とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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愛国心を教えてどこが悪い!

2006年03月22日 20時58分21秒 | 社会
「勝つべきチームが勝つべきだと思っていた。ボクらが(決勝へ)行くのは当然だと思っていましたから。最高に気持ちいいですね」
「きょう負けたら、日本プロ野球界に大きな汚点を残す。野球はけんかではないが、きょうはそういう気持ちだった」
「戦った相手が『向こう30年は日本に手は出せないな』という感じで勝ちたいと思う。まずはアジア予選(1次リーグ)ですね」

王貞治監督のもと、イチローをはじめとする主力選手で戦ったWorld Baseball Clasicは、我が日本が初代チャンピオンに輝いた。
決勝戦のテレビ視聴率は平均で42%を上回り、王監督の胴上げ時には50%を突破した。

「頑張れ!ニッポン」
「やったぞ!ニッポン」

と全国各地が大騒ぎ。
日本国民が久々に一致団結した瞬間だった。

このWBCで一番張切っていたのが大リーグ、シアトル・マリナーズのイチローだった。
大リーグで活躍し、今やメジャーを代表するヒットメーカーのイチローだ。
きっと、アメリカナイズされているの違いない、と思っていたら、今大会中に彼が吐いたセリフの代表が、前述の3つの言葉。
奇しくもこの大会は現在のメジャーを代表する選手が、日本人であることを誇りとするビッグプレーヤーであったことを証明させた。

ところで、この愛国的野球精神で一致団結していた全国の中で、一部だけ愛国心を否定して一致団結していたバカ共がいた。
その疑似犯罪者集団を、
「日本教職員組合」
と、いう。

教育基本法の改正で「愛国心」教育を盛り込まれることに、ことさら反対を唱え「愛国心を子供たちに教えることは危険思想だ」と宣うこいつらは一体何者だ?
日本教職員組合を支持する政党は社民党(支持率2%以下)と共産党(支持率2%程度)、そして社会党崩れの民主党員。
この中国や南北朝鮮の代弁者のような位置にある「自分たちこそが正しい」と主張し続ける「労働者教育者集団」は過去50年間いったい国のため、国民のために何を行ってきたのか、と私は問いたい。

ひたすら国家を否定し、愛国心を否定し、国体を否定し、国是を否定してきた結果、彼らの理想的な教育のもとオウム真理教のメンバーを生み出し、ホリエモンごとき経済犯罪者を生み出した。

愛国心を持たざるものは、外国に出かけて、その国の人々と懇談しても「こいつキチガイか?」と信用してくれることはまずない。
今や日本人は国内しか知らない、ということはほとんどない。
国を飛び出し、世界の舞台で活躍すると、愛国心がいかに大切か分ってくる。

愛国心は家族愛、友情と同列のものであり、それを持たざるものは人にあらず。
自国の悪口を語るものが、他国の人から信頼を勝ち取ることは難しい。
まして、私たちの国は「日本」なのだ。

自国を愛することのできない者が、他国の民を信じ、そして愛することができるのか?

日本教職員組合員諸君、あなた達は昨日のWBCを見たか?
はっきり言おう。
あなた達に子供たちの教育に携われる資格はない!

子供たちに愛国心を教えてどこが悪い!

.........これでよろしいでしょうか?船長さん。(昨日のコメントをお読みください)

慶祝!WBC優勝

2006年03月21日 20時33分48秒 | スポーツ
その昔、大鵬、長嶋、卵焼き、というのは子供の三大好物であったそうな。
大鵬は相撲史に残る名横綱の現大鵬親方のこと
長嶋は読売ジャイアンツの長嶋茂雄、
で卵焼きは卵焼き、そのまんまやん。

WBCで日本が初代チャンピオンになり、日本列島が祝賀ムードに沸いている。
私も宿敵キューバに勝って世界一になったので、喜びは少なくない。
おまけに、シリーズ中、イチローがやけに頑張っており、マリナーズで活躍するうちにナショナリズムに目覚めたか、チームのキャプテンよろしく活発にプレーしていたのが印象に残った。
海外に出た日本人がその国に染まってしまうことがあるが、イチローはその逆で、アメリカでプレーしながらも日本人としてのアイデンティティを強く意識している人なのかもしれない。

