昔の儒者は自ら道徳を樹立して
人を教え世を導く師であった。
まさに「師は厳格であり、
その説く所の道理は尊いものであった」
ところが、昨今の儒者は、
言葉をいうだけであり、
その言葉も徳によれるものでなく、
つまる所、本物の影か響を
しめすだけであるからして
何の厳格な所などあろうか。
これは他人事ではないのだから、
自分も反省してみなければならない。
「言志晩録」 佐藤 一斎 著
人気ブログランキングへ
人を導き説くためには
書物によりて学ぶことが肝要
さらに、経験にうらずけられたた知恵が必要
自分に厳しく
他人に優しい人でありたい!
解ってはいても
ついつい、俺が俺が...!
と自慢話しばかり
聞くものには耳の煩わしい話し
なんでそうなのかと思うけれど、
気がつけば俺が俺が,
そのくせ、人には
「自分中心の発想から目線をかえて
世のため人のためと説く」
話す人も聞く人も、
よくわかってはいるがまるで変わらない
人を導くは並大抵ではない
早起き鳥
人気ブログランキングに参加
読者の皆様のご支援に心から感謝申し上げます。