近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

沼津市の辻畑古墳とは!そのⅠ

2012年08月15日 | 歴史
沼津市内の古墳巡りを続けます。

沼津市の古墳時代前夜を振り返って見ると、当地は温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、当時既に片浜から原、さらに田子の浦海岸や内浦湾沿岸の海岸地域は、当時の海岸線は愛鷹山麓に迫っていたとは云え、既に集落が開けていたらしい。

このことは、これらの場所に点々と古墳がつくられたことからも推測される。

沼津市は、眼下に駿河湾、南東に伊豆半島が延びる風光明媚な地で、在地豪族が墳墓を築造しそうな立地。

そのような自然・社会環境の中で、今回話題を呼んだ、辻畑古墳は沼津市東熊堂の熊野神社旧境内地から発掘され、南北約62m、西側4分の1は道路で削り取られていたが、東西約35mと見られ、高さは約4.5mの前方後方墳。

墳頂の1.0mほど下には、副葬品を伴う木棺跡が検出されたと云う。





写真は、発掘調査現場で平成21年10月初旬の光景及び年輪を感じさせる、大木の根っこが取り残されたまま、崩し落とされた古墳墳丘の高さが窺い知れる。

発掘調査は、国道1号から同246号に抜ける都市計画道路の建設に伴って実施され、平成22年~23年度中には古墳を撤去して、計画された道路を建設する予定と云うが、本古墳が保存されることを切望する。

市街地でありながら、遺構の大半が残っていたことに、関係者からは「奇跡だ!」との声も上がったと云う。









写真は上から、辻畑古墳の現地説明会光景、古墳と共に出土した弥生時代後期の竪穴式住居跡及び住居跡全景。

本古墳は国道1号線沿いの住宅地にあり、平成20年5月以降、本格的な調査を進めてきたが、市教育委員会は、平成21年9月、出土した土器や副葬品を分析した結果、同古墳が弥生時代後期から古墳時代初期に築かれた東日本最古級の古墳であると発表した。

出土した高杯から、本古墳の築造が230年前後と見られ、奈良県桜井市の纒向石塚古墳と同じ古墳初期に分類されるらしい。

と云うことで、本古墳が近畿地方で本格的な古墳の築造が始まったのとほぼ同時期にあたり、特にヤマト王権の象徴的墳形である前方後円墳に対して、前方後方墳であることは、独自性の強い、当地固有の古墳形態として、その歴史的意義付けや古墳発祥から発展の経緯を考える上で、貴重な発見と云える。

後方部の木棺跡に検出された、鏡・鉄鏃などの副葬品と土器の組み合わせからも、3世紀前半頃のものと分かったという。