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イエズス・キリストは天主か? (その3) 

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリストは天主か?


【キリスト教の急速な普及と、殉教者たちの勇気とによる、キリストの天主性の証明】


 タティトゥスは、ネロ皇帝治下における最初の教会迫害のとき(六四年~六八年)、「きわめて多くのキリスト教徒」が殺された、といっています。それから五〇年後に、小アジアのビティニアの総督をしていたプリニーが、トラヤヌス皇帝に報告しているところによると、彼の地域とその近傍、ポント地方にいるキリスト教徒の数と、影響と、その強情には呆れ果て、全く驚いている、と記しています。一五〇年頃のものと見られているが、殉教者ユスユスティヌス異邦人も、ギリシア人も、いかなる人種の人びとも、幌馬車でくらしている人たちも、テントを張って移動していく人びとも、あるいは羊飼いたちも、あらゆる人たちが、十字架にかけられたキリストの名において、父なる創造主に、祈願と感謝との生贄をささげています。この生贄がささげられていないところはない」といっています。


 三二四年、コンスタンチヌス大帝が改宗した当時、ローマ帝国におけるキリスト教徒は十二分の一という比率でしたが、四〇〇年頃には、比率が二分の一に上昇し、それから三〇年後のローマ帝国の記録には、異教徒が全くいなくなった、と記されています。新しい信仰が、旧来の信仰に勝利を得たといっても、それは決して数のうえだけのことではなく、社会的な革新だったのです。その当時、かるく見られていた労働者階級から、高位の官吏へ、教育のないユダヤの庶民層から、哲学者たちの世界へと新しい福音はひろがっていきました。こういう急速な、しかも全世界におよぶ精神革命は、自然的な原因にたよるだけでは説明できるものではありません。


 なぜなら、(1)キリスト教の創設者は、人間的に見たなら、ガリラヤのひとりの職人だったからです。彼の使徒たちといっても、そのうち、四人は漁夫で、税吏が一人でした。ペトロとヨハネとが、キリストの名において、第一の奇跡をおこない、そのために衆議所にひかれたとき、彼らが「無学な、ただの人」たちであることをよく知っていた一般の人びとは、彼らが臆面もなく、福音を伝えているのを見て、すっかり驚いています。そののちも、これに似たことが幾度も繰り返されました。対者たちは口をそろえていったものです。「おろかなキリスト教徒たち、・・・人間の屑にもひとしい愚民ども、彼らは、財産をつくるすべも知らず、市民生活のしかたもわからないのに、どうして神々のことがわかるでしょう。・・・彼らは、天国のことを説くために、火鋏も、鉄床も、ハンマーをもなくしてしまったのだ」と。キリスト教の宣教者たちは、みな、こういう悪口を甘受しなければならない人たちでした。そのうえ、こういう無力な人たちの行く手には、ローマ大帝国の偉大な権力と富と英知とが、障壁となって立ちはだかっていたのです。

(2)使徒たちが説いた教義といえば、それは新しいもので、世俗的な人びとの反感をかう内容を持っていました。唯物主義、享楽主義、高慢、貪慾などに沈んでいて、高尚な天主の思想など、とうていうけいれそうもない人たちに、彼らは信仰と従順と兄弟愛とを説き、死をも意味する自己放棄を要求したのです。そのうえ、彼らの説くところによると、長い間、神聖なものとして崇められてきた神々の像は、単なる自然の力とか、人間的劣情の具現にすぎないものなので、拝んではいけないとされていました。その教えはまた、昔からの宗教の非を指摘し、神々にささげられた素晴らしい神殿を認めず、当時においては国家の祭典になっていて、公にたのしむ機会を人びとに提供してくれていた行事を、みなすててしまえと命じ、そのかわりに、目を来世にそそぎ、十字架の刑罰をうけた人の像の前にぬかずく人たちと、おもしろくもない同盟をむすべ、とすすめるものです。


 しかし、この時代は、一般的に道徳が低下していたので、罪悪に対する嫌悪が人びとの心にきざしてきて、道徳の革新という憧れが強くなり、従って、高い道徳を唱道するキリスト教に、自然の道がひらかれるようになったとも考えられる、という反対意見を提唱する人びともいます。


 私達は、次の諸点をあきらかにし、この反対意見に答えることができます。


(1)当時、ローマにはストイック学派があって、純粋な道徳律を唱道しました。しかし、彼らは一般庶民に、これといってとりたてるほどの影響を与えてはいません。

(2)キリスト教の高い道徳といわれていますが、これはキリスト教の教義に対する信仰と、キリスト教が要求する種々の掟との実践にともなう結果として現れるもので、高い道徳だけが表面に現れていたわけではありません。

(3)この教義の中心になっているもの、すなわち、ガリラヤのひとりの職人が天主の子であるという、おかしな、そして冒涜的にも見える、ある意味での矛盾を克服して、人びとがキリスト教徒になったということは、聖霊のおん助けなくしては、とうてい不可能なことであったということを、私達は白状せざるをえないのです。


 ところが、別な面から、ある人びとは、キリスト教に急速な普及をもたらした原因が、ローマ帝国領内における、完備した交通網である、とします。以下簡単にこの点に答えてみます。

(1)こういう条件は、ほかの宗教にとっても好都合な条件であったはずです。たとえば、ミトラ教イシス教などにとっても、同様によい条件であったわけです。ところが、これらの宗教はみな、完全に失敗して、世界的な進展を見せてはいません。

(2)ローマ帝国支配下における交通網は、海陸にまたがるものであったから、キリスト教の宣教者たちが、いわゆる地のはてまででかけるためには、もちろん好都合でした。しかし、この有利な条件も、ローマ帝国がもっていた、剣の勢力を考えると、むしろ相殺されてかえって不利になったことが分かります。すなわち、ローマ大帝国の権力が、総力をあげて、胎動を始めたキリスト教会を抹殺するために帝国内のすみずみまではたらきかけることができたからです。事実、このような迫害は十回にもおよんでいます。しかし、不思議なことには、十回ながら、ガリラヤ人、キリストの信奉者たちが、ある意味で勝利をおさめています。


