの悲劇

2022年02月21日 | 日々
 冬季五輪が終わった。

 いろいろな話題のなか、ぼくの印象に強く残ったのはワリエワのことだ。

 ドーピング疑惑の渦中、予想されたものではあったけれど、
その最終演技はそれ以上に精彩を欠くものだった。

 ところで、検出された薬物だが、
ワリエワ本人の意思で摂取したとはとうてい考えられない。

「祖父のコップ云々」、誰が聞いても稚拙な言い訳でしかなかろう。

 いずれにしても、関係組織あるいは
誰かはわからぬ大人たちが関わっていると想像するのが自然だ。

 真相についてはこれからの調査になるらしいが、
おそらく「藪の中」となるだろう。

     

 まだ人生の入口に立ったばかりのような15歳。

 その彼女が心に深い傷を負ったまま、
これからの長い人生を生きていかなければならないとは、なんと残酷なことか。 

 ぼくにはワリエワがヘッセの「車輪の下」の主人公
ハンス少年の痛ましい姿に重なってしかたがない。

 この種の悲劇が時代を問わず、国を問わず起こり続けていることに嘆息する思いだ。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の創造力の可能性と限界 「志村けんとドリフの大爆笑物語」から

2022年01月14日 | 日々
 年末のカンテレでこのドラマをみた。

 お笑いといえば、かつてぼくが
もっとも親しんだのはクレイジー・キャッツだった。

 しかし彼らもその人気をドリフたちに奪われたと聞いたことがある。

 このドラマで興味深かったは、
元々はいかりや長介がほぼ一人でネタづくりを背負っていたことだ。

 ぼくはてっきりメンバーみんなでアイデアを
出し合っていたのかと思っていただけに意外だった。

 やがて志村けんが人気を博し、さらにコントの原案づくりで頭角を現す段になって、
いかりやは「あとは志村にまかせる」と会議の場を去る。

     

 ドラマのこのシーンはすごいと思った。

 ドリフは元々音楽グループだったそうだが、その後お笑い集団に「進化」したという。

 それを引っ張ったのはいかりやで、彼にはコントを創造する才覚があったのだろう。

 しかしそれも限界、つまり枯渇のときを迎えていたのかもしれない。

 その時機に気づいて、志村にまかせたいかりやの判断は的確で、また潔いと感心する。

 考えてみれば、この創造する力というもの、音楽であれ文学であれ、
はては昨今話題になる将棋の戦法であれ、世に広く通じるものにちがいない。

 各界で繰り返される新しい可能性の開花と旧いものが到達する限界、そして終焉。

 活力に満ちた壮大な人間ドラマをみる思いだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堂島北ビル火災から

2021年12月18日 | 日々
 17日、曽根崎新地の堂島北ビルで起きた火災では24人が亡くなったという。

 痛ましいかぎりだ。

 聞くところではこのビル、法令上の違反はなかったようだ。

 「非常階段がもうひとつあれば・・・」とのニュース解説も。

 しかしこれは現実的ではなかろう。

     

 不幸だったのは、出火地点が非常階段のすぐ近くだったこと、
しかもガソリンなど揮発性の高いものを使っての放火だったこと。

 このことから患者たちは出口のない奥に逃げ込むしかなかったことだ。

 火の回りが遅ければ、
火を消すあるいは出火地点を突破して非常口から逃げることもできたかもしれない。

 が、患者たちにはそんな選択肢はなかった。

 その点では京アニのケースにとても近い。

 つまり法令が想定する「普通の」火災を超えていたとでもいうべきか。

 それは別としても、旅館やホテルあるいはビルなどでは
非常口の所在を確かめておくことの意義を再確認させられた思いだ。

     

 他方、6階のネイルサロンからは、はしご車で女性が一人救出された。

 女性の背後からは黒っぽい煙が上がっていたが、助かって良かった。

 ただ、ぼくによくわからないのは、6階窓からの煙はどこから来ていたのだろう?

 4階から階段室を通って?(ならば非常口の扉は開放だったのか?)

 それともエレベーター空間を通ってEV扉の隙間から?

 教えてほしいものだ。

 多くの患者から慕われていたと聞く院長はじめ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都コンサートホールにて

2021年11月28日 | 日々
 およそ10年ぶりだか、京都コンサートホールへ行った。

 神尾真由子(ヴァイオリン)と田村響(ピアノ)。

 ベートーヴェンのロマンスNo2やクライスラーの小品など、
なじみのある曲目だったので。

 前売り券を求めたとき、すでに時遅く残りの座席は2階の壁際だけ。

 舞台を横から見下ろす座席だった。

 会場を見渡して驚いたのは、聴衆のほとんどが中高年で、若い人はまばら。

      

 日本のクラシックコンサートは、こういう年代が支えているのか!と。

 さて、演奏が始まった。

 これも驚いたが、ヴァイオリンの音がとても明瞭。

 まるでスピーカーを通しているかのように聞こえる。

 いや、通い慣れている人には常識なのだろうが。

 会場は500人規模のホールだが、
こんなによく聞こえるのはやはり設計技術なのだろうと感心。

 アンコールでは「タイスの冥想曲」。

 よく耳にする曲だが、この名曲が生で聴けたことに感動。

 会場は長い拍手に包まれた。

      

 ときどきは足を運びたいものだ。

 残念といえば、
座席の関係で演奏者がいずれも一貫してこちらに半ば尻を向けていたこと。

 この種の器楽演奏会なら次は反対側の座席をとろう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう大谷選手

2021年11月20日 | 日々
 大谷翔平選手がMVP。

 前年が不調だっただけに心配していたが、今シーズンの活躍はすごかった。

 彼の愛される人柄も影響したのかな。

     

 それにつけても思うのは、アメリカという国のふところの広さだ。

 別段今さら驚くべきことではないが、国技と言われる野球で、
日本人であれ、移民であれそうした賛辞が実力に応じて贈られるということに感心する。

 思い起こせば、王貞治選手のホームラン記録が外国人選手によって塗り替えられたとき、
あるいは双葉山の連勝記録がモンゴル出身の力士によって塗り替えられようとしたとき、
何やら雰囲気は複雑だった。

 ぼくらの意識はまだまだ偏狭なのかもしれない。 

 人種の坩堝といわれるアメリカ合衆国。

 人種、民族などの問題について、課題はいろいろあろうけれど、
 そういう公平さには改めてとすごいと感じる次第だ。

     

 ノーベル賞に輝いた真鍋叔郎さんが日本でなく、この地で成果を上げられたこともそれと無縁ではなかろう。

 おめでとう、大谷選手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする