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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

忠告できる人はいなかったのか 葉梨法務大臣の辞任

2022年11月11日 | 日々
 当初は「全然問題ない」「撤回はしない」と強気だった葉梨法務大臣が一転、謝罪、撤回の末、辞任に。

 冗談まじりのスピーチは時として笑いを誘い、場をなごませる。

 葉梨法相、地元での会合を含め過去に少なくとも4回、同じスピーチをしていたという。

 一般に人は自分の話で場が盛り上がるのを快く感じる。

 「話がウケたっ!」という快感だ。

 そんなことから氏もあちこちでこの同じネタを使ってきたのかもしれない。

 しかし、特に政治家など公人の場合、話の内容によっては大問題になりやすく、
過去一連の舌禍もこうした状況での発言に集中している。

     

 ところでぼくには疑問もある。

 氏がスピーチした何回かにわたる会合では、
同僚議員、支持者など身近な人たちもたくさんいたはず。

 氏の発言内容の危うさに気づき、
早い段階で忠告できる人は誰もいなかったのだろうか?

 政治組織だけでなく、企業や団体、
いずれであってもそうした内部での配慮や自制がその個人と組織の危機を救うはず。

 真偽のほどは定かでないが、ネットニュースでは、
氏は警察官僚上がりで「頭を下げるのは苦手という評価あり」との記事も。

 忠告するにも本人の気分を害するとなればそれも期待ウス。

 さて、今回の場合、危うさに気づける人がいなかったのか、
それとも気づいても忠告がしにくい人柄だったのか、はたまたライバルを蹴落とすために沈黙したか?

 政治家たちの舌禍の歴史をふりかえると、この繰り返しはなお続いていくのだろう。

 さびしいかぎり。

 せめて市井のぼくらが生きている場だけは、配慮や自制し合えるところでありたいものだ。
 
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後を絶たないバス置き去り事故 それでも

2022年11月09日 | 日々
 福岡での園児死亡事故で執行猶予付きの有罪判決。

 と思ったら、今度は岩手県一関市で小学一年生男児が置き去り。

 報道によれば、運転手がバスを降りて施錠、
眠っていた男児がその音で目覚め、すぐにクラクションを鳴らして運転手に気づかせたという。
 
 市の教育委員会では、
運転手がバスを降りる際、車内点検と消毒を行うよう義務づけているそうだが、
この運転手は急ぎの用があったとかで、それをしていなかったと釈明しているそうだ。

     
      (一関市教育委員会の記者会見)

 たて続けに起こった死亡事故。

 全国で、さぞかし関係者は緊張感を新たにして送迎にあたっていたのでは・・・
と思っていたが、なかなかそうもいかないようだ。

 ただ、この男児。

 親からこの種のことがあれば、
すぐにクラクションを鳴らして知らせるよう教えられていたという。

 対策というもの、起こさないため、しかし起こったら、
とあれこれ多面的であってこそなのだろう。

 種々の事故に通じる好例として示唆に富む。
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もう終わりにならないか 一気飲み

2022年10月26日 | 日々
 学生時代、ぼくにまだ飲酒習慣がなかったころのこと。

 アルバイト先のバーで調子に乗って飲み過ぎてしまったことがあった。

 なんとか下宿には帰り着いたが、翌朝はひどい吐き気と頭痛。

 一日中寝ていたが、そのあくる日にも不快感をもちこしてしまった。

 「酒はもういらん」と思ったものだった。

 社会人になって飲酒の機会は増えた。

 それでも二日酔いに悩まされることはほとんどなかった。

 学生時代のあの体験が頭をよぎると、限界を超えることをしなくなったからだ。

 ところで、先日の報道によると、
京都地裁で一気飲みにかかわる和解事案があったそうだ。

     
        ( 京都地裁 )