 キリスト教に対する迫害は、その過酷さと、期間と、回数と、迫害の方法と、また、迫害をうけた人たちの示した殉教精神などによって、人間の歴史に稀有の史実をのこしています。ローマ帝国のキリスト教に対する攻撃は三世紀にわたって、執拗にくりかえされ、十回に及びましたが、一回ごとに、あらたな過酷さを加味しながら、揺藍時代の教会に襲いかかりました。青年たちも老人たちも子供たちもいました。血気にあふれた青年たち、思慮分別のある中年の人たち、家庭の母や娘、農民、奴隷たちも、哲学者や貴族、痛悔者、孤独の隠者たち、男女の友人たちまで、彼らはみな、暗黒の権力にむかって、自分たちに最悪の処置をとるがよい、と宣言しているかのように見えました。戦線を死守する勇敢な兵隊のように、拷問の道具から彼らは一歩もしりぞこうとはしませんでした。彼らは、陽気に、攻撃する者にたちむかっていったのです。いって見れば、彼らの同志たちがやってのけたように、そうしようと思えば、最前線をはばむ敵を抹殺してしまうことができるかのように。ところが、彼らの勇気は、興奮した兵隊の勇気とは違いました。兵隊たちは勇猛になるために、特別な訓練をうけているのです。兵隊は戦場にいくが、場にひかれていく羊とは違います。また、犠牲祭の供物のように、くるしめられて殺されるためにつれていかれるわけでもありません。手には立派な武器があります。攻撃には反撃をもってこたえるすべを知っているのです。また、責任を完遂する場合には、その位置をまもることが、退却するよりむしろ安全であるという確信があってするのです。あるいは、卑怯者といわれる恥辱を知り、人びとの喝采を受けることができるという希望にささえられています。ところが、殉教者たちはこれとは違います。人間的な見解にたつと、一切をうしなうのであって、その勇敢な行為からは、なんらの利益も受けませんでした。彼らは、・・・そのなかには、かわいそうな子供たちもたくさんいたのですけれども・・・樹脂をからだにぬりつけられ、火をともされ、よろこんで生きたタイマツにしたてられていきました。煮えたぎった大釜になげいれられた人たちもいます。円戯場で、猛獣の餌食になげだされた人びともいました。彼らの頑迷をののしる人たちも、呪誼のかたわら、殉教者たちが一歩だけでも譲歩しさえしたなら、ありあまる報酬を与える約束をしていたのです。殉教者たちの力は、ただひとつの思いから出て来ました。彼らが情熱をこめて、心から愛していた、十字架につけられた救世主のその映像からくみとられた力であったのです。とはいえ、天主が特別の感動と助けとを与えなかったとするなら、こういう思想がどうして人びとの心に、しかも、あらゆる階級の男性・女性の心に子供の心にまで根をおろすことができたでしょうか。特に、教養のない人びとの心にうえつけられることが出来たでしょうか。また、この思想が、人間がもって生まれたわがままと、罪悪に勝つ偉力を発揮させ、過酷な拷問にさえ、平然とたえていく力を与えたでしょうか。また、七世代あるいは八世代にもわたる影響力をのこすほどの旺盛な力が、どこからでてくることができたでしょうか。・・・そのうえ、世界最強の帝国の、最も賢明な政略を敵にまわして、しかもそれをものりこえていく力をどこからくみとることができたでしょうか。


 以上の推論を要約すると、次のようになるでしょう。



【全世界にわたる各階級におよぶキリスト教の急速な普及は、奇跡です。】


なぜなら、

(1)キリスト教の宣教者たちは、世俗的には無能な人たちばかりだったからです。

(2)また、主要な教えは、新しいものばかりで、人びとに反発を感じさせ、かたわら、道徳的な掟は厳格で、人間の弱さに少しも妥協しなかったからです。

(3)そのうえ、ローマ大帝国の国権の、しかも長期にわたる弾圧にも屈しなかったからです。



【殉教者たちが示した、不屈の勇気もまた奇跡でした。】


なぜなら、

(1)迫害は三世紀間くりかえしおこなわれたから。

(2)そして、年少者をもふくむ、各階級にわたる多くの数の殉教者をだしたから。

(3)しかも、殉教者たちの不屈の勇気は最も苛酷なかずかずの拷問によって立証されているから。

(4)彼らが迫害に屈服しさえしたならすぐにも与えられたはずの報酬にも、なんら関心を示さなかった殉教者たちの偉大な精神がはっきり現れているから。

(5)殉教者たちは死の苦悶のうちにも、超人間的な、素晴らしいキリスト教的徳の実践を示したから。すなわち、死と苦難とをよろこんでうけ、天使的な愛と、底知れない深い謙遜とをもって、キリストが十字架上で示したように、彼らの敵のたましいのすくいを祈り、自分たちの血で染められた手をあげて、自分たちの肉をひきさく人びとを祝福していったからです。これはなんらの誇張もない、真相の描写なのですが、人間史上にまたとない事柄であって、胎動キリスト教会に見られる奇跡的な性格をもつ強い忍耐力を持つすがたです。迫害をうけた宗教団体はキリスト教だけであるというつもりはないとしても、キリスト教の場合のように、迫害を甘受した宗教団体はありません。また、迫害をうけたときにキリスト教徒のように、素晴らしい不動の美徳を示した例もほかでは見られません。


 以上、私達は、初代キリスト教会史にのこされた、ふたつの偉大な奇跡を見ました。ひとつは、キリスト教の普及という奇跡で、もうひとつは、殉教者たちが示した不動の忍耐という奇跡です。つまり、これらは天主が与えたふたつの証明であって、キリスト教が真の宗教であるということがこれによって立証され、キリスト教の創設者であるキリストが、かれ自身が主張しているように、天主の子であり、父なる天主とひとしい、ということが立証されるわけです。

 

 


【生きた力であるキリスト、キリストの天主性に関する証明】


 獄中でただひとり沈思するナポレオンを描写して、ニューマンは次のように記しています。

「わたくしは、不朽の功績と、人心のうちにいつまでも生きようとする希望とのゆえに、アレキサンダーとカエサルとを、生涯の目のかたきにし、彼らと覇をきそうことにしてきた。しかし、いかなる意味でアレキサンダーが生き、どういう意味でカエサルが人心のうちに座をしめているのだろう。思うに、彼らの名が、多くの人びとに知られているということがせきの山ではないのか・・・彼らの名が、知られているとはいうものの、時には現れ、そして消えていく幽霊のような状態で、ある何かの機会にひきあいにだされ、あるいは、偶然の連想によって引用されるにすぎないのではないか。彼らが住んでいる家はおもに教室。彼らがしめている最先端の地位は、初等科用の文法書か、そうでなければ教科書だ。・・・こうして、英雄アレキサンダーは没落し、カエサル大帝も、子供たちの気にいるように、そして朗読されるようになってしまった。


 ところが、彼らとは全くちがう意味で、世界に生きつづけているひとつの名があるのです。その名というのはほかでもない、生きていたときには、それほど有名ではなかった人の名で、極悪人のように殺された人、すなわち、キリストの名です。その時から、一八〇〇年あまりも経過しましたが、この名は、人心に確固たる地位をしめています。この名は世界を占領し、そして占領しつづけています。非常に多くの国ぐにで、いろいろちがった環境で、文化の高い人びとのうちにも、ひくい人びとにも、知識層にも、すべての社会層においてこの偉大な名の所有者はすべてを支配しているのです。高い地位にいる人も、そうでない人も、金持ちも、貧乏人も、みなこの人を認めています。幾億人の霊魂は、かれとかたらい、彼の言葉に傾倒し、彼の来臨をまっています。善美をきわめた、かぞえきれないほどの宮殿が、彼の光栄のためにたてられ、彼の生涯における、一番屈辱的な時の像が、繁華な都市にも、田舎にも、通路の一角にも、山の上にも、勝ち誇って建っています。それは、先祖からゆずりうけたホールや寝室をも清浄化しています。また、模倣芸術の、最も優れた天才をつくりだす素材にもなっています。彼の像は一生の間、心臓にちかくかけられ、人が死ぬ時には、しだいにかすんでいく目の前にもっていかれます。ここに、名目だけではなく、単なるみせかけでもなく、本当の意味でいまなお生きているひとりの人がいるわけです。彼は確かに死にました。それゆえに過去の人であるはずなのです。しかし彼は生きています。・・生きている人として、生きているのです。生きていて、人の世に、力強い思想になっています。生きていて数千の事件の源動力になっています。彼は、ほかの人たちが一生かかってもできないことを、なんの苦もなく成し遂げました。彼は天主以外の何者であるのでしょうか。創造者自身でなくて、何者でありうるでしょう。彼が、彼の事業のうえに君臨している創造主であるからこそ、私達の目がかれにむかい、心がおのずとかれをしたって動いていくのです。つまり、彼は私達の父であり、天主であるからではないか。」


 以上の論証を要約すると、次のようなります。キリストが、人びとの心におよばす影響力は、自然の現象ではなく、奇跡です。すなわち、キリストの天主性に関する天主の証明です。

 


〔なるほど 〕

 イエズス・キリストという力強い名前は、この名を嫌悪する人びとにも、親しい愛を感じている人びとにも、等しく大きな偉力をもっています。この名を一度きいた人は、キリストが忘れられないのです。この世で、キリストに背いた人びとは、彼らの心からキリストの映像をぬぐいさることができありませんでした。彼らはこの名にとりつかれ、地獄の悪霊のように、その名のために怒りくるうのです。

 


 以上、シェアン司教著 「護教学」 より

この「護教」のこの部分は、

http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

にアップされています。ごゆっくりどうぞ


 


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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イエズス・キリストは天主か?(その2)

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 イエズス・キリストは天主か?

 シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト 【第三の証明】を見てみよう。


【第三の証明】

 キリストは、ご自分が天主であると主張しているが、人間キリスト、自然宗教の教師として見た、キリストの完全な人格は、キリストが天主であったという証明である



【証明の概観】

 キリストは、単なる人間として見ても 、人間史上にふたりといない、最も完全な人であり、自然宗教に関する、最も優れた教師でした。この点、反対論者たちのあいだにも異論はありません。ところが、この偉大な人物が情熱をこめて、自分は天主である、とくりかえし力説しています。それゆえ、キリストの主張、すなわち、キリストが天主であるという主張は正当であると結論せざるをえありません。そうでなければ、最も崇高な人物が、気違いか、あるいは、天主の冒涜者であった、という矛盾におちいってしまうからです。

 現行の論証をすすめていくにあたって、私達は、不本意ながら、反対論者の立場にたって、キリストを見ていくことになるのです。反対論者たちの主張によれば、キリストは単なる人間であって、自然宗教の教師にすぎないのです。すなわち、キリストとは人間理性の力だけで発見することができる、宗教と道徳とに関する真理の教師であるのです。論証をはっきりさせるために、キリストに関するこういうまちがった見解を、しばらく認容していくことになります。従って私達は、キリストの素描を描きだすにあたっても、キリストが天主であることを示す言葉なり、行動なりには目を閉ざしていくという、きわめて不自然ないきかたをするわけです。キリストの教えを理解する場合に、キリストを単なる自然宗教の教師と見て、超自然宗教の真の教師という面を見ないとしたなら、まちがいなく不完全なものになるということは、あらかじめ承知してとりかかってもらいたい。キリストは、すべてを超自然の光によって見ることを教えているからです。すなわち、人の目にはどんなによく見える行為でも、人間理性では悟るのことの出来ない天主の奥義を信仰によって潤わせていなければ天主の前ではなんら価値がない、と教えているキリストの本当の教えが、そこには浮かび上がらないのです。



【単なる人間として見たキリスト】

キリストの出生地と、人びとに与えた影響。

 キリストの雄弁と沈黙 --- キリストは、パレスチナでも特に文化のおくれた地方、ガリラヤの寒村ナザレからやってきました。そのとき、人びとは愕いて、「ナザレからよいものがでるものか 。・・・彼はマリアの子供で、大工ではないか。彼は勉強したこともないのに、どうして聖書を知っているのだろう 」などと互いに噂しあったものです。ところが、この職人は、誰も、けっして抵抗することができないような、人の心を支配する素晴らしい才能をもっていたのです。彼が人びとを呼ぶと、彼らはだまってついて来ました。家も、両親も、舟も、網も、財産もすててついてきたのです。かれには、不思議な話しかたをする天分がありました。深い世界観を、やさしい言葉で表現するすべを知っていました。彼の唇から流れでてくるものは、本当にわかり易い、したしみぶかい喩えでした。たどえば、銀貨をなくして一生懸命に探す女の人とか、古い袋を繕う人とか、見うしなった羊を探しに出て行く羊飼いの物語などでした。ときにほ、高遠な思想を、単純な、美しい言葉にのせていました。キリストは静かに、野に咲くユリを指さして言いました。「ソロモンですら、その栄華の極みにおいて、この一本のユリの花ほど美しく着かざってはいなかったのだ」と。善良なサマリア人とか、放蕩息子のたとえでは、愛の教えという、キリストの最大の教えを、教育のない聴衆のたましいに植え付けて行きました。また、「労苦して重荷をせおっている人びとよ、わたくしのところにくるがよい。わたくしはあなたたちを回復させてあげよう」という同情にあふれた言葉で、直接人びとの心にふれて行きました。弟子たちに残す最後の談話において、キリストは厳粛に、しかも、別離と死とのかなしみをこめて話しながらも彼の聖業が、けっして失敗したのではないという、確信を、さりげなく吐露しています。人びとが、キリストの講話を聴聞するために、食べることすら忘れて、なん日も跡をついていったということは、少しもおどろくにあたりません。敵にまわっていた人たちでさえ、「これまでに、この人のように話す人はいなかった」と感嘆しているくらいです。キリストは、雄弁という天分ですぐれていたばかりでなく、間髪をいれない論争の逆襲とともに、意味深い応答を与えて、反対者たちがたくらんでいる罠を外し、彼らを狼狽させました。彼らは、なん度も両刀論法といわれる、骨定しても否定しても罠にかかるような質問をでっちあげて、キリストを窮地におとしいれようとたくらんだものです。しかし、キリストは、深い英知をもって、腹黒い彼らのたくらみを洞察し、あげくのはてに彼らをへこませました。キリストは雄弁ではありましたが、また同時に沈黙することを知っていました。法廷審問では、返答することを誓ったときには、はっきり答弁しましたが、、証人たちが偽証をならべたてているときには、ひとことも言いませんでした。話す必要を認めなかったからです。案の定、証言が相互に食い違いひとりが他を困惑させる結果に終わっています。証人たちの証言に失望したピラトは、なおも何かを探しだそうとして返答をうながしたが、「彼は、ひとことも返答しなかったので、総督は、ことのほか賛嘆した」のです。ペトロは、キリストを知らないといったとき、キリストは唇でははなさず、深い瞳でじっとかれを見た。それでたくさんだったのです。ペトロは師の心を読みとって、外へ走りでて、思いのままに泣いています。


 キリストは、誇り高い勇気と純粋な性格のもち主でした。 ---- キリストは強固な意志をもっていたが、だからといって、けっして強情ではありませんでした。ガリラヤ出身の貧乏な大工にはちがいありませんでしたが、高慢で、権力をもっていたファリザイ一派の人びとを、少しも怖れませんでした。キリストは、ファリザイ一派の人びとの偽善と強欲と頑迷とを、真っ向から非難しています。彼らの憤激が、キリストの血を見るまではおさまらないということをよく承知していたにもかかわらず、正義の痛憤にもえて、彼らを打ちこらしました。キリストは、なん度も殺される目にあっています。一度は、熱狂した群集が、かれを断崖につれだし、投げおとそうとしました。ところが最後の瞬間に、キリストは平然と彼らの手から逃れていった。受難のときがきて、敵につかまったときにも、一言の訴えも、弁解もせず、教義の訂正も撤回もしてはいません。呵責ない鞭が、肉をひきさき、とうとい手と足とに釘が打ちこまれ、十字架にかけられたときにも、あわれみをねがう声をあげたりはしありませんでした。みじめだったのは、かえって敵であったようです。キリストが、罪悪のあることを証明せよ、と彼らを難詰しても、一言の返答もできず、みな黙っていた。多くの敵の前で、あらゆる視角からつつかれながらもひとつの欠点、何かのあやまちでもあったなら、指摘し証明せよと反問した人は、人類史上キリストをおいて他にはいないのではないかと思われる。裏切り者のユダでさえ「わたくしは、義人の血を売って罪をおかした」と後悔の叫び声をあげています。法廷では、敵たちが総力をあげて狂奔したのだが、へロデもピラトも、キリストにはいかなる罪をも見いだすことができなかったのです。剥き出しの憎悪の目が、キリストのすべてをあますところなくねめまわしたのだが、キリストの高潔な人格には、一点のシミをもみつけることができませんでした。キリストは利己主義者でもなく、拝金主義者でもありませんでした。熱狂した民衆が、かれを王にまつりあげようとしてさわぎたてたときも、キリストは密かにのがれています。キリストはほどこしをうけなければ、生活していくことが出来ませんでした。それで、奇跡でもおこさない限り、神殿に税金を納入することができなかったのです。もって生まれた天分をつかったなら、どんな地位にでもつくことができたろうに、実際には「頭を休めるところすらなかった」のです。