ところで世界の頂点に立ったチームを率いてきたのが世界のホームラン王、王貞治。
この人は長嶋茂雄とほぼ同時期にジャイアンツで活躍し、ONコンビなどと言われたが、引退後の注目は長嶋茂雄に集まっている。
長嶋のカリスマ性は年々上昇し、テレビの画面に登場する出だけで持ち上げられる存在になっている。
今やスポーツ長嶋茂雄は伝説の域に達しているのだ。
ところが、実のところ現役時代はいざ知らず、引退後の実績は、正直言ってほとんどない。
オーナー渡辺某の片腕となってプロ野球をつまらないものにしようとしたことはあるものの後継者を育てたかといえば、そうではない。
脳溢血で倒れた後に登場すれば、不謹慎ながらも「天皇」並の扱いだ。
未だに大鵬、長嶋、卵焼きのつもりなのか。

一方、王貞治は引退後は地道な後継者育成に心血を注いでいるのは私のような市井の一プロ野球ファン(正確に言えばタイガースファン)から見ても明らかだ。
とりわけホークスの監督に就任してからは「ジャイアンツの王」ではなく「ホークスの王」というイメージを私たちに焼き付けている。

ところが実績は人気、カリスマ性と関係ないらしく、それは今回のWBCの報道にも現れていた。
オリンピックで長嶋が野球チームを引きいると「長嶋ジャパン」となるが、王貞治が率いると「王ジャパン」にはならないらしい。
一部メディアでは「王ジャパン」と伝えたところあるらしいが、NHKなんぞは今日も「長嶋茂雄さんのコメントで『チーム・ジャパン』はよくやった」などと言う伝え方をしているのだ。
これは台湾系日本人である王貞治に対する民族差別か?
それとも長嶋が率いるとうまくいかず、王貞治が率いるとうまくいくことに対する嫉妬なのか?

名実ともにチャンピオンになったのだから「王ジャパン」と呼んでも良いじゃないか。

=しかし、イチローも頑張ったが、今日の松中。よ~走った。偉いぞ!=

李登輝さんの来日

2006年03月20日 21時08分08秒 | 政治

最近、次期総裁選で誰が総理大臣になるのかがテレビや新聞紙上などで喧しく報道されている。
麻生太郎か安倍晋三か、
売国奴の香りのする福田康夫か谷垣禎一か、
はたまたマヌケ民主の小沢一郎か菅直人か、
と次第にボルテージが上がっているようだ。
でも、政治不信で強力なリーダーシップを欲している日本人としては一番総理に相応しい人は、台湾の李登輝前総統である、と思っている人も少なくないはず。

法的には「台湾人」という外国籍の李登輝さんが日本の総理大臣になることはできない。
できない、とわかっていても「京都大学出身」「元日本人の台湾人」「台湾に愛国心を持つ一方、旧祖国の日本にも深い愛情を持っている」「現在の日本の政治家が誰一人持ちえない若いものを率いてゆくリーダーシップがある」ことが私たちを魅了して止まない。
「李登輝先生、政治家としての最後の仕事に、私たち日本の舵取りをお願いできませんか」
と言いたくなるのは私を含めて、老若男女の日本人にはきっと少なくないだろう。

この李登輝さんが5月に日本旅行を計画していることが先週報道された。
なんでも「松尾芭蕉のたどった道を旅したい」という、今どきめずらしい風流な超日本人的目的の旅を計画してるそうだ。

ところで、これまで李登輝さんが来日すると言うと必ずケチをつけてきた国がある。
その名を中華人民共和国という。
この儒教という礼節をモットウとする宗教を信じる大人の国は、その精神とは裏腹に「なんやて、李登輝が訪日?許せん。もし認めたら、大使を召還し、日中関係はさらに険悪な事態に陥るであろう」と、どこかの与党系宗教団体の機関紙の見出しのような下品な言葉と小人的な感情論で圧力を掛けてきた。
その都度、日本の外務省は腰砕けで一民間人である李登輝さんの入国を「妨害」。
東大卒の官僚がいかにバカばかりかというのを国民にPRすることをあい努めてきたというわけだ。

その、バカ外交も終りの様相を見せている。

先週17日、参院予算委員会で李登輝前台湾総統の5月来日予定について総理候補の1人、麻生外務大臣は以下のように公式に述べた。
「第一線で活躍している政治家でもないし、単なる年老いた老人が1人来るたびにワーワー言うのはいかがなものか、と言っている人がいる」
ということで李登輝さんの来日は他の一般の台湾人と同じ扱いということになった。
ちなみに台湾人の観光目的来日はビザ免除。

