ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガシャンドスン、ガチャガチャ、ホンワホンワ。
心地よい風に吹かれながら列車が線路に刻むリズムに耳を傾けていた。
ダゴンマン列車は相変わらず凄まじい揺れと連結器どうしがぶつかり合う金属音でとても賑やかだった。
そのけたたましい列車の乗り心地とは反対に車窓にはノンビリとした田園風景が広がっていた。
その田園風景も線路際の少しだけ、というようなショボイものではなく、どこまでも、どこまでも、さらにどこまでも広がる広大な田園風景だったのだ。
時おり農作業から戻ろうとしている農民たちの姿がちらほらと見られる。
ある者たちは菅笠を被り鍬や鋤などの農具を担いで歩いていた。
またあるものは牛車に乗ってあぜ道をゆっくりと走っていた。
小僧さんが2人歩いている。
濃い赤茶色の袈裟が黄金色の田園のなかでひときわ鮮やかであった。
田園が続く遥か東の彼方に山の稜線が夕日を受けてクッキリと望まれた。
「インレー湖はあの山の麓ぐらいにあるんですか?」
と私は山の方を指さしながらTさんに訊いた。
「いいえ、あの山の向こうにあるんですよ。」
「まだずっと向こうですか」
「そうです」
田んぼや木立ばかりが広がり、人家はおろか高いビルなどまったくない。
対象物がないのであの山まで今列車で走っている私たちの場所からどのくらい距離があるのか見当が付かなかった。
建物といえば、ちらほらと黄金色に輝く仏塔のてっぺんが見えるだけだ。
山は何十キロも、あるいは何百キロも彼方にあるように見えるのだ。
小道に続いている並木は長い影を地表に投げ掛けていた。
私たちの乗っている列車もまた、地面に長い影を投げ掛けていた。
ふと石山さんたちの座っている左側の座席の方に目を向けると、そこには言葉には表せないぐらい美しい光景が広がっていた。
石山さんとデイビットさん夫妻が向かい合わせに座っている座席の間の窓がまるでフレームのようになり、地平線に沈みゆく夕日を一枚の絵画に仕上げているのだった。
「これは..........」
私はデジタルカメラをとり出してシャッターを切った。
偶然にも石山さんとデイビット夫妻のシルエットも車窓の美しい景色の一部なっているのだ。
液晶画面で確認してみると露出を間違え真っ暗だ。
シャッター速度を落として絞りを開けて再度シャッターを切った。
ちょっと気に入らない。
ちょっとだけ暗い。
で、またシャッター速度を調整して絞り値を変えてシャッターを切った。
もうひとつ気に入らない。
列車が激しく揺れているのでシャッター速度をこれ以上落とすことはできないと思い、絞り値だけを少し変えてまたまたシャッターを切った。
今度はまずまずだ。
シャッターを切り、設定を変え、またシャッターを切っているうちに、私の心に潜むカメラマンもどきの血が騒ぎ出した。
私は立ち上がり、列車の扉を注意深く開け落ちないように片方の手で手摺りにつかまりながらシャッターを何枚も切ったのだった。
東側の景色と異なり、西側には山の稜線がない代わりに一日の終わりを告げる太陽の輝きが今、地平線の彼方に沈みつつあった。
遠くの空には雄大な入道雲が空高く聳え立ち太陽からの赤い光がその輪郭をクッキリと浮かび上がらせていた。
近くのクリークや沼、田んぼには、その自然の造形美が反射して何とも言えない美しさなのだ。
シャッターを切り終った私はしばらく扉から身体を乗り出し風に吹かれたまま自然が作り出したとてつもない景色に見とれていた。
数々のトラブルに見舞われ、ついに一日を列車で過ごすことになってしまったが、この景色が総てを精算してくれているような気がした。
もし予定通りこの列車が走っていれば、このあたりは早朝のまだ景色の見えない時間を走っていたに違いない。
鉄橋が流され足止めを食ったおかげでこの美しい景色を望めたのだ。
いや、それだけではない。
トラブルがあったためにタッコンという田舎駅の風景を切り取ることができたし、ちょっとだけだったが子供たちと触れあう機会も得た。
各駅停車の列車に乗り、一般の車内の雰囲気を楽しむこともできたし、Tさんとたっぷり話す時間もとれたのだ。
相次いだトラブルはもしかするとお釈迦様から頂戴したまたとない旅の贈り物だったのかも知れない。
つづく
