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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

紀州のドンファン事件裁判から

2024年12月13日 | 日々
 12日、紀州のドンファンこと野崎幸助さんの死亡をめぐり、和歌山地裁が元妻 須藤被告に無罪判決。

 裁判の争点をめぐる最近の報道から、ぼくは須藤被告の犯行とは言えないと思ってきたところだった。

 検察が今後どう動くかはわからないが、とりあえず冤罪は回避されたと喜びたい。

「疑わしきは被告人の利益に」という原則を貫いてこそ、冤罪は避けられる。

 判決は賢明だ。 

     

 ただ、ぼく自身の受け止めはいろいろ変わった。

 事件が起こった当時、ぼくは「ほう、遺産目当ての殺人事件か?」と即座に感じた。

 その後も、月100万円の契約結婚だったとか、密売人から覚醒剤を買ったとか、
はては札幌在住の男性から2980万円の詐取(確定)したとかの報道を受け、
ぼくは被告が野崎さんを殺したとしてもおかしくないと思ってきた。

 サングラス姿も何かぼくにはマイナスイメージだった。

 しかし最近になって、覚醒剤入手が野崎さんの依頼によったことや、
被告が野崎さんに多量の覚せい剤を飲ませたという証拠がないなどの報道に接し、
被告の「犯行」に疑問をもってきたところだった。

 思うに、判決に至るまでの断片的な報道は、被告に対するいろいろな負のイメージを作り出しやすい。

 被告をはじめ、家族たちは
それでもって孤立させられ、憎まれ・・・と苦しい立場に追いやられるのが常だ。

 むずかしいことではあるが、
報道される断片的なことがらには距離を置いて接することの大事さを改めて感じた次第だ。
 
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核兵器なき世界、戦争なき世界への志、されど

2024年12月11日 | 日々
 10日、日本被団協がノーベル平和賞を受けた。

 長らく被爆者援護の拡大と核廃絶を
訴え続けてこられた皆さんの志に心から拍手を送りたい。

 被爆に伴うその後の病、まわりからの差別・・・
そんな苦しみのなかでのねばり強い取り組みに。

 ぼく自身も若いときに原水爆禁止のための署名運動などに関わったことがあった。

 当時はベトナム戦争のさなか。

 そのベトナム戦争が終わり、
少しは平和な世界が・・・と思ったが、戦争は止まなかった。

 被団協代表委員の田中さんの演説によれば、
「(いま)ただちに発射できる核弾頭が4000発ある」とのことだ。

 ウクライナでの危機、ガザ問題での危機。

 戦争は終わらず、そこにまた核の恐怖が影を落とし続けている。

     

 先日亡くなった谷川俊太郎さんの詩「死んだ男の残したものは」。

 そのなかに「死んだ兵士の残したものは・・・平和ひとつ残せなかった」とあった。

 初めてこの詩にふれたとき、ぼくはしばらく沈黙させられた。

 戦争が決して後の平和を保障するものではないのだと。

 谷川さんはこうも書いている。
「死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日・・・」

 氏はここに希望を詠っておられるのか?

 ぼくは希望だと信じたい。

 が、現実は混沌としており、
長く生きてきたぼくには戦争が人類の歴史の付随物とさえ映ってしまいそうになる。

 せめて平和を願う人々の運動が
核を含む戦争を根絶とまではいかなくても、抑止しているのだという希望だけはもちたいものだ。
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京都のモミジ群落にて

2024年12月03日 | 日々
 京都もあちこちでモミジが赤く染まったようだ。

 昨日はよく晴れ、モミジが西からの光に鮮やかになるはずと出かけてみた。

 15時過ぎ、モミジの群落には観光客がいっぱい。

 中国語が盛んに飛び交っている。

 さて、予想どおり、西に傾いた陽の光でモミジはとても鮮やかだ。

 あちらこちらで「ワーッ、きれい!」などの感嘆の声。

     

 それにしても、今が紅葉の最高潮だとしたら、
その時期も以前に比べてずいぶん遅くなったものだ。

 ところで、最近思うのはモミジ群落のいわば「造られた」性格だ。

 あるとき、ぼくは山のモミジの紅葉をカメラに収めようと賀茂川水系の奥に入ったことがあった。

 ところが、モミジはほとんど見当たらなかった。

 ぼくはこのとき野生のモミジというのは
そんなにたくさんあるわけではないことに初めて気づいた。

 その代わりに、黄色あるいは茶色に染まるドングリ系の木々はたくさんあった。

 思えばモミジはたくましく生息範囲を広げていく木ではなさそうだ。

 京都で有名なモミジどころといえば、
東福寺、清水寺・・・たいていは社寺、それに公園、霊園などだ。

 モミジは紅葉の人気ゆえに人の手で植えられ、群落が造られてきたのかもしれない。

 その点ではイチョウやソメイヨシノに共通している。

     

