トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

疲れがとれない

2015-08-29 21:13:36 | 
心が疲れてしまって、なかなか本調子にもどりません。

毎日、自分の嫌なところばかり気になります。

一日が終わって、気がつけば、誰ともなく、ため息と愚痴ばかり漏らした自分に嫌悪します。

どうしてこうなってしまったのか。

離婚した時もどうしてこんな事にと考えていました。

今も、どうしてこんな事に巻き込まれてしまっているのかと毎日考えています。

離婚した時も

どうしようもなかったという結論を毎日ぐるぐる自問自答してたけど

今回もやっぱり
「どうしようもなかった」です。

避けようにも避けられない出来事があって、避けようと思えば避けられたはずという答えがあっても
やっぱり自分には「どうしようもなかった」しか浮かばない。

それなら、受け入れてがんばろう。終わりまで流されていこうと思えば良いものを
もがいて、逃れたいという思いに憑かれているのです。

もう3年位前になりますが、私には幼馴染の女の子がいました。

足が不自由で、田舎で近所に友達がいなかった私には彼女は気のあう友達でした。

上手く走れないけれど、すぐ転んでしまうけど、彼女はそんなことは関係なく、二人で
山の中で崖登りをしたり、スキーをしたり、遅くまでかまくらを作ったり、楽しかった。

足が不自由な事で、差別やいじめにあっても彼女は負ける事はありませんでした。

私の子供の頃はとにかく子供が沢山いました。
お隣は100メートル先の土地柄に沢山家がならび、学校は増築しても増築しても足りず、
クラスには子供が溢れていました。

そんな沢山の人間関係に彼女は次第に疲れて、常に胃薬と頭痛薬が欠かせない状態になっていきました。

私は一人だった友達が二人になり三人になり、いつしか彼女とも疎遠に。

結婚して数年経った頃、彼女から一冊の本が届きました。

その年の年賀状を病気で療養中だっために出せず申し訳ないので、もう夏だけどお礼状とともに
私が救われた本を送ると書いてありました。

世の中とのかかわりに疲れ、精神的にまいってしまい、布団から全く起きれなくなってしまった彼女は
ひとつの救いの教えにたどり着いたのだそうです。

そのおかげで心も元気になったと書いてありました。

ずっと頑張ってきた彼女が、それが支えとなって生きられるのならそれは良かったと安堵しました。

しかし、私が離婚したと知った途端、彼女は頻繁にメールと電話をかけて、
「一度お話をしましょう。私の知り合いも一緒だけど、とても気さくな良い人だから」
と誘い、必ずあーちゃんを連れてくるようにと言いました。

