人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

礒山雅氏「生誕260年 モーツアルト最後の4年~百年河清を俟たずに」を聴く:朝日カルチャーセンター新宿教室/クラシック音楽の今年の収穫~日経の記事から

2016年12月29日 08時08分53秒 | 日記

29日(木),昨夜9時38分頃に発生した茨城県北部を震源とする地震は,東京でもかなり揺れました マグニチュード6.3,茨城県で震度6弱とのことですが,NHKテレビのニュースを観ていたら,揺れる10秒くらい前に「緊急地震速報」がテロップで流れました その時モコタロは同じリビングにいましたが,揺れ始めると,前足をハの字にして踏ん張り 目を点にして じっと揺れに耐えていました.きっとものすごく怖かったのだと思います もしドアが開いていたら脱兎のごとく飛び出していたかも知れません ということで,わが家に来てから今日で821日目を迎え,安倍首相とオバマ大統領がハワイのアリゾナ記念館を訪問し慰霊した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

          

                                 2日連続で真珠湾ネタって有りぞな? 慰霊の連続も異例だし

 

  閑話休題  

 

昨日の日経 夕刊文化面に「今年の収穫~2016年の演劇・舞踏・クラシック」という記事が載りました クラシックは3人の音楽評論家が「クラシック・関東」「クラシック・関西」「オペラ」についてそれぞれ今年のベスト3を挙げています

まずクラシック(関東)は,江藤光紀氏が①ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団(11月,ミューザ川崎),②チョ・ソンジン(1月,彩の国さいたま芸術劇場),③ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団(7月,サントリーホール)を挙げています このうち私が聴いたのは③のブルックナー「交響曲第8番」です.江藤氏は「在京オケのレベルアップも引き続き目覚ましく,とりわけ すでに長期契約を発表しているノット+東響コンビの躍進は著しい」と書いています   ノットの特徴は速めのテンポによる気迫に満ちた演奏だと思います

クラシック(関西)は,白石和雄氏が①ロームシアター京都プロデュース「フィデリオ」,②ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場 チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」,③中野慶理ピアノリサイタルを挙げています

オペラは,山崎浩太郎氏が①ヤノフスキ指揮NHK交響楽団 ワーグナー「ジークフリート」(4月,東京文化会館),②ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場 チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」(10月・同),③ヘスス・ロペス=コボス指揮読売日響+東京二期会 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(9月,同)を挙げています 私が聴いたのは①です.山崎氏は「タイトルロール,歌劇史上最大の難役といっていい役を,輝かしい声で若々しく歌い切ったアンドレアス・シャーガーの存在は,眩いほどだった こういうジークフリートをマナで聴ける日が来るとは思わなかった.指揮も他の歌手もそろっていた」と書いていますが,私もブログに書いた通り まったく同感です

 

  も一度,閑話休題  

 

昨日午後1時から,新宿住友ビル10階「朝日カルチャーセンター」で,「生誕260年  モーツアルト最後の4年 ~ 百年河清を俟たずに」を聴講しました 講師は国立音楽大学招聘教授の礒山雅氏です

この講座はクリストフ・ヴォルフ著「モーツアルト  最後の4年」の訳者を務めた礒山氏が,従来から信じられていたモーツアルトの「貧困で不遇だった」という晩年の通説を見直し 俗説を覆したヴォルフの新説を紹介しながら,あるがままのモーツアルトの晩年の生涯を語る,という内容です

礒山氏は1946年 東京生まれ.国立音楽大学招聘教授,大阪音楽大学客員教授を務めています.2006~12年に日本音楽学会会長,2015年~藝術学関連学会連合会会長.専攻はバッハ研究です

10階の18番教室には約50人の受講者が集まりました.男性対女性比率は4:1くらいで圧倒的に男性が多い状況です  礒山氏は4ページのレジュメを用意しており,それに沿って,①最後の4年とは,②まず1788年を見る,③意欲的な作品例,④1789年,⑤1790年,⑥1791年,⑦最後の2か月,⑧レクイエムについてーの順に,時にCDやDVDをかけながら解説していきました 概要は以下の通りです

 

          

 

①「最後の4年とは」では1756年生まれのモーツアルトが生まれ故郷のザルツブルクからウィーンに出て来た1781年(25歳)以降を概観,26歳でコンスタンツェと結婚,28歳の時『自作品目録』開始,フリーメイスン入団,30歳の時『フィガロの結婚』初演,31歳(1787年)の時 父レオポルト死去,宮廷作曲家に登用されたー等を中心に紹介,翌1788年以降1791年までが「最後の4年である」と解説

②「1788年」は,前年に父レオポルトが死去したことに伴い,1787年には25通だった手紙が88年には4通のみと極端に少なくなっていることを指摘,しかも4通のうち3通がフリーメイスンのメンバーで裕福な商人ミヒャエル・プフベルクに対する借金の依頼であることを説明 しかし,この年は創作力の点では旺盛な年で,作品数は最大となり,この中には三大交響曲(第39番,第40番,第41番)が含まれると解説(1784年=11曲,85年=20曲,86年=19曲,87年=21曲,88年=30曲,89年=16曲,90年=6曲,91年=23曲)

