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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

夢をもつ若者に向けた有島の思い

2021年11月11日 | 日々
 有島武郎の「生まれ出ずる悩み」(1918年)を読む。

 絵を志す若い木本と「私」(有島)との関わりの物語だ。

 木本は北海道の岩内という漁師町の貧しい漁師家庭の次男。

 卒業後は北海道の厳しい気候の下、過酷な肉体労働の毎日。

 好きなスケッチは、漁に出られない荒天のときだけというゆとりのなさ。

 しかも絵具さえ手元にないという環境だ。

 町で彼のスケッチを見てくれるのは、文学に魅かれつつも
気難しい父親から調剤所を継ぐように半ば強いられた「K」のみ。

 「K」だけは木本のスケッチに感心し、「画かきになれと勧めてくれる」。

 しかし木本からすれば「K」に絵を見る力があるとは思えない。

 木本はそんな漁師町で
「異邦人」のような自分を見出してはますます悩みをつのらせる。

 木本はある荒天の夜、スケッチの帰りに崖の上に立ち、
思わず死を選ぼうとするが思いとどまる。

      

 木本の物語はここで終わり、短い終章で有島が書く。

「君が一人の漁夫として一生を過ごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、
僕は知らない。・・・それは神から直接君に示されなければならない。
僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
 ・・・同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みをとを持って
苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ・・・。」等々。

 絵画、音楽などの芸術、あるいは学問、
さらに運動競技なども含め、夢に向かって進む人々の存在。

 今も昔も変わりはすまい。 

 この書はそういう人々への声援のように見える一方、
最後に決めるのはその人にしか・・・という冷厳な事実をも指摘しているようにぼくには読める。

 かつて夢をもっていたが結局ここでいう「漁夫」に伍して生きたぼくにはとても感慨深い。

 本書を読んで思い当たるという人もおられよう。

 おすすめの一冊だ。

  * なお、引用文中の「神」は比喩であって、
    宗教的な意味でないことをお断りしておく(参考)。
 
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ほかに策はないのか 一律給付

2021年11月08日 | 日々
 給付をめぐって一律か困窮世帯かという詰めの協議が進行中だ。

      

 前にもぼくはこのブログで意見を出したが、一律給付には疑問だ。

 税金、いや借金を財源にして
困窮していない世帯にまで給付するという策はいただけない。

 そもそも10万円などという
一発の「打ち上げ花火」のようなもので問題は解決するのだろうか?

 困窮を手当てするには継続性が要るのでは?

 例えば報道でよくみるが、「子ども食堂」。

 世話にあたっている人々の努力には頭が下がる。

 こんな拠点を継続的に支援していけないものだろうかと切に思うのだ。

 もちろん、どこにどんな施設があるのかを洗い出す作業が大変なことはわかる。

 が、だからといって安易に一律に傾くことには納得できないところだ。
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明日は投票日だが

2021年10月30日 | 日々
 アッという間に投票日がやってきた。

 今回の選挙では、ことのほか「投票に行こう」という呼びかけが盛んだ。

 それというのも近年、若い人の選挙離れが顕著だからという。

 しかし報道番組で若い人へのインタビュー風景をみていると,
「政治のことはわからない」「誰に投票していいのか?」という答えが多いようだ。

 ぼくら団塊の世代が学生だったころ、政治の話は確かに身近だった。

 そう思えば、日常生活に政治の話が縁遠い人にとって
「投票に行こう」と突然言われても戸惑うのはよくわかる。

      

 それはさておき、今度の選挙はぼくも迷う。

 このブログですでに書いたように、ぼくにとって今の選択基準は財政再建だ。

 しかし、今回の選挙では与野党ともにバラマキを競い合っているかのようにみえる。

 従来と少しだけ違うのは財源にも言及するようになっていることだろう。

 これは「文芸春秋」誌に掲載された矢野財務次官の提言の影響のようだ。

 政治家たちがこうした世論の流れに敏感であることには感心する。

 が、与野党ともに財政再建に真剣に取り組む姿勢がみられないのはとても残念だ。

 明日の投票日。

 行くのはやめようか?とも思ったが、棄権はしたくないし・・・。

 ならば白票か?などとまだ決まらない今だ。
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矢野財務次官の捨て身?の一石 効果はどこまで

2021年10月12日 | 日々
 「財務次官モノ申す このままでは国家財政は破綻する」
 「文藝春秋」11月号に財務事務次官 矢野康治さんが寄稿して話題に。

 最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、
やむにやまれずの寄稿となったそうだ。

 元々ぼくも財政問題には関心があったのですぐに買って読んでみた。

 詳しい内容は省略するが、
その筋の専門家の意見として、とても共感するところだ。

     

