人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

オペラの「演奏会形式」広がる~日経の記事から/藤谷治著「世界でいちばん美しい」を読む

2016年12月11日 09時03分46秒 | 日記

11日(日).昨日の日経朝刊・文化欄に文化部・岩崎記者による「オペラ  音楽だけの魅力 舞台演出なし『演奏会形式』広がる」という見出しの記事が載りました.超訳すると

「舞台装置や衣装を用いず,オーケストラがピットでなくステージで演奏する『演奏会形式』のオペラが,有力オケの公演で目玉演目として扱われるケースが増えている 歌劇場が少ない日本で,オケの表現の幅を広げる手法として定着しつつある.N響は名誉音楽監督シャルル・デュトワがビゼー『カルメン』を取り上げる(12月9日,11日).17年9月には首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが演奏会形式でモーツアルト『ドン・ジョバンニ』を,18年には生誕100年を迎えるバーンスタイン作品を予定している 読売日響は昨年の『トリスタンとイゾルデ』に次いで,17年11月,サントリーホールとびわ湖ホールで常任指揮者カンブルランの指揮でメシアン『アッシジの聖フランチェスコ』を演奏会形式で上演する 東京フィルは昨年5月のプッチーニ『トゥーランドット』,今年10月のマスカーニ『イリス』に次いで,バッティストーニの指揮で来年9月にヴェルディ『オテロ』を取り上げる 演奏会形式は,オペラの音楽的側面を強調するのに有効であるのに加え,上演のためのコストも舞台オペラに比べると低い

私がこれまで聴いた演奏会形式によるオペラの上演で強く印象に残っているのは,数年前に東京シティ・フィルが飯守泰次郎の指揮で上演したワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」シリーズです ”ワーグナー指揮者”飯守泰次郎の名を不動のものにし,東京シティ・フィルのイメージを一段と高めた公演でした

もう一つは,これもワーグナーですが,毎年3~4月に上野で開催されている「東京・春・音楽祭」の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」です 演奏はヤノフスキ指揮NHK交響楽団ですが,毎年 歌手陣が凄いのです ヤノフスキの指揮のもと,来年は「神々の黄昏」が上演されます

今日の午後,池袋の東京芸術劇場コンサートホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるモーツアルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」を演奏会形式で聴いてきます アンサンブル・オペラの傑作を十分楽しんできたいと思います

ということで,わが家に来てから今日で803日目を迎え,廊下のCDラックの前で何かを期待して立ち上がるモコタロです

 

          

            何か芸をやればオヤツがもらえると言われたんだけど・・・

 

 

          

              立ってみたけど 何ももらえなかった  これが本当の立ち往生

 

  閑話休題  

 

昨日の夕食は「豚バラと白菜の味噌鍋」にしました.寒い冬は鍋ですね

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

藤谷治著「世界でいちばん美しい」(小学館文庫)を読み終わりました 藤谷治著は1963年東京生まれ.2003年「アンダンテ・モッツアレラ・チーズ」でデビューし,本作「世界でいちばん美しい」で第31回織田作之助賞を受賞しました 私がこの本を買おうと思ったキッカケは,本の帯に書かれていた「織田作之助賞受賞作」と「若き天才音楽家せった君の30年の人生」という”売り”言葉です

 

          

 

この小説の主人公は雪踏文彦(せった ふみひこ)です.周りの者は親しみを込めて彼を「せった君」と呼んでいます.幼い頃からの親友である島崎哲が,愛すべき「せった君」について語っていきます

いつもぼんやりしている「せった君」だったが,幼少期からピアノの演奏,その後作曲へと音楽の才能を発揮した それは音楽の英才教育を受けてきた島崎が嫉妬するほどの才能だった.中学・高校と違う学校に通うようになり 交流の機会が減ってきたが,大人になって「せった君」がアルバイトでピアノを弾く鎌倉のバーで頻繁に会うようになる そこで,「せった君」は永沢小海という女性と出逢い愛し合うようになる.一方,その小海の元カレ・津々見勘太郎が彼女を追ってそのバーに現れる 3人がらみで火災事件が発生して「せった君」は焼死してしまう.その後,島崎哲は小説家となり,永沢小海はキリスト系の団体に勤務するが,事件のショックから立ち直れないままでいる 彼女は毎年1月31日の「せった君」の命日にブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴くのを習慣にしている 「せった君」はオットー・クレンペラー指揮による「ドイツ・レクイエム」2枚組のLPを大切にして聴いていたのだった

この小説では,純粋無垢な「せった君」と,世の荒波にもまれ傷だらけになってもがく津々見勘太郎の対比が鮮やかに描かれています.大島真寿美氏の「解説」によると,語り手の島崎哲は作者である藤谷治氏を彷彿とさせる人物であるそうです 「音楽家の一族として生まれた者として,いくぶん屈折した音楽との関わり,長じて,得る職業・・」と書いています.音楽に関する記述を読むと ピアノ演奏をはじめ,相当な知識と経験がなければ書けないだろうと推測します

音楽好きはもちろんのこと,そうでない人にも広くお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする