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イエズス・キリストは天主か?(その2)

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 イエズス・キリストは天主か?

 シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト 【第三の証明】を見てみよう。


【第三の証明】

 キリストは、ご自分が天主であると主張しているが、人間キリスト、自然宗教の教師として見た、キリストの完全な人格は、キリストが天主であったという証明である



【証明の概観】

 キリストは、単なる人間として見ても 、人間史上にふたりといない、最も完全な人であり、自然宗教に関する、最も優れた教師でした。この点、反対論者たちのあいだにも異論はありません。ところが、この偉大な人物が情熱をこめて、自分は天主である、とくりかえし力説しています。それゆえ、キリストの主張、すなわち、キリストが天主であるという主張は正当であると結論せざるをえありません。そうでなければ、最も崇高な人物が、気違いか、あるいは、天主の冒涜者であった、という矛盾におちいってしまうからです。

 現行の論証をすすめていくにあたって、私達は、不本意ながら、反対論者の立場にたって、キリストを見ていくことになるのです。反対論者たちの主張によれば、キリストは単なる人間であって、自然宗教の教師にすぎないのです。すなわち、キリストとは人間理性の力だけで発見することができる、宗教と道徳とに関する真理の教師であるのです。論証をはっきりさせるために、キリストに関するこういうまちがった見解を、しばらく認容していくことになります。従って私達は、キリストの素描を描きだすにあたっても、キリストが天主であることを示す言葉なり、行動なりには目を閉ざしていくという、きわめて不自然ないきかたをするわけです。キリストの教えを理解する場合に、キリストを単なる自然宗教の教師と見て、超自然宗教の真の教師という面を見ないとしたなら、まちがいなく不完全なものになるということは、あらかじめ承知してとりかかってもらいたい。キリストは、すべてを超自然の光によって見ることを教えているからです。すなわち、人の目にはどんなによく見える行為でも、人間理性では悟るのことの出来ない天主の奥義を信仰によって潤わせていなければ天主の前ではなんら価値がない、と教えているキリストの本当の教えが、そこには浮かび上がらないのです。



【単なる人間として見たキリスト】

キリストの出生地と、人びとに与えた影響。

 キリストの雄弁と沈黙 --- キリストは、パレスチナでも特に文化のおくれた地方、ガリラヤの寒村ナザレからやってきました。そのとき、人びとは愕いて、「ナザレからよいものがでるものか 。・・・彼はマリアの子供で、大工ではないか。彼は勉強したこともないのに、どうして聖書を知っているのだろう 」などと互いに噂しあったものです。ところが、この職人は、誰も、けっして抵抗することができないような、人の心を支配する素晴らしい才能をもっていたのです。彼が人びとを呼ぶと、彼らはだまってついて来ました。家も、両親も、舟も、網も、財産もすててついてきたのです。かれには、不思議な話しかたをする天分がありました。深い世界観を、やさしい言葉で表現するすべを知っていました。彼の唇から流れでてくるものは、本当にわかり易い、したしみぶかい喩えでした。たどえば、銀貨をなくして一生懸命に探す女の人とか、古い袋を繕う人とか、見うしなった羊を探しに出て行く羊飼いの物語などでした。ときにほ、高遠な思想を、単純な、美しい言葉にのせていました。キリストは静かに、野に咲くユリを指さして言いました。「ソロモンですら、その栄華の極みにおいて、この一本のユリの花ほど美しく着かざってはいなかったのだ」と。善良なサマリア人とか、放蕩息子のたとえでは、愛の教えという、キリストの最大の教えを、教育のない聴衆のたましいに植え付けて行きました。また、「労苦して重荷をせおっている人びとよ、わたくしのところにくるがよい。わたくしはあなたたちを回復させてあげよう」という同情にあふれた言葉で、直接人びとの心にふれて行きました。弟子たちに残す最後の談話において、キリストは厳粛に、しかも、別離と死とのかなしみをこめて話しながらも彼の聖業が、けっして失敗したのではないという、確信を、さりげなく吐露しています。人びとが、キリストの講話を聴聞するために、食べることすら忘れて、なん日も跡をついていったということは、少しもおどろくにあたりません。敵にまわっていた人たちでさえ、「これまでに、この人のように話す人はいなかった」と感嘆しているくらいです。キリストは、雄弁という天分ですぐれていたばかりでなく、間髪をいれない論争の逆襲とともに、意味深い応答を与えて、反対者たちがたくらんでいる罠を外し、彼らを狼狽させました。彼らは、なん度も両刀論法といわれる、骨定しても否定しても罠にかかるような質問をでっちあげて、キリストを窮地におとしいれようとたくらんだものです。しかし、キリストは、深い英知をもって、腹黒い彼らのたくらみを洞察し、あげくのはてに彼らをへこませました。キリストは雄弁ではありましたが、また同時に沈黙することを知っていました。法廷審問では、返答することを誓ったときには、はっきり答弁しましたが、、証人たちが偽証をならべたてているときには、ひとことも言いませんでした。話す必要を認めなかったからです。案の定、証言が相互に食い違いひとりが他を困惑させる結果に終わっています。証人たちの証言に失望したピラトは、なおも何かを探しだそうとして返答をうながしたが、「彼は、ひとことも返答しなかったので、総督は、ことのほか賛嘆した」のです。ペトロは、キリストを知らないといったとき、キリストは唇でははなさず、深い瞳でじっとかれを見た。それでたくさんだったのです。ペトロは師の心を読みとって、外へ走りでて、思いのままに泣いています。


