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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

「組織文化の問題」克服はできるのか?

2024年07月13日 | 日々
 12日、防衛省で異例といわれる218人もの処分。

 多くは海自関係の「特定秘密保護法」違反のようだ。

 海自といえば、先日も川崎重工への「たかり」同然の事実が発覚したばかり。

 加えて潜水手当の不正、何千万円にのぼるという。

 また、「不正喫食」なる「無銭飲食」まで。

 あまりにもセコいとあきれはてる。 

 結局、その財源は?といえば血税ではないか!

     

 辞任を表明した酒井良海上幕僚長が述べたそうだ。

「きわめて私の個人的な見解ながら・・・組織文化に大きな問題がある。
 個々の事案の対応策では対応できない・・・長期的な対策を講じなければ・・・」

 幕僚長としての責任を認めつつも、その「組織文化」なるものは
深く根付いており、改革は容易でないことを率直に語ったもののようだ。

 歴代の幕僚長が問題を認識しながら手を打たなかった、あるいは打てなかったとも考えられる。

 この種の難題の克服、つまるところ自浄は望めず、結局「外圧」頼みしかないのだろうか。

 ため息が出そうな気分になるが、一国民としてはこの機会を是非とも生かしてほしいものだ。
 
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高知でのプール死亡事故 思い出す学校水泳のこと  

2024年07月09日 | 日々
 高知のプールでの事故から
 7月5日、
高知の小学4年生がプールでおぼれ、病院に搬送されたが亡くなった。

 報道によれば、
その生徒が沈んでいるのを見つけ、引き上げたのは同級生たちで、
その時点まで三人いた教諭は誰も気づかなかったという。

 対処はすみやかだったのか?、
 また蘇生のための応急手当は施されたのか?

 いずれにしてもいたましい事故だ。

 これを機に、学校側が
水泳指導をやめてしまいはしないかという心配もまた起こる。

 思い出す学校水泳の日々
 こんなとき、ぼくは郷里串本の「学校水泳」のことを思い出す。

 ずいぶん昔、ぼくが小学生だったころ、
毎年7月ともなれば午後の授業は毎日海水浴だった。

 泳力に応じた等級制度もあり、
7級(5メートル)から1級(遠泳 1300メートル)まであった。

     
        ( 学校からの引率で )

 夏休みに入ると、
学校が指定した町内の三か所の水泳場で午後の2時間、海水浴ができた。

 PTAが組んだ当番制で、
水泳場ごとに3人くらいの保護者が毎日監視員として詰めた。

 ぼくら小学生は保護者なしでの水泳は禁じられていたが、
指定された水泳場なら小学生同士でも泳ぎにこられた。

 これが「学校水泳」だった。

 海で遊ぶのが好きだったぼくは友達と誘い合わせ、毎日通った。

 楽しくて楽しくて、夏休みがずっと続けばいいと思った。

 学校水泳の危うさ
 しかし、大人になってぼくはプール事故の報道に接するたびに、
この学校水泳にある種の危うさを感じることになった。

 PTAの監視員たちはたいていお母さん方だった。

 仮りに誰かがおぼれたとしても、助けに行けるとは思えなかった。

 いや、それ以前に実際、監視員たちが砂浜に座り、
百人以上の子どもが広い範囲で水遊びに興じているなか、
おぼれているなどの異常に気づけるなどできっこない。

 プールのような限られた範囲の監視とはワケが違うのだ。

 ぼくはある年の夏休み、
これから泳ごうと砂浜で服を脱ぎながら歩いていたとき、
足の裏にするどい痛みを感じた。

 ガラス瓶のかけらを踏んでしまったのだ。

 かなり出血した。

 監視員がやってきて
「これはあかん、医者や」と言われ、医院に送られ縫合処置を受けた。

 監視員の役割というのは、
実態からみればこうした「連絡」だったのかもしれない。

 結局ぼくのケガのときと同じように、
もしも水難事故が起きれば監視員たちは児童から連絡を受け、
一方では可能なら救助、もう一方では警察や学校に連絡といった、
あくまでも事後的対応、それが限界だったのではないか。

