アヴェ・マリア!
キリストは天主か?
【キリスト教の急速な普及と、殉教者たちの勇気とによる、キリストの天主性の証明】
タティトゥスは、ネロ皇帝治下における最初の教会迫害のとき(六四年~六八年)、「きわめて多くのキリスト教徒」が殺された、といっています。それから五〇年後に、小アジアのビティニアの総督をしていたプリニーが、トラヤヌス皇帝に報告しているところによると、彼の地域とその近傍、ポント地方にいるキリスト教徒の数と、影響と、その強情には呆れ果て、全く驚いている、と記しています。一五〇年頃のものと見られているが、殉教者ユスユスティヌス異邦人も、ギリシア人も、いかなる人種の人びとも、幌馬車でくらしている人たちも、テントを張って移動していく人びとも、あるいは羊飼いたちも、あらゆる人たちが、十字架にかけられたキリストの名において、父なる創造主に、祈願と感謝との生贄をささげています。この生贄がささげられていないところはない」といっています。
三二四年、コンスタンチヌス大帝が改宗した当時、ローマ帝国におけるキリスト教徒は十二分の一という比率でしたが、四〇〇年頃には、比率が二分の一に上昇し、それから三〇年後のローマ帝国の記録には、異教徒が全くいなくなった、と記されています。新しい信仰が、旧来の信仰に勝利を得たといっても、それは決して数のうえだけのことではなく、社会的な革新だったのです。その当時、かるく見られていた労働者階級から、高位の官吏へ、教育のないユダヤの庶民層から、哲学者たちの世界へと新しい福音はひろがっていきました。こういう急速な、しかも全世界におよぶ精神革命は、自然的な原因にたよるだけでは説明できるものではありません。
なぜなら、(1)キリスト教の創設者は、人間的に見たなら、ガリラヤのひとりの職人だったからです。彼の使徒たちといっても、そのうち、四人は漁夫で、税吏が一人でした。ペトロとヨハネとが、キリストの名において、第一の奇跡をおこない、そのために衆議所にひかれたとき、彼らが「無学な、ただの人」たちであることをよく知っていた一般の人びとは、彼らが臆面もなく、福音を伝えているのを見て、すっかり驚いています。そののちも、これに似たことが幾度も繰り返されました。対者たちは口をそろえていったものです。「おろかなキリスト教徒たち、・・・人間の屑にもひとしい愚民ども、彼らは、財産をつくるすべも知らず、市民生活のしかたもわからないのに、どうして神々のことがわかるでしょう。・・・彼らは、天国のことを説くために、火鋏も、鉄床も、ハンマーをもなくしてしまったのだ」と。キリスト教の宣教者たちは、みな、こういう悪口を甘受しなければならない人たちでした。そのうえ、こういう無力な人たちの行く手には、ローマ大帝国の偉大な権力と富と英知とが、障壁となって立ちはだかっていたのです。
(2)使徒たちが説いた教義といえば、それは新しいもので、世俗的な人びとの反感をかう内容を持っていました。唯物主義、享楽主義、高慢、貪慾などに沈んでいて、高尚な天主の思想など、とうていうけいれそうもない人たちに、彼らは信仰と従順と兄弟愛とを説き、死をも意味する自己放棄を要求したのです。そのうえ、彼らの説くところによると、長い間、神聖なものとして崇められてきた神々の像は、単なる自然の力とか、人間的劣情の具現にすぎないものなので、拝んではいけないとされていました。その教えはまた、昔からの宗教の非を指摘し、神々にささげられた素晴らしい神殿を認めず、当時においては国家の祭典になっていて、公にたのしむ機会を人びとに提供してくれていた行事を、みなすててしまえと命じ、そのかわりに、目を来世にそそぎ、十字架の刑罰をうけた人の像の前にぬかずく人たちと、おもしろくもない同盟をむすべ、とすすめるものです。
しかし、この時代は、一般的に道徳が低下していたので、罪悪に対する嫌悪が人びとの心にきざしてきて、道徳の革新という憧れが強くなり、従って、高い道徳を唱道するキリスト教に、自然の道がひらかれるようになったとも考えられる、という反対意見を提唱する人びともいます。
