橿原市の観音寺遺跡巡りを更に続けます。
当遺跡からは、関西地方では大変珍しく貴重な土偶や石棒が発掘された。土偶は女性をかたどったとみられ、計5体分が出土。
写真は、観音寺本馬遺跡から出土した土偶と石棒。
土偶は、観音寺本馬遺跡の観音寺地区の発掘調査で、2008年に見つかった高さ約15cmほどの完形の土偶で、目と大きく開けた口、両足を少し広げたユニークな姿で、祭祀で使われた後に廃棄されたとみられる。
一方石棒は、長さは約26cmで、先端には幾何学文様の線刻がある。
東日本では線刻のある石棒の出土例は多いが、縄文文化が発達しなかったと考えられている西日本では、ほとんど装飾がないという。いずれも子孫繁栄を願う祭祀具とみられる。
本馬遺跡の平地住居跡は直径6mほどだが、縄文時代の住居跡の出土例は、穴を掘って築造する竪穴式住居が中心で、平地住居は近畿では兵庫県の佃遺跡に次いで2例目という。
一方平成21年2月には、観音寺遺跡で縄文時代晩期の樹木の根株30本分がまとまって見つかったと発表された。
写真は、樹木の根株と漁労用の定置杭列。
幹は直径1m近いものもあったが、木は洪水で一気に埋まり、地中でタイムカプセル状態のまま残った。
また、川跡からは、直径約1.8mのサークル状に杭(高さ20~80cm)を34本並べた遺構を確認。
杭の間につるをからませて、「定置式漁法」の仕掛けと判明した。
更に平成21年3月には、奈良県立橿原考古学研究所が、橿原市の大規模集落跡の観音寺遺跡で出土した約3000年前の縄文時代晩期中葉の土器棺墓から、4歳前後とみられる幼児の人骨・歯などが見つかったと発表した。
写真は、土器棺墓に埋葬されていた幼児人骨。
他地域の同時代の土器棺墓にあった人骨のうち、幼児と特定されたものは計7例。専門家は縄文時代の子どもの埋葬状況が分かる貴重な資料とみている。
土器を利用した棺に人骨が残った例は近畿では極めて珍しく、縄文人の暮らしぶりや葬送儀礼を考える貴重な資料になりそうだ。
土器は直径・高さとも40cmで、頭骨や足などの骨や歯が10本以上残っていたと云う。
土器棺には、頭骨の下に腰骨や足の骨があったことなどから、別の場所で埋葬した遺体を土器に埋葬しなおしたことが判明。
当遺跡からは、関西地方では大変珍しく貴重な土偶や石棒が発掘された。土偶は女性をかたどったとみられ、計5体分が出土。
写真は、観音寺本馬遺跡から出土した土偶と石棒。
土偶は、観音寺本馬遺跡の観音寺地区の発掘調査で、2008年に見つかった高さ約15cmほどの完形の土偶で、目と大きく開けた口、両足を少し広げたユニークな姿で、祭祀で使われた後に廃棄されたとみられる。
一方石棒は、長さは約26cmで、先端には幾何学文様の線刻がある。
東日本では線刻のある石棒の出土例は多いが、縄文文化が発達しなかったと考えられている西日本では、ほとんど装飾がないという。いずれも子孫繁栄を願う祭祀具とみられる。
本馬遺跡の平地住居跡は直径6mほどだが、縄文時代の住居跡の出土例は、穴を掘って築造する竪穴式住居が中心で、平地住居は近畿では兵庫県の佃遺跡に次いで2例目という。
一方平成21年2月には、観音寺遺跡で縄文時代晩期の樹木の根株30本分がまとまって見つかったと発表された。
写真は、樹木の根株と漁労用の定置杭列。
幹は直径1m近いものもあったが、木は洪水で一気に埋まり、地中でタイムカプセル状態のまま残った。
また、川跡からは、直径約1.8mのサークル状に杭(高さ20~80cm)を34本並べた遺構を確認。
杭の間につるをからませて、「定置式漁法」の仕掛けと判明した。
更に平成21年3月には、奈良県立橿原考古学研究所が、橿原市の大規模集落跡の観音寺遺跡で出土した約3000年前の縄文時代晩期中葉の土器棺墓から、4歳前後とみられる幼児の人骨・歯などが見つかったと発表した。
写真は、土器棺墓に埋葬されていた幼児人骨。
他地域の同時代の土器棺墓にあった人骨のうち、幼児と特定されたものは計7例。専門家は縄文時代の子どもの埋葬状況が分かる貴重な資料とみている。
土器を利用した棺に人骨が残った例は近畿では極めて珍しく、縄文人の暮らしぶりや葬送儀礼を考える貴重な資料になりそうだ。
土器は直径・高さとも40cmで、頭骨や足などの骨や歯が10本以上残っていたと云う。
土器棺には、頭骨の下に腰骨や足の骨があったことなどから、別の場所で埋葬した遺体を土器に埋葬しなおしたことが判明。