とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ミャンマー大冒険(50)

2006年03月06日 20時14分43秒 | 旅(海外・国内)
ダゴンマン列車の旅も終りを迎えようとしていた。

対向列車待ちのためだろうか、駅舎もないようなところで10分ほど停車した後、ダゴンマン列車は発車した。
暫く超低速で走っていると前方に川が見えてきた。
滔々と黄土色の水が流れている大きな川で、そこにトラスもないようなJR山陰本線の余部鉄橋のような橋が架かっていた。
列車はその単線の鉄橋を安全に渡るためにスピードをぎりぎりまで落としているのだった。
水面から鉄橋は20メートルぐらいあり、かなり迫力がある。
しかも川は増水し一杯の水をたたえて流れているので、もし突風にでも吹かれて転落したら助かる見込みはないように思える。
ミャンマーには英国植民地時代に作られたもっとスリルのある鉄橋が北方にあると聞いているが高所恐怖症の私には迫力あるスリル感はこの鉄橋で十分であった。

鉄橋を過ぎると列車はまたまたスピードを上げて走り始めた。
同時に太陽も地平の彼方に沈みあたりは夜の闇に包まれた。

ガイドブック「地球の歩き方」に載っている極めて大ざっぱなミャンマー地図を広げるとマンダレーまではもうすぐのような気がする。
最後の停車駅。
私たちが各駅停車からダゴンマン列車に戻ってきた駅「タージィ」を出発してすでに一時間以上が経過していた。
地図を見る限り、タージィからマンダレーまでは100キロちょっとのようだ。
100キロちょっとというと箱根駅伝と似たり寄ったりの距離。
日本でなら在来線の快速列車で1時間半というところか。

マンダレーの地図を広げると駅のすぐ近くに王宮跡があり、そのすぐ北東側にマンダレーヒルという小高い丘があることが明記されていた。
マンダレーヒルは標高236メートル。
頂上にはお寺や展望台がある。
夜ともなればライトアップされて地上からも見えるはずだ。
ということは列車からも見えるはずで、頂上に明かりの灯る小高い丘を見つけたら、それがマンダレーの目印だ!
と、私は勝手に思い込んだのであった。

時刻は午後七時を過ぎた。
私の予想によると、もう間もなくマンダレーヒルの灯が見えてくるはずだ。
車内は長旅に疲れ、しかも外は漆黒の闇になり景色も見えなくなってしまっていたので言葉に言い表せない倦怠感が漂っていた。
石山さんとデイビット夫妻は寝てはいなかったが表情は弛緩して呆けた感じになっていた。
私の前に座っているTさんは器用に座席に小さくなってうつらうつらしているようだった。
私はといえば、もう間もなく見えてくるであろうマンダレーヒルの灯をイメージしながら、それを見つけようと闇の景色に目を凝らしていたのだ。

線路はいつの間にか複線に戻っていた。
窓から顔を出して前方を見つめると、頂に照明が灯っている丘を発見した。
「Tさん、マンダレーですかね」
とうたた寝中のTさんをたたき起こした。
「......さあ、どうなんでしょう....」
眠そうな目をこすりながらTさんも窓から顔をだして前方を見つめた。
灯の丘が次第に近づいてきた。
「いよいよだ」
と思っていたが、列車はスピードを落とす気配も見せず、ばく進を続けている。
そうこうするうちに、とうとうその丘のすそ野を通過してしまった。
丘の上には確かにライトアップされた寺院があり、麓からはこれまたライトアップされた参道があって大きな寺院であることが窺えた。
しかし「マンダレーヒル」ではなかったのだ。

列車内に先ほどとは違った雰囲気の沈黙が漂った。
私が「マンダレーヒルだ!」なんて言ったものだからみんなに期待を持たせてしまったのかも知れない。
そうこうするうちに、また頂に明かりの灯った丘が現れた。
「今度こそマンダレーヒルだ!」
と思ったが、今度も先ほどのような寺院で、再び期待を裏切ることになった。

さらに進むと「勘違いマンダレーヒル」が無数に現れてきた。
あの丘にも灯がある。
あ、あの丘には幾つも灯がある。
ほら、あそこにも。
ということで、どこもかしこも似たような丘が集まった場所に出て来てしまったのだった。
「あれは、みんな瞑想センターですよ」
とTさんは言った。
ミャンマーには「瞑想センター」と呼ばれる宿坊が全国各地にあり、このあたりの丘にもたくさんの宿坊が集まっていたのだった。
この宿坊には外国人の滞在できる場所も少なくなく、もし仏教の戒律をきっちりと守れ、迷惑をかけることなく修行する心構えがあれば、届け出さえちゃんとすれば長期間そこで寝食することができるのだ。
朝のお勤めの後、講話を聞いたり瞑想したりして一日を過ごし、心の平安を探るという、日本人の私たちにはいたって理解しやすい仏教文化がこの国には溢れている。

なんてことを考えていても、やはり一番の目標はマンダレーヒルの灯を見つけることであった。

次第に沿線に建物が増えてきた。
つまり街になってきたようだ。
住居もニッパヤシの小屋からちゃんとしたコンクリート作りの建物や工場、学校とおぼしき建物も見られるようになってきたのだ。
鉄道と平行に走る道路の通行量も心なしか増えてきた。
「マンダレーの郊外に入ったのかな」
と思ってから実際にマンダレー駅へ到着するまで1時間ぐらいかかったのだった。
旧都マンダレーは人口こそ若干少ないながらもその市街地は首都ヤンゴンよりずっと大きかったのだ。

反対方向へ向かう何本かの列車とすれ違った後、列車はスピードをぐぐっと落とした。
ポイントを通過するガチャガチャという音が響く。
警報の鳴っている踏み切りを越えると、昨晩タウングー駅に到着した時と同じように物売りが低速で走っている列車にしがみついてきた。
何か叫んでいるが、用はない。
窓から前方を見るとマンダレー駅の大きな構内が見えてきた。
「ついに到着!」
車内に一斉に拍手の音が響いた。
石山さんとデイビット夫妻が思わず歓声を上げ拍手したのだった。

静かに列車が滑り込んでいくマンダレー駅のプラットホームは迎えの人々で溢れていた。
で、結局「マンダレーヒル」は列車からは見えなかった。

マンダレー到着。
午後8時10分。

予定より15時間遅れ。
総時間29時間の列車の旅であった。

つづく.............(旅は次のステップへ)