李登輝さんもやっとビザ無しで「もうひとつの祖国」の土を踏めるわけだ。

ところで麻生さん。
「......と言っている人がいる」なんて遠回しの言い方ではなく「.......と私も総理も大多数の国民も言っている」と言ってたら、秋の総裁選は当選だったと思いますが、いかがです。
ハイ。

バンコクのトランプ詐欺(2)

2006年03月19日 16時50分19秒 | 旅(海外・国内)
その日私はバンコクのスクウィンビット通りにある語学学校で、メチャクチャ短期のタイ語教室へ行くことになっていた。
タイへ旅行にやってきても、普通の観光では飽き足らず、少しくタイ語を現地で習ってみようと考えていたのだった。
もっとも、タイ語を習うことそのものはこの時が初めてではなく、一年半ほどの間、大阪にあったタイ語教室でタイ語を習っていたのだ。
ところが半年ほど前に先生の都合により突然学校は閉鎖。
長らくきっちりとしたタイ語の授業を受けていなかった。

大阪のタイ語教室が閉鎖された原因は、タイ人の先生が不法滞在で捕まったとか、闇で麻薬の売買をしていたのが見つかった、というような物騒な話ではない。
先生は日本での永住権を持っており、なおかつ大阪のタイ人コミュニティーではちょっとは知られた顔役的な存在で、在大阪タイ領事館からも信頼されている立派な人だったので犯罪に手を貸しているということもなかった。
それではどうして学校を閉鎖したかというと、それは生徒が集まらなくなって食っていけなくなってきていたからだ。

最近は英会話スクールでさえ生徒の奪いあい、生徒の興味の変化などのために、生徒数確保が難しいという。
ましてやタイ語である。
習う日本人は本当に少数派であろう。
バンコクで日本語を習うタイ人は1万人を超えているという調査が先日の新聞で報道されていたが、日本ではその十分の一もいないのではないかと予想される。
そんな小さな市場でタイ語を教えて生計を立てるのは並大抵ではないだろう。
そこで、私の先生はタイ語教室を閉鎖して、当時(3年ほど前)ブレイクの兆を見せていた「タイ古式マッサージ」店を大阪と東京にオープンさせるべく奔走しだしていたのだった。

先生は本家ワットポーのマッサージスクールでマッサージ師の資格を取り、名実ともにプロなのであった。
この学校を閉鎖します宣言をした時、先生はすでにタイマッサージ師として大阪の夕方のテレビ番組なんかにも出演した経歴を持っていて、私も先生が桂ざこばの足をマッサージしているところを見たことがあった。
1レッスン90分あたり2500円程度のタイ語授業料よりも、60分5000円の古式マッサージのほうが商売になることは間違いないことだった。

ということで、中途半端に覚えたタイ語と、これまた中途半端に記憶したタイ文字をもう一度整理すべく私は、
「今回はアカデミックな旅で行こ」
などと考えながら、日本出発前にスクウィンビットやシーロムあたりに数多くある日本人向け(多くは現地駐在の人向け)タイ語教室から、短期、それも旅行者を対象にしたレッスンを行っているところを探し出し申し込んでいたのだ。

レッスンは午後2時から始まることになっており、ホテルでノートブックや泰日辞書、日泰辞書などを準備して、俄作りの留学生としてホテルの最寄りの駅からBTSに乗り込んだ。
レッスンに赴く前に、なにか腹ごしらえをしようと考え、屋台で泰ラーメンであるクイッティオでも食べようかと想ったが、若干の買い物を想い出し、「ナショナルスタジアム」駅で下車して東急百貨店へ入った。
所用が済んで、ここの一階にあるマクドナルドで100バーツのバリューセットを買い求め、席につき鞄から本を取り出しページを開いた時、そいつは私に声を掛けてきたのだった。

つづく

とりがらエンタテーメント「東南アジア膝栗毛」

ミャンマー大冒険(51)

2006年03月18日 21時04分13秒 | 旅(海外・国内)
朝、ホテルの窓に差し込む太陽の光で目が覚めた。
マンダレーで初めて迎えた朝の陽光が、白いカーテンを明るく照らし、広い私の客室をさわやかな光で包んでいたのだ。

