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ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい : 福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?

2006年05月30日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

 福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?


ダ・ヴィンチ・コード「新約聖書の四福音書、すなわちマテオ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は、四世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスによって選別された。何故ならこれらがイエズスを天主であると表現していたからだ。その他のそれよりも古い「福音書」は、回収されて焚書された。そのためにイエズスの人間的な面影が記されてしまった。これらの焼かれた書は「外典」と呼ばれ、イエズスの本当の姿を描いている。」


歴史 「新約聖書に含まれる四福音書は、紀元五〇年から一〇〇年の間に編集された。初期の段階からキリストに関する書き物が出た(これは「外典」と呼ばれる)が、キリスト者はそれを使徒達からの教えと矛盾しているとして受け入れなかった。キリスト教を信じない人々にとっても、新約聖書は歴史書としてキリストの生涯を知るために最も信頼できる史料である。」


 新約聖書は、イエズスの「人間的な側面」を隠したことがない。それは、「女から生まれた」キリストの幼少時代を描き、その渇き、疲労、涙、苦しみ、死を描く。その反対にグノーシスの「福音」と呼ばれるものは、出来事が起こってからずっと後に編纂された、極めて後期のものであり、史実の文脈を離れた言葉などが挿入され、キリストは、神秘的で現実離れした、超人間的な智恵の師として描かれている。


 初代教会の著述家と教父らは、この新約聖書に含まれている四福音書について多くの証言を残しているし、古代の数千という多くの写本が存在している。比較すると、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』の最も古い写本(断片)は、9世紀から10世紀のものである。紀元110年に書かれたタキトゥスの『年代記』の最古の写本は、9世紀と15世紀のものである。フラヴィウス・ヨゼフスの『ユダヤ戦記』の最古の写本は、10~12世紀のものだ。多くの古代の作家は、後期の断片によってしか知られていない。


 しかし新約聖書の最古の完全な写本は四世紀のものが存在している。これは他の古典と比較すると例外的に古い。紀元130年のパピルス写本(Papyrus Ryland)には聖ヨハネの福音の断片があり、2世紀末葉のボドメール・パピルス(Papyrus Bodmer)には、その他の新約聖書の断片と共に、聖ヨハネの福音が完全に掲載されている。新約聖書の最も初期の段階から、すべての写本は、ごくわずかなヴァリアント(差異)があるにしろ、原文の忠実な伝達が証明されている。


 コンスタンティヌス皇帝は聖書を改竄することが出来たか? 

 ダ・ヴィンチ・コードの主張することは、現代のプロパガンダと出版を想定しなければ出来ない。しかしコンスタンティヌス皇帝の時代は、新約聖書は既に少なくとも2世紀の間、使徒から忠実に伝えられたものとして特別の崇敬が払われていた。数え切れないほどの写本がローマ帝国中に散在していた。わずかな変更でさえ数百万のキリスト者が受け入れるのを拒否したことであろう。


 「霊感」を受けて書かれた正典目録に対して、「外典」(アポクリファ)とは、正典以外のもので、様々なものがある。多くは想像の産物で、内容は幼稚である。3~4世紀には、グノーシス主義者は、自分たちの「福音」を編纂した。彼らは特に、キリストの「公」の教えの他に、イニシエーションを受けた特別の弟子らだけに伝えられた「イエズスの秘密」があると主張した。このグノーシス文書の中に、4世紀のナグ・ハマディの写本などがある。「ユダの福音」についても同様で、これを最近、編集翻訳したジュネーブのロドルフ・カッサー教授(Professor Rodolphhe Kasser)によると「これは、紀元後二世紀に想像された、後期の解釈の産物であるということを何度も強調しなければならない。ここには、イスカリオトのユダの真実に関していかなる新しい歴史的情報を見つけることが出来ない。」

(以前、「偽典」と記事を書きましたが、正確なカトリックの用語では、「外典」と言いますので、お詫びして訂正致します。)


 オリゲネスは三世紀にこう書いている。「教会は四つの福音書をもっている。異端者どもは極めて多くの福音を持つ。・・・多くの人は(福音を)書くことを試みたが、四福音のみが承認されている。そして私たちの主イエズス・キリストの人となりの何を信じるべきかに光を当てるのは、この四福音書だけだ。私は「トマスによる」とか「マティアスによる」と言われる別の福音が存在していることを知っている。無学であると思われないためにその他の福音も読む。・・・しかし私たちは教会が認めるもの以外は何も認めない。私たちは四福音書だけを認めなければならない。」(聖ルカの福音書に関する説教より)

 




 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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