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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

生業の復興支援ということ

2025年03月12日 | 日々
 先の大船渡の山火事に関連して、いくつかの報道でアワビ養殖施設の損害を知った。

 北日本水産というアワビ養殖会社では、
停電や揚水ポンプの損傷などで250万個のアワビがほぼ全滅、アワビだけで5億円の損失だという。

 この会社は、東日本大震災で壊滅的被害を受け、
その後再建し、5年でようやく出荷を再開できるようになったそうだ。

 古川社長の言うところでは、
今回の火災では、津波に比べればまだ養殖施設が残ったことが幸いだという。

 それでも消費者へのアワビ提供には3~4年はかかるそうだ。

 ただ、資金のあてはまだわからないと。
   
     

 しかし古川社長の話を聞いていると、めげずに意欲的だ。

 気づかされたのは、災害からの復興には居住施設の建設が大事なことはもちろんだが、
こうした生業への支援がなければ地域の産業、雇用は守れず、その町は疲弊するという当たり前のことだ。

 大船渡ではワカメ養殖なども盛んだったと聞く。

 こうした生業についても一日も早い支援と復興を祈りたい。
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大船渡の山火事 鎮圧宣言

2025年03月09日 | 日々
 今日9日17時、大船渡市長が山火事の鎮圧を宣言。

 報道によれば避難していた人々は
疲れ切った表情ながら、それでも家に帰れることをとても喜んでおられた。

 ただ、この山火事では210棟に被害が及んでいるという。

 焼け出された人々には帰るところがない。

 市長の話では県と協力して仮設住宅の手配を急ぐそうだ。

 一日も早く落ち着ける環境が整ってほしいものだ。

     

 また、今日の宣言は延焼拡大の恐れがない
「鎮圧」であって、「鎮火」ではないのだという。

 山の中では消防関係者が地表や木の根元などの残り火の処理を今も続けているそうだ。

 発生から12日、疲労の極みと察するが、がんばってもらいたい。

 雨上がりのあと、再び乾燥が進み、再燃などのないことを祈るばかり。

 改めて被災した人々にお見舞い申し上げます。
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大船渡に念願の雨

2025年03月06日 | 日々
 いやあ本当によかった。

 必死の消火活動にもかかわらず、収まらなかった山火事。

 念願の雨が降って本当によかった。

 数日前から予報されていた雨だったが、
「まさか予報が外れはすまいな」などと心配していたところだった。

     

 それにしても、樹木が燃えるだけでなく、たくさんの住宅が燃えるとは。

 外国ではともかく、日本ではあまり聞かなかったように思えるのだが。

 聞くところによると、山火事というものは、少々の雨では消えないらしい。

 「地中火」とかで、
厚く積もった枯葉の層などでは雨でも水が簡単にしみこまず、くすぶり続けるとか。

 また木の根元などがくすぶった場合、深いところまで火種が残り続けるという。

 そんなところでは、雨がやんで風でも吹けばまた燃え出すそうだ。

 十二分に降って、再燃しないよう祈りたい。

 焼け出された方々にはお見舞い申し上げます。
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ワレサ氏 ウクライナに連帯

2025年03月04日 | 日々
 報道によると、ポーランドの元大統領ワレサ氏(81)が
先のゼレンスキー、トランプ両大統領の会談に言及したそうだ。

 会談でのトランプ氏の発言には「恐怖と嫌悪」を感じると。

 また、「自由世界の価値を守るために血を流した英雄、ウクライナ兵にこそ感謝すべき」と。

     

 強大なソ連の圧力に知恵をしぼりながら
ポーランドの自由を模索したワレサ氏だからこそ、その発言には重みがある。

 しかし、会談後、トランプ氏は
ウクライナへの支援の一時停止を表明し、圧力をさらに強めている。

 ワレサ氏の思いがアメリカ国民に広く伝わって、ウクライナ支援の輪が広がってほしいものだ。
 
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有本明弘さんの死、夫婦の苦渋の選択

2025年02月18日 | 日々
 北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父、明弘さんが亡くなった。