私達は、次の諸点をあきらかにし、この反対意見に答えることができます。
(1)当時、ローマにはストイック学派があって、純粋な道徳律を唱道しました。しかし、彼らは一般庶民に、これといってとりたてるほどの影響を与えてはいません。
(2)キリスト教の高い道徳といわれていますが、これはキリスト教の教義に対する信仰と、キリスト教が要求する種々の掟との実践にともなう結果として現れるもので、高い道徳だけが表面に現れていたわけではありません。
(3)この教義の中心になっているもの、すなわち、ガリラヤのひとりの職人が天主の子であるという、おかしな、そして冒涜的にも見える、ある意味での矛盾を克服して、人びとがキリスト教徒になったということは、聖霊のおん助けなくしては、とうてい不可能なことであったということを、私達は白状せざるをえないのです。
ところが、別な面から、ある人びとは、キリスト教に急速な普及をもたらした原因が、ローマ帝国領内における、完備した交通網である、とします。以下簡単にこの点に答えてみます。
(1)こういう条件は、ほかの宗教にとっても好都合な条件であったはずです。たとえば、ミトラ教イシス教などにとっても、同様によい条件であったわけです。ところが、これらの宗教はみな、完全に失敗して、世界的な進展を見せてはいません。
(2)ローマ帝国支配下における交通網は、海陸にまたがるものであったから、キリスト教の宣教者たちが、いわゆる地のはてまででかけるためには、もちろん好都合でした。しかし、この有利な条件も、ローマ帝国がもっていた、剣の勢力を考えると、むしろ相殺されてかえって不利になったことが分かります。すなわち、ローマ大帝国の権力が、総力をあげて、胎動を始めたキリスト教会を抹殺するために帝国内のすみずみまではたらきかけることができたからです。事実、このような迫害は十回にもおよんでいます。しかし、不思議なことには、十回ながら、ガリラヤ人、キリストの信奉者たちが、ある意味で勝利をおさめています。
キリスト教に対する迫害は、その過酷さと、期間と、回数と、迫害の方法と、また、迫害をうけた人たちの示した殉教精神などによって、人間の歴史に稀有の史実をのこしています。ローマ帝国のキリスト教に対する攻撃は三世紀にわたって、執拗にくりかえされ、十回に及びましたが、一回ごとに、あらたな過酷さを加味しながら、揺藍時代の教会に襲いかかりました。青年たちも老人たちも子供たちもいました。血気にあふれた青年たち、思慮分別のある中年の人たち、家庭の母や娘、農民、奴隷たちも、哲学者や貴族、痛悔者、孤独の隠者たち、男女の友人たちまで、彼らはみな、暗黒の権力にむかって、自分たちに最悪の処置をとるがよい、と宣言しているかのように見えました。戦線を死守する勇敢な兵隊のように、拷問の道具から彼らは一歩もしりぞこうとはしませんでした。彼らは、陽気に、攻撃する者にたちむかっていったのです。いって見れば、彼らの同志たちがやってのけたように、そうしようと思えば、最前線をはばむ敵を抹殺してしまうことができるかのように。ところが、彼らの勇気は、興奮した兵隊の勇気とは違いました。兵隊たちは勇猛になるために、特別な訓練をうけているのです。兵隊は戦場にいくが、場にひかれていく羊とは違います。また、犠牲祭の供物のように、くるしめられて殺されるためにつれていかれるわけでもありません。手には立派な武器があります。攻撃には反撃をもってこたえるすべを知っているのです。また、責任を完遂する場合には、その位置をまもることが、退却するよりむしろ安全であるという確信があってするのです。あるいは、卑怯者といわれる恥辱を知り、人びとの喝采を受けることができるという希望にささえられています。ところが、殉教者たちはこれとは違います。人間的な見解にたつと、一切をうしなうのであって、その勇敢な行為からは、なんらの利益も受けませんでした。彼らは、・・・そのなかには、かわいそうな子供たちもたくさんいたのですけれども・・・樹脂をからだにぬりつけられ、火をともされ、よろこんで生きたタイマツにしたてられていきました。煮えたぎった大釜になげいれられた人たちもいます。円戯場で、猛獣の餌食になげだされた人びともいました。彼らの頑迷をののしる人たちも、呪誼のかたわら、殉教者たちが一歩だけでも譲歩しさえしたなら、ありあまる報酬を与える約束をしていたのです。殉教者たちの力は、ただひとつの思いから出て来ました。彼らが情熱をこめて、心から愛していた、十字架につけられた救世主のその映像からくみとられた力であったのです。とはいえ、天主が特別の感動と助けとを与えなかったとするなら、こういう思想がどうして人びとの心に、しかも、あらゆる階級の男性・女性の心に子供の心にまで根をおろすことができたでしょうか。特に、教養のない人びとの心にうえつけられることが出来たでしょうか。また、この思想が、人間がもって生まれたわがままと、罪悪に勝つ偉力を発揮させ、過酷な拷問にさえ、平然とたえていく力を与えたでしょうか。また、七世代あるいは八世代にもわたる影響力をのこすほどの旺盛な力が、どこからでてくることができたでしょうか。・・・そのうえ、世界最強の帝国の、最も賢明な政略を敵にまわして、しかもそれをものりこえていく力をどこからくみとることができたでしょうか。
以上の推論を要約すると、次のようになるでしょう。
【全世界にわたる各階級におよぶキリスト教の急速な普及は、奇跡です。】
なぜなら、
(1)キリスト教の宣教者たちは、世俗的には無能な人たちばかりだったからです。
(2)また、主要な教えは、新しいものばかりで、人びとに反発を感じさせ、かたわら、道徳的な掟は厳格で、人間の弱さに少しも妥協しなかったからです。
(3)そのうえ、ローマ大帝国の国権の、しかも長期にわたる弾圧にも屈しなかったからです。
【殉教者たちが示した、不屈の勇気もまた奇跡でした。】
なぜなら、
(1)迫害は三世紀間くりかえしおこなわれたから。
(2)そして、年少者をもふくむ、各階級にわたる多くの数の殉教者をだしたから。
(3)しかも、殉教者たちの不屈の勇気は最も苛酷なかずかずの拷問によって立証されているから。
(4)彼らが迫害に屈服しさえしたならすぐにも与えられたはずの報酬にも、なんら関心を示さなかった殉教者たちの偉大な精神がはっきり現れているから。
(5)殉教者たちは死の苦悶のうちにも、超人間的な、素晴らしいキリスト教的徳の実践を示したから。すなわち、死と苦難とをよろこんでうけ、天使的な愛と、底知れない深い謙遜とをもって、キリストが十字架上で示したように、彼らの敵のたましいのすくいを祈り、自分たちの血で染められた手をあげて、自分たちの肉をひきさく人びとを祝福していったからです。これはなんらの誇張もない、真相の描写なのですが、人間史上にまたとない事柄であって、胎動キリスト教会に見られる奇跡的な性格をもつ強い忍耐力を持つすがたです。迫害をうけた宗教団体はキリスト教だけであるというつもりはないとしても、キリスト教の場合のように、迫害を甘受した宗教団体はありません。また、迫害をうけたときにキリスト教徒のように、素晴らしい不動の美徳を示した例もほかでは見られません。
以上、私達は、初代キリスト教会史にのこされた、ふたつの偉大な奇跡を見ました。ひとつは、キリスト教の普及という奇跡で、もうひとつは、殉教者たちが示した不動の忍耐という奇跡です。つまり、これらは天主が与えたふたつの証明であって、キリスト教が真の宗教であるということがこれによって立証され、キリスト教の創設者であるキリストが、かれ自身が主張しているように、天主の子であり、父なる天主とひとしい、ということが立証されるわけです。
【生きた力であるキリスト、キリストの天主性に関する証明】
獄中でただひとり沈思するナポレオンを描写して、ニューマンは次のように記しています。
