お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォキング「『脊振千坊聖茶まつり』で茶摘み体験ウォーキング」

2015年05月17日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日も先週に続いてJRのウォキングに参加しました。

コースは9.5㎞3.5時間の急なアップダウンがあるコースとなっています。

電車で吉野ヶ里駅に降りると沢山の参加者が降りてきます、受付を済ませ駅の階段から降りると沢山の人が並んでいます。

駅から無料シャトルナスで脊振山系の中腹にある「道の駅吉野ヶ里」まで送ってくれます。

私はバスから降りて物産館「さざんか千坊館」を見ることにしました、ここでは地元で採れた農産物や脊振山系の天然水を使った焼きたてのパン、旬の素材にこだわった料理等を味わうことができます。

いよいよウォーキングの開始です、「さざんか森林浴歩道」に入って行き・・・最初からきつい山道の坂を登ると展望台に着きます・・・景色は霞んで良く見えません・・・佐賀平野が微かに霞んで見えます。

ゆるい上り坂を歩いているとループ橋の下に出ました、ループ橋からは両側から木々が生い茂る遊歩道となっています。

木々の木陰は涼しく、水の流れている所では冷たい空気が動いています・・・木々の中から小鳥の声が聞こえてきます・・・足はきついけど気持ちの(・∀・)イイ!!疲れを感じます。

約1時間遊歩道を歩き杉木立の中に来ました、「霊仙寺跡」に着きました、霊仙寺跡は8世紀初頭の和銅年間から江戸時代にかけて存在した寺院の遺跡です。

最初に左手に「霊水石」があり、水上坊の裏手の湧水源にある石碑で、梵字ぼんじが刻まれています。説明では戦時中までは、豊作を祈願してこの湧水を汲んで、 田植え時に蒔くことが地元で行われていました。

【水上坊跡】
平安~鎌倉時代にかけて、霊仙寺の中心的位置を占めてた坊であったと考えられていますが、戦国時代にはかなり勢いが衰えてしまい、近世になると、 坊間の争いに敗れて荒廃してしまったようです。昭和52年の調査では3間x4間の建物の礎石や基檀、石組などが見つかっています。

【乙護法堂(霊仙寺跡)】
背振山山頂付近の神崎市教育委員会の案内板によれば、乙護法堂は和銅2年710 元明天皇の勅を奉じ湛誉上人が創建し、九州第一の大伽藍であったという。




乙護法堂の前では冷たいお茶の接待があり、私は木陰で( ´ー`)y-~とお茶を頂くことにしました。



乙護法堂のすぐ前の坂にはお茶畑があり、希望者はお茶積の体験ができるようです・・・茶畑の中には絣を着てたすき掛けの女子高生風の5人が茶摘みをしています・・・何だか慣れていないようです???

茶畑の脇を降りていくと、途中に石上(いわかみ)坊跡の標識があったのでコースから外れるのですが行って見る事にしました。

【石上(いわかみ)坊跡】栄西が背振山に滞在したとき、宋から持ち帰ったお茶の種子を蒔いた場所と伝えられ、 これが日本での茶栽培の始まりであると言われています。 現在は石垣の一部と茶の古木が残り、栄西が滞在した当時をしのばせます

しめった山道を滑らないように注意しながらやっと着いたところは何もなく・・・少しだけ平たくなっていて苔むした岩があるだけでした┐(´ー)┌ フッ

それからは急な下り坂を歩き・・・下りは歩きづらいもんです・・・車道に出るとやっと青々とした山の景色を楽しむことが出来ました。

歩いていると急に広い芝生と新しい建物が見えました・・・今日のゴール地点の「山茶花の湯」です、此処には佐賀平野と脊振山脈を望む大浴場をはじめ館内は、食事処、ほぐし処、直売所などがあります。

私は温泉に入らずに吉野ヶ里まんじゅうをお土産に買いBBQ場所の前でバスを待ち、吉野ヶ里駅に帰ることにしました。




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