よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

2年。

2013年03月11日 | 復興プロジェクト


あっという間の2年。

本当に、毎日がめまぐるしく過ぎて、2年。



2年経って、なにが一番か、と問われば、唐辛子農家、よっちゃん農場としてこれからもがんばるぞー!という想い。

片隅からだけど
「これが東北だ!」
という声を上げ続けながら、誇りを持てる仕事をしたいし、ここに生きたい、ということ。


そういう意味では、なんか自分としては変わったのかもしれない。

やっぱ、正直に、東北のプチプチ農家だけど、これからの東北は自分らで作る!という気概は持っていたい。

それが派生して出来たのが、ほっかぶりJAPAN。おもしろいでしょ?




そして、震災を経てやってるのが海山。







同じ東北という地域の仲間同士。

こっちは今年も、もうすぐ梅の花だけれど、

当時はとんでもない事態に「なにが出来るべー!?」と、自分も不安のど真ん中で考えぬいたっけ。

んで、わがんねーがらみんなと直接話してみるべ!とやったのが花見の会。

地元のみんなで御飯作って、んでも250人も来ちゃってテンパッてしまい、

招待したはずの沿岸部の人たちにも結局手伝いもらって、

みんなで花見をしてご飯食べました。

「やっぱり仕事が出来るなら仕事が欲しい!!!」という声。

そこで御縁の出来た人と始まったのが海の手山の手の活動。

私自身がちっちゃいのでちっちゃいことしか出来ないけれど、出来ることを、で始まった。


手があるじゃないか。


ローテク、人の体温があるモノの価値って、普遍な気がする。

商品であれば、景気の良し悪しに左右されにくく、

生活であれば、電気が止まっても生きれる知恵が(笑)


お金もない、設備もないなら頭と手を使う。そこに至らざるを得なかった(笑)

んでも、やっぱその点はいい方向だったんじゃないかと思う。




何度振り返っても自分がいちばん助けられました。

地震の後に沢山の取引先から励ましの手紙やメッセージ、びっくりしたのはお金を頂いたことだった。

よっちゃんなんばん、は決して「一番!」の商品じゃない。

だから私ら自身、そして作っている風景も含めてよっちゃんの価値かな~と漠然と考えてたけれど、

そんな自分らにはもったいないくらいに、予想もしてないほどの反応を頂いたのが何よりの始まりだった。

とんでもないくらいにうれしくて、カミさんともども泣きました。



だから、おれらも頑張るぞー!で終わりではなくって、出来ない状況の人に現地で肩をかせるくらいのことは出来るべ!

それでスタートしたのが海山。

まだ過程。

最終地点はわからない。

んでも、何かには、なってるんでねーがな。



それでいいっちゃ。


これまで付き合って頂いてる方、これからもよっちゃん農場、海山をどうぞよろしくお願いします。