30代終盤から40代半ばまでの世代のオッサンの一部には「大丈夫」という言葉を普通に言えない人々が存在する。
「大丈夫」
という時はかならず右手親指を鼻の頭に乗せ、手をくるっと回しながら「ダイジョ~ブ」と言わなければ落ち着かないのだ。
いい年こいたこのオッサン連中は「大丈夫」の他に「こんばんわ」や「こんにちは」、「合点承知」などという言葉も普通に言うことができない特徴を有しているが、その原因には、何を隠そう古の子供向けテレビ時代劇「仮面の忍者赤影」の存在がある。
(注:超駄作映画「Red Shadow 赤影」ではない)
先週、家の近くにあるTSUTAYAで「仮面の忍者赤影」のDVDを見つけた。
さっそく借りて帰ったところ、この時代劇の「凄さ」をあらためて実感したのであった。
「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に金目教という怪しげな宗教が.........」
という有名なナレーションとともに始まる主題歌に子供の時に感じたときめき感を再び心を高ぶらかせている私であった。
カラー放送が一般的になってまだまもない頃の番組ということと製作局が東京のキー局ではなく大阪の関西テレビであったことが相互作用して、今まじまじと見るとセットなどがかなりショボイ作りの番組なのではあるが、さすが東映京都のスタッフ。
時代劇または活劇のなんたるかを知っている映画人にしかできないであろう演出が随所に溢れていており、ショボイセットや特撮に妙なリアル感があり、大人になった私にも十分に楽しめる内容だったのだ。
忍者が突然ヒラヒラの見るからに模造紙を切り抜いた影になったり、ミラーボールが秘密装置であったり、下半身はどう見ても京都大映から借りてきた大魔神としか思えない金目像であったり、実にちゃちいのだ。
赤影が甲賀忍者と木の幹を駆け降り駆け登りながら戦うところなどは、一瞬「コントか?」と思ってしまうくら白々しいのだが、カット割が絶妙で音楽が「活動写真調」なのでめちゃくちゃ面白いのだ。
きっと子供だった私は「作り物」をCGも特殊メイクも使わない古典的な正攻法の映画テクニックで「本物」に見せる、このテレビ時代劇の魅力に取り憑かれたのだろう。
私が大学生の時に製作した8ミリ映画のいくつかはSF映画だった。
当時私は特殊撮影が大好きで、私のテクニックの右に出る学生は私の大学にはいなかった。
私は「スタートレック」や「スターウォーズ」の影響を受けて、特撮を志したように思い込んでいたが、今回「仮面の忍者赤影」を見るにおよび、その考えは間違えであったことがわかった。
ショボイセットも同じなら、遠景カットはしらじらしく「人形」を使い、音楽に合わせてカット割りを考えている、わざとらしいアニメや糸吊り特撮、崖への落下シーンも同じだったのだ。
それにしても、DVDを見ていて初めて気がついたが竹中半兵衛役の里見浩太朗がその身振り、声のトーン、話し方でこの時すでに「松平長七郎」であったことに驚いた。
ついでに、赤影の笑い声に妙な魅了を感じてしまった。
この赤影の笑い声を笑い袋にすれば爆発的に売れるのではないか、と思ってしまったのだ。
笑い袋のスイッチを入れ「アハハハハハ、アハハハハ」と笑った後、「赤影参上!」と言うと忘年会で受けるかも知れない。
なお、「参上」とは目上の人にまかり越しました、という意味になるので、誰(木下藤吉郎、竹中半兵衛、甲賀幻妖斎、青影、白影、村の老人、町娘など)に対しても「赤影参上!」と言っている赤影は、かなり身分が低いらしいことが分った。
「大丈夫」
という時はかならず右手親指を鼻の頭に乗せ、手をくるっと回しながら「ダイジョ~ブ」と言わなければ落ち着かないのだ。
いい年こいたこのオッサン連中は「大丈夫」の他に「こんばんわ」や「こんにちは」、「合点承知」などという言葉も普通に言うことができない特徴を有しているが、その原因には、何を隠そう古の子供向けテレビ時代劇「仮面の忍者赤影」の存在がある。
(注:超駄作映画「Red Shadow 赤影」ではない)
先週、家の近くにあるTSUTAYAで「仮面の忍者赤影」のDVDを見つけた。
さっそく借りて帰ったところ、この時代劇の「凄さ」をあらためて実感したのであった。
「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に金目教という怪しげな宗教が.........」
という有名なナレーションとともに始まる主題歌に子供の時に感じたときめき感を再び心を高ぶらかせている私であった。
カラー放送が一般的になってまだまもない頃の番組ということと製作局が東京のキー局ではなく大阪の関西テレビであったことが相互作用して、今まじまじと見るとセットなどがかなりショボイ作りの番組なのではあるが、さすが東映京都のスタッフ。
時代劇または活劇のなんたるかを知っている映画人にしかできないであろう演出が随所に溢れていており、ショボイセットや特撮に妙なリアル感があり、大人になった私にも十分に楽しめる内容だったのだ。
忍者が突然ヒラヒラの見るからに模造紙を切り抜いた影になったり、ミラーボールが秘密装置であったり、下半身はどう見ても京都大映から借りてきた大魔神としか思えない金目像であったり、実にちゃちいのだ。
赤影が甲賀忍者と木の幹を駆け降り駆け登りながら戦うところなどは、一瞬「コントか?」と思ってしまうくら白々しいのだが、カット割が絶妙で音楽が「活動写真調」なのでめちゃくちゃ面白いのだ。
きっと子供だった私は「作り物」をCGも特殊メイクも使わない古典的な正攻法の映画テクニックで「本物」に見せる、このテレビ時代劇の魅力に取り憑かれたのだろう。
私が大学生の時に製作した8ミリ映画のいくつかはSF映画だった。
当時私は特殊撮影が大好きで、私のテクニックの右に出る学生は私の大学にはいなかった。
私は「スタートレック」や「スターウォーズ」の影響を受けて、特撮を志したように思い込んでいたが、今回「仮面の忍者赤影」を見るにおよび、その考えは間違えであったことがわかった。
ショボイセットも同じなら、遠景カットはしらじらしく「人形」を使い、音楽に合わせてカット割りを考えている、わざとらしいアニメや糸吊り特撮、崖への落下シーンも同じだったのだ。
それにしても、DVDを見ていて初めて気がついたが竹中半兵衛役の里見浩太朗がその身振り、声のトーン、話し方でこの時すでに「松平長七郎」であったことに驚いた。
ついでに、赤影の笑い声に妙な魅了を感じてしまった。
この赤影の笑い声を笑い袋にすれば爆発的に売れるのではないか、と思ってしまったのだ。
笑い袋のスイッチを入れ「アハハハハハ、アハハハハ」と笑った後、「赤影参上!」と言うと忘年会で受けるかも知れない。
なお、「参上」とは目上の人にまかり越しました、という意味になるので、誰(木下藤吉郎、竹中半兵衛、甲賀幻妖斎、青影、白影、村の老人、町娘など)に対しても「赤影参上!」と言っている赤影は、かなり身分が低いらしいことが分った。