 キリストは、誇り高い勇気と純粋な性格のもち主でした。 ---- キリストは強固な意志をもっていたが、だからといって、けっして強情ではありませんでした。ガリラヤ出身の貧乏な大工にはちがいありませんでしたが、高慢で、権力をもっていたファリザイ一派の人びとを、少しも怖れませんでした。キリストは、ファリザイ一派の人びとの偽善と強欲と頑迷とを、真っ向から非難しています。彼らの憤激が、キリストの血を見るまではおさまらないということをよく承知していたにもかかわらず、正義の痛憤にもえて、彼らを打ちこらしました。キリストは、なん度も殺される目にあっています。一度は、熱狂した群集が、かれを断崖につれだし、投げおとそうとしました。ところが最後の瞬間に、キリストは平然と彼らの手から逃れていった。受難のときがきて、敵につかまったときにも、一言の訴えも、弁解もせず、教義の訂正も撤回もしてはいません。呵責ない鞭が、肉をひきさき、とうとい手と足とに釘が打ちこまれ、十字架にかけられたときにも、あわれみをねがう声をあげたりはしありませんでした。みじめだったのは、かえって敵であったようです。キリストが、罪悪のあることを証明せよ、と彼らを難詰しても、一言の返答もできず、みな黙っていた。多くの敵の前で、あらゆる視角からつつかれながらもひとつの欠点、何かのあやまちでもあったなら、指摘し証明せよと反問した人は、人類史上キリストをおいて他にはいないのではないかと思われる。裏切り者のユダでさえ「わたくしは、義人の血を売って罪をおかした」と後悔の叫び声をあげています。法廷では、敵たちが総力をあげて狂奔したのだが、へロデもピラトも、キリストにはいかなる罪をも見いだすことができなかったのです。剥き出しの憎悪の目が、キリストのすべてをあますところなくねめまわしたのだが、キリストの高潔な人格には、一点のシミをもみつけることができませんでした。キリストは利己主義者でもなく、拝金主義者でもありませんでした。熱狂した民衆が、かれを王にまつりあげようとしてさわぎたてたときも、キリストは密かにのがれています。キリストはほどこしをうけなければ、生活していくことが出来ませんでした。それで、奇跡でもおこさない限り、神殿に税金を納入することができなかったのです。もって生まれた天分をつかったなら、どんな地位にでもつくことができたろうに、実際には「頭を休めるところすらなかった」のです。


 実に、キリストは真理を教える人として、貧しく、家もなくさまようことを、むしろよろこんでいたのです。キリストは、確固たる個性のもち主ではあったが、だからといって、強情な人ではありませんでした。財産家の青年を仲間に欲しかったからといって、大切な教義をまげたりはしませんでした。しかし根本的なことが問題にならない場合には、どこまでも譲歩していくことを知っていました。カナンの女の人が、娘の病をなおしてもらいたいといって、うるさくつきまとってきたとき、キリストは、身をかくしてまでのがれようとしたが、結局、この人の深い信仰に感心して、すぐに娘をなおしてやりました。