 バラマキ給付案が与党だけでなく野党からも競い合うように提示される一方、
そのツケをどう処理するのか、そうした議論はどこにもないという現状。

 思えば与野党問わず、政治家、政党というもの、
国民に負担を強いて不人気になるのは避ける→結局、議論は支出ばかり。

 現状の積み上がった世界一の借金問題を国民に包み隠さず話し、そこからの脱却のために
「がんばろう」と率直に訴える政治家の出現は期待できないようだ・・・破綻の日まで。

 さらに思えば総理を含め、大臣たちの在任期間は総じて短い。

 問題は次々先送りされてきたし、今後もそうだろう。

 財政再建の必要性を訴えるのは、少数のエコノミストや報道関係者、
それに加えて忖度しない良識ある官僚に限られるのかもしれない。

 長く続いてきたこの奔流を止めるのは簡単ではないものの、
この一石がせめて何かのきっかけになることを願うばかり。

 なお、個人的によくわからないのは、現職の財務次官がなぜ不利益の可能性を恐れず、
しかも首相交代、総選挙前というこの時期に提言したのか?ということだ。

 なにしろ、政治にからむ世界は伏魔殿。
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日大の闇深けれど「誰一人、卓をたたきて・・・」 

2021年10月08日 | 日々
 日大関連の報道が続き、複雑なカネの流れが少しずつ明るみに。

 関係者の一人は例の「悪質タックル事件」で
もみ消しを図った当人らしいとの話まで出てくると、闇の深さは底しれない。

     

 最近の朝日新聞の川柳欄
 「昔なら学生決起の日本大」(神奈川県 みわみつる氏)

 68年、莫大な使途不明金などに端を発した日大闘争。

 たくさんの学生と教職員たちが怒りに燃えた記憶は今も鮮明だ。

 一方、最近のテレビ報道、インタビューに応えて某日大学生曰く。
「就職のとき、日大の学生ということで不利になったら困ります」と・・・。

 半ば苦笑混じりに
「誰一人、卓をたたきて・・・叫び出ずるものなし」の一節を想い起こす。

 そんな昔話のできる友も少なくなってしまった。

 ついでながら、同じ川柳欄にノーベル賞がらみでこんなのも。
 「この時期は国籍なくても日本人」(埼玉県 福間一郎氏)
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ノーベル賞と国籍

2021年10月06日 | 日々
 真鍋叔郎さんがノーベル物理学賞!

 気候温暖化予測に先鞭をつけたのが日本人だとは知らなかった。

 とてもうれしいことだ。

 おめでとうございます。

 受賞者を生み出す、その国
 ところで、過去の受賞者の誰だったか、
将来、日本人受賞者はいなくなるだろうと言っていたのを思い出す。

 日本の研究予算など、その研究環境が貧弱なことをさしてのことだ。

 そんななかで真鍋さんの経歴をみると、わかるような気がする。

 氏は1958年、東大大学院を経て、若くして米国気象局研究員になっている。

「スプートニク・ショック」の時期、
米国が世界から有能な人材を集めていたときのことだそうだ。

 提示された研究環境はケタ違いだったと聞く。

 こうした経過のなかで氏の業績を考えると、
この受賞、「国籍」は米国では?という気さえしてくる。

 日本人で〇人目の受賞!などと喜んでばかりはいられない。

     

 研究環境の二つの面 
 一方、最近の報道では、中国の研究への投資が莫大になってきていると聞く。

 研究論文の本数でも日本のそれを大きく凌駕しているとか。

 今後は中国人受賞者が目白押しという時代が来るのかもしれない。

 もっとも中国という国、国家の干渉で自由の度合いは低く、
予算投入などが成果に直結するかどうかはわからない。

 真鍋さんがインタビューに
「私は日本には帰りたくない・・・私はまわりと協調して生きることができない」と答えている。

 研究に際しての人間関係を考えるうえでとても示唆的な答えではなかろうか。

 研究の実りは予算や施設といった物理的条件だけでなく、社会的条件にも左右されるからだ。

 いずれにしてもこの先、日本でも各方面での条件整備が望まれる。

 もめ続けた日本学術会議の任命拒否問題なども、広い意味ではそこに含まれるだろう。
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外来語の氾濫にみる言葉の貧困

2021年09月10日 | 日々
 最近、ニュースで急に「ブレイク・スルー感染」という言葉を耳にするようになった。

 先日は「ブースター接種」という言葉に戸惑ったばかりだ。

 辞書で調べてみると
 break throughは「切り抜ける、突破する、克服する」などの意。

 要は二度のワクチン接種にもかかわらず、コロナに感染してしまう場合をさすわけだ。

 他方 boost を調べてみると、「押し上げる、応援する」の意。

 つまり接種したものの、抗体が漸減するので追加接種で補う場合に使う言葉だ。

         

 日本語に置き換えて言ってもらえればわかるものを!と少々不快。

 「リスクとベネフィット」などの言い回しに至っては「そこまで必要?」とあきれてしまう。

 明治期、欧米の進んだ技術を日本に導入するなかで、
関係者は翻訳に心を砕いたと伝え聞く。

 engine を「機関」に、railway を「鉄道」になど、
多くの名訳を生み出したその苦闘には敬服する。

 コロナ流行でたくさんの外来語が入ってくる今、
それをそのまま使うことがあたかも先端を走っているかのような錯覚あるいは風潮。

 これは言葉の貧困でなくて何であろう。

 これも欧米への伝統的な劣等意識のなせるわざなのか?

