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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

包帯と固定具はとれたけど

2023年05月10日 | 日々
 右手小指の骨折から4週間が過ぎた。

 医師はレントゲン写真を見ながら
「だいたいひっついたな、もう固定は要らん。
 けど、関節が固まっとる。
 釣りに行くのは指が動かせるようになってからやな」と。

 確かに。

 右手小指は伸びたままで、少ししか曲がらない。

     

 曲げようとすると猛烈に痛いのだ。

 リールを巻くのに差支えはないが、
転倒でなくともよろめいたときなど、周囲の岩や木に手をつくのはとても不安。

 もうしばらくガマンの日々。

 それはともかく、手や顔を両手で洗えるなど、やっと日常が少しずつもどってきたのが救い。
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さよなら ベラフォンテ

2023年04月28日 | 日々
 歌手のハリー・ベラフォンテが亡くなった。

 96歳だったそうだ。

 もう彼を知る人も少なくなったことだろう。

 写真のレコードはカーネギーホール録音のものだ。

     

 ぼくは中学から高校時代にかけ、擦り切れるほどにこれを聴いたものだった。

 「ダニー・ボーイ」や「シェナンドー」など、いつも「うまい!」と思った。

 が、彼についてもうひとつ特筆すべきは、聴衆を楽しませる力だったろう。

 カーネギーホール公演での最後の曲「マチルダ」。

 どちらかと言えば単調な歌ではある。

 しかし、会場で彼はこの歌を聴衆にも歌わせた。

 はじめは遠慮がちに歌っていた聴衆も、彼の楽しい語りに誘われ、徐々に大きな声で。

 やがては聴衆の力強い大合唱となり、その頂点でフィナーレへ。

 鳴りやまぬ拍手が聴衆の共感ぶりをよく表していた。

 ぼくには言葉はわからなくても、
ベラフォンテの聴衆を引き込んでいくその力に圧倒される思いだった。

 そのベラフォンテが逝った・・・。

 彼のもうひとつの顔、公民権運動の担い手としての尊敬すべきそれ。

 その思いも併せ、冥福を祈りたい。

 さよなら ベラフォンテ。
 
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大江健三郎さん逝く

2023年03月14日 | 日々
 大江健三郎さんが亡くなった。

 「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」、共感しながら読んだことを思い出す。

 ただ、若い頃、挑戦するつもりで氏の小説をよく読んだものの、
ぼくの力ではとても理解できず、あきらめてしまったのは苦い記憶だ。

「もっと素人にもわかるように書いてくれんやろか」などと思ったものだった。

     

 今日のニュースでは、氏の出身校、愛媛の内子高校の生徒会誌の中から
「人間と運命との争闘 ハムレット私見」という文章が発見されたそうだ。

 氏が高校1年生のときの作品だとか。

 早くからむずかしいことを考えていたようだ。

 東大の学生時代に芥川賞をとった背景には、
そんな積み重ねがすでにあったということなのだろう。

 ともかく、戦争や核について個人として真摯に向き合ってきた人でもあった。

 大江さんの冥福を祈りたい。
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応挙と蘆雪、呉春と蕪村

2023年03月05日 | 日々
 ぼくの郷里 紀州串本に無量寺という寺がある。

 そこには長沢蘆雪の描いた虎のふすま絵があり、
その躍動感には子どもだったぼくらでさえ魅了されたものだった。

     

 最近、知り合いから司馬遼太郎の短編集『最後の伊賀者』を勧められた。

 そこに『蘆雪を殺す』(1965)と『天明の絵師』(1964)が収められている。

 前者は長沢蘆雪とその師匠円山応挙とのかかわりなどを描いている。

 応挙は多数の門人をもつ高名な絵師、対する蘆雪は独立独歩の「変人」。

 応挙は蘆雪の絵を「奔放すぎる、もっと緻密に」と批判するが、
蘆雪は取り合わず、「光焔こそ画の生命」と我が道を行き、やがて破門に。

 しかし、蘆雪の死後、
彼の絵師としての評価は師の応挙をはるかに超えて今日に至る。

 後者『天明の絵師』もそれに共通する。

 なにごとにも器用だった呉春、一方、売れない俳人で絵も手がけた蕪村。

 呉春は蕪村に弟子入りするが、
蕪村の死後、多くの弟子をもつ有名な絵師となる。

 司馬は作品のなかで、『雨月物語』で知られる上田秋成に呉春を評して
「精神がなくてカタチのみうまい絵師は、うまければうまいほど絵から遠ざかり、俗の俗となる・・・」
と語らせている。

 司馬は
「とまれ、蕪村は現世で貧窮し、呉春は現世で名利を博した。
しかし、百数十年後のこんにち、蕪村の評価はほとんど神格化されているほどに高く、・・・
呉春のそれは、応挙とともにみじめなほどひくい。」と『天明の絵師』をしめくくっている。

     

