とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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片手の音

2005年10月22日 16時31分21秒 | 書評
毎年夏前後になると出版されるのが楽しみな本がある。
文藝春秋社が出版している○○年度ベストエッセイ集がそれだ。
「片手の音」は2005年度のベストエッセイ集。
表題のエッセイの他、数十点の作品が収められており、ベストというだけに、どれをとっても楽しめる作品ばかりなのだ。
作者の職業も多岐にわたっている。
プロの文筆業から会社役員、職人さん、主婦、学生などなど。
これだけの人々が、雑誌や同人、自己出版という形で作品を発表していると思うと、なんだか嬉しくなってくるのだ。
「日本の文学は死んでいる」などと真面目腐った顔で語る評論家然とした人たちの声が、新聞や雑誌などに掲載されることがすくなくない。
しかし、本当は多くの人々が日本語という千年以上にもわたり文字で言葉を表す技術を磨いてきた言語を用いて、キラキラと輝く文章を書いているのだ。
あるときは楽しく、またある時は哀しく、またあるときは可笑しく、書くことと読むことを楽しんでいる。

かくいう私も楽しんでいるのだ。

さて、今年の作品の中で最も印象に残ったのは「貸しふんどしの話」と「「ブルドック」の解散」だった。

「貸しふんどしの話」は友禅の職人をされている岩原俊産という人の作品だ。
なんでも江戸時代には江戸に貸しふんどし屋さんが存在し、重宝されていたという。
そのふんどしもリサイクルプロセスが整っていて、ある程度古くなってくるとふんどしは業者に買い取られ、藍染めされ野良着に仕立てられるというのだ。
しかも、野良着としての使命が全うされると、さらに別の使い道が存在し、ムダになるものはなにもなかったというのだから驚きだ。
幕末、江戸へやってきた外国人が「ゴミ一つ落ちていない清潔な街」として記録しているが、江戸時代の日本は完全なリサイクル機構が整っていたという一つの証拠と言えるだろう。
でも、貸しふんどしは今の感覚からすると、なんとなく汚いような気もしないではないが。

「「ブルドック」の解散」は第一生命相談役の櫻井孝頴さんの作品で、終戦直後に作者が友達らと結成していた「ブルドック」という野球チームにまつわる話だ。
旧制中学から新制高校にスライドした当時の高校生たちの爽やかな日常が描かれているとともに、野球チームでは補欠だった友達が、作者が骨折で自宅療養していたときに、真面目に、そして小まめに授業の内容を毎日持ち帰り、枕元で「授業」代行してくれた話が描かれている。
60年が経過して、チームのメンバーの中に鬼籍に入るものが出てきたので解散を考え集会を開いてみると、その友達に勉強を教えてもらった仲間が多いことがわかった。
そしてその友達が定年退職後、鬱病にかかっているとこを知るのだ。
果たして友達はどうなるのか、そして「ブルドック」はどうなるのか。
ちょっぴりしんみりと、そして嬉しくなる、年を重ねた人しか書けない魅力あるエッセイだった。

ということで、またまた来年が楽しみなエッセイ集なのだ。

~「'05年版ベスト・エッセイ集 片手の音」日本エッセイスト・クラブ編 文藝春秋社刊~