 キリストは、誰にも好かれる親切な人で、また礼儀正しく、気高く、謙遜で、愛の深い心の持ち主でした。 ------  キリストは、わけへだてなく、誰とでもよろこんで交際したので、敵たちが、「税吏や罪びとたち」と会食するといって、文句をつけているくらいです。当時のユダヤ人たちは、サマリア人とは口をきくことさえしませんでしたが、キリストは井戸のそばで、サマリアの女の人と話しあっています。キリストは、友人マルタ、マリア、ラザロの家によろこんで招待されて行きました。ふたりの使徒、ヤコボとヨハネとには、謙遜でなければならないということを、やさしく諭してきかせました。ニコデモは、ファリザイ人ではあったが、よい意向をもってやってきたので、もちろん、親切にもてなしてやりました。キリストが、謙遜の大切なことを使徒たちに教えたのは一度や二度ではありません。使徒に召されたものは、けっして現世の王のように、人びとに君臨するという態度をとってはなりません。むしろ、下僕のように、人びとにつかえるものでなくてはならない、と諭してきかせました。最後の晩餐では自分自身弟子の足を洗ってやって、下僕となる態度を示しています。またキリストは深い愛情のもち主でした。三年間の宣教生活は、つきることのない愛の流露でした。病人や罪びとは、ひきもきらずにやってきましたが、キリストは、彼らの精神とからだとの病気をなおしてやったのです。キリストの生涯は、罪とかなしみと苦痛とに打ち勝つ日々の凱旋であったといっても良いでしょう。キリストは、破れん恥の罪をおかした、不幸な女をたすけてやりました。キリストは興奮している訴人たちに、「あなたたちのなかで、罪のない人が、まずこの女に石を投げるがよい」とも言いました。そして、彼らの良心の奥底までも見とおしていたので、彼らは恥じひそかに逃げさったのです。寡婦のたったひとりの男の子が、墓にかつがれていくのを見て同情し、生命を返してやりました。また、かわいそうな癩病者たちに、少しのためらいもなく、やさしい愛の手をさしのべています。キリストは、かれ自身にとっても、ユダヤ人全体にとっても、民族精神のささえになっていました。なつかしい都、聖なるイェルザレムを見て、激しく涙を流して言いました。「イェルザレム、イェルザレム、預言者たちを殺し、遣わされた人びとを石で打つものよ、雌鳥が、羽の下に、ヒナをあつめるように、わたくしはいくたびか、おまえの子らを集めようとした、しかしおまえは拒んだのだ」と。おそらく、キリストには、私達に想像もつかないような、あたたかい愛がみなぎっていたのでしょう。でなければ、どうして母親たちが祝福してもらいたいといって、自分たちの幼気な子供たちを、わざわざ彼のもとにつれていったでしょうか。使徒たちが子供たちをおいはらおうとしたとき、キリストは弟子たちを叱って、おさなごたちを抱きあげて、祝福をあたえています。十字架の苦痛が、たえがたいほど激しく迫ってきたときでさえ、彼の心にはかわりない愛がみなぎっていたのです。昔からの友に対する真実の愛、罪びとの改心をまち望む心、迫害者、罵倒する人びとまでもゆるす、いわば大洋にも似た大きな愛にあふれていたのです。十字架上の苦闘のために、全神経がけいれんをおこしているときに、聖なる母をおもい、使徒聖ヨハネに、聖母の子となって仕えてくれるようにたのんでいます。今の今まで、かれに反抗していた泥棒にも、ひとたびまことの痛悔を起こすや、すはらしい希望にみちた言葉を与えて、祝福をおくっています。キリストは、実際に自分を十字架に釘でうちつけた、それらの人びとのために、罪のゆるしを天父に懇願しました。とごろが、当人たちは、その言葉が発音されている同じときに、なおキリストをあざけり、侮辱し、罵り続けていたのです。