昨夜、やっとのことでマンダレー駅に到着した私たちはお別れの挨拶もそこそこに、一日中私たちを待ってくれていたそれぞれのガイドさんとタクシーに乗り込んで、これまたそれぞれのホテルへと向かって走り去った。
まだまだデイビットさん夫妻は元気そうだった。
それとは対照的な石山さんの疲労で死にそうな表情がとりわけ印象に残ったのだった。
一方私はTさんと一緒に現地で待ってくれていたタクシーに乗り込み、宿舎となるマンダレーシティホテルへ向かった。

それにしてもマンダレー駅は立派なターミナルだった。
大きな駅舎は旧都の玄関口としての威厳を有し、現在の首都ヤンゴン中央駅よりも立派だった。
ホームから階段を上がり駅の人ごみでごった返したコンコースをTさんのあとを逸れないように足早に歩いていた。
やがて構内から抜けると大きなロータリーがあり、そこに私たちやデイビットさん、石山さんたちが乗り込むタクシーが待機してくれていたのだ。

駅のロータリー前は大きな通りになっていた。
その大通りを西に走り始めるとすぐに右手に王宮跡が広がってきた。
夜ということもあり、大きな堀に囲まれた王宮をはっきりと臨むことはできなかった。
だが、王宮の壮大なシルエットを目にした私はそれが初めて目にする景色に思えない驚きを感じていたのだ。
「チェンマイにそっくりではないか」
と瞬間的に感じたのであった。

タイのチャンマイを初めて訪れたときも夜であった。(初めてと言ってもまだ一回しか行ったことはないが)
ちょうどロイクラトンという祭りの最中で、あちらこちらで花火があがり、爆竹が炸裂し、上空には熱気球がふんわりと浮かんでいるという、なんとも騒々しい時であった。
私の乗ったバンコクからのタイ航空B777は着陸の最終体勢に入っていて、もう間も無くランディングという瞬間を迎えようとしていた。
その時、住宅街から発射されたと思われる家庭用強力打ち上げ花火が私の座っていた左側主翼近くで炸裂した。
「なんちゅうこっちゃ! 危ないやないかい」
ロイクラトンの季節に飛行機に乗ってチェンマイへ行っては行けないと思ったのは言うまでもない。
たぶん地上で浮かれているガキどもが飛行機めがけて玩具の打ち上げ花火を打ち上げたのに違いない。
奴らには何もお咎めはないのか。
さすがマイペンライのタイだと思った。
で、祭りで浮かれているのは地上だけではないことがわかった。
着陸して滑走路からターミナルまでをタキシングする機内で客室乗務員の挨拶があった。
その挨拶がオオボケなのであった。
「本日もタイ航空TG○○○便をご利用いただきありがとうございました。またのご利用をタイ航空並びにコードシェア日本航空より心からお待ち申し上げております」
という英語のアナウンスがあった。
しかし、時刻表をチェックしても到着ゲートの表示板を見ても、私が乗ってきたのはタイ国際航空は紛れもない「全日空」とのコードシェア便なのであった。

チェンマイ国際空港を降りて、あまりに田舎の空港のためタクシーすらなく困っているところに現れたのが私の泊まる予定とは異なるホテルのお迎えタクシーであった。
「どこへ行くんですか?」
と訊ねてくるので、
「○○ホテル。でもお宅とは違うよ」
と言うと、
「今日はお客さんもいないし100バーツで乗せてってあげるよ」
というので、とりあえず
「50バーツなら」
と値切ると、
「80バーツ」
というのでOKとした。
私のホテルはホテルに迎えをチャーターすると「100バーツです」と連絡をしてきていたので、私はよそのホテルのタクシーを使い巧みに20バーツも値切ったことになる。
20バーツ。
たった60円やん!

話はかなり遠回りしたが、このタクシーに乗って市内へ向かい、初めて目にしたチェンマイの王宮跡が、城壁からお堀、周辺のライトアップまで、このミャンマーの旧都マンダレーの王宮と瓜二つなのであった。

つづく

バンコクのトランプ詐欺(1)

2006年03月17日 21時29分00秒 | 旅(海外・国内)
外務省のホームページに海外安全情報というコーナーがある。
世界各国の情勢について言及し、邦人の渡航について注意を促しているホームページだ。

たとえば、イラクを検索すると「退避を勧告します。渡航は延期してください」と表示され、命の保障はありませんよ、と教えてくれている。
インドネシアのバリ島やミャンマーの爆弾事件にも言及し「十分注意してください」との警告を発している。
ただ不思議なことに、反日大国中国や韓国では危険情報が発令されておらず外務省が本当に邦人保護に努めているのかどうかは疑問である。