 実に、キリストは真理を教える人として、貧しく、家もなくさまようことを、むしろよろこんでいたのです。キリストは、確固たる個性のもち主ではあったが、だからといって、強情な人ではありませんでした。財産家の青年を仲間に欲しかったからといって、大切な教義をまげたりはしませんでした。しかし根本的なことが問題にならない場合には、どこまでも譲歩していくことを知っていました。カナンの女の人が、娘の病をなおしてもらいたいといって、うるさくつきまとってきたとき、キリストは、身をかくしてまでのがれようとしたが、結局、この人の深い信仰に感心して、すぐに娘をなおしてやりました。


 キリストは、誰にも好かれる親切な人で、また礼儀正しく、気高く、謙遜で、愛の深い心の持ち主でした。 ------  キリストは、わけへだてなく、誰とでもよろこんで交際したので、敵たちが、「税吏や罪びとたち」と会食するといって、文句をつけているくらいです。当時のユダヤ人たちは、サマリア人とは口をきくことさえしませんでしたが、キリストは井戸のそばで、サマリアの女の人と話しあっています。キリストは、友人マルタ、マリア、ラザロの家によろこんで招待されて行きました。ふたりの使徒、ヤコボとヨハネとには、謙遜でなければならないということを、やさしく諭してきかせました。ニコデモは、ファリザイ人ではあったが、よい意向をもってやってきたので、もちろん、親切にもてなしてやりました。キリストが、謙遜の大切なことを使徒たちに教えたのは一度や二度ではありません。使徒に召されたものは、けっして現世の王のように、人びとに君臨するという態度をとってはなりません。むしろ、下僕のように、人びとにつかえるものでなくてはならない、と諭してきかせました。最後の晩餐では自分自身弟子の足を洗ってやって、下僕となる態度を示しています。またキリストは深い愛情のもち主でした。三年間の宣教生活は、つきることのない愛の流露でした。病人や罪びとは、ひきもきらずにやってきましたが、キリストは、彼らの精神とからだとの病気をなおしてやったのです。キリストの生涯は、罪とかなしみと苦痛とに打ち勝つ日々の凱旋であったといっても良いでしょう。キリストは、破れん恥の罪をおかした、不幸な女をたすけてやりました。キリストは興奮している訴人たちに、「あなたたちのなかで、罪のない人が、まずこの女に石を投げるがよい」とも言いました。そして、彼らの良心の奥底までも見とおしていたので、彼らは恥じひそかに逃げさったのです。寡婦のたったひとりの男の子が、墓にかつがれていくのを見て同情し、生命を返してやりました。また、かわいそうな癩病者たちに、少しのためらいもなく、やさしい愛の手をさしのべています。キリストは、かれ自身にとっても、ユダヤ人全体にとっても、民族精神のささえになっていました。なつかしい都、聖なるイェルザレムを見て、激しく涙を流して言いました。「イェルザレム、イェルザレム、預言者たちを殺し、遣わされた人びとを石で打つものよ、雌鳥が、羽の下に、ヒナをあつめるように、わたくしはいくたびか、おまえの子らを集めようとした、しかしおまえは拒んだのだ」と。おそらく、キリストには、私達に想像もつかないような、あたたかい愛がみなぎっていたのでしょう。でなければ、どうして母親たちが祝福してもらいたいといって、自分たちの幼気な子供たちを、わざわざ彼のもとにつれていったでしょうか。使徒たちが子供たちをおいはらおうとしたとき、キリストは弟子たちを叱って、おさなごたちを抱きあげて、祝福をあたえています。十字架の苦痛が、たえがたいほど激しく迫ってきたときでさえ、彼の心にはかわりない愛がみなぎっていたのです。昔からの友に対する真実の愛、罪びとの改心をまち望む心、迫害者、罵倒する人びとまでもゆるす、いわば大洋にも似た大きな愛にあふれていたのです。十字架上の苦闘のために、全神経がけいれんをおこしているときに、聖なる母をおもい、使徒聖ヨハネに、聖母の子となって仕えてくれるようにたのんでいます。今の今まで、かれに反抗していた泥棒にも、ひとたびまことの痛悔を起こすや、すはらしい希望にみちた言葉を与えて、祝福をおくっています。キリストは、実際に自分を十字架に釘でうちつけた、それらの人びとのために、罪のゆるしを天父に懇願しました。とごろが、当人たちは、その言葉が発音されている同じときに、なおキリストをあざけり、侮辱し、罵り続けていたのです。


 キリストはすべての徳の模範です。 ------ 天主に対する完璧な愛と、天主の聖意に対する完全な服従とに(自分の意志であるからではなく、あなたの意志が行われるように)前にもあとにも、人間にはかつて見られなかったかたちで、キリストは、謙遜、勇気、忍耐、温和と愛などの諸徳を一致させていたのです。彼は勇敢で、意志の人でした。何者をもおそれることなく、自分の内心を披瀝し、提唱する教えに殉じた。彼はけだかく、礼儀ただしく、温和でした。しかし、利己的な人ではありませんでした。どんなに矛盾した言葉をきいても、軽蔑されても、くるしめられても、天から遣わされた人類の教導者としての品格をそこなうような言葉を、発したことはありませんでした。キリストの慈愛には弱さがなく、熱心と誠実には、忍耐がともなっていました。。堅固な性格をもっていたものの意地を張ることはありませんでした。深い思索家であったが、行動の人でもあったのです。目はいつも天にむけられていましたがそれにもかかわらず、弟子たちの弱さにたいしては、いつも同情し、くるしんでいる人や、かなしんでいる人びとには温情にあふれ、罪を激しく憎み、罪びとをいたわる深い愛に燃えていました。キリストは、どのような立場にいる人にも、マテオかなる時代に生活する人のためにも、立派な模範であり、私達には、到達することができないものではありますが、人間として最も崇高な理想を、すべての人に与えるインスピレーションでした。


