7月20日
台風4号が過ぎ去って梅雨明けと思いきや、梅雨は居座ったままだ。こんな天候で体調は不調なのか?良くはないが悪くもない。つまり天候に左右されないということ。
私の体調は、日々時々刻々と変化している。良い方向にも悪い方向にも。つまり午前は良くて、今日のバドミントンは楽しめそうだと思っていると、午後から急に左足の膝から下がなんとなくぎこちない。どうしたんだろう?午前は左腕が軽く感じていたのに、3時過ぎると急に肩に痺れが来て、指先も痺れが強くなる。どうしてだろう?と思いつつそれらを無視してバドミントンをしたり、腕を普通に使う。今は、左膝の下の外側に強い違和感がある。前脛骨筋の上側と足首の前脛骨筋の部分も違和感がある。左足の指の付け根の下側に違和感を感じている。足の指も歩いたりする時の動作に加わってきたということか。どんな動きをするのか今までに意識したことがないので指示の仕方がわからない、また、リハビリ(そこに特化したやり方)もわからないので、バドミントンや歩きの流れの中で動かすしかない。ここの筋肉が動くようになると、脚を動かすシステムにも影響がでる。今までサポートしていた部分がサポートを止める、すると一時的に機能が落ちる。退歩したように感じるし、今まで違和感を感じなかったところに強い違和感を感じるようになり、不安感が襲ってくる。しかし、どうしようもないので不安を感じながら「どうにでもなれって」普通の顔をして普通どうりに動き回る。時が経つとこの違和感は消え、次に移っていく。何度繰り返したことだろう。麻痺の回復は、一度で全てが回復するわけではない。とても薄い皮が一枚、一枚はがれていくように回復していく。それを実感できれば不安の中でも喜びはある。また、それを感じる力がなければ耐えられない。外から眺めている人は、この薄い薄い一皮に気づくことは稀でしょう。いつのまにか歩きが変わっている。赤ちゃんのヨチヨチ歩きがいつのまにか安定した歩きに変わっているように。よく観察している人にはわかるでしょうが。
私の身体は絶えず微調整中だから絶えず変化している、動かしておけば。動けなければ直ちに退歩する。一番の敵は怪我なのです。転ぶことを恐れて、歩くのを止めれば歩けなくなる。すると血流が帰ってこないので、徐々に身体自体が弱まってくる。車椅子に乗れたと喜んではいけない、一時的に移動が楽になっただけ、訓練環境に行くのが楽になった、歩く練習が今まで以上に出来るようになったと思って動かさなければゴールは遠くなる。
手は足以上に難しい。重力との戦いもある。肩より上で手を動かすとなると疲れは酷い。そこで保持をして指先を使う。身体全体に力が入って指先は軽やかに動いてくれない。指先が先か、保持するのが先か?いっしょにするのが一番効率的。
最初は効率が最悪、黙って続けるしかない。なさけないといったら、涙がポロリですよ。こんな簡単なことが出来ないなんて。どうしたら良いのか。どんなことがあっても、ひたすらやり続けるだけなんです。もう俺には先が長くないと思った人は多分しないでしょう。あなたなぁーらどうするー、あなたなぁーらどうするー。
動きが見える部分のことを書きましたが、動きが見えない部分もあります。顔、首、胴体。これらも何らかの訓練をしないと回復しません。ただ正常な半身にくっついて動きますから正常に動いているように見えるだけです。意識して動かしていれば回復するでしょう。回復したときの喜びは手足の比ではありません。身体全体のポテンシャルが格段に上がり、目に入る光も変わります。それは、ある日突然来るのです。そして、胴体も麻痺していたのだと分かるのです。
台風4号が過ぎ去って梅雨明けと思いきや、梅雨は居座ったままだ。こんな天候で体調は不調なのか?良くはないが悪くもない。つまり天候に左右されないということ。
私の体調は、日々時々刻々と変化している。良い方向にも悪い方向にも。つまり午前は良くて、今日のバドミントンは楽しめそうだと思っていると、午後から急に左足の膝から下がなんとなくぎこちない。どうしたんだろう?午前は左腕が軽く感じていたのに、3時過ぎると急に肩に痺れが来て、指先も痺れが強くなる。どうしてだろう?と思いつつそれらを無視してバドミントンをしたり、腕を普通に使う。今は、左膝の下の外側に強い違和感がある。前脛骨筋の上側と足首の前脛骨筋の部分も違和感がある。左足の指の付け根の下側に違和感を感じている。足の指も歩いたりする時の動作に加わってきたということか。どんな動きをするのか今までに意識したことがないので指示の仕方がわからない、また、リハビリ(そこに特化したやり方)もわからないので、バドミントンや歩きの流れの中で動かすしかない。ここの筋肉が動くようになると、脚を動かすシステムにも影響がでる。今までサポートしていた部分がサポートを止める、すると一時的に機能が落ちる。退歩したように感じるし、今まで違和感を感じなかったところに強い違和感を感じるようになり、不安感が襲ってくる。しかし、どうしようもないので不安を感じながら「どうにでもなれって」普通の顔をして普通どうりに動き回る。時が経つとこの違和感は消え、次に移っていく。何度繰り返したことだろう。麻痺の回復は、一度で全てが回復するわけではない。とても薄い皮が一枚、一枚はがれていくように回復していく。それを実感できれば不安の中でも喜びはある。また、それを感じる力がなければ耐えられない。外から眺めている人は、この薄い薄い一皮に気づくことは稀でしょう。いつのまにか歩きが変わっている。赤ちゃんのヨチヨチ歩きがいつのまにか安定した歩きに変わっているように。よく観察している人にはわかるでしょうが。
私の身体は絶えず微調整中だから絶えず変化している、動かしておけば。動けなければ直ちに退歩する。一番の敵は怪我なのです。転ぶことを恐れて、歩くのを止めれば歩けなくなる。すると血流が帰ってこないので、徐々に身体自体が弱まってくる。車椅子に乗れたと喜んではいけない、一時的に移動が楽になっただけ、訓練環境に行くのが楽になった、歩く練習が今まで以上に出来るようになったと思って動かさなければゴールは遠くなる。
手は足以上に難しい。重力との戦いもある。肩より上で手を動かすとなると疲れは酷い。そこで保持をして指先を使う。身体全体に力が入って指先は軽やかに動いてくれない。指先が先か、保持するのが先か?いっしょにするのが一番効率的。
最初は効率が最悪、黙って続けるしかない。なさけないといったら、涙がポロリですよ。こんな簡単なことが出来ないなんて。どうしたら良いのか。どんなことがあっても、ひたすらやり続けるだけなんです。もう俺には先が長くないと思った人は多分しないでしょう。あなたなぁーらどうするー、あなたなぁーらどうするー。
動きが見える部分のことを書きましたが、動きが見えない部分もあります。顔、首、胴体。これらも何らかの訓練をしないと回復しません。ただ正常な半身にくっついて動きますから正常に動いているように見えるだけです。意識して動かしていれば回復するでしょう。回復したときの喜びは手足の比ではありません。身体全体のポテンシャルが格段に上がり、目に入る光も変わります。それは、ある日突然来るのです。そして、胴体も麻痺していたのだと分かるのです。
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