ところで、同HPのタイのページでは「十分注してください」情報と南部のいくつかの県に対しては「渡航の是非を検討してください」の警告が発せられている。
南部はイスラム原理主義者たちによるテロ行為が増えていて警察署や学校、鉄道施設が頻繁に攻撃されるというゆゆしき事態になっている。
従って渡航禁止勧告は的を射ているといえるだろう。

余談だが、このタイ南部の回教徒の多い地域は第2次大戦中に日本軍が英国植民地であったものを奪取して同盟国のタイに返還するという形で分け与えた地域だそうで、日本人には決して「無関係」な地域ではない。
でも無関係な地域ではないが宗教紛争を解決するのはその国の責任です。ハイ。

一方首都バンコクでもちょっとした爆弾騒ぎや殺人強盗などの犯罪も少なくないので「十分注意する」地域に値するのは間違いない。
ちょうど一年前くらいだったか日本航空の女性客室乗務員(日本人)がプラトーナムのショッピングセンター(伊勢丹かな)で買い物した帰りに乗ったタクシーの中で運転手にピストルで撃たれ強盗されるという事件が発生した。
この事件は結構大きく報道されていたので覚えている方も多かろう。
幸いなことに被害者の命に別状はなく大事には到らなかったようだ。

私のバンコクでの滞在場所はサトーンと呼ばれるエリアで、BTSと呼ばれる高架鉄道の駅からほど近いサービスアパートを定宿にしている。
この地域は東京や大阪の下町に似た雰囲気を持つところで、商店や屋台、スーパーなどがあってとても便利なのだ。
またチャオプラヤー川沿いのチャロンクルン通り(ニューロード地域)を除くと観光客の姿は少ないところで地元の雰囲気を味わえるお気に入りの場所でもある。
それに、なんにもまして治安がよろしく夜でも安心して歩けるので、遠慮なく酔っぱらって駅からアパートへ歩いて帰ることができる(これはこれで危険なだろうが......)のもお気に入りのポイントだ。

とは言うものの、バンコクも決して安全ではないことは間違いない。
世界中にある日本の在外公館のうちバンコクの日本大使館が保護する邦人の数は群を抜いているそうで、殺人事件からパスポートなどの貴重品の盗難から、インチキ、詐欺、売春などなど。
「助けて~」
と駆け込んでくる日本人の数は1日に数人もいるというのだからご苦労様なことである。
さすがに邦人の年間渡航者が100万人を超えるタイ。
犯罪に巻き込まれる人も少なくないというわけだ。

さそこでこれからお届けするお話は、私が実際に体験した「トランプ詐欺」のレポートだ。
この話は
「海外旅行犯罪事件簿」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hanzai/
というサイトに投稿したものを、もっと詳しく、もっと面白くお届けしようというものだ。
同サイトの管理者竹島さんは注意を勧告するため私の投稿した文章をコンパクトに、的確に要約してくださっているのだが、これを旅行記風に書けばどうなるか。

ではでは、バンコクのディープな世界へ誘いましょうか....。

つづく

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本稿はミャンマー大冒険と同じく飛び飛び連載します。お楽しみに。

で、ミャンマー旅行記は近々再開。それまではブックマークの「東南アジア膝栗毛」をクリック!

吉野山へは近鉄電車で行きましょう

2006年03月16日 20時36分13秒 | 旅(海外・国内)
私は近鉄電車の回し者ではないが、吉野山へは近鉄電車で行くに限る。
というのも、奈良の吉野山周辺は山が吉野山に迫った非常に狭いエリアであるため、
「道路は狭く」
「駐車場はない」
従って大渋滞を招き、身動きができなくなるのだ。
普通5分ぐらいで走り抜けられるところを1時間もウダウダすることになるので、絶対に電車では行きたくない地域なのだ。

この桜の名所、吉野山に入るために今年から入域料を払わなければならないのだそうだ。
どういう人が対象になるのかというと、自動車でやってくる人。
電車で行く人は対象にならないらしい。
これは自動車でやってくる観光客を一人でも減らそうという地元の涙ぐましい努力の結果だという。

これまで、
「桜を見に来る人はバスで来てくださ~い」
というキャンペーンを行っていたらしいのだが、これは効果を発揮するどころか逆に交通を遮断する効果を生じさせてしまい失敗だという。