 合理主義者たちの証言 ------  信仰をもっている人も、もっていない人も、まじめに、福音書を研究した人ならば、誰も、キリストの優れた人格を認めるということに異論を差し込まないでしょう。合理主義者ラッキーは、「世界に、理想の人格者(キリスト)をおくることができるということは、キリスト教の一大特権であろう。彼は、時代がどんなに変わっても、過去十八世紀にわたって、人びとの心に熾烈な愛の感動をおこしてきた。時勢が変わっても、国民性とか環境などがちがっても、この理想的な人格を、誰もが自分に実現しうるものであることを示してきた。キリストは、単に善徳の最高の水準を自分で確保していたというだけではなく、人びとに善徳をおさめさせる強力な刺激でもあった。そうであるからこそ、彼の影響はおおきく、わずか三年間にすぎない、彼の実生活に関する簡単な記録が、哲学者たちのすべての論述や倫理学着たちの説教を全部集録したものよりも、人びとを改心させ、平和を与えてきたのである」といっています。


 単に、自然宗教の教師として見た場合のキリスト ----- 推論をやさしくするために、一段と優れたキリストの教えを、ひとまずさしおいて考察しても、人間として完全であったキリストが、また真理の唱導者として、最も優れた人であったことがわかるのです。反対論者たちの見解によれば、これらの真理は、あるいは自然宗教の分野におさめられてしまうかも知れません。しかし、愛の律法に関する教え、誠実に関する教え、人間の霊魂のなにものにもかえがたい価値に関する教え、人間道徳の優れたことに関する理想などの諸教義を見ても、キリストは全く独創的な人物で、他に匹敵する人はいません。キリストはソクラテス、その他の人びととはちがって、「権威のある人として」教えたので、光を手さぐりしながら教えたのではありません。彼ははっきり、疑う余地がないものとして教え、自分自身が、その教えの生きた手本になっています。


 愛の律法に関するキリストの教え ----- 当時のユダヤ人たちは、律法のうちで、どれが最重要なものであるかについて、はげしく論争していました。ある人びとは犠牲祭の掟が最重要であるとし、他の人びとは、サバトをまもることが最も大切な掟であると言いました。これにたいして、割礼がより重要な掟であると主張してゆずらない人たちもいたのです。ところがキリストは、世間に流布されている、こういう見解は、どれもこれも取るにたりない愚論である、とこれらを一蹴し、成聖の土台は何かをはっきり示しています。すなわち「すべての律法はつまるところ、一つの掟、愛の掟に要約されるのです。天主への愛、隣人への愛である」といっています。キリストは、最初に彼の教えをひろく展開してみせた山上の説教で、愛の掟が広範な内容をもっていることを教えています。「隣人」というのは、当時の常識からすれば、イスラエル人同志か、親しい外国人をさす言葉でした。ところが、キリストは、隣人の意味するものは限定されているものではなくて、すべての人が隣人なのだと教えました。ひとりの例外もなく、善人も悪人も友人も敵もみな隣人です。人びとは相互に愛しあわねばなりません。なぜなら、みな兄弟なのだから。彼等はみな兄弟です。なぜなら、みな同じ天の父の子らだからだ。父は一切の人を愛し、摂理の祝福を与え、正しい人にも不正な人にも、同じように日光をおくり、雨をふらしてくれます。羊飼いが、見えなくなった羊を探しにでかけるように、父は、罪びとを探しに行きます。シナイ山で雷光のなかから話しかけた天主は、愛と慈悲とにあふれている父なのです。人びとは、自分たちがゆるしてもらいたいように、他の人をもゆるさなくてはなりません。なぜなら、兄弟に拒絶したことを、どうして彼らの父に願うことができるでしょう。キリストが教えている愛の掟は、つまり、「天主は、あなたたちの愛する父であるから、天主を愛さなくてはなりません。あなたたちはみな、父なる天主の子らであるから、たがいに愛し、ゆるしあわなくてはなりません。人は誰でも愛されたいし、ゆるしてもらいたいのだから、兄弟たちをも愛し、ゆるさなくてはならない」ということになります。イエズスは、教えを説くほかの人たちとはちがって、人びとを天主と和睦させ、天主に近づけました。キリストは、あたたかい、心からわきでる愛をもって、天主にたちかえることを人びとに教え、また、隣人のうちに、天主のすがたを見いだすように、とさとしています。


 誠実の掟に関するキリストの教え ------  外面だけで聖人をよそおって、内面の罪を軽く見ていた律法学士や、ファリザイ人たちの、いわゆる聖性を、キリストはもちあわせてはいありませんでした。キリストは彼らにいったものです。「なんとおろかな人たちでしょう。そとをつくったお方は、内部をもつくったのではないか」と。天主は、人間の肉体と霊魂とのつくりぬしであるから、人間は双方をもって天主につかえなくてはならないのです。私達は心の庇から、いかりと不潔とを洗いきよめなければなりません。つまり、私達の聖性は、あくまでも健全なものでなくてはならないのです。


 人間の霊魂の価値誼強調するキリストの教え ------ 人間の霊魂は、この世のいかなるものにも比較できないほど、価値あるものです。友だちをうしなうこと、全財産をなくしてしまうこと、生命それ自体をうしなうことでも、霊魂をうしなうことにくらべたなら、たいしたものではありません。「人、もし全世界をもうけたとしても、自分の霊魂をうしなったなら、なんの利益になるか。また、人間は、その生命を何ととりかえることができよう。自分の生命をすくおうと思う人は、それをうしない、わたくしのため、そして福音のために自分の生命をうしなう人はそれをすくうのだ」キリスト以前にも、これらの真理を理解した人が全然いなかったわけではありません。しかし、みな漠然として、いかにもとりとめがなかったのです。霊魂に関して、明瞭な、そして透徹した教えを与えた人は、実にキリストをもって嚆矢とします。


 卓越した人間道徳に関する、キリストの理想 ----  深く天主を尊敬すること、天主の聖意に完全に服従すること、完全な自己放棄という、英雄的な精神をもって、よろこんで天主につかえること、これがキリストの理想とする卓越した人間道徳の理想でした。



むすび


(1) 以上のように、キリストは、単なる人間として見ても、完全な人であったが、宗教の教師としても、卓越した、他に類例を見ない優れた人物であったということがわかりました。ところが、キリストは、天主であるということを情熱をこめて、あくまでも強調しました。従って、私達は、彼の主張が正しいこと、すなわち、キリストが天主であることを認めなくてはなりません。さもなければ、一つの非常に不合理な結論に直面することになります。それは、キリストが、詐欺師か、または、自己欺瞞の犠牲者であったという結論です。換言すれば、人類史上に現れた、最も完全な人が、恥を知らない嘘つきで、天主を汚す、狂人であったと言わねばならなくなります。合理主義者たちは、こういう結論に導かれます。もし、彼らがこの矛盾を知る時がきたなら、彼らの主張がすべて崩壊することを、覚悟しなければならないのです。


(2) キリストの品性 ――― キリストの英知と善、キリストの清浄さ ――― などは、私達には想像もつかないほどすぐれていて、普通人の能力をはるかにこえ、完徳の奇跡と見られるべきものです。従って、天主の特別な干渉に帰すほかには、説明不可能です。ということは、キリストの品性それ自体が、彼の教えの真理性を立証する天主の証明でもあり、キリストは天主であるという証明になる、という意味です。

 

 以上、シェアン司教著 「護教学」 より http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

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キリストは復活したか?

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリストは復活したか?