 絵の流行や人気、批評・・・その気まぐれとも言うべき不確かさ。

 いや、絵画に限らず、紡ぎ出される音楽、小説、随筆等々の創造の世界。

 巷の評価などに惑わされず、
価値あるものを見抜く力をぼくらはどれほど持ちうるのかと自問する。
 
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「尼僧物語」から

2023年01月28日 | 日々
 BSで「尼僧物語」(1959年)。

 ぼくが確か高校生の頃だったかにみたが、よくわからなかった。

 今回改めてみるところとなった。

      

 (あらすじ)
 ベルギーの外科医の娘ガブリエル(O・ヘプバーン)は
尼僧となってコンゴでの看護活動に従事したいと修道院入りする。

 そこでの厳しい修行を経て、ついにコンゴに派遣される。

 しかし、尼僧として守るべき戒律は看護の仕事としばしば衝突。

 看護に従事していても鐘がなればそこを去って礼拝という戒律・・・

 対話を求める患者に対しても尼僧は沈黙を守れとの戒律・・・

 彼女は尼僧に求められる幾多の戒律は果たして意味があるのか?と疑問をふくらませていく。

 やがて彼女はベルギーに召還される。

 そのとき始まった大戦で父はドイツ軍の銃撃で死亡。

 彼女は尼僧には許されない敵に対する憎しみを覚え、
自分の偽善をさとり、修道院を去ることを決意するに至る。

 (この作品が語りかけるもの)
 映画の最後でガブリエルが修道院の
マザー・エマニュエルに修道院を去る決意を伝えるシーンがある。

      

 ガブリエルの疑問に対しマザーは応える。

「あなたは尼僧で、看護師ではありません。医療より信仰生活が大事です」と。

 が、ガブリエルにとって大事なのは信仰生活よりも看護の仕事なのだ。

 彼女は「疑問をもたず、ひたすら従う、キリストのみせた従順は私には無理です」と返す。

 尼僧に求められる、己を虚しくして神に近づくという自己完成の生き方。

 彼女はそれを偽善として否定し、自己の意志に忠実な生き方を選ぶ。

 自分の内部から湧き上がる疑問、
それをあいまいにせず、考え抜いて答えを出すという真摯な姿勢に敬服する。

 ヘプバーンの作品群のなかでは地味な扱いではあるけれど、一級の秀作だとぼくには思える。

 追記
 それにしてもこの時代のベルギー、なぜ尼僧が看護師なのか?
 なんらかの歴史的な背景があるのだろうか?

 原作のモデルは実際の看護師で尼僧をやめた女性であったらしいが、そのあたりも興味深い。
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回忌表に見る死者たちを送る

2023年01月12日 | 日々
 昨年末、郷里串本の無量寺から「令和五年度 回忌表」が届いた。

 一周忌から百回忌まで、およそ650人の名前が記されている。

 一周忌の欄には昨年亡くなったぼくのおばさん。

 三回忌には、実家の面倒をみてくれた大工さん。

 七回忌には、同級生のお母さん。

 家に遊びに行くと「カン君、カン君」と
いつも親しげに声をかけてくれたものだった。

 あの頃の女性には珍しく、男たちに混じっての軟式テニス趣味、元気なお母さんだった。

 「女だてらに・・・」などの陰口は歯牙にかけない強い人でもあった。

 十三回忌には、ぼくの家の向かいだった八百屋のおばさん、
そして十七回忌にはその八百屋のおじさんの名前。

 店はにぎわい、家では五人の子どもたち、にぎやかな家だった。 

 けれども、それに続く二十五、三十三、五十、百回忌の欄に知る人はいない。

 ぼくが早く郷里を離れたからかもしれない。

     

 この回忌表では、百回忌の人が113人。

 今年度の法要が最後になるわけだ。

 なぜそこで終わるのか、仏教にはそれなりの説明があるのだろう。

 しかし、実際のところ、偉人伝中の人物を除けば、
死後100年たてば、その死者を覚えている人は誰もいない。

 寺の過去帳、役所の記録、家々の位牌などに文字という記号で残るだけなのだ。

 百人百様の人生を生き抜いた市井の人々の記憶、
それが年々失われていくことに哀しい思いだ。

 ふと思い出す。

 谷川俊太郎の
「死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた・・・」

 あれは生と死、終わりなく続く人々の連なりを指しているのだろうかと。

 回忌表からさえも消えていこうとする人々に
手をふりながら、せめて「さよならあ、さよならあ」と叫びたい気持ちだ。
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「はんがんびいき」でなく「ほうがんびいき」

2023年01月01日 | 日々
 毎週、BSで「関口宏の一番新しい中世史」をみている。

 今は鎌倉幕府成立のあたりだが、初めて知ることが多くおもしろい。

 そんな歴史の本筋からは離れるが、
「日本人の判官びいき」という言葉がある。

 これは源義経の不遇の身に同情しての「ひいき」の心情を指す。

 この「判官」とは義経の別名
「九郎判官(くろうほうがん)」に由来し、正しくは「ほうがんびいき」だそうな。

 いやあ、そういうこととは知らなかった。

 漢字の書き違えや誤読。

 歳を重ねても、それに新たに気づくことに終わりはない。

 今さらという思いの一方、
それでも気づかされると、ひとつ賢くなったような気がするのはぼくだけではなかろう。

 今年はどんなことに気づかせてもらえるだろうか?