 そう考えれば、ヤマザクラやドングリ系はたくましいと改めて感心する。

 そんなことを思いながら夕闇せまるなか、帰路についた。
 
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ハスのギザギザ口 その進化の話

2024年11月25日 | 日々
 琵琶湖でルアーを投げていると時々釣れることがあったハス。

 ハスは遊泳力が強く、一時期ぼくも宇治川に立ちこんで
早い流れの中にミノーを投げて楽しんだこともあった。

 このハス、琵琶湖の固有種と聞いていた。

 ところがずいぶん以前、
古座川でアマゴ釣りをしていたとき、意外にもハスが釣れたのだ。

 「なんで古座川で?」と驚いたが、
湖産アユの放流に際してまぎれこんだと考えれば納得できる。

 そうだとすれば、ハスはかなり広範囲に分布しているのかもしれない。

 先日、NHK「ギョギョッとサカナ・スター」でハスが取り上げられた。

 テーマのひとつ、ハスの口はなぜギザギザ?

     

 ぼくは、魚を食べるハスだから口の形がそのように進化したのだと単純に思ってきた。

 もっとも、それなら魚食魚はみんなそうなのか?と言えば違う。

 ハスの口の形は独特なのだ。

 サカナ君によるとこうだ。

 ハスが属するコイ科の魚はみんな雑食性。

 ところがハスだけは珍しく「完全魚食性」なのだそうだ。

 が、コイ科の魚には歯がないらしい。

 そこでハスの場合、口の形が変化し、
とらえた魚を逃がさないように進化したと考えられているそうだ。

 なるほどと納得。

 ついでながら、以前ぼくは滋賀県では
昔からハスが塩焼きなどで食べられてきたと聞いていた。

 しかし、ハスをおいしく食べるには
「骨切り」が必要などで人気が薄く、今は食材としては流通していないそうだ。

 食文化が消えていくのは惜しいところだ。
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松本人志さんの提訴取り下げ 謝るならきっぱりと

2024年11月09日 | 日々
 8日、松本さんが文春に対する提訴を取り下げた。

 取り下げの理由は
「これ以上多くの方々にご負担、ご迷惑をかけることは避けたい」からだという。

 当初の「事実無根」という主張をなぜ通さなかったのか?

 おそらく文春の報道は争えない事実だったのだろう。

 文春側は
「原告代理人から、心を痛められた方々に対するお詫びを公表したいとの連絡があり・・・」
取り下げに同意したという。

 が、松本さん側のコメントでは
「心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます」とある。

 果たしてこれが「お詫び」と言えるのだろうか。

 これは失言で追い込まれた政治家たちがよく使う表現で、
自分はちっとも悪くないはずといった含みを感じさせる。

 姑息としか言いようがない。

     

 松本さんはあくまでも体面は保ちたいということなのだろう。

 被害にあった人は納得しかねるところだろうが、
弱い立場の人にはどうしようもない結末になりそうだ。 

 こんなことがまかり通る世の中は哀しい。
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「対決より解決」今こそ

2024年11月01日 | 日々
 総選挙の結果にはびっくり。

 与党がここまで大敗とは!というのが正直な感想だった。

 さて、大躍進した国民民主の「手取りを増やす」政策が動き出した。

 手取りが増えるのはうれしいことだが、不安もある。

 国民民主は政府に基礎控除の引き上げやガソリン減税などの要求をつきつけている。

 しかしそうなれば当然国の税収は減る。

 単純な計算では7兆から10兆円という額に及び、国家予算の1割近くになるという。

 が、国民民主は、
受け入れられなければ政府の補正予算案や法案の成立などには協力できないと強硬だ。

 議席が過半数に届かなかった自公政府側は困って検討中だ。

 国民民主の要求を圧縮すべく交渉するか?

 他の予算を削るか?

 あるいはまたまた借金を大幅に増やすか?

     

 本来、「手取りを増やす」とは、
賃上げやその基礎となる経済・産業を発展させてこそではないのか。

 いま交渉中の「手取りの増加」は財政悪化など、
別のゆがみを生み出しかねないのでは?と案ずるがどうだろう。

 併せて、国民民主は政府に要求しつつも財源などに関する提案は出していない。

 財源がないのはわかっているから出せないのか? 