<<反対論者の説>>


【使徒たちはみな嘘つきであった(欺瞞説)】


 この説は、キリストの復活を説明しようとしてつくった、最初の説で、弟子たちの誠実な人格を正面から攻撃しています。墓の番に立った兵隊たちが眠っている間に、弟子たちがきて、死骸を運び出したというものです 。この話はユダヤ人たちの間には相当広くいきわたっていって、本当だと思いこんでいた人もいたようです。


 しかし、番兵が事実いねむりしたとするなら、その間に何がおきたか分る筈がありません。彼らがいいえたことは、目をさましてみると、墓はからであったということでしょう。しいて想像すれは、そのあいだに、弟子たちがぬすんでいったのではないか、ということになります。


 では、彼らが、実際こういう合理的な形式で、自分たちの意見を発表したものと見て、諭をおこしてみよう。キリストが受難をたえしのんでいたとき、恐怖におののいていた弟子たちが、キリストの死骸をぬすみだすというような、命がけの冒険をすることができたでしょうか。そのうえ、世間をあざむくということができたでしょうか。なんの目的があって、いかなる動機から、そのような欺瞞行為をあえてしなければならなかったでしょう。


 もし彼らが、キリストが復活していないということを実際は知っていたものとすれは、キリストが彼らをあざむいたことも知っていたわけですから、キリストが天主ではないということも承知していなくてなりませんでした。そうなると、彼らが世をあざむき、キリストに関するにせの復活を吹聴したとてしても、なんの利益があったでしょうか。迫害を受けるだけでした。たえまない苦しみと死でした。そればかりではなく、良心の呵責があった。


 他方、すくなくとも五百人の人たちを、虚偽宣布のために、仲間入りさせなくてはならありませんでした。不可能なことです。残酷で巧知にたけ、権力をもっていた彼らの敵たちが、その仮面を引き剥がさずにいる事が可能だったでしょうか。ファリザイ人たちが、証人たちの証言をなくそうと少しも努力しなかったという事実は、成功する見込みがなかったからだ。キリストの使徒たちと弟子たちの人柄が誠実なことは、あまりにも明白でした。


 もうひとつのやり方がありました。それは彼らの常套手段であった銀貨で、使徒のひとりに、師を売らせたことがありました。銀貨がもうなくなったわけではなかったのです。黄金は、欲深い人間のためには、迫害とか死が目の前にちらついているときには、さらに大きな魅力になるものです。しかし、キリストの復活を証明する人びとのなかにはもうユダはいませんでした。彼らのうちに、ひとりでもうそつきがいたなら、二重の誘惑に打ち勝つことができなかったにちがいありません。彼は、自分の同輩を信ずるに足りないものとする、ひとつの物語を作り上げさえすれば、自分の名誉を黄金にかえることができ、そのうえ、自分の生命を救うことさえできたからです。



【使徒たちは瞞された(幻想説)】


 現代の反対論者たちは、得意になってこの仮説を提唱します。彼らはいう。キリスト教徒たちは、キリストが十字架につけられたので、精神的に異常な興奮状態におちた。彼らは、愛する主が死を征服して、ふたたび彼らのところへかえってくると信じていた。イエズスが帰えってくればよいという熱狂的な願望が、復活したキリストという幻想を生みだしたのです。


 私達は、こういう説を真面目にうけとることはできません。なぜなら、ある個人の場合であれは、そのような幻想におちることも、あるいは可能であるかも知れありません。しかし使徒たちがみな、何十人という弟子たちまでが、同じ幻想に同時におちいるなどということは、あるべきではありません。


 まず、「熱狂的な願望」をもっていたという主張であるが、これは事実と違います。キリスト信者たちは、キリストの復活をなんら期待してはいありませんでした。キリストがユダヤ人につかまえられたとき、彼らはすっかりおびえてしまい、これで一切はおわったと逃げてしまったではありませんか。キリストは確かに、彼の死と復活とをなんども預言しています。しかし、彼らは、キリストの死という実感をつかみとることができなかったようです。従って、キリストの復活ということにも考えはおよばなかったのです。


 三日目の朝、マリア・マグダレナと他の女の人たちが、キリストの死骸に塗るつもりで、香料をもって墓へ行ったのですから死者のうちからよみがえるキリストと面会しようと期待しながら道をいそいでいたわけではありませんでした。墓が空になっているのがわかったとき、マグダレナの脳裡にうかびあがった考えは、誰かが死骸を盗んだのだ、ということでした。キリストが彼女に話しかけたときでさえ、初めはキリストであるということに気がつかず、園丁であろうと思いました。


 クレオファともうひとりの弟子とが、エンマウスへかえる道すがら、キリストに関する悲惨な会話をとりかわしていたとき、旅人になったイエズスが、彼らと同行して話しあったその様子から考えて見ても、彼らがイエズスをどう考えていたか、また、主はよみがえったと知らせた婦人たちの言葉で、彼らが、どんなにびっくりしたかというような彼らの心境が手にとるようにわかります。この旅人が、実はキリストご自身であるということを、彼らに現したとき、彼らはすぐにひきかえして、使徒たちに事の次第報告しました。ところが、この報告をうけた使徒たちは、前に、婦人たちの言葉を信用しなかったように、彼らの言うことをも信じようとはしませんでした。


 使徒トマはキリストが最初に使徒たちに現れたとき、一緒にはいませんでした。そして、キリストが現れたと言う話をきいたとき、これを否定しわたくしの指を釘のあとにいれ、わたくしの手を「そのわき」にいれてみるまでは、信じられない、と言い張るのです 。このように、キリストの復活に関する証人たちはどう考えても軽信の徒輩とは言ません。むしろ不信の徒と見られる人たちで、幻想がはいりこむ余地がなかったことだけは確かです。



【キリストは策謀家であった(昏睡説)】


 この説によると、キリストは十字架上でほんとうに死んだのではなく、仮死状態におちたにすぎないことになります。キリストは墓の中で蘇生しました。兵隊たちが眠っているすきに、すばやく石を取りのけ、弟子たちに会いました。こうしてキリストは死を征服したという印象を彼らに与えたと言うのです。キリストの精神的な苦悩を考え、鞭でうちのめされたこととか、イバラの冠をかぶせられたこととか、十字架に釘づけにされ、わきを槍でつきとおされたことなどを思いあわせると、昏睡説などなんの意味もないことがよく判ります。


 たとえば、この仮説を認めたとしても昏睡だけではどうにもなりません。多くの血をながして、つかれはてている人がたとえ蘇生したとて、巨大な石をとりのけることはできません 。兵隊のまどろみをやぶることなく、こういう作業を遂行することなどできるものではありません。死を征服したという演出など、とうていおよびもつかないことでした。全身傷だらけで、手にも足にも釘で打ちつけられた傷をうけ、しかも、健康な人と同じように歩行し、ドアがしまっている食堂へ入ることなどどうしてできたでしょうか。好きな時に現れ、好きな時に消えたりすることがどうして出来たでしょうか。多くの弟子たちの前で、天に昇るということを信じさせることが、どうしてできたでしょうか。


 十字架の苦悶をうけてまで、天主の子であるという主張をゆずらなかった偉大な聖人を、単なる策謀家にする仮説はとるにたりないものです。そのうえ、以上述べたいわゆる虚偽の演出を宣布させるために、もえる熱情を弟子たちにふきこむことができたということは、どう説明すべきでしょう。合理主義者シトラウスでさえ、この説には、一顧の価値もないとして軽くあしらっていますが、それはけだし当然です。



 【チェルススの反対論。キリストは、復活ののち、なぜ、おおやけに、彼の敵たちや全民衆に現れなかったのか。】



 この説は最初、異教徒チェルスス(200年頃死)によって提唱されたものですが、近代になってから、またもやルナンその他によってむしかえされたものです。


(1)天主は、人びとが天主にかえる場合、自由な立場から天主に帰依することを望みます。一般的にいえば、天主は悪意ある人びとの意志をまげるために、ある特別な方法や手段をつかうことはありません。天主は、信仰が合理的であることを証明する明らかな、そして、充分な証明を与えることだけで満足します。