 2016年、兵庫県のホテルで行われた
同志社大学ダンスサークルの合宿で毎夜の飲酒。

 一気飲みで一年生の学生(19歳)が急性アルコール中毒で死亡したという。

 その後、母親が大学側の責任を問い、
京都地裁に1000万円の賠償を求める訴えを提起。

 が、大学側は「大学の管理外で、安全配慮義務は生じない」との立場。

 すでに関係学生たちとは簡裁で和解済み。

 結局両者は大学側が母親に弔意を表すことで和解したという。

 確かに、中学、高校のクラブ活動ならともかく、大学でのそれはむずかしい。

 ただ、それとは別にこの種の死亡事故は、
圧倒的に大学が多い点には注目すべきだ。

 いわば子どもから大人への過程での一種の関門なのかもしれない。

 ただ、ぼくのように苦しい悪酔いだけですめばよいが、
命を落とすとなると、ことは深刻だ。

 大学側が配慮できる範囲の限界についてはわかるが、
せめて新入生のオリエンテーリングなどの機会に、
急性アルコール中毒の怖さなどを具体的に教えられないものか?などと思う。

 毎年入学してくる若い学生たち、彼らの多くは飲酒に無縁なのだから。

 一気飲みによる犠牲はもう終わりにしてほしいものだ。
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観光バス横転事故 まだ腑に落ちないその原因

2022年10月20日 | 日々
 10月13日、ふじあざみラインで起こった観光バスの横転事故。

 昨夜の報道では、
警察の現場検証の結果、ブレーキシュー付近に過熱痕とのこと。

 事故の原因はブレーキ系統の故障でなく、フェード現象の疑いが強まった。

 最初のニュースでは、解説にあたった専門家が
「発車してから10分ほどでフェード現象、これは考えにくい」とコメント。

 ではなんだったのか?とぼくもその原因に関心をもってきたところだ。

 やはり、足ブレーキ多用による過熱だったのだろうか?

 事故が起こった時刻は11:50頃とあった。

 ひょっとして昼食時刻が迫り、
運転手が会場への道を急いでいたのか?などと想像してしまう。

 しかし、たくさんの観光バスが通るこのライン、
10分の下り走行で起きたなら類似事故がもっと多発しそうなものだが・・・。

 それとも26歳で、採用から1年半という若い運転手。

 足ブレーキ多用の危険性の認識が希薄だったのか。

 最終原因について、ぼくとしてはまだ腑に落ちないところだ。

     

 ただそれとは別に、
考えてみればこの種の危険を知らないドライバーも少なくないのかもしれない。

 だとすれば、この危険性を広く知ってもらう好機であることは間違いなさそうだ。
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順風から逆風 そのとき人は

2022年09月29日 | 日々
 安倍元首相の国葬が終わった。

 当初からは想像できなかったような反対世論の高まりの中での国葬だった。

 報道によれば、岸田首相の国葬表明は銃撃事件から6日後の7月14日。

 これに先立ち、財界や自民党幹部からは首相あてに
「国葬にせよ」との電話が相当かかってきていたらしい。

 首相は今後の円滑な党運営からも国葬を決断したというのはすでに耳にした話。

 確かにそう決断したのは自然だったかもしれない。

 銃撃現場では献花に訪れる人が絶えず、報道でもその様子が繰り返し流された。

 国中が悲しんでいるかのように見え、
生前の安倍元首相の歩みを批判することさえはばかられるような状況でもあったのだから。

 しかし、その後旧統一教会問題などで風向きは一気に変わった。

 その結果、首相一人が批判の矢面に立たされ、
党内保守系議員らは何も言わなくなったという。(9月28日付け「朝日」)

 風は気まぐれ。いつどう吹き変わるかは誰にもわからないものだ。

     
 
 子どもの頃、ぼくらはよく野球をして遊んだ。

 時として、投げたボールが、あるいは打ったボールが近所の窓ガラスにガチャン!