 だとすればとても哀しいことだ。
 
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硫酸事件にみる序列意識

2021年08月31日 | 日々
 去る8月24日夜、白金高輪駅で起きた硫酸事件。

 (被害者)  「おい、花森」
 (花森弘卓氏)「花森さんだろ」

 事件は、琉球大学時代のこの二人のやり取りなどに端を発したという情報だ。

 そんなことで硫酸を?!という異常さ、執拗さに驚く一方、
ぼくら日本人の心深くにある一種の序列意識の強さに改めて気づかされる思いだ。

     

 共通するぼくの体験
 ぼくの学生時代、たくさんの仲間がいた。

 先輩、同輩、後輩。

 お互い初対面の頃だけは丁寧だったが、
打ち解けてくるともうみんな「ため口」が普通だった。

 ただ、そんななかでも暗黙の決まりがあり、先輩に対しては呼び捨てせず、
「さん」「くん」あるいは愛称が一般的な呼び方だった。

 しかし、2年下の横川君(仮名)だけは別だった。

 彼は誰に対してもひどい「ため口」で、ぼくに対しても「神田ッ」と呼び捨て。

 そのたびに不快に感じたことを今も覚えている。
 (もっともぼくは花森氏のように「神田さんやろ」とたしなめはしなかったが。)

 花森氏のいわば「恨み」とぼくの「不快感」、
その根は同一のもので、序列を無視することへの抵抗感だと言ってよかろう。 

     

 現実の人間関係のなかで
 考えるに、現実の世の中は、単純に年齢の上下だけでなく、
年上の後輩、年下の先輩、さらに職場が関わると年下の上司や年上の部下などという
ねじれた関係が複雑にからんでくる。

 思えばぼくらはそういう複雑な人間関係の中で
自分の位置関係を確かめながら日々、表現や言葉などを選んでいるのかもしれない。

 学生時代の無礼な言動も社会人となれば当然にただされていく。

 花森氏が後輩の言動を許せなかったことは彼の個性だったのかもしれない。

 が、あえてぼくは学生時代の過ぎたことは忘れて、
自分の道をまっすぐ進んでは?と言いたい。。

 犯罪にあたる行為まで犯しては・・・と彼をあわれむ次第だ。

 ところで、ぼくの古き後輩、横川君はその後どうなったろう。

 今も偶然に出会ったら「神田ッ!」と呼ぶだろうか。

 ぼくは聞こえないふりをしてしまいそうだ。
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アフガニスタンの憂鬱

2021年08月17日 | 日々
 ニュースに見る混乱のカブール空港の様子。

     

 人々の必死の様子は、あたかも「蜘蛛の糸」のようにさえ映る。

 アメリカがからんでいる点では、南ベトナムの最後の日が思い出される。

 脱出できなかった人々がボート・ピープルとして近海をさまよった姿なども。

 一般的には、ある国が大国の手から解き放たれ、
いわゆる「民族自決」を実現することは歓迎すべきことだ。

 ただ、アフガニスタンについての思いは複雑だ。

     

 女性の教育を禁止した旧タリバン政府のこと。

 そもそも「人権」などの意識があるのだろうか?と疑ってしまう。

 さらには望むべくもない政教分離だ。

 そんなことを考えると憂鬱になってしまう。

 若い頃、ベトナム反戦デモに加わりつつ夢見たこの世界の未来。

 ぼくらはあの日からどれほど前に歩みえたのだろう?
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ペテシオの拍手によせて

2021年08月05日 | 日々
 8月3日、女子フェザー級ボクシングの決勝があった。

 第3ラウンドが終わるとペテシオ(フィリピン)は拳を上げた。

 自分の勝利を確信していたのだろう。

 しかし判定は入江(日本)。

 入江はカエル飛びで喜んだ。

 同時にペテシオは笑みをうかべ、即座に拍手を贈った。

     

 ぼくにはペテシオのさわやかな態度にとても心打たれる思いだった。

 他方、聞くところによると今季五輪では、
卓球の水谷をはじめ、SNSでの攻撃はひどいものだという。

 平気で「死ね!」などという言葉が飛び交うとか。

 しかも、日本だけでなく世界から多くの選手に向けられているらしい。

 こんな卑劣な中傷が蔓延、日常化するのはとても悲しいことだ。
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