私は、断り続けた。
あーちゃんを一緒にと言われる事に、不安を感じるようになり、いつしかメールも、電話も避けるように
なってしまいました。

それでも彼女は毎年、お正月の年賀状と、誕生日のメールを送ってくれました。

3年前の誕生日も
「お互いに年をとりましたが、頑張りましょう」と書いてありました。

彼女とは誕生日も近かったけれど、私から返信する事も、誕生日のメールも送りませんでした。

申し訳ない。後ろめたいと思うけれど、返信することでまた電話がかかってきてしまう事をとても
不安に思っていました。

その1週間後、実家の母から彼女の家で何かあったらしい。とメールが来ました。

救急車がきて、誰も乗せず去り、そのあと黒服の人が沢山入って行って、黒い霊柩車のようなワゴンが
きたという事でした。

集まった近所の人が「お姉ちゃんがなくなったらしい」と言った。
彼女には妹もいたので、どっちのお姉ちゃんかは誰にもわかりませんでした。

その後、彼女も妹もだれも見ていないと、ただ姉妹のお母さんだけが草刈りに出ていたり、
近所に教えのチラシを配ったりしていると。

ずっと気になっていました。

逝ってしまったのは彼女なのか、妹なのか。

今年のお盆に、掃除をしていると、本棚の隙間から一枚の手紙が出てきました。

それは彼女が退院後に本とともに送られた手紙でした。

引っ越しですべての荷物を運んで、その本棚から出てくるはずのない手紙でした。

彼女の懐かしい文字を見て、逝ってしまったのは彼女なのかもしれないと思いました。

私が今、どうしようもなかった。と心で呟いているように

彼女も「どうしようもなかった」言っているように思えました。

生きているとこんな事がいつも起こります。

良い事があれば、悪いことが起こり、楽しい事が起これば、悲しい事が襲ってきます。

そして、常に「さびしい」と感じるのです。





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4 コメント

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Unknown (ひろみ)
2015-09-09 12:38:00
こんにちは。元家族達と暮らしていたころのこと。家族団らんの夕食時にみんなが一つのことで笑う瞬間に私は『些細なことだけど幸せってこういうものをいうんだろうな』と思いました。すると数日後に夫のギャンブルによる借金が発覚!
そのときに『私は幸せだと思ってはいけないんだ』と感じました。

時が経ち、元家族達と離れ自分の空間を持てるようになってもあの時の「幸せだと思う」ことに恐怖を感じていた時期がありました。
しかし、今思うと私自身が歩む人生が正しければ、良い出来事の次にはもっと良いと思える出来事が起こり始めることに気付かされました。

良いことの次に悪いことが起きると信じていると、現実にそうなってくると私は感じます。
少し嫌な事でも、その中のメッセージを受け取れれば同じことは起こらないように思います。

ご自分が決断されたことは「どうしようもなかった」ことではなく「それを選択したことが良かったこと」なんだと私は思いますよ。
私からのおまじない・・・
落ち込んだときは、空を見て深呼吸、そして
『大丈夫、大丈夫』とつぶやいてみてください。大丈夫ですよ!
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ご無沙汰してます (なお)
2015-10-05 18:28:37
ちょっと、前のブログにコメントさせてもらっていいですか?
私も同じことあるんで。実は、私のいとこも数年前自殺したんですが、 うつ病で よく奥さんや親に言えない悩みを私に電話してきていたんですが、夕方の忙しい時間に電話がかかってくるので、長くは、話せずよくこちらから切ってしまってました。
病気がちな人の気持ちは、プロや支援の方とかかわっていかないとむりなんで、ちっこさんは何も悩む必要はないし、人間だから、友人だからそんな寂しいことがあると、後悔、前向きになれないなど、たくさんあると思います。それでいいんですよ。ちっこさんは、私にとって何年も良き発達障碍児を持つ先輩ママだし、一人で子育てしてきて すばらしい方ですから。
頑張ってくださいね。
私も友人だと思ってた人に かなりきつい言い方で最近、心を痛めてますが ちっこさんの文を読んで 温かさを感じました。ありがとうございました。
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ひろみさんへ (ちっこ)
2015-10-05 21:41:15
優しい言葉をかけてくださっていたのに、
お返事が遅くなってしまい、すみません。

どうにか生きています。
心が疲れてヘトヘトでも、日々色んな事に追われ、
トラブルも容赦なく襲ってきます。

疲れていると何でもない事も不安になり、自分で自分を
疲れさせていると分かっていても、これまたどうしようもない、自分ではコントロールできない悪循環にいるようです。
「大丈夫、大丈夫」空を見上げてみれば、随分空が冷たく高くなってきました。

ありがとうございます。
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なおさんへ (ちっこ)
2015-10-05 22:00:32
3年前は全く母の話を受け入れられずにいました。
彼女との関わりは、ブログの最初の頃に随分綴っていました。
生まれた時から近所で、物ごころがついた時から一緒でした。
とても頭がよく、感性が強く、詩人でした

このブログも随分月日が経ちました。
これまでもずっと辛い時にいつも声をかけてくださって
感謝しています。

ありがとうございます。


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