 そんなとき、まわりの子どもは逃げ去るか、あるいは「知いらんで、知いらんで・・・」
など後ずさりしながらはやし立て、一方ボールを飛ばした子どもは泣きべそ、あるいは真っ青。

 そんなことがよくあった。

 なかなか「みんなで謝りに行こう」とはならなかった。

 今回の国葬をめぐる自民党内の動きを見ていると、
そんな子どもの頃の心の動きを思い出してしまう。

 長じた今、ぼく自身は「みんなで謝りに行こう」と言える大人になれたのだろうか?
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文革をくぐり抜けた中国の今

2022年09月26日 | 日々
 NHKの「映像の世紀 バタフライ イフェクト」で「女たちの愛と野望」の放送があった。

 宋家の三姉妹から江青に至る女性たちの姿が記録されていた。

 ぼくが最も関心をもったのは 宋彬彬(ソウヒンヒン)という女性だ。

 彼女は文革のさなか、紅衛兵代表として
毛沢東に腕章をつけるという「栄誉」に輝いたそうだ。

     
       (毛沢東と対面する若き日の宋彬彬)

 その後、紅衛兵による高校の教師批判で、
彼女は教師を集団で撲殺するという事件にかかわったという。

 文化大革命、終わってみれば毛沢東が自分の政敵を追い落とすため、
若者をはじめ多くの国民を扇動し、集団的狂気を引き起こした事件だった。

 2014年、彼女は当時事件にかかわった他の紅衛兵たちとともに
高校を訪れ、教師の像の前で深く頭を下げて謝罪したそうだ。

      
      (教師像に謝罪する宋彬彬たち)

 そのとき彼女が語った言葉。
「私は文革中に周囲から積極的でないと非難されるのを恐れ、
先生に対する暴力を止めることができませんでした。
 国家が向かう未来は過去とどう向き合うかにかかっています。
 過去の悲惨さや過ちを忘れれば、悲劇はまた繰り返されるに違いありません。」

 あの時代、教師をはじめ、多くの市井の人々を標的に暴行を働いた事例は数限りなくあった。

 冷静さを取り戻した今になって、その愚に心を痛めている元紅衛兵たちも多いはずだ。

 この国はあの事件を経て、どんなふうに変わったのだろう?

     
      ( 集団での糾弾風景 )

 いや、考えてみれば日本でも敗戦に至る時代、それは一面では狂気の時代でもあり、
戦争への否定的、消極的な姿勢には「非国民ッ!」と強烈な同調圧力が加えられた時代でもあった。

「歴史は繰り返す」と言われるが、
あのような時代の再来がどこの国でもありうるとしたら、「過ち」の真剣な考究の意義はこの先も変わらない。
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とうま君に続き、ちなちゃんも くり返される園バス事故

2022年09月08日 | 日々
 9月5日、静岡の川崎幼稚園でまたしても園バス事故が起きてしまった。

 昨年7月29日の双葉保育園(福岡)での事故から1年とわずかだ。

 先日の保護者説明会では、
園長から「四つのミス」があったと説明されたようだ。

 ぼくが特に関心をもつのは四つ目の、
無断欠席園児の保護者への確認、これを怠ったことだ。

 双葉保育園の場合、保護者に電話確認をすることもあれば
しないこともあるという実態が明らかにされた。

 要は確認の原則が守られていなかったわけだ。

     
        ( 双葉保育園 )

 川崎幼稚園の場合は、担任がちなちゃんのいないことに気づきながら、
欠席だろうと考え、内部連絡や保護者への確認をとらなかったらしい。

 これでは双葉保育園での事故の教訓がまったく生かされていないのでは?

 ただ、報道によれば、そこにはまだ事情があるようだ。

 無断欠席が結構あり、また保護者に電話確認を入れても電話に出ないことも多く、
園では次第に確認しない流れになっていったという。

 幼児相手の忙しい仕事、
 想像するに「そんなこと、いちいちかまってられない、どうせ連絡なしの欠席・・・」
といった受け止め、それへの慣れが浸透していたか。

 が、事故の重大さを考えれば、
それでもなお園側は確認に努めるべきではなかったか?

