とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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季節の中で

2005年10月15日 16時12分09秒 | 映画評論
ベトナムのホーチミン市。
公式の名前が変わって30年が経過したこの街を今でも地元の人々のほとんどがサイゴンと呼ぶ。
植民地時代の街並みが残るサイゴンの代表的なホテルの一つがマジェスティックホテルだ。
かつてベトナム戦争時代、作家開高健が定宿にしていたことで有名だが、私は産経新聞特派員だった近藤紘一ゆかりのホテルとしての印象の方が強かった。
サイゴン一の繁華街、ドンコイ通りをサイゴン河に突き当たったところにこのホテルはある。
屋上にあるスカイ・ブリーズバーで夜風に吹かれながら酒のグラスを傾けるのも、また格別だ。

二年前、この街を訪れた時の最終日。
私はサイゴン川の朝の風景を見たくて、このマジェスティックホテルの前を歩いていた。
「シクロニ、ノリマセンカ」
壮年のドライバーが日本語で私に声を掛けてきた。
私は料金などのトラブルが発生すると煩わしいと思い、ベトナムへ来てから一度もシクロを利用していなかった。
しかしこの時、なぜかシクロに乗ってみたいなと思ったのだ。
そう思ったのは、シクロのドライバーが「ワタシハ、ボリマセン」と日本語で言ったことに興味を持ったこともあったが、とても誠実そうな人に思えたことが大きかった。
「じゃあ、15分ほどこのこのサイゴン川の当たりを走ってもらえますか」
「イイデスヨ」
「いくらです?」
「イクラデモ」
彼は笑いながら言った。
料金が決まり、シクロに乗り込んだ。
シクロに揺られながらゆっくりと朝の川風に吹かれながら眺める景色は爽やかで素晴らしかった。
しかし、本当に心に残ったのはシクロに乗ったという事実ではなく、このシクロのドライバーと話ができたということだった。
走り始めてしばらくして、私はベトナム戦争時代のことを少し訊きたくなった。
日本でもそうだが、戦争時代のことをあまり語りたがらない人が多いことも知っていたが、ドライバーの年齢を想像し、つい訊いてもいいかなという気持ちになったのだ。
「この辺りは米軍の艦船で一杯だったよ」
シクロのドライバー、グェンさんは英語で語りはじめた。
17歳の時に南ベトナム政府軍に徴用され兵士として訓練を受け、解放戦線や北の兵士、いわゆるベトコンと闘った。
しかし数年で終戦を迎え現在に至っているという。
「元南ベトナム兵士には、シクロの運転手ぐらいしか仕事はありません......」
約束の時間が経過し、マジェスティックホテルの前で私は下車し、約束の料金を払い、チップを弾んだ。
グェンさんと分かれてからも最後の言葉が頭から離れることはなかった。

「季節の中で」はベトナムでオールロケーションされた戦後初めてのアメリカ映画だ。
監督や多くの出演者、スタッフがアメリカに帰化したベトナム人によって製作されたこの映画は1999年のサンダンス映画祭でグランプリを受賞。
各方面から多くの喝采を浴びた。
現代のサイゴンを舞台に切なく、あるいは哀しく、人の生きることへの厳しさを描いたドラマなのだ。
いわゆるグランドホテル技法で展開されるドラマだが、描かれる人々が心を打つ。
それは癩病に苦しむ詩人と蓮の花を売る若い女性の物語であったり、娘を探しに来た元アメリカ兵の物語であったり、物売りをする孤児の少年の姿であったり、またあるいはシクロのドライバーと娼婦の物語であったりするのだ。
それらの物語が同時進行に展開し、やがてそれぞれが、観る者の心を突き刺すような、それぞれのエンディングを迎えていく。

「現在のベトナム人は、一人一人、全ての人が、言葉では言い尽くせない物語を、その背後に抱えているのだ」
以前どこかで読んだ文庫本に書かれていたベトナムに住むある日本人ビジネスマンの言葉だ。

この映画を見ていると、グェンさんのことが思い出され、彼はどうしているのだろうか、とふと思ったのだった。

~「季節の中で」1999年アメリカ パラマウント映画~