 発見、救命という点では明らかに遅い。

 学校水泳は、つきつめれば
この限界を認めた上に成り立っていたという気がしてならないのだ。

 昨今、プールでの事故が起こるたびに
厳しく問われる現場の教諭たちの責任、そして学校や教育委員会の責任。

 今なら、当時の串本の学校水泳制度などは、
危険すぎるとして、学校側もウンとは言わないだろう。

 また責任を問われることを恐れ、
監視員になる保護者も出てこないだろう。

 時代とともに
問われる責任の重さがまったくちがってきたと感じるところだ。

 されど思い返す学校水泳のありがたさ
 けれども、もしもぼくらの小学生時代、
あの学校水泳制度がなかったら、ぼくらは夏休みにほとんど泳ぎには行けなかった。

 というのも、ぼくの親は自営業で、
当時の仕事には休みというものがなく、友達の多くも同じような事情だったからだ。

 おそらく、あの当時なりに、教育委員会や教職員、
PTAなどでも安全性をめぐっての議論はあったはずだ。

 そのうえで知恵をしぼって学校水泳の実施を決断したのは、
子どもたちに健康的で楽しい夏休みを!という願いからだったのではなかったか、

 そう思うと、ぼくの心は感謝の気持ちでいっぱいになる。

    
       ( 指定水泳場のひとつ 上浦 )

 やがてぼくらは卒業。

 その何年か後には串本小学校にもプールができた。

 それを機にか、学校水泳はいつしかなくなったようだ。

 學校水泳の期間中、水難事故があったという話は聞かなかった。

 「よかった」としみじみ思う。

 大水崎(おおみさき)、夏休みにぼくらが毎日遊んだ
そのなつかしい砂浜もすでに埋め立てられ、今はもうない。

 改めて学校水泳のために尽くしてくれた当時の先生方や
PTAの方々の努力に感謝したい。

 あの楽しかった夏の日々の記憶は今もぼくの宝物なのだから。
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もううんざり 政治家たちの失言と謝罪

2024年04月04日 | 日々
 静岡の川勝県知事が辞職を表明した。

 県の新規採用職員に対する訓示での発言に責任をとってだという。

 氏は「誠に申し訳なく思う」と謝罪の言葉を述べた。

 一方、発言全体を知ってもらえれば「誤解は解ける」と発言の撤回は拒んでいる。

 が、氏の訓示を素直に聞けば、誰であっても
「野菜を売ったり、牛の世話をしたり・・・」する人を低く見ているとしか読めない。

 また、記者会見で謝罪した氏だが、そこには条件がついている。

「不愉快な思いをされたということであれば」と。

 ここには「自分は間違っていない、誤解だ」、
さらに踏み込めば「(それは)聞く側の受け止め方の問題」という含みさえ感じられる。

     
     ( 4月1日 県知事の訓示 )

 ぼくはこれまでこうしたた政治家たちの謝罪パターンをたくさん耳にしてきた。

 それは自分の非を認めたくないという政治家のプライドから出ているようにみえる。

 けれども謝罪というもの、条件をつけない率直さこそ相手に受け入れられるはず。

 こんな「謝罪」はもううんざりだ。
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医師たちの貴重な「踏み込み」

2024年03月28日 | 日々
 「紅麹」サプリ問題が連日報道されている。

 すでに四人が亡くなったというからことは重大だ。

 ただ、原因物質はまだよくわからず、今後の調査が待たれるようだ。

 報道によれば、小林製薬では1月中旬から問題を把握していたようだが、
2月に入って複数の医師から同社に問い合わせが入ったらしい。

 問題のサプリに腎疾患を引き起こす物質が入っているかどうかについてだ。

 ぼくはこの医師の問い合わせが
問題の公然化と市場からのサプリ回収を促したのではないかと想像している。

     