一方,借金はしているものの,モーツアルトの年収は(ソロモンという人の計算によると)1788年=1723グルデン,89年=1821グルデン,90年=2538グルデン,91年=4717グルデンと晩年にいくにしたがって多くなっている 1グルデンは現在の日本円で換算して約1万円(3000円という説もあるらしい)なので,1788年は1723万円の年収があったことになる にも関わらず,なぜ借金の依頼をしたのかというと,支出が収入を上回ったからだ モーツアルトは見栄っ張りで,着道楽,装身具,馬車,毎日の床屋,社交好き,宮廷への出入り,立派な住まいに加え,ギャンブルもやっていたからだと思われる

意外だったのは「毎日の床屋」です.彼の手紙にそのような記述があるらしいのですが,それにしても毎日床屋で髪の手入れをしていたとは驚きです しかし,ビートルズも毎日,床屋で髪の手入れをして同じ髪型を維持していた とどこかで読んだような記憶があるので,人気ミュージシャンのたしなみとして”毎日の理髪”は異常なことではなく,”利発な”行動なのかも知れません

③「意欲的な作品例」では,皇帝ヨーゼフ二世から宮廷作曲家に任命された後,作曲した「アレグロとアンダンテK.533」と「ロンドK.494」を組み合わせて出版した「ピアノ・ソナタ」をファジル・サイの演奏によるCDでアレグロの冒頭部分を鑑賞 その後,「まったく対照的な曲をセットとして構想した.例のない集中」として三大交響曲(第39番,第40番,第41番)を紹介,「ジュピター交響曲で,交響曲の頂点まで登り詰めてしまい,これ以上この分野の曲は作らなかった」として,3曲の各一部をコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏によるDVDで鑑賞 

この組み合わせによるCDを持っているので,演奏のアプローチはよく分かっていました.アーノンクールは三大交響曲を一つの大きな”器楽によるオラトリオ”と捉えて演奏しています 第39番の第1楽章と第3楽章などは,あまりにも速すぎて,CDを真っ二つにへし折ってやろうかと思ったくらいです

 

          

 

④「1789年」は,フランス革命が勃発しウィーンが経済危機状況に陥った.このため,作品数が激減(前述の通り).交響曲第41番”ジュピター”以降の傾向として,作品の簡素化が図られる かつてヨーゼフ二世から「音が多すぎる」と言われた作曲法から新しい境地へ.代表例としてクラリネット五重奏K.581の第2楽章をCDで鑑賞

⑤「1790年」は,ヨーゼフ二世の死去に伴い最大の後ろ盾を失う 一方,新皇帝レオポルト二世の政策により教会音楽復活の兆しが現れ,この分野への作曲の情熱が湧く

⑥「1791年」は,ピアノ協奏曲第27番K.595の完成で好調なスタートを切る 大聖堂の副楽長(無給)となり,次期楽長を約束される(本人死去のため実現せず).アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618を作曲.プラハで「皇帝ティートの慈悲K.621」と「魔笛K.620」を上演・初演 魔笛は前例のない成功を収めた.DVDで「魔笛」のタミーノとパミーナの二重唱を鑑賞

⑦「最後の2か月」は,クラリネット協奏曲K.622完成.ホルン協奏曲第1番も作曲に着手(未完),レクイエム作曲に傾注.フリーメイスン用カンタータK.623初演(11月18日)後,突如病床に就く.12月5日0時55分に死去.直接の死因は瀉血(輸血の反対で 血を抜く療法)か.病名は諸説あり,定説はない.暗殺説も流布したが根拠なし.7日,大聖堂の礼拝堂で祝福の後,市門外の聖マルクス墓地に運び,ヨーゼフ二世の埋葬規定通り共同墓穴に埋葬

死因については,新日本フィルの室内楽シリーズのプレトークで,「モーツアルトは妻コンスタンツェと彼女の母親の共謀によって(トリカブトのような)毒を盛られて死んだ」と聞いていたので,真相はどうなんだろうか とあらためて疑問が生じました しかし,日本におけるバッハの権威でモーツアルトに関する著作も何冊かある礒山雅氏が「毒殺説も流布したけれど根拠がない」と言っているからには,まず間違いなく根拠がないのだと思います

⑧「レクイエムについて」では,依頼は特定の個人からだったが,モーツアルトは今後の教会音楽活動への展望のもとに引き受けた 曲は依頼者に独占されていない.間違いないことが2つ.一つは,モーツアルトがヘンデルに学習しながら,『アヴェ・ヴェルム・コルプス』が先鞭をつけた簡素な教会音楽の路線を開拓していること,2つ目は,死を扱うテキストにのめり込み,その世界に没頭していたこと,である DVDでレクイエムの一部を鑑賞

今これを書いていて思い出したのですが,モーツアルトの手紙ということでは,先日読んだ ひのまどかさんの「作曲家の物語 モーツアルト」(新潮文庫)に「モーツアルトが妻にあてた愛情あふれる手紙はたくさん残されているが,その反対のものは一通もない・・・・コンスタンツェは夫を愛していなかった」という記述がありました.この点について礒山さんに質問すればよかったなと今になって後悔しています

 

          

 

礒山氏による2時間の講演を聞いて,いくつかの客観的事実から,モーツアルトの最後の4年間は,「借金だらけの困窮の中で創作意欲も衰えていき,惨めな死を迎えた」という従来の考え方が間違っていたのではないか,と思うようになりました ひと言でいえば,モーツアルトは最後の最後まで向上心を失わず作曲することに情熱を傾けていた,ということです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする