トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

長いトンネル

2006-09-12 13:29:29 | 元夫婦
あれから喫茶に逃げ出した私。
喫茶と言っても近くのスーパーの一角に小さな椅子とテーブルと100円で好きなコーヒーが選べる自販機が置いてある

そこに本を持って逃げてきた
キャラメルコーヒーを出して一口飲んでようやく落ち着く事が出来た

出掛けに夫に「ちょっと出かけてくる」と言い残して娘も置き去りに逃げてきた

読みかけの本に目を落とすけど頭の中には入ってこなかった
「あー。もう帰りたくない」
大きくため息をついてフッと思い出した
前にもこんな事が良くあったなと思った

姑を匿っていた頃
それは臭いとの戦いだった
自分から姑を連れて逃げて来たのだから介護の愚痴など言ってはいけないと思っていた

姑は何でも諦めて受け入れてしまう人だった
だから私のする事にも全く文句をいう事もなかった
自分から動くという事もない

歯磨きすら私が歯ブラシを持ってベットへ行かなければ磨かない
姑はシソーノーローが酷く、ため息をつくだけで部屋中に魚が腐ったような匂いが充満した
失禁した服も私が取りに行かないとベットに掛けていたり
丸めてベットの下に押し込んでいたりした

姑のベットは居間に置いてあったので食事をする時もアンモニアの臭いがプンプンとしていた

どんなに芳香剤を使ってもその臭いを消す事は出来なかった

洗濯物は洗っても洗っても臭いが消えなかった

介護を始めて周りの友達は口々に言った
「凄いわー。ちっこさん。私には真似できないわ。偉いわー
私なら離婚してる。夫の親となんて絶対同居できないわ。本当に偉いわー」

私が少しでも愚痴ると口々に「凄いわー」と始まってそれぞれの姑の悪口合戦になっていった
夫に愚痴れば「だから追い帰しちゃおう」としか言わなかった
夫も姑とのストレスに悩んでいた
私が愚痴るより夫のを聞くほうが多かった

私は誰にも愚痴をこぼす事もなくなった

気持ちに蓋をし何でもないように振舞った
どんなに愚痴っても状況が変わるわけじゃない
アル症の舅の所に置いておくよりずっと良いんだ
私が連れてこようと言い出したんだから。
いまさら帰ってなんて言えないしそんな事は無理なんだから・・・

そう何度も自分に言い聞かせた

半年も経った頃から姑は訪ねてきた親戚やデイの人に
「好きで此処に来たわけじゃない」と私の前で平気で洩らすようになった
「私は連れてこられたんだ。頼んだわけじゃない」

「じゃあ。帰れよ」と夫が怒ると
「見捨てるのか!」と喚くようになった

姑も舅と家が恋しくなって来ていたのだろう
傍から見れば地獄のような家でも姑にとっては長く住み慣れた家だった

今の生活が安全であればあるほど恋しく思えたのだと思う

「私は好きで此処にいるわけじゃない」

その言葉は私の力をどんどん奪っていった
私は何のためにやっているのだろう
これからどうなって行くのだろう

スーパーからの帰り道が遠く遠く感じた

いつしか家の門が見えると「あー。帰りたくない」と呟くようになった

あれから2年。
まだ私は同じ言葉を吐いている

トンネルはまだまだ抜けられそうもない