「わたくしは、不朽の功績と、人心のうちにいつまでも生きようとする希望とのゆえに、アレキサンダーとカエサルとを、生涯の目のかたきにし、彼らと覇をきそうことにしてきた。しかし、いかなる意味でアレキサンダーが生き、どういう意味でカエサルが人心のうちに座をしめているのだろう。思うに、彼らの名が、多くの人びとに知られているということがせきの山ではないのか・・・彼らの名が、知られているとはいうものの、時には現れ、そして消えていく幽霊のような状態で、ある何かの機会にひきあいにだされ、あるいは、偶然の連想によって引用されるにすぎないのではないか。彼らが住んでいる家はおもに教室。彼らがしめている最先端の地位は、初等科用の文法書か、そうでなければ教科書だ。・・・こうして、英雄アレキサンダーは没落し、カエサル大帝も、子供たちの気にいるように、そして朗読されるようになってしまった。
ところが、彼らとは全くちがう意味で、世界に生きつづけているひとつの名があるのです。その名というのはほかでもない、生きていたときには、それほど有名ではなかった人の名で、極悪人のように殺された人、すなわち、キリストの名です。その時から、一八〇〇年あまりも経過しましたが、この名は、人心に確固たる地位をしめています。この名は世界を占領し、そして占領しつづけています。非常に多くの国ぐにで、いろいろちがった環境で、文化の高い人びとのうちにも、ひくい人びとにも、知識層にも、すべての社会層においてこの偉大な名の所有者はすべてを支配しているのです。高い地位にいる人も、そうでない人も、金持ちも、貧乏人も、みなこの人を認めています。幾億人の霊魂は、かれとかたらい、彼の言葉に傾倒し、彼の来臨をまっています。善美をきわめた、かぞえきれないほどの宮殿が、彼の光栄のためにたてられ、彼の生涯における、一番屈辱的な時の像が、繁華な都市にも、田舎にも、通路の一角にも、山の上にも、勝ち誇って建っています。それは、先祖からゆずりうけたホールや寝室をも清浄化しています。また、模倣芸術の、最も優れた天才をつくりだす素材にもなっています。彼の像は一生の間、心臓にちかくかけられ、人が死ぬ時には、しだいにかすんでいく目の前にもっていかれます。ここに、名目だけではなく、単なるみせかけでもなく、本当の意味でいまなお生きているひとりの人がいるわけです。彼は確かに死にました。それゆえに過去の人であるはずなのです。しかし彼は生きています。・・生きている人として、生きているのです。生きていて、人の世に、力強い思想になっています。生きていて数千の事件の源動力になっています。彼は、ほかの人たちが一生かかってもできないことを、なんの苦もなく成し遂げました。彼は天主以外の何者であるのでしょうか。創造者自身でなくて、何者でありうるでしょう。彼が、彼の事業のうえに君臨している創造主であるからこそ、私達の目がかれにむかい、心がおのずとかれをしたって動いていくのです。つまり、彼は私達の父であり、天主であるからではないか。」
以上の論証を要約すると、次のようなります。キリストが、人びとの心におよばす影響力は、自然の現象ではなく、奇跡です。すなわち、キリストの天主性に関する天主の証明です。
〔なるほど 〕
イエズス・キリストという力強い名前は、この名を嫌悪する人びとにも、親しい愛を感じている人びとにも、等しく大きな偉力をもっています。この名を一度きいた人は、キリストが忘れられないのです。この世で、キリストに背いた人びとは、彼らの心からキリストの映像をぬぐいさることができありませんでした。彼らはこの名にとりつかれ、地獄の悪霊のように、その名のために怒りくるうのです。
以上、シェアン司教著 「護教学」 より
この「護教」のこの部分は、
http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm
にアップされています。ごゆっくりどうぞ
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