 キリストが教えている喩えのなかにでてくる金満家は、地獄からアブラハムをよび求めます。すなわち、五人の兄弟を地獄の苦悶におとさないために、彼らに証明を与えてくれとねがったわけです。アブラハムはこの要求に、「彼らにはモーセと預言者がいる。それに聴けばよい。もしモーセと預言者とにきかないなら、たとえ、死者のなかからよみがえる人がいても、彼らは説得されないだろう 」とこたえています。


 ファリザイ一派の人びとが、天からのしるしを要求しましたが、あきらかに拒否されています。キリストが十字架のうえに釘でうちつけられていたとき、道ゆく人たちが、「もし、あなたが天主の子なら、自分で自分をすくって十字架からおりてこい 」と言ったのにたいして、イエズスは何も答えてはいません。


 キリストが特別な恩恵を与えているのは、ただ一人の反対者だけで、すなわち、キリストは、迫害者であったタルソのサウロすなわち後の聖パウロに現れているだけです 。



(2)たとえ、キリストが一切の人に現れたとしても、彼らは、自分たちに都合のよい口実をみつけて、信仰を拒否したにちがいありません。「キリストではあるまい。悪霊であろう。サタンの使いに違いない」とかたづけてしまったに違いがありません。それから、後世の不信仰者たちは、おそらくこう言ったでしょう。「キリストが復活後」一切の人に現れたのであれば、なぜ、今もすべての人に現れないのか。なぜ、いつも地上にいないのかと。もしまた、キリストが常に地上にとどまっていたとしたなら、彼ら不信の徒輩は、彼らの不信に安住しながら、キリストは欺瞞者のつづきだろう、と言うにちがいありません。



 以上、シェアン司教著 「護教学」 より

この「護教」のこの部分は、

http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm

にアップされています。ごゆっくりどうぞ


 


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イエズス・キリストは天主か?

2006年06月01日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 イエズス・キリストは天主か?

歴史の主張「イエズス・キリストは、ご自分が天主の権能をもっていると主張した。キリストは、ご自分が天主から派遣されたこと、また、天主ご自身であることを主張した。自分が天主であることを証明する奇跡(病人の治癒や死者の復活などの物理的奇蹟、また旧約聖書の預言の成就という知的奇蹟、さらに自分の死からの復活という奇蹟)を行った。」

 シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト を見てみよう。

【ご自分を天主とするイエズス・キリストの主張は、奇跡と預言とによって、正当に裏付けられている】

【第一項 第一の証明】

★ 奇跡と預言とは、イエズス・キリストが主張していること、すなわち、自分が天主であることを立証する

【A キリストの奇跡は、キリストの天主性を立証する】

 キリストはこの世に生活していたときに、多くの奇跡をおこしています。キリストは、単なる言葉だけで、病人や、目の不自由な人々、口の不自由な人々、足の不自由な人々などを治しました。また、別な所に住んでいる人たちの病気をいながらにして治癒したことも少なくありません。特記すべき奇跡として、生まれつきのめくらを癒したこともあります 。キリストは死者を蘇らせました。例えば、ヤイロの娘、ナイムの寡婦の息子、ラザロの蘇りなどをあげることができます。また、悪霊のとりこになっている人から、悪霊を駆逐しているが、こうしてキリストは、ご自分の権能が霊の世界にも及ぶことを、はっきり知らせたのです。キリストは、単なる物質界においても、多くの奇跡をおこしています。水をぶどう酒にかえ、五千人余の人たちを、五個のパンと二尾の魚をふやして飽食させたりしています。ちょっとした命令で、暴風雨を鎮め、また、水の上を歩いています。

 キリストの奇跡は、自然的には説明不可能です。以下、自然的に説明しようとしてでっちあげたいろいろなこころみを検討して見ましょう。

(1)妄想説によると、奇跡は単なる自然的な出来事であったのだが、狂信的な弟子たちが、超自然的なものに妄想した、という。ところが、奇跡はいつも公然と、一般の人たちの目の前で行われたので、その事柄が事実その通りであったことは、キリストの敵たちでさえ認めざるをえませんでした。
(2)悪霊蠢動説によっても説明不可能です。何故ならキリストは、彼の教えから見ても、その人格からいっても、聖なる人だったからです 。つまり、キリストはサタンの僕ではありえなかったのです。キリストは、悪霊を追い出しているのであるから、悪霊の敵ではあったが、悪霊の手先ではありえなかったのです。
(3)催眠術、または、動物磁気説によっても説明がつきません。催眠術とか暗示とかによる治療法は、神経系統のある種の病気には効果があるといわれています。しかし、瞬間的な平癒とか、そこにいない人の病気を治すことは出来ません。キリストは、いろいろな種類の病気を治しています。その上、多くの場合、病人たちが、そこにいあわせないこともあったし、病人たちが、なおしてもらえる立場にあることにさえ気がついていませんでした。いずれにしてもこの説は、死者の蘇りを説明することはできません。

 キリストは、ご自分が天主から遣わされたことを立証するために、奇跡をおこした.。「私のする行いそのものが、私を遣わしたのが父であることを証明している 」のです。従って、キリストの教えは、天主の教えであったのです。ところで、キリストはご自分が天主であると教えています。それゆえキリストは天主です。

【B キリストの預言は、彼の天主性を立証している】

 キリストは、人間が到底予知することができない未来の預言を多くしました。
(1)ご自分の将来について、受難、復活、昇天などの預言 。
(2)彼の弟子たちについては、ユダが師を売ること、弟子たちがみな師を棄てるであろうことなどの預言。
(3)キリストの教会については、教会が、辛子種のような素晴らしい成長力をもっていて、全人類を、その木の葉陰に休ませるようになること、ご自分と同じ待遇を受けるだろうこと、すなわち、世がこの教会を憎み、迫害するであろうこと、しかし教会には、地獄の門も勝つことはできないこと、などの預言。

 以上の預言の完成は、キリストの教えが、天主の教えであることを明白に立証するものです。ところがキリストは、ご自分が天主であると教えています。従って、キリストは天主です。

 イェルザレムの滅亡と、ユダヤ人の将来とに関するキリストの予言は、特記すべき預言であると見られています。
 キリストは言います。「敵がおまえのまわりに塁を築き、とりかこみ、四方からせまり、おまえとそのうちにすむ人びとを地にたおし、石のうえにひとつの石さえのこさないような、ある日がくるだろう 」と。それから「地上には大艱難があり、おん怒りがこの人民のうえにくだるからだ。彼らは、剣の刃のしたに倒れ、あるいは捕虜として、諸国に引かれていくだろう。そしてイェルザレムは、異邦人の時が満たされるまで、異邦人にふみにじられる 」であろうと。これはキリストの預言ですが、この預言が、文字通りに実現したことは、ローマ皇帝ティトスの命によって書かれた、フラビゥス・ヨセフス(三七~九八) 著「ユダヤ戦記」に明らかです。ローマ軍には、攻略した都市、特に神殿などは、そのまま保存しておく習慣があったので、都市の壊滅ということなど、全く予想外のことだったのです。