     
          ( 釣友 ツバキさん撮影 近江の日の出 )

 さて皆さん、新年おめでとうございます。

 昨年もこのブログを御訪問いただき、感謝申し上げます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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おもしろかった大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」

2022年12月22日 | 日々
 このドラマのおもしろさ
 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わった。

 いやあ、いつもの大河ドラマよりも数段おもしろかった。

 大河ドラマ、ふつうなら成功物語に類するような
娯楽的なものが多いなか、これは暗く息詰まるような作品だった。

 主人公北条義時は「正義の味方」でもなんでもない。

 北条家を武士の頂点に立たせるべく、
手段を選ばずだまし、おとしいれ、殺すという冷徹な現実主義者なのだ。

 いや周囲の御家人たちも探り合い、騙し合い・・・と、負けてはいない。

 その動機というもの、すべて権力への執着からなのだ。

 ドラマをみていて、その陰湿さ、残虐さに
思わず気がめいってしまいそうになったこともしばしば。

 実際、ドラマの視聴率は中盤からジリジリ下がったようだ。

 しかし、どの時代にも通じるであろう人々の欲望を
赤裸々に描いたところにこの作品のおもしろさはある。

       

 ドラマと実際の歴史
 さて、承久の乱については、ぼくも歴史の授業で習った程度の知識しかなかった。

 しかし、このドラマをみていると、
知らなかった事件や人物が次々登場し、その事情や内幕が描かれる。

 そのたびに「ホウ」と感心する。

 が、ハッとするのは、数々の歴史事実はそれとして、
それら点と点をつなぐのは作家や脚本家の創作、想像で、それは彼らの自由裁量の分野でもある。

 ならば、この種の歴史作品に接し、
「これが歴史の流れだった」と簡単に納得してしまうと、これは危うい。

 忠臣蔵や義経伝説に作り話が多いのはよく知られるとおり。

 その意味では今回のドラマも歴史を知るうえでは参考かな。

 日本海側は雪が続く。
 しばらく行けそうにない。
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カズワンの沈没事故 ハッチからの浸水だったというが・・・

2022年12月16日 | 日々
 4月の知床半島沖での沈没事故。

 運輸安全委員会の報告が公表された。

 なぜ沈没?
 直接の沈没原因はハッチからの浸水、
またハッチのふたによる窓ガラスの破損、そこからの海水流入によるという。

 海水が流入しても一定量以上は浸水させない隔壁はあったようだが、
これには穴が開いていたそうだ。

 なぜ穴が開いていたのかはよくわからない。

 ただ、カズワンには隔壁の設置は義務づけられていなかったそうで、
残念ではあるが、それ以上の責任は問えそうもない。

 カズワンのハッチのふたの不具合については、
事故前から知られていたようだ。

 それが沈没原因だったとしたら、ふたの整備は決定的な問題だ。

     

 残された問題
 ただ、カズワンの事務所に設けられていた
無線用アンテナが折れたまま放置されていたような運航会社だ。

 不幸なことながら、船舶や航行に無関心な社長には期待できそうもない。

 また、雇われていた船長も
多様な職種を渡り歩いてきたと聞く人で、ベテランとは言い難い。

 海で船を操る仕事に従事する人としては、
いずれも知識や経験、それに厳しさを欠いていたということか。

 ならば、その甘さに「待った」をかけるのが運輸行政機関ではないのか?

 国交省所管の日本小型船舶検査機構(JCI)が
カズワンを検査して「合格」を出したのは事故の3日前だったと聞く。

 ハッチのふたの不具合と「合格」との関係はどうだったのだろう?

 そのあたりをさらに聞きたいものだ。
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おおきに 安藤さん

2022年11月15日 | 日々
 朝の散歩で安藤さん宅の前にさしかかると、細君がかどはきをされている。

 「おはようございます。安藤さんの具合はどうですか?」
 と尋ねると

「主人は2年前に亡くなりまして・・・」とのこと。

 安藤さん。
 ぼくが現役時代、仕事で知り合った方で、意外にも近くにお住まいだった。

 お互い退職後も、散歩でよく出会い、あいさつを交わす間柄だった。

 その安藤さん、ある時期から急に顔を見なくなった、

 ご病気だと知ることになったが、
お亡くなりだったとは・・・しかも2年も前に。

 深いつきあいではなかったものの、さびしい限りだ。

 京都の紅葉もいよいよ本格的。

     

 写真のイチョウ、ぼくの散歩道にあるものだ。

 昨年までイチョウの前に古い建物があり、
上半分しか見えなかったが、その建物が撤去され総身を現した。

 川べりに立つ野生のイチョウ。

 街路樹と違って、枝切りもされずのびのびしている。

 安藤さんもきっとご存じだったはず。

 大木というにはまだまだながら、
10年いや20年もすればさぞかし堂々たるものになっているに違いない。

 そのときにはぼくも安藤さんと同じく鬼籍に入っているか。

 死後に魂というものがあるなら、光輝くその大木を二人で見に来たいものだ。

 おおきに安藤さん、安らかに。
 
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