 96歳だったそうだ。

 明弘さんの妻 嘉代子さんはすでに5年前、亡くなっている。

 待ちわびた恵子さんとの再会はついに果たせなかった。

 報道で明弘さんの息子、娘さんたち5人の会見を知った。

 明弘さん夫婦は、恵子さんを帰国させる運動は
息子や娘たちには引き継がせず、自分たちだけで取り組むと言っていたそうだ。

 息子や娘たちには「それぞれの人生の時間を大事にしなさい」と。

     

 考えてみれば、拉致被害者を帰国させる運動はそれほどまでに過酷で、
しかも先の見通しのはっきりしない、苦しいものだ。

 明弘さんたち夫婦の苦渋の選択だったのだろう。

 改めてこの事件の残酷さを思い知る。

 明弘さん、嘉代子さん、安らかに。
 
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小国の嘆きの歴史を憂う

2025年02月16日 | 日々
 ウクライナの停戦をめぐり、トランプさんが動き出した。

 ロシアのプーチン大統領との交渉に動く気配だ。

 が、ロシアから侵攻された肝心のウクライナが蚊帳の外に置かれているような状況だ。

 ゼレンスキー大統領は「ウクライナ抜きの決定は受け入れられない」と主張。

 当然だろう。

 それでもゼレンスキー大統領の心中はおだやかではないはずだ。

 これまで最も大口の支援をしてきたのは他でもないアメリカだったのだから。

 氏の立場は微妙で、慎重にならざるをえない。

 大国が小国の運命を決める、この歴史は今もなお繰り返されるのか?と暗い気分になる。

      

 一方、トランプさんが停戦交渉を急ぐのは、先の大統領選で
「ウクライナの戦争はすぐに終わらせる」と豪語してきたからだという観測がもっぱらだ。

 政治家の私的事情や名誉欲が出発点だとすればその動機はあまりに不純だ。

 加えてウクライナのレア・アースにも言及しているとは、なんたる下劣ぶりだ。

 小国ウクライナに幸福な光が降りそそぐ日を切に願いたい。
 
 
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中田先生の若き日をしのんで

2025年01月28日 | 日々
 中田先生が亡くなったとのしらせ。

 ぼくの串本小学校時代の担任の先生だ。

 亡き父とも懇意で、時々ぼくの実家に寄られ、
学校教育の在り方などについて父とよく議論していたことを思い出す。

 熱心な先生だった。

 先生は和歌山県西牟婁郡の旧佐本村(現 すさみ町)の出身。

 古座川水系の支流佐本川に沿った村で、海には面していない。

 主な産業は農林業で、今は過疎化が進んでいる。

     
      ( 佐本から太平洋側に出る峠道 コカシ峠から太平洋を望む )

 先生は定年退職されたとき、教師としての半生をかえりみ、手記を出版された。

 それを読んでぼくが記憶しているのは、戦後間もないころの修学旅行の話だ。

 先生が最初に赴任された佐本の中学校だったか、
あるとき先生は、当時は一般的でなかった修学旅行を思い立つ。

 というのも、佐本村で卒業する生徒たちのほとんどは地元の林業や農業に就くことになる。

 そうなれば、生徒たちは一生「町」というものを見ないままに過ごすことになるかもしれない、
せめて田辺の町のにぎわいを見せてやりたいというのが原点だったそうだ。

 田辺(和歌山県田辺市)の町といえば、佐本村から直線でわずか30キロのところ。

 当時は道路も整備されておらず、公共交通手段もなかったのかもしれない。

 それほどに孤立した村だったようだ。

     
       ( 佐本中学校 これも閉校されたらしい )

 問題は、かかる費用をどうするかだった。

 先生たちは、生徒たちに
材木運びなどの賃仕事を奨励し、貯金させたそうだ。

 これに共感した親たちも子たちの貯金を応援、
村では修学旅行に向けたうねりが生まれたという。

 こうして修学旅行を無事に敢行したのだ。

 ぼくはこの話に接して驚いた。

 修学旅行にでも行かなければ一生よその町を見ることがないかも・・・?。

 それほどまでに人の動きが制約された土地柄、またそんな時代だったのかと。

 また、わずか30キロほど離れた町に旅行するにも、
お金の工面に思い悩む、ゆとりのない時代だったのかとも。

     
       ( 佐本川の流れ )

