とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

ミャンマー大冒険(1)

2005年10月01日 22時15分36秒 | 旅(海外・国内)
先週敢行した2回目ののミャンマー旅行は、いつもと変わりのない単なる観光旅行となるはずだったが、思わぬ大冒険に発展してしまった。

残念ながらこの「ブログ」程度ではとても紹介しきれないほどの数えきれないハプニングが続出した旅だったのだ。
中には身の毛もよだつハプニングから、一般の旅行者では経験できないようなあっと驚く感動的なハプニングまで、実に様々な出来事が待ち受けていたのだった。
ということで、これを表現するためには近いうちの独自のサイトを立ち上げるか、本を出版しなければならないのではないかと考えているので、誰か気の利いた人がいれば私に本を出版するための費用を投資するように。

ともかく18日午前11時45分に関西空港を出発。
予定通り午後3時半(現地時間)にバンコクのドムアン空港に到着した。
空港内はマッサージからカフェの料金まで、すべてが割高なので、出発案内ディスプレイにヤンゴン行きのゲートナンバーが表示されるまでノートパソコンを開いてコラムを書くことにした。
そのときに書いたのが一昨日にアップした「心斎橋そごう」である。

ゲートナンバーが表示され、さっさと出発ロビーに入ることにした。
そして搭乗ゲートの前にあるチェアに腰を掛け旅行メモを付けるためにと、ミャンマー入国のためのイミグレーションカード記入のために万年筆をとり出して、メモ帳に書き込みを始めたとき、最初のハプニングが私を襲った。
なぜか手が真っ黒なのだ。
メモ帳も真っ黒で、読み終わってロビーチェアの上に置いた文庫本の表紙も黒い指紋で真っ黒なのだ。
そう、原因は今もって不明だが万年筆から大量のインクが漏れ出して、私の手にベッチョリと黒いインクが付着し、メモはもちろん、文庫本の表紙、そしてズボンまで真っ黒になっていたのだ。

許せん!
この万年筆!
メモや文庫本の表紙は構わないが、ズボンである。
ズボンにインクが付いたらとれないではないか。

きっと飛行機の機内と外気との気圧差の関係でカートリッジの中のインクが吹き出たのかも知れないが、持っていた万年筆が安物であったことも原因として考えられなくもないとこの時は思ったのだ。
普段愛用している一本ン万円(エッヘン!)の万年筆は紛失するととても後悔することになるので、旅行には持ち出せない。
そこで一本たった1500円の本体が透明プラスチックでできているボールペンのような安物万年筆を持参していたのだ。
ま、安物、ということも手伝って、遠慮なくターミナルのトイレの流し台でペンもろともゴシゴシと洗ったのであるが、手に付いた黒いシミと、ズボンについた黒いポツポツは取り去ることができなかった。

困ったのは洗濯しても落ちにくいズボンについたシミではなく、手に付いたシミのほうだった。
というのも、黒いシミが付いたのが右手だったので、ヤンゴン国際空港でガイドさんに再会したときに(このガイドさんには昨年もミャンマーを案内してもらった)、黒いシミのついた怪しげな手で握手することを、ヒジョーに躊躇ったのであったからだ。
そしてなによりも、右手にインクがついているということは「こいつ、物書きではないだろうか」という疑問を入国審査官に抱かせ、入国を拒否される恐れがある。(ミャンマーはジャーナリストの入国を制限している)
ともかく実際はなにも起こらなかったのであるが、インクに染まった黒い手のままヤンゴン行きのタイ航空機に乗り込んだのであった。

しかし、このミャンマーの旅でのインクのトラブルなど、のちのち発生する多種多様な想像を絶するトラブルに比べると、アリと像ほどの違いがあったのである。

(ここでオープニングナレーション。若山弦蔵の声で読んでください)
ミャンマー。
そこは、日本人に残された最後の東南アジア旅行国家である。
そこには、日本人の想像を絶する、鉄道災害、巨大遺跡群があるに違いない。
これはブログの管理人(私)の初めての試みとして一週間の観光旅行にでかけたつもりだった、
私の、脅威に満ちた旅行記である。

つづく

---------------------------------------------------------------

この続きは、ときどきこのブログに書いて行きます。つまり「シリーズ ミャンマー大冒険」としてお楽しみください。

ミャンマー大冒険のキーワード
・自然災害
・絶景かな(石川五右衛門調に読むこと)
そして..........
・ウズラ卵

以上