 報道で聞いた別の話。
 サプリのある摂取者は、服用を始めてから体の異変に気づき、受診。

 その際、医師に紅麹のサプリを使っていることを伝えると、
医師から「やめておきなさい」と言われたそうだ。

 そうして服用をやめると体調が元に戻ったという。

 この医師はサプリの悪い作用に気づいたのかもしれない。

 しかし、会社側にそれを伝えたり、問い合わせることはしなかったわけだ。

 その点で、「複数の医師」たちが一歩踏み込み、
会社に問い合わせたのはとても貴重ではなかったかと。

 つまり、それまでバラバラだった腎疾患諸事案が
初めてそのつながりを見せ始めることになったのだから。

 健康問題であれ、犯罪であれ、その解明にはこの一歩踏み込みが大きな役割を果たすこと。

 「複数の医師」たちの行動から改めてその教訓を学びたい。
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無理せずに 尊富士

2024年03月23日 | 日々
 十両から幕内に上がったばかりの力士が優勝しそうだという。

 尊富士、前頭17枚目。

 これまで幕内下位の力士で優勝争いに加わった者は多い。

 しかし、その多くは昇進するとともに勢いはそがれがちだ。

 ただ、この尊富士、十両も一場所で通過したというからかなりのもののようだ。

 しかし今日、一四日目の取組で右足首を痛め、車いすで退場、病院へ行ったそうだ。

     

 もしも今場所で優勝なら、110年ぶり新入幕優勝になるらしい。

 明日の千秋楽はどうなるのか?

 本人としては歴史的な優勝を飾りたいところだろうが、
もしも足の具合が悪いのなら無理してくれるなとぼくは言いたい。

 無理をして力士生命をつぶした稀勢の里の例もある。

 若い力士にとって力士生命は長く、その後の人生はさらに長いのだから。

 そこのところ、部屋の親方にもよろしくお含みいただきたい。
 
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桐島聡の死 聞いてみたかった胸の内

2024年01月29日 | 日々
 「本名は桐島聡」と名乗った男が死亡した。

 警察はまだ調査中とのことだが、おそらく桐島に間違いなかろう。

 桐島の顔はぼくもよく覚えている。

 交番などあちこちに指名手配の顔写真が貼られていたからだ。

 驚くのは、桐島が長期にわたり「内田洋」の名前で公然と働いていたことだ。

 人の風貌というものは、年月がたつと気づかれにくくなるようだ。

 彼がかつて所属していた「東アジア反日武装戦線」。

 主にアジアに進出する企業へのテロを起こした集団で、
彼らの活動によって多くの死傷者を出している。

 「何の罪もない人々を・・・」
というのが普通の人々の気持ちだが、彼らにとってはそうではない。

 彼らは「爆死し、あるいは負傷した者は無関係の一般市民ではない。植民者である」
(三菱重工爆破後の犯行声明)と。

 つまり社員たちも共犯者だとして、そのテロを正当化したのだ。
 (のちには裁判などで彼らは謝罪に転じたそうだが。)

 いずれにしても、彼らの思想と活動は短絡的で稚拙という印象をぬぐえない。

       

 「最期は本名で迎えたい」との桐島の述懐。

 これは桐島が死期の近いことを悟ってのものだろう。

 それは「逃げ切った」ことへの安堵の気持ちなのか?

 他方では、爆弾で死なせたり深刻なケガを負わせた人々に対する桐島の胸の内はどうだったのだろう。

 まさか、あの当時の考えのままではあるまい。

 未熟で流動的な青年期の考え方は、歳月とともに変わりうるとぼくは信じるからだ。

 桐島が悔いているなら、せめて真剣に謝罪の言葉を述べてほしかったところだ。

 桐島の胸の内をぜひ聞いてみたかったところだが・・・。 
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日本の技術のかげりなのか、せめて誠意ある対応だけは

2024年01月21日 | 日々
 英国郵便局の冤罪事件が同国史上最大のものとして報道さている。

 700人以上の郵便局長らが横領罪に問われたというもの。

 財産を失い、自殺に追い込まれるなど、その悲劇は広範囲で深刻だ。

 最近になって、これは横領ではなく
会計システムの不具合によるものであることがはっきりしてきた。

 ぼくにとって衝撃的なのは、
そのシステムが富士通の子会社が開発したということだ。

 英国といえば、以前に日本の列車運行システムが評価され、
英国でも導入するという話があり、ぼくも誇らしく思ったことがあった。

 しかし、このたびの冤罪事件に接すると、
日本の技術もすでにその光を失っているのでは?とがっかりしてしまう。

     

 さらに驚いたのは、システムを開発した子会社が
このシステムを納入した1999年時点で、その欠陥を把握していたという報道だ。

 子会社側はシステムの修正を試みたようだが、成功しなかったらしい。

 ならば、欠陥を公表して、
冤罪事件の続発だけは止めなければならなかったのではないのか?

