近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

アイヌ民族・文化 アイヌ民族の“伝統・習俗”とは!

2007年11月22日 | 歴史
“自然崇拝・自然へ回帰”をモットーとしていた、アイヌの人たちは、諍い・争いを嫌い、極力話合いの中で問題解決することを本義としていた。

「実力行使の前に徹底的に話し合う」という風習を持ち、無用な戦いを避けようとする人間本来の高貴な姿勢は、戦争や身分制度を当然視していた戦国・江戸時代の武士には、到底理解・尊重されなかった。

むしろ逆にアイヌ民族への不当な抑圧を招いた。このような封建社会的抑圧に対する怒りとして、不本意ではあるが、数度にわたるアイヌの大規模な軍事行動が、図らずも発生してしまった。

そして軍事行動後の停戦協定交渉にしても、交渉に臨むアイヌの人たちの真摯な態度・善意は踏みにじられ、停戦祝宴の席で首長が虐殺されてしまうという、悲惨で残忍な悪行に甘んじたのが、アイヌ民族の伝統・習俗であった。

アイヌ民族の伝統・習俗は、戦国時代・江戸時代の“何でもありき”という荒廃した世の中でも、一途に護られ続けたと云える。



写真は、“サッポロピリカコタン”に展示されている、アイヌ文様の“木綿製衣服”。

現在では、アイヌ人たちの大半が同化政策の影響もあり、日常生活面は和人と大きく変わらない。
しかしアイヌであることを隠す人たちもいる中で、アイヌ民族としてのプライドは、一部の血筋仲間たちの間では、少なからず健在である。



写真は、アイヌ民族の口承による伝承光景。
アイヌの歴史・教訓・生活の知恵などが描かれている“叙事詩”を歌として語る“ユーカラ”が口承され、記録活動も始まっているらしい。文字を持たないアイヌ民族にとって、口承は、待ったなしの“必至の伝承手段”である。
ユーカラの研究者としては、金田一京助が知られている。

アイヌ民族の奇妙な習俗の中に、老婆による“占い”があると云う。
例えば病気や凶事の前兆を発見し、未然に防止したい場合、易者を呼んで教えを乞う。

易者は家に呼ばれると恍惚自失の状態になり、病気の原因などを夢うつつのままに述べ、目はカット見開いた虚ろな状態で、ひどく恐ろしく見えるらしい。この風習は現在でも盛んに行われていると云う。

もう一つはアイヌ民族の結婚観について、アイヌ男性が嫁を貰う場合、「妻を借りる」と表現するそうで、神様から借りることで、相手の女性を自分の所有物として拘束する一対婚とは異なり、“夜這い婚”のように自由度が認められているらしい。