無数の大型バスが駐車場に入り切らず、さらに周辺道路の混雑を悪化させてしまったそうだ。
観光地はほんとに大変だ。

そこで自動車は一律¥500円を徴収し、大型バスの入域は入域料プラス予約制にするのだという。

観光地に入域料。
観光しか産業のないようなところでは存在する制度かもしれないが、吉野の山に入域料。
近鉄電車で行くと払わなくても良いという。

後醍醐天皇もさぞかし驚かれていることだろうと思っている、が、そこまでして吉野の桜、私は見たくはない。

プリウスの売れない国

2006年03月15日 20時07分15秒 | 経済
トヨタ自動車の業績が絶好調らしい。
アメリカでは「売れて売れて」どうしようもなく、80年代90年代の日米自動車貿易摩擦が再発してはならないと神経をピリピリさせているのだという。
というのもトヨタの米国現地での生産比率は60~70%で、本田技研工業や日産と比べるとかなり少ないのだという。

この絶好調トヨタのシンボルがハイブリッド車「プリウス」

私の会社でも誰が使っているのか分らないが本社にプリウスが一台だけある。
「21世紀に間に合いました」というCMのもとプリウスがデビューしてすぐに購入した一台なので、取引先であるトヨタグループの某社に無理やり買わされたのかもわからない。

私の取引先の役員の一人もプリウスの愛用者。
業績も良く立派な会社なので、本当ならばもっと高級の自動車に乗っても良さそうなのだが60代後半のその取締役は
「ガソリンが安くついていいんですよ」
とニコニコ顔。
担当されている事業所が少々不便なところにあるのも手伝って自動車通勤をしているそうだが、これも、
「家まで片道15kmほどあるんですけど、往復1リットルぐらいしか使わない。電車だと往復800円ぐらいするから、安くていいんですよ」
とさらにニコニコ顔。

この燃費の良さが浸透してアメリカでは予約待ちの状態だという。

今朝の日経によると、中国ではこのプリウスがちっとも売れないのだという。
ディーラーも一軒あたり「月1台売れれば良いほう」というような状況なのだという。
1500ccという小さな排気量で価格が一般車の1.5倍もするような自動車に目をとめる中国人はほとんどいないらしい。
朝日新聞と並ぶ中国の御用新聞である日本経済新聞がかように言ううのだからどれほど事実かわからないが、民主主義もなく言論・表現の自由もない、ただただ見栄っ張りのお国柄。
「環境に配慮してます」
なんてコンセプトは自慢にならないのだろう。

偶然にも昨日、昨年の地球の大気の二酸化炭素量が発表された。
測定開始以来なんと最大を記録したという。

好調トヨタをよいしょする気はさらさらないが(私の愛車はホンダ製)、このままプリウスの売れ続けない中国がある限り、世界は滅ぶ、と想像しないでもないのである。

お相撲さんはただのデブ

2006年03月14日 20時26分26秒 | スポーツ
大相撲三月場所が始まった。

私の会社のオフィスは大阪難波の外れにあり、相撲興行が行なわれている大阪府立体育館までは歩いて5分、走って2分の距離にあり、毎年このシーズンになると会社の近くを鬢付け油の香りを漂わせながら行き来するお相撲さんの姿が見られる。

お相撲さんは普通、丁髷を結って浴衣を着て、草履を履いて風呂敷包みを抱えて歩いている。
今どき丁髷姿の人を見かけることのできるのは大相撲開催地かその周辺、もしくは京都の太秦周辺ぐらいのものだろう。

ところで大相撲のシーズンになりお相撲さんが現れると、近所の食堂が大変のようだ。

3年ほど前まで府立体育館の前には一杯500円のカツ丼屋さんがあった。
500円とは安いので、時々昼食をここで食べていたが、ある日お相撲さんが2つ隣のカウンターで昼食を食べていた。
「どれぐらい食べるのだろう.......」
と思ってカウンターの上を見てみるとカツ丼が2つ並んでいる。
私と同僚が一杯のカツ丼を食べ終る間にお相撲さんはその2杯のカツ丼を食べ尽くした。
「すいません、特盛追加、お願いします」
まだ食べるのであった。