 最近の報道では、英国政府もそれを早くから把握していたらしい。

 しかし、富士通は英国政府関係のシステムにも深く関与しており、
政府は政治問題化に配慮し、動かなかったとかの報道だ。

 いずれにしても気の毒なのは、政府や子会社の事実上の無策のなか、
冤罪を背負わされたたくさんの郵便局関係者たちだ。

 技術のことはさておき、せめて富士通側が誠意ある対応につとめ、
倫理的な信頼だけは失わないこと、これを切に願う。
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続・全員無事脱出

2024年01月05日 | 日々
 羽田の航空機からの脱出について詳しいことがわかってきた。

 衝突してから旅客機を停止させたとき、
機長らのいるコックピットでは火災発生に気づいていなかったという。

 インターホーンは衝突事故で故障しており、
客室乗務員からのコックピットへの連絡は通じなかったようだ。

 が、機長が客室に行ったとき、
すでに2か所で緊急脱出が始まっていたという。

 脱出するうえでの安全な扉の選択を含め、これらは機長の指示でなく、
客室乗務員ら自身の判断と行動によるものだったそうだ。

 ぼくはここのところがスゴいと感心するのだ。

     

 組織というもの、非常時にはよく指示待ちにおちいりやすい。

 訓練でも、「誰が誰に」指示という型どおりの「筋書き」に沿ったものになりがちなのだ。

 この方法では、実際の事故で、
頂点にいる者が不在あるいは指示なしとなれば組織は動かない。

 日航の堤常務執行役員は記者会見で
「乗務員が危険なドアを開けることなく脱出させたことが大きい。
 過去の教訓も生かし、ケーススタディを重ねた成果が出た」(産経)と述べたそうだ。

 そうだとすれば、考えさせる教育や訓練が
思考・判断能力を持った客室乗務員らを育てたことになる。

 今回の最大の教訓となるだろう。
 
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全員無事脱出 それを可能にしたもの

2024年01月02日 | 日々
 2日夕刻、驚きのニュースが入ってきた。

 羽根田空港で、着陸してきた旅客機と海保の航空機が衝突、炎上したというもの。

 乗客と乗員併せて379人は全員無事脱出したということだ。

 なぜ両機が衝突したのかは今後の調査を待つしかない。

     

 ぼくが感心したのは、着陸してきた旅客機が
いわば火だるま状態で滑走して停止、そこからの緊急脱出だったことだ。

 これまでぼくが報道で知らされた脱出劇は、
たいてい「エンジンの一基から発煙」など、割合軽いものが多かったように記憶する。

  上空での発煙なら着陸までに時間はあり、
機長の乗員への指示も比較的余裕をもってできるだろう。

 しかし、今回は衝突・炎上から機体停止まではほんのわずか。

 ひょっとすると機長の指示がないまま、
乗員たちは自主的に予定の行動に入ったのかもしれない。

 その真相はともかく、そうして炎上する中、
よくパニックにならず全員を無事脱出させえたものだと感心する。

 これには、関係者の平素からの訓練や
イメージ・トレーニングの積み重ねがあるはずで、その努力に心から拍手を送りたい。
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謹賀新年 2024

2024年01月01日 | 日々
 新年おめでとうございます。

 このブログを御訪問いただき、ありがとうございます。

 昨年はぼくにとって、コロナや骨折など災い多い年になりました。

 最近はことのほか、寄る年波を実感しています。

 渓流歩きも体にこたえ、入渓時間もずいぶん短くなってきました。

 そう考えれば、転倒による骨折も偶然ではないかもしれません。

 今年は安全第一を心掛け、ひかえめにと思っています。

 皆さん、本年もどうぞよろしく。

     
 
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