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心地よい風に吹かれながら列車が線路に刻むリズムに耳を傾けていた。
ダゴンマン列車は相変わらず凄まじい揺れと連結器どうしがぶつかり合う金属音でとても賑やかだった。
そのけたたましい列車の乗り心地とは反対に車窓にはノンビリとした田園風景が広がっていた。
その田園風景も線路際の少しだけ、というようなショボイものではなく、どこまでも、どこまでも、さらにどこまでも広がる広大な田園風景だったのだ。
時おり農作業から戻ろうとしている農民たちの姿がちらほらと見られる。
ある者たちは菅笠を被り鍬や鋤などの農具を担いで歩いていた。
またあるものは牛車に乗ってあぜ道をゆっくりと走っていた。
小僧さんが2人歩いている。
濃い赤茶色の袈裟が黄金色の田園のなかでひときわ鮮やかであった。
田園が続く遥か東の彼方に山の稜線が夕日を受けてクッキリと望まれた。
「インレー湖はあの山の麓ぐらいにあるんですか?」
と私は山の方を指さしながらTさんに訊いた。
「いいえ、あの山の向こうにあるんですよ。」
「まだずっと向こうですか」
「そうです」
田んぼや木立ばかりが広がり、人家はおろか高いビルなどまったくない。
対象物がないのであの山まで今列車で走っている私たちの場所からどのくらい距離があるのか見当が付かなかった。
建物といえば、ちらほらと黄金色に輝く仏塔のてっぺんが見えるだけだ。
山は何十キロも、あるいは何百キロも彼方にあるように見えるのだ。
小道に続いている並木は長い影を地表に投げ掛けていた。
私たちの乗っている列車もまた、地面に長い影を投げ掛けていた。
ふと石山さんたちの座っている左側の座席の方に目を向けると、そこには言葉には表せないぐらい美しい光景が広がっていた。
石山さんとデイビットさん夫妻が向かい合わせに座っている座席の間の窓がまるでフレームのようになり、地平線に沈みゆく夕日を一枚の絵画に仕上げているのだった。
「これは..........」
私はデジタルカメラをとり出してシャッターを切った。
偶然にも石山さんとデイビット夫妻のシルエットも車窓の美しい景色の一部なっているのだ。
液晶画面で確認してみると露出を間違え真っ暗だ。
シャッター速度を落として絞りを開けて再度シャッターを切った。
ちょっと気に入らない。
ちょっとだけ暗い。
で、またシャッター速度を調整して絞り値を変えてシャッターを切った。
もうひとつ気に入らない。
列車が激しく揺れているのでシャッター速度をこれ以上落とすことはできないと思い、絞り値だけを少し変えてまたまたシャッターを切った。
今度はまずまずだ。
シャッターを切り、設定を変え、またシャッターを切っているうちに、私の心に潜むカメラマンもどきの血が騒ぎ出した。
私は立ち上がり、列車の扉を注意深く開け落ちないように片方の手で手摺りにつかまりながらシャッターを何枚も切ったのだった。
東側の景色と異なり、西側には山の稜線がない代わりに一日の終わりを告げる太陽の輝きが今、地平線の彼方に沈みつつあった。
遠くの空には雄大な入道雲が空高く聳え立ち太陽からの赤い光がその輪郭をクッキリと浮かび上がらせていた。
近くのクリークや沼、田んぼには、その自然の造形美が反射して何とも言えない美しさなのだ。
シャッターを切り終った私はしばらく扉から身体を乗り出し風に吹かれたまま自然が作り出したとてつもない景色に見とれていた。
数々のトラブルに見舞われ、ついに一日を列車で過ごすことになってしまったが、この景色が総てを精算してくれているような気がした。
もし予定通りこの列車が走っていれば、このあたりは早朝のまだ景色の見えない時間を走っていたに違いない。
鉄橋が流され足止めを食ったおかげでこの美しい景色を望めたのだ。
いや、それだけではない。
トラブルがあったためにタッコンという田舎駅の風景を切り取ることができたし、ちょっとだけだったが子供たちと触れあう機会も得た。
各駅停車の列車に乗り、一般の車内の雰囲気を楽しむこともできたし、Tさんとたっぷり話す時間もとれたのだ。
相次いだトラブルはもしかするとお釈迦様から頂戴したまたとない旅の贈り物だったのかも知れない。
つづく
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