 キリストはすべての徳の模範です。 ------ 天主に対する完璧な愛と、天主の聖意に対する完全な服従とに(自分の意志であるからではなく、あなたの意志が行われるように)前にもあとにも、人間にはかつて見られなかったかたちで、キリストは、謙遜、勇気、忍耐、温和と愛などの諸徳を一致させていたのです。彼は勇敢で、意志の人でした。何者をもおそれることなく、自分の内心を披瀝し、提唱する教えに殉じた。彼はけだかく、礼儀ただしく、温和でした。しかし、利己的な人ではありませんでした。どんなに矛盾した言葉をきいても、軽蔑されても、くるしめられても、天から遣わされた人類の教導者としての品格をそこなうような言葉を、発したことはありませんでした。キリストの慈愛には弱さがなく、熱心と誠実には、忍耐がともなっていました。。堅固な性格をもっていたものの意地を張ることはありませんでした。深い思索家であったが、行動の人でもあったのです。目はいつも天にむけられていましたがそれにもかかわらず、弟子たちの弱さにたいしては、いつも同情し、くるしんでいる人や、かなしんでいる人びとには温情にあふれ、罪を激しく憎み、罪びとをいたわる深い愛に燃えていました。キリストは、どのような立場にいる人にも、マテオかなる時代に生活する人のためにも、立派な模範であり、私達には、到達することができないものではありますが、人間として最も崇高な理想を、すべての人に与えるインスピレーションでした。


 合理主義者たちの証言 ------  信仰をもっている人も、もっていない人も、まじめに、福音書を研究した人ならば、誰も、キリストの優れた人格を認めるということに異論を差し込まないでしょう。合理主義者ラッキーは、「世界に、理想の人格者(キリスト)をおくることができるということは、キリスト教の一大特権であろう。彼は、時代がどんなに変わっても、過去十八世紀にわたって、人びとの心に熾烈な愛の感動をおこしてきた。時勢が変わっても、国民性とか環境などがちがっても、この理想的な人格を、誰もが自分に実現しうるものであることを示してきた。キリストは、単に善徳の最高の水準を自分で確保していたというだけではなく、人びとに善徳をおさめさせる強力な刺激でもあった。そうであるからこそ、彼の影響はおおきく、わずか三年間にすぎない、彼の実生活に関する簡単な記録が、哲学者たちのすべての論述や倫理学着たちの説教を全部集録したものよりも、人びとを改心させ、平和を与えてきたのである」といっています。


 単に、自然宗教の教師として見た場合のキリスト ----- 推論をやさしくするために、一段と優れたキリストの教えを、ひとまずさしおいて考察しても、人間として完全であったキリストが、また真理の唱導者として、最も優れた人であったことがわかるのです。反対論者たちの見解によれば、これらの真理は、あるいは自然宗教の分野におさめられてしまうかも知れません。しかし、愛の律法に関する教え、誠実に関する教え、人間の霊魂のなにものにもかえがたい価値に関する教え、人間道徳の優れたことに関する理想などの諸教義を見ても、キリストは全く独創的な人物で、他に匹敵する人はいません。キリストはソクラテス、その他の人びととはちがって、「権威のある人として」教えたので、光を手さぐりしながら教えたのではありません。彼ははっきり、疑う余地がないものとして教え、自分自身が、その教えの生きた手本になっています。


 愛の律法に関するキリストの教え ----- 当時のユダヤ人たちは、律法のうちで、どれが最重要なものであるかについて、はげしく論争していました。ある人びとは犠牲祭の掟が最重要であるとし、他の人びとは、サバトをまもることが最も大切な掟であると言いました。これにたいして、割礼がより重要な掟であると主張してゆずらない人たちもいたのです。ところがキリストは、世間に流布されている、こういう見解は、どれもこれも取るにたりない愚論である、とこれらを一蹴し、成聖の土台は何かをはっきり示しています。すなわち「すべての律法はつまるところ、一つの掟、愛の掟に要約されるのです。天主への愛、隣人への愛である」といっています。キリストは、最初に彼の教えをひろく展開してみせた山上の説教で、愛の掟が広範な内容をもっていることを教えています。「隣人」というのは、当時の常識からすれば、イスラエル人同志か、親しい外国人をさす言葉でした。ところが、キリストは、隣人の意味するものは限定されているものではなくて、すべての人が隣人なのだと教えました。ひとりの例外もなく、善人も悪人も友人も敵もみな隣人です。人びとは相互に愛しあわねばなりません。なぜなら、みな兄弟なのだから。彼等はみな兄弟です。なぜなら、みな同じ天の父の子らだからだ。父は一切の人を愛し、摂理の祝福を与え、正しい人にも不正な人にも、同じように日光をおくり、雨をふらしてくれます。羊飼いが、見えなくなった羊を探しにでかけるように、父は、罪びとを探しに行きます。シナイ山で雷光のなかから話しかけた天主は、愛と慈悲とにあふれている父なのです。人びとは、自分たちがゆるしてもらいたいように、他の人をもゆるさなくてはなりません。なぜなら、兄弟に拒絶したことを、どうして彼らの父に願うことができるでしょう。キリストが教えている愛の掟は、つまり、「天主は、あなたたちの愛する父であるから、天主を愛さなくてはなりません。あなたたちはみな、父なる天主の子らであるから、たがいに愛し、ゆるしあわなくてはなりません。人は誰でも愛されたいし、ゆるしてもらいたいのだから、兄弟たちをも愛し、ゆるさなくてはならない」ということになります。イエズスは、教えを説くほかの人たちとはちがって、人びとを天主と和睦させ、天主に近づけました。キリストは、あたたかい、心からわきでる愛をもって、天主にたちかえることを人びとに教え、また、隣人のうちに、天主のすがたを見いだすように、とさとしています。


