以前の第三話”山崎合戦における光秀の過信・読み違いとは!”に関連して、山崎合戦の戦局を決定付けたのは、光秀側の兵力不足から、戦略拠点として重要な天王山に防御線を張ることが出来なかったこと。結局兵力不足から戦線を引き下げ、京都山崎の天王山拠点を見放したために、秀吉方に早々に占領されてしまった。この時点で勝敗は決したと云える。
ところで、この山崎合戦で天王山が決定的軍事拠点となったことから、以降決戦の勝敗を決める分疑点を”天王山”と呼ぶようになった。
標高270mの天王山は摂津と京都の国境にあって、眼下には西国街道(現在の山陽道)が通じ、桂川・宇治川・木津川と三つの川が合流して淀川となる地点で、最も山が迫る狭路にあって摂津国から入京する入口を軍事的に抑える要害の地。この軍事要衝を見捨てざるを得なかったことが直接的敗因。
天王山山頂へは、JR山崎駅から遊歩道を使えば、1時間足らずで登頂可能。
但し海抜270mとはいえ、中世の山城への登りはきついが、途上には観音寺や山崎合戦両軍の戦陣・戦況を詳細に説明した看板が幾つもあり、又山崎城の本丸・二の丸などの城跡・曲輪・石垣等々を見学出来るだけに、登頂の価値は十分と云える。
右上の写真が山崎城跡の一部。
ところで、この山崎合戦で天王山が決定的軍事拠点となったことから、以降決戦の勝敗を決める分疑点を”天王山”と呼ぶようになった。
標高270mの天王山は摂津と京都の国境にあって、眼下には西国街道(現在の山陽道)が通じ、桂川・宇治川・木津川と三つの川が合流して淀川となる地点で、最も山が迫る狭路にあって摂津国から入京する入口を軍事的に抑える要害の地。この軍事要衝を見捨てざるを得なかったことが直接的敗因。
天王山山頂へは、JR山崎駅から遊歩道を使えば、1時間足らずで登頂可能。
但し海抜270mとはいえ、中世の山城への登りはきついが、途上には観音寺や山崎合戦両軍の戦陣・戦況を詳細に説明した看板が幾つもあり、又山崎城の本丸・二の丸などの城跡・曲輪・石垣等々を見学出来るだけに、登頂の価値は十分と云える。
右上の写真が山崎城跡の一部。