ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

オリンピックとセカンドライフ  スモールアイデアNO 280

2019-05-06 18:07:32 | 日記

 2020年東京五輪の大会組織委員会は、競技スケジュールの詳細を発表した。これを見たスポーツ愛好家は、首をかしげたくなったと思います。バスケットボール決勝は、男女とも午前11時半から始まります。陸上はトラック、フィールドの計9種目の決勝を、午前中に行うのです。日本の午前11時半はアメリカの東海岸なら午後10時半、西海岸は午後7時半の時間帯になります。テレビ放映のゴールデンタイムです。選手よりもアメリカの視聴者を優遇するシステムは、放映権にありました。アメリカのテレビ局NBCは、2014年から2032年まで年までの五輪大会のアメリカ向け放映権を独占契約しています。オリンピック委員会(IOC)は、総額1兆3300億円でNBCと独占契約しているのです。大会組織委員会は、「さまざまな利害関係との調整の結果」と報道関係者に話しています。
 そこで、スポーツにおけるさまざまな利害関係について考えてみました。オリンピックで日本人選手が金メダルをとった姿に、日本中の国民が感動します。スポーツには、国民の心を凝集する力があります。トップレベルの競技者は、強い相手と相対したいものです。最高の試合の最高のパフォーマンスに、国民は感動します。金メダルをとった姿に、感動する動物はいません。クーべルタン男爵は、1896年に近代オリンピックを始めました。この時、男爵は、スポーツ活動が当時のヨーロッパ諸国間の政治的諸関係を改善することを期待していたようです。スポーツが、政治から自由であったことは,滅多になかったとといえるでしょう。
 イタリアのローマには、コロセウム(円形闘技場)があります。古代ローマにおいて、食糧に困らなくなったローマ市民は、さらなる娯楽を求め続けました。権力者は毎日のように戦車競走や闘技会といった見世物を開催したのです。ローマ市民をある意味で政治的盲目状態に置いて統治した言葉が「パンとサーカス」でした。パンとサーカスの政治手法は、市民から政治的思考や認識と行動を奪う一種の愚民政策だったともいえます。この種の手法は、中世から近代、そして現代でも採用されています。
 例えば、1962年ごろのカナダ政府は,国家意識の欠如に悩んでいました。同じ国に住んでいないながら、イギリス系とフランス系の中が仲が良くなかったのです。そこで、カナダ政府は、国際スポーツ大会への参加が、国家精神の統一に重要な働きをするとして、スポーツ団体に多くの支援や援助を行いました。また現在では、旧社会主義国家を含めて社会主義国がスポーツを推奨していることは周知のことです。でも、よく見ると奨励の政策には、歴史があります。1917年の10月ロシア革命当時、共産主義政権はスポーツには関心を示さなかったのです。1925年に、スポーツが政府に認められ推進され始めました。そして、1930~31年にG.T.O. (日本の体力テスト)が制定され、スポーツのテストが制度化された後は、スポーツは、政府機関のもとに組織化されたていったのです。これは、スポーツの軍事利用に繋がります。
 古来より、政治(祭り事)や祭は、切っても切り離せない関係にあります。スポーツは,政治のために広範に使われた歴史があります。そして現在、商業主義がオリンピックの高い視聴率をお金に換算するシステムを利用しています。ネット配信の時代となりスポーツの中継は、価値を増大させています。オリンピックは、ある意味でお金を生み出すイベントになっています。1兆円を投資しているNBCが、莫大な投資に見合うものを要求することには、ある意味で合理性があります。人気種目を、最も視聴率を獲得できる時間帯に、実施することを求めることは当然かもしれません。
 最高のパフォーマンスを持つ選手は、自らの稼ぐ力を長く続けて欲しいものです。高い視聴率は、選手にも恩恵をもたらします。視聴率をもたらす選手には、高い契約金が待っています。優れた選手は、現在の国際スポーツの流れを理解しておくべきです。やるべきトレーニングを継続しながら、マスコミ対応や組織と有利な契約をしていくことです。国際スポーツのなかで、客観的に自己を見つめる冷めた姿勢も必要でしょう。最高のパフォーマンスは試合で発揮されますが、そこにいたる経過やトレーニングも視聴率に関係してきます。勝利を手にする過程を知ることは、視聴者を心地良くします。このような説明においても、洗練されたものが求められる時代かもしれません。
 蛇足ですが、良い選手には、優れたエージェントが支援援助することが望まれます。せっかくの才能が、短期間でなくなることは悲しいことです。選手寿命を延ばし、セカンドライフを充実したものにしてほしいものです。