 しかし、知恵をしぼってそれを提案してこそ
「対決よりも解決」を掲げてきた同党らしいと思うのだが。
 
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袴田さんの無罪判決 併せて冤罪を晴らせなかった人々への思い

2024年09月27日 | 日々
 26日、静岡地裁の再審公判で、袴田巌さんに無罪判決。

 とても喜ばしいことだ。

 ただ、予想された結果とはいえ、これで袴田さんの無罪が確定したわけではない。

 あとは検察の控訴か否かにかかっている。

 過去の再審無罪判決では、検察は控訴しない流れがあるそうだ。

 ただ、今回気になるのは、地裁が検察の提示した証拠を捏造と断じたこと。

 これには検察内部での強い反発が出ているとのことだ。

 反発に任せて控訴などに踏み切ることのないよう祈りたい気持ちだ。

     

 それにしても再審それ自体の扉は重く、そこから無罪への道のりも長く苦しい。

 おそらく世の中には人知れず、
罪を着せられたままあきらめたり、力尽きた人も少なくないのではなかろうか。

 そんなことを思うと、
無念のうちに刑死されたり亡くなられた人々にじっと手を合わせたくなる。
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駆除のために「天敵」を放つことの危うさ

2024年09月04日 | 日々
 9月3日、環境省が奄美大島でのマングース根絶を宣言した。

 果たしてできるのか?と案じていたぼくには驚きつつもうれしい話だ。

 元々は猛毒のハブ、それに農作物を食い荒らす
野ネズミ対策として1979年、30匹ほどが放たれたそうだ。

 しかし効果は上がらず、逆に絶滅危惧種の
アマミノクロウサギが減るなどで、駆除に乗り出したようだ。

 いや、ぼくもずいぶん以前に
テレビで毒蛇とマングースの対決映像を見たことがある。

 マングースが毒蛇を仕留めるところをみて、
「これはすごい、これならハブ退治もできる!」と確信したものだった。

 が、後で聞いたところでは、マングースも命がけであり、
わざわざ危険をおかして毒蛇狩りなどはせず、もっと捕食しやすい生き物に向かうはずだと。

 さらに、ハブは夜行性であるのに対し、
マングースは昼間に活動するということで、元々無理があったようだ。

 そんな基本的な知識や熟慮もないまま放ってしまったとは・・・。

     

 しかしマングースの移入は1870年頃から
世界各地で行われており、今になってみんな困っているそうだ。 

 根絶は簡単ではなく、今回のケースはとても珍しいとか。

 奄美大島で根絶できたのは、
国や島民の一丸となったねばり強い取り組みがあってのことだろう。

 比較的小さな島であったことも幸いしたかもしれないが、
20年余りに及ぶと聞く気の遠くなるような努力には頭が下がる。

 アマミノクロウサギの個体数が順調に増えているのがうれしい。

 ある種の生物を駆除するために、
安易にその「天敵」なるものを放つという考えがいかに危ういことか。

 この教訓は大きい。
 
 
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大事故にならなくてよかったクイーンビートルだが

2024年08月15日 | 日々
 博多と釜山をつなぐ高速船「クイーンビートル」。

 浸水を知りながら、それを隠して運航を続けていたという。

 しかも、浸水の警報が作動しないよう、
センサーに手を加えていたというから手が込んでいる。

 浸水量はずっと記録されていたが、
航海日誌にはずっと「異常なし」と記載されてきたという。

 素人たるぼくには、
この浸水が沈没などにつながるのかどうかはよくわからない。

 ただ、最初に浸水がわかった今年二月から、徐々に量が増えていたようで、
浸水箇所が拡大あるいは増加していたとすれば恐ろしい話だ。

     

 情けなく思うのは、
ここずっと続いている自動車産業に代表されるウソや改ざんなどの傾向だ。

 日本の仕事への誠実な姿勢、
世界からの信頼がとどまることなく崩れていくようで哀しい。

 ただ、今回の発覚は8月に行われた国の抜き打ち監査によったそうだ。

 だとすれば、国の担当者はよく見つけたものだと思う。


 いや、ひょっとして内部通報でもあったのか?と思わせもするが。

 いずれにしても内部関係者の良識に限界があるとすれば、
様々な方面からの「歯止め」に期待するしかないという、この哀しい現実。
 
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心痛むネタニヤフ演説と米国議会

2024年07月26日 | 日々
 24日、イスラエルのネタニヤフ首相が米国議会で演説した。

 氏はガザへの攻撃を指してこう言った。
「これは文明同士の衝突でなく、文明と野蛮との衝突だ」と。

 だから文明側が勝利するためには、
米国とイスラエルが結束しなければならないのだと。

 ここでの「野蛮」との呼び方に
差別と憎悪に満ちたネタニヤフ首相の思いが見える。

 かつて虐げられてきたユダヤの民が
今やパレスチナの人々にその矛先を向けているかのようで、心が痛む。

 驚いたのは、その演説に大きな歓声をあげ、
ときには起立して拍手を送るたくさんの議員たちの姿だ。

     

 これがアメリカ国民を代表する意志なのだろうか。

 狂気のような異様ささえぼくには感じられる。

 演説に抗議の意思を表したり、欠席した議員たちもいたと聞くが、
少数であったとしても、それがせめてもの救いだ。

 が、あまりに遠い道のりに茫然となりそうだ。
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