とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

アポロとソユーズ

2005年10月03日 19時57分04秒 | 書評
つい先日、アメリカ航空宇宙局(NASA)は2018年頃に再び人類を月へ送る計画を発表した。
今回は月面基地を建設し火星への有人飛行計画に発展させる意図があるのだという。

そもそも一部の映画やテレビ番組の世界では月面基地はとっくの昔に完成されているはず。シャドーのメンバーや、コーニッグ指揮官が活躍し謎の石板TMAワンも発見されていなければならない、時代は今や2005年なのだ。
世間一般はなにを、今さら月旅行、という気持ちもないではない。それにそんなお金、一体誰が負担するの?ということもある。

でも、今では白けたこの月への旅行を2つの陣営に分かれた人類がしのぎを削って挑戦していた時代があった。
それが「アポロとソユーズ」の時代なのだ。

1961年にソ連のユーリ・ガガーリンが宇宙船に乗って初めて地球を一周した。
この快挙に刺激されたライバルアメリカの大統領JFK(注意:ウィリアムス、藤川、久保田、のことではない)が「我が合衆国は1960年代中に人類を月へ送る」と演説したことからアポロ計画がスタートした。
このマニフェストはケネディの死後1969年に実現され月着陸船イーグルが静かの海に着陸し、アポロ11号の船長ニール・アームストロングが人類として初めて月面を踏んだのだ。

今日に至るまで、私たち一般大衆はこの月旅行をめぐって競い合った米ソの宇宙飛行士たちが、どのような生活を送り、どのような考え方を持っていたのか知る機会が少なかった。
本書「アポロとソユーズ」は米ソそれぞれの宇宙飛行士であるデイビット・スコットとアレクセイ・レオーノフが5年間の歳月をかけて共著したユニークな証言文集だ。
スコットはアポロ15号に乗り初めて月面を自動車で走行した宇宙飛行士であるし、レオーノフは人類で初めて宇宙遊泳を行った宇宙飛行士なのだ。

二人の証言には興味深い内容がふんだんに含まれている。
我々が安全に帰還したと思っていた飛行やオペレーションが実は死と背中合わせの危険な旅であったことや、数少ない交流の機会をとらえては米ソお互いの飛行士としての情報交換を行っていたことなど様々である。
技術的な面も、たとえばアポロ宇宙船に搭載されていたコンピュータのメモリ量がたった36Kバイトであったことや、月着陸船は自動操縦ではなく飛行士が自分で操縦して着陸させていたこと、つきの砂には匂いのあることなど、実に興味深いのだ。

アポロ計画もソユーズ宇宙船も想像を絶するような多額の費用を投入した宇宙計画だった。
「福祉や教育に振り向けたらどうなんだ」
という意見が当時からあり、現に予算の関係でアポロ計画は17号をもって終了している。
しかし、もし借りに、米ソが威信を懸けて競争し、そして実現させた人類による月着陸がなかったなら、今のような社会は存在しなかったかも知れないのだ。

ソ連(現ロシア)のレオーノフが本書の中で語っている言葉がとりわけ印象的だったので、最後にちょっと無断引用させていただく。(すいません。気に入ったらみんな買って読もうね)
「中継映像で言い表せないほどの衝撃を受けたのは、これまでに二度しかない。アポロ11号の月着陸の映像と、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターのツインタワーが爆破され、多くの人が亡くなった同時多発テロの映像だ。月着陸は人類の英知を表している。人類の知識と勇気の勝利である。同時多発テロのほうは、人が落ち込む悪の深みを表している。<以下略>」

~「アポロとソユーズ」デイビット・スコット、アレクセイ・レオーノフ共著
奥沢駿、鈴木律子共訳 ソニーマガジンズ発行~