お相撲さんに食べ尽されたのか、そのカツ丼屋さんは店をしめてしまい今はまったく違う店になっている。

昨日、会社の近くの食堂に入るとお相撲さんが3人並んで定食を食べていた。
この食堂は大手チェーン店で定食を注文したお客さんは自分で電気ジャーからご飯をすくってお代わりできるシステムになっている。
私と大食いの部下のW君にはピッタリの食堂なのだが、当然ながらお相撲さんにもピッタリの食堂なのであった。
お角力さんは店の人が困るくらいお代わりを繰り返したのは言うまでもない。

こうなると「お相撲さん」は「イナゴの大群」と同じでかなり脅威な存在でもある。

で、これだけ食べるのだから「強いだろう」と思うのは浅はかで、外国人力士にその上位を奪われ、技術もないようなヘタッピな取り口で客は欠伸をしている。
結果的に「満員御礼」などという垂れ幕に出番はなくなり、落ち目のNHKは視聴率も落ちていくことになる。

私はどちらかというと体格の大きいほうなのでお相撲さんをとりわけ大きいと感じたことはないが、一度元若島津関と並んで平行に歩いたことがある。
この時テレビで見ても小柄っぽかった若島津関が引退後も筋骨隆々で強大なパワーを秘めているオーラのようなものが放たれているのを感じて感動したことがあるのだ。
しかし、昨日、体育館の前をすれ違った若いお相撲さんなんかは太っているだけの「ただのデブ」としか感じられなかった。

「頑張ってや!」と声を掛けるよりも「健康に気をつけて『スポーツジムにでも通えよ』!」と言いたくなるところがなんとなく悲しかった。

日本万国博のDVD

2006年03月13日 21時57分19秒 | 映画評論
先日、大阪市内の新星堂で「日本万国博覧会」というDVDを見つけた。

なんでも公式長編記録映画ということで独立行政法人日本万国博覧会記念機構が著作権を持ち販売されているDVDだった。
帯には「万博に行ったあなたに。万博に行けなかったあなたに。これは”観るタイムマシーン”だ!」と記されており気になって仕方がなかった。
しかし価格が税込み¥5985ということで尻込みしていたのだったが「このままでは永遠に観ることができなくなってしまう。レンタル店には置いてないし」ということで、アマゾンドットコムのギフト券を利用してほぼ1割引で購入したのだった。

余談だが、見つけた新星堂では買わず通販で買ってしまう私のような消費者がいることが新星堂経営不振の原因だろう。

さて、日本万国博の何に魅かれるのか。
それを30歳以下の人に説明するのは難しい。
浦沢直樹のコミック「20世紀少年」ではこの万博の話が頻繁に出てくるがガキには分らないだろう。
昭和30年代生まれの少年少女にとって1970年に開催された万国博覧会はとてつもない夢の世界だったのだ。

私は当時、小学校入学まもないガキであったが、大阪在住ということもあり万博に5回は連れて行ってもらったのだ。
親戚が田舎か出てくるたびに、一緒に万博会場に行けたのでラッキーだった。
で、この万博で私は何を体験したかというと、
「ここで初めて白人と黒人の実物を見た」
「ここで初めて実物の宇宙船(ソユーズ)を見た」
「ここで初めてベルギーワッフルを食べた」
「ここで初めて『動く歩道』を体験した」
「ここへ行くのに初めて地上を走る地下鉄(御堂筋線+北急)に乗った」
「ここで初めてゴーゴー(当時流行っていた踊り)を踊った」
「ここで初めて馬に跨がったカナダの森林警備隊のお兄さんを見てカッコいいと思った」
「ここで初めてカラー写真を写してもらった」
などなど、挙げつづけるときりがない。

このDVDを見た途端、これら途方もない「初体験」が蘇ってきたのだった。
確かにこれは「観るタイムマシーン」だった。
ただタイムマシーンだけに思い出さなくても良いことまで思い出したのは言うまでもない。

「月の石見たかったのに行列が嫌だからとアメリカ館は連れて行って貰えなかった」
「同じ理由でガスパビリオンにも行かなかった」
「これも同じ理由で太陽の塔の中にも入れなかった」
「フランス館も、日立グループ館も、東芝館も、イタリア館も、ドイツ館も、日本館も入れなかった」
「その代わり、子供には詰まらん日本庭園(現存します)には良く行った」

「あ~あ、なんで並んでくれへんかったんや」と35年も前の博覧会を見ながら年老いた両親に文句を言っている子供に戻った私であった。

このDVD、面白おまっせ。みなさん。

~公式長編記録映画「日本万国博」 1971年作 ジェネオンエンタテイメント発売~