 命がかかっているのだ。

 双葉と川崎に共通する確認の怠り、
これは案外全国的に常態化しているのでは?という気さえしてくるのだ。

     
       ( 川崎幼稚園の送迎バス )

 一方、報道によると、
お隣の韓国はじめ欧米でも機器を使ったシステム整備が進められているようだ。

 つまりこの種の事故は日本だけでなく、世界中で起きているわけだ。

 そう考えれば、厚労省や文科省も「しっかり確認せよ」
という通達を出すだけでなく、機器システムの整備にも乗り出す必要があるのではないか。

 人による注意義務は基本ながら、それを補うシステムづくりも
併せて考えなければこの種の事故はまた起きる。

 事故の連続はその深刻さを示していると思えてならない。
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かみしめたい「疑わしき」の怖さ

2022年08月05日 | 日々
 今年1月に起こった奈良西警察署での銃弾5発紛失事件。

 今日、窃盗犯と疑われていた警察官が県を提訴したとの報道。

 行方不明とされていた5発の銃弾。

 その後わかったことは、結局、定期的な実弾交換の際、
誤って5発少なく配られていたということだった。

 疑われた警察官は、家宅捜索を受ける一方、取り調べでは「お前しかおらん」
「いろんな罪を掘り起こして何度でも逮捕する」と自白を求められていたという。

 この報道に接したとき、ある日突然上司たちから犯人と決めつけられ、責め続けられ、
おそらく周囲の同僚たちからも冷たい視線を浴びせられたであろう、
その警察官の絶望感はいかばかりだったかとぼくは胸が痛んだ。

     

 趣旨は少し違うが「疑わしきは罰せず」という原則がある。

 過去の司法の歴史のなかで、
多くの冤罪を生んできたことへの反省から生み出された貴重な知恵だ。

 くわしくはわからないが、
今回の事件も証拠がないまま疑いがその警察官に向けられていった可能性も想像できる。

だが、それは超えてはならない一線だったと考えるべきだろう。

 思い出すのはどこかの警察署で
押収した大金を金庫に入れておいたが、それがなくなったという事件だ。

 報道では、調査したが犯人は不明で、
その警察署の管理職たちが出し合って弁済することになったとか
(その後の報道はなく、どうなったかはわからない)。

 管理職たちも生身の人間、釈然とはしないだろうが、
冤罪を生み出さないという点では賢明な選択だったような気がする。

     

 考えてみれば、警察署内の事件だから大きく報道されるものの、
こうした事柄はぼくらの身の回りでも常に起こりうる。

 「疑わしき」の怖さを改めてかみしめたい。
  
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関東甲信の梅雨明け?

2022年06月27日 | 日々
 今年はカラ梅雨か?と思っていたら関東甲信の梅雨明け宣言。

 「エーッ!」

 いつもなら、近畿の梅雨明けは7月半ば過ぎ、祇園祭の山鉾巡行あたりのはず。

 今年は近畿の宣言も時間の問題となりそうだ。

 毎年の豪雨災害はまぬがれそうでそれは歓迎ながら、
そうなると今年7月の渓流釣りは絶望的な予感。 

 いや、それどころではない。

 梅雨明けとともに一気にやってくる猛暑、今年は長引きそう。

 加えて昨今の電力事情の悪化、
予測される水不足、農業の不振、またまた値上がり・・・。

 深刻な夏になりそうだ。
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重信房子の出所と謝罪

2022年05月28日 | 日々
 日本赤軍の元最高幹部 重信房子が出所した。

「見ず知らずの無辜の人たちに対しても被害を与えたことがありました。
 そのことについては、古い時代とはいえ、この機会にお詫びします」
 と述べたそうだ。

     

 「古い時代とはいえ」というのはどういう意味なのだろう。

 理由もなく一瞬にしてその命を奪われた人々、
その兄弟、親たち家族など遺族はそれを聞いてどう思っただろう。

 20年前に逮捕されたとき、彼女は自信に満ちた表情を見せていた。 

 今日、淡々と述べられたかのように聞こえる「おわび」の言葉。 

 この年月で彼女はどんな思いに至ったのだろう。

 ぼくには「おわび」はおざなりとの印象がぬぐえないが、今後の歩みに注目したい。
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