近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

堺市の土師ニサンザイ古墳、300m超えか、国内7位に!

2012年12月04日 | 歴史
ここからは、世界遺産登録申請に微妙に影響すると見られる、宮内庁が管轄する天皇陵或いは準天皇陵の真相について、考古学的調査・真相に迫る実態解明が求められている折から、今回宮内庁と自治体が同時調査をした土師ニサンザイ古墳について、先日12月1日・2日に行われた現地説明会・見学会の様子などを、二回に分けて報告する。

堺市の百舌鳥古墳群にある、全長290mの前方後円墳・ニサンザイ古墳を同時に調査している宮内庁と堺市は、同古墳の築造時期が5世紀後半と分かり、墳丘全長も元は300mを超えていた可能性が高いと発表した。

全長300mの渋谷向山古墳(奈良県天理市、景行陵古墳)を抜き、国内第7位の大きさになるとみられる。









写真は上から、堺市の百舌鳥古墳群の中で、土師ニサンザイ古墳の位置関係、前方部方面から望む同古墳全体像、12月初旬一部紅葉に染まった後円部光景及び前方部から後円部を望む、周濠に囲まれた墳丘形状。

ところで写真の通り、ニサンザイ古墳は百舌鳥古墳群の一つで、当古墳群は、北は反正天皇陵古墳、南は仁徳天皇陵古墳を経て履中天皇陵古墳の周辺、東はニサンザイ古墳辺りの、東西・南北約4kmの台地上に広がっている。

本古墳群の築造は、4世紀末から5世紀後半で、44基が現存し、かつては100基以上あったことが確認されている。

ニサンザイ古墳は、前方部を西に向けた前方後円墳で、墳丘の規模は、大正15年に測量された地形図により、全長290m・後円部径156m・後円部高24.6m・前方部幅224m・前方部高25.9mと計測され、百舌鳥古墳群では履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)に次ぐ3番目、全国では8番目の規模を誇る。

前方部が大きく広がる精美な墳丘は3段に築かれ、両側のくびれ部には墳丘が張出す造出しがある。埴輪と葺石があることは確認されているが、埋葬施設の構造や副葬品などは分かっていない。

墳丘の周囲には幅50m余りの濠が巡っているが、昭和51年の発掘調査により濠は二重に巡らされていたことが明らかになった。

その後の調査の結果、外側の濠幅は10~20mで、ほぼ全周していた可能性があると云う。外側の濠を含めた古墳範囲は、東西485m・南北490mの広大な正方形におさまる。

被葬者は分かっていないが、江戸時代には反正天皇陵とする伝承があった。

ニサンザイ古墳は、宮内庁が天皇や皇族の墓である陵墓の可能性がある「陵墓参考地」として管理し、一般の人の立ち入りは禁止されている。





写真は、見学ルートで宮内庁名の立入禁止の赤字貼紙と厳重な立入禁止柵が目に付く光景及び堺市担当の濠掘削工事現場の光景。

濠の水によって削られていた墳丘裾を護岸工事することになり、宮内庁が墳丘を、堺市が、陵墓参考地に指定されていない濠の底や水際を調査した。

周濠や外堤は堺市が管理しており、平成24年10月からそれぞれの管理区域を同時調査していた。