 誠実の掟に関するキリストの教え ------  外面だけで聖人をよそおって、内面の罪を軽く見ていた律法学士や、ファリザイ人たちの、いわゆる聖性を、キリストはもちあわせてはいありませんでした。キリストは彼らにいったものです。「なんとおろかな人たちでしょう。そとをつくったお方は、内部をもつくったのではないか」と。天主は、人間の肉体と霊魂とのつくりぬしであるから、人間は双方をもって天主につかえなくてはならないのです。私達は心の庇から、いかりと不潔とを洗いきよめなければなりません。つまり、私達の聖性は、あくまでも健全なものでなくてはならないのです。


 人間の霊魂の価値誼強調するキリストの教え ------ 人間の霊魂は、この世のいかなるものにも比較できないほど、価値あるものです。友だちをうしなうこと、全財産をなくしてしまうこと、生命それ自体をうしなうことでも、霊魂をうしなうことにくらべたなら、たいしたものではありません。「人、もし全世界をもうけたとしても、自分の霊魂をうしなったなら、なんの利益になるか。また、人間は、その生命を何ととりかえることができよう。自分の生命をすくおうと思う人は、それをうしない、わたくしのため、そして福音のために自分の生命をうしなう人はそれをすくうのだ」キリスト以前にも、これらの真理を理解した人が全然いなかったわけではありません。しかし、みな漠然として、いかにもとりとめがなかったのです。霊魂に関して、明瞭な、そして透徹した教えを与えた人は、実にキリストをもって嚆矢とします。


 卓越した人間道徳に関する、キリストの理想 ----  深く天主を尊敬すること、天主の聖意に完全に服従すること、完全な自己放棄という、英雄的な精神をもって、よろこんで天主につかえること、これがキリストの理想とする卓越した人間道徳の理想でした。



むすび


(1) 以上のように、キリストは、単なる人間として見ても、完全な人であったが、宗教の教師としても、卓越した、他に類例を見ない優れた人物であったということがわかりました。ところが、キリストは、天主であるということを情熱をこめて、あくまでも強調しました。従って、私達は、彼の主張が正しいこと、すなわち、キリストが天主であることを認めなくてはなりません。さもなければ、一つの非常に不合理な結論に直面することになります。それは、キリストが、詐欺師か、または、自己欺瞞の犠牲者であったという結論です。換言すれば、人類史上に現れた、最も完全な人が、恥を知らない嘘つきで、天主を汚す、狂人であったと言わねばならなくなります。合理主義者たちは、こういう結論に導かれます。もし、彼らがこの矛盾を知る時がきたなら、彼らの主張がすべて崩壊することを、覚悟しなければならないのです。


(2) キリストの品性 ――― キリストの英知と善、キリストの清浄さ ――― などは、私達には想像もつかないほどすぐれていて、普通人の能力をはるかにこえ、完徳の奇跡と見られるべきものです。従って、天主の特別な干渉に帰すほかには、説明不可能です。ということは、キリストの品性それ自体が、彼の教えの真理性を立証する天主の証明でもあり、キリストは天主であるという証明になる、という意味です。

 

 以上、シェアン司教著 「護教学」 より http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!


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