 ぼくはある時期、佐本川によくアマゴを釣りに行った。

 道路もよく、車なら苦もなく峠を越えて行き来できる現在だ。

 訃報に接し、改めて中田先生の若かった日の教師としての情熱に思いをはせる。

 先生、安らかに。

      
       ( 佐本で廃されたある小学校の跡 ) 
 
 なお、手記は今ぼくの手元になく、記憶を頼っての話となっており、記憶違いがあればご容赦を。
 
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古き友を訪ねる

2025年01月05日 | 日々
 ずいぶん以前のこと。

 ぼくは中南米民族音楽(フォルクローレ)に魅了され、
それが高じて社会人バンドを結成して活動したことがあった。

 そんなおり、小島君という大学生から電話が入った。

 話によると、彼も大学でバンドを組んでいるとのこと。

 ぼくらは早速会い、以後バンド同士の親しい付き合いが始まった。

 よく出入りした木屋町四条付近の喫茶店「ラ・クンパルシータ」もなつかしい。

     

 しかし小島君達のバンドは卒業とともに解散。

 その仲間達も就職して散らばってしまった。

 小島君はといえば、大手のレコード店に就職。

 しかしその後結婚して、いつだったか
奥さんの実家のフグ料理店を継ぐという意外な転進を果たした。

 その小島君から今年も年賀状が届いた。

 昨年は大分や三重などに在住する昔の仲間に
ほぼ四十年ぶりに会ってきたと記されていた。

 想像するに、彼も引退し、
時間ができたので古い友を訪ねてみたということなのかもしれない。

 いいことだ。

 古い友と「いつか、そのうち・・・」などと思っていたら
瞬く間に歳をとり、体力、気力が萎えてしまうかもしれない。

 思い立ったときに腰を上げるべし。

 彼の文面には続けてぼくにも会いたいとあった。

 よし、何十年ぶりかで会ってみよう!
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減ってしまった年賀状

2025年01月03日 | 日々
 元日、郵便受けを開けてびっくり

 毎年の年賀状に比べると半分ほどしかない!

 とはいえ、ぼくも大きな口はたたけない。

 というのも12月、家族の健康状態が悪く、
「年賀状、今年はどうしよう?」などと迷っているうちに年を越してしまったからだ。

 落ち着いたらいわゆる「寒中見舞い」でもと考えているところだ。

 もっとも、今年の年賀状が大幅に減るのは予想しなかったわけではない。

 1枚85円。

 たまに出す通信文ならともかく、
年賀状のように数がまとまると一瞬考え込むのは誰しもだろう。

 何よりもメールは手軽でもある。

 ぼくの高校時代からの友が「年賀状交換はこれまで」と記し、こう続けていた。
「これからは他の通信方法にて変わらぬご厚誼を・・・」と。

 年賀状の大きな変わり目、その決定的な年になりそうだ。

 ただ、気になるのは「手紙文化」のこと。

 手紙という文章に送り手の思いを豊かに伝えるもの、とぼくはそれを解している。

 メールでは表しがたい、そういう文章の場が狭まっていくとしたら寂しいことだ。

     

 さて、本年もポツリポツリながら、思いついたときに書かせていただきたい。

 本年もどうぞよろしく。 
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「同意があった」という逃げ口上

2024年12月17日 | 日々
 16日、富山地裁で大門広治被告に対する初公判があったそうだ。

 実の娘 福山里帆さんに対する性暴力をめぐっての裁判だ。

 被告による里帆さんに対する性行為は、里帆さんがまだ中学生だったときに始まったという。

 が、公判で被告は「(里帆は)私に逆らえない状態ではなかった」
と言い、起訴内容を否認、無罪を主張したそうだ。

 あたかも「同意」があったかのごとき正当化にはあきれはてる。

 まだ子どもではないか!

     

 一般に被告の「同意があった」という発言はその真偽を確かめるため、裁判を長引かせるそうだ。

 その過程では、訴えた女性は
被害状況を詳細に明らかにしなければならないなど、さらに傷を負ってしまうという。

 力の強い立場の者からする性暴力、そして訴えられたときの逃げ口上としての「同意」。

 被害者が長い裁判で疲れはて、
生きなおす気力さえ奪われてしまう「同意」の残酷なほどの重苦しさ。

 この他にもたくさんある同じような案件。

 力ある立場の者たちのその卑劣さがなんとも情けない。

 
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