 ローマ皇帝、背教者ユリアヌス(三六一年~三六三年)は、キリスト教の預言の裏をかこうとし、神殿とユダヤ国との再建とを計画し、ユダヤ教をさかんにしようと計画しました。離散していたユダヤ民衆は、この計画を知ると狂喜して参集し、熱心に協力しました。アンミアーヌス・マルチェリーヌスは、皇帝護衛官で、異教徒の著作家ですが、人類史上において、特に立証された事件のひとつとして、以後のなりゆきを記しています。「ユリアーヌスは、以前ブリタニアの副官であったアンテオキアのアルピヌスに、この大事業をまかせた。アルピヌスは、情熱をこめてこの大事業をはじめ、州の総督を補佐役に任命した。恐ろしい熱火の塊が、基礎の下から吹き上がり、労働者たちがどうしても近づくことが不可能になるまで、猛火の攻撃が止まなかった。こうして猛火が執念深く彼らを追っ払ったので、遂に事業 は放棄された」と書いています。

【C キリストご自身において、預言がすべて完成している】

 多くのユダヤ人たちは、彼らの聖書、すなわち、旧約聖書が教えているメシアに関する預言が、キリストにおいて、完成されていることが分かったので、キリスト教徒になったのです。私達は、ここではただ、誰も否定することができない点、すなわちこの本が、キリストが生まれるはるか以前に書かれた本だということだけをとりあげて論を進めていきます。

 ユダヤ人の宗教は本質的に待望の宗教でした。すなわち、あとでつかわされるメシア、あるいは救世主に対する信仰と待望とが教義の中心になっていた。そして、救世主に関する預言が、すべてキリストにおいて実現したのです。救世主に関する預言の大要を、次にあげてみます。

 彼は、ダビドの正継として生まれるであろう。(イザヤ、11:1, 2)。
そして、ベトレヘムで生まれる(ミケア、5:2) 。
 彼は、聖処女である母から生まれるであろう(イザヤ、7:14) 。
そして天主の子といわれる(詩、2:7)。
 彼はナザレ人・・・すなわち、ナザレの人といわれる(イザヤ、11:1)。
 彼は正義をもって、貧しいものを裁く(イザヤ、11:4)。
 彼の王国は攻撃を受けるであろうが、永遠にほろびることはない(詩、2:1-4)。
 彼は、すべての人びとを裁き、そして、義人には光栄の冠を与える(イザヤ、24章、28章)。
 しかし、彼は悲しみの人であって、軽蔑され、最もさげすまれた人間になる(イザヤ、53章)。
 彼は銀貨三〇枚で売られるが、その銀貨は、やき物師から畑を買う代価につかわれる (ザカリア、11:12,13)。
 自分から望んで犠牲になり、ひとこともいわありません。場にひかれていく羊のように、毛を刈りとる人の前にだまっている羊のように、口をつぐんでいる(イザヤ、53:7)。
 彼の腕と足とはさしつらぬかれ、衣服は分けられ、着物はくじ引きにされる(詩、21:17-19)。
 彼は異教の国々の光明になり、地のはてまで、救いをもっていく(イザヤ、49:6)。
 天の天主は、けっしてほろびない王国をたてる(ダニエル、2:14) 。

 以上あげたような多くの預言が、ある個人において完成された ということは、けっして偶然の符合ではありえないし、人間の作為によるものでもありえません。天主の聖業に帰すべきであるということは、きわめて明瞭なことです。従って、キリストは約束されたメシア、すなわち、救世主です。キリストは天主によって派遣された。キリストは天主の権をもって教え、しかも、ご自分が天主であると教えた。それゆえ、キリストは天主です。

 では、なぜユダヤの全民衆が、キリストにおいて、すべての預言が完成していることを承認しなかったのだろう、ということです。特に、キリスト誕生のときが近づくにつれて、メシアへの待望がますます激しくなっていることがわかると、この疑問がさらに、ときがたいものに見えてくるわけです。

応答

(1)キリスト降生当時のユダヤ人たちは、一般的に見て、道徳的に非常に頽廃していました。フラビウス・ヨセフスは、ローマ軍が、彼らを罰するためにやってこなかったとしても、地震とか、洪水とか、あるいは、ソドマの雷光が、彼らを罰したに違いない、といっています。思うに、彼らの不義、不徳が、キリストの福音に、耳をひらかせなかったひとつの原因になったと考えられます。
(2)キリストの教えが、彼らにある種の革命的な要素を感じさせた。すなわち、キリストによれば、彼ら、は、もはや天主の選民として他民族より優位な立場におかれることはなく、そのうえ、彼らが忌み嫌っていた異邦人たちもが同じ特権が与えられる という教えを聞き、がっかりしたわけです。
(3)ユダヤ人たちの指導者は、律法学士やファリザイ人たちであったが、キリストは、彼らの高慢と偽善とを真っ向から非難したので、その結果、彼らはキリストをことのほか憎悪しました。それで、キリストの主張と教えとをただしく判断できない精神状態に陥ったのです。
(4)ひとつには、聖書に関するファリザイ人たちのまちがった解釈のためと、もうひとつは、他国の圧迫が絶えず、民族的な自負心が強かったために、ユダヤ人は、メシアを罪から解放する救世主としてではなく、ローマ帝国の重圧から彼らを解放し、世界帝国をつくる現世的な王であると夢想するようになっていました。精神界の王としての勝利が、現世的な王国の勝利におきかえられて誤解されていました。使徒たちでさえ、この種の民族的な考えから脱却することができなかったらしく、キリスト昇天の直前に、祖国愛のために、この希望の完成を見たい願望にかられて、「主よ、あなたがイスラエルのために国を再興されるのはこの頃ですか 」とキリストにたずねているほどです。


【第二項 第二の証明】

 イエズス・キリストの復活は、彼が天主であることを証明している

 キリストは、ご自分が天主であると主張し、この主張が真理であることを立証するために、ご自分が死者のうちから復活するであろうといった。そして、キリストは死者のうちからよみがえったのです。従って、キリストは天主です。キリストの復活を証言する人たちは、みな信頼に値します。

【キリストは、ご自分が死者のうちから復活するといった】

 ユダヤ人たちが、キリストの権力についての証拠を見せてもらいたいといって、奇跡を要求したとき、イエズスは、「この神殿をこわしたら、私は三日でそれを建てなおそう 」と答えました。福音書記者は、キリストは彼のからだの神殿をさしていったのだ、と説明しています。

 あとになってからは、もっとはっきり、「この悪い、邪な世代はしるしを望むが、しかし、預言者ヨナのしるし以外のしるしは与えられないであろう。すなわち、ヨナは三日三晩、海の怪物の腹のなかにいたが、同様に人の子は三日三晩、地のなかにいるだろう 」といっています。
 タボル山の変容ののち、キリストは、ペトロ、ヤコボ、ヨハネをいましめて、「人の子が、死人のうちからよみがえらないうちは、見たことを誰にもいうな 」といっています。
受難のためにイェルザレムにいく前に、キリストははっきり、「私達はイェルザレムにのぼるが、人の子は、司祭長、律法学士たちに渡されるだろう。そして彼らは、人の子に死刑を宣告し、異邦人にわたし、嘲弄させ、むち打たせ、十字架につけるが、しかし、三日目によみがえるだろう 」と言いました。
 復活に関するキリストの預言が、一般の人びとに知れわたっていたということは、キリストの死後、彼らがピラトに進言して、「あのまどわし者は、生きていたときに、私は三日目に蘇る、といっていたのを思いだす 」といっているのを見ても分かります。

【キリストは死んだ、そして墓に葬られた】

 四人の福音書記者は、いずれも、キリストは十字架のうえで死んだと言います。兵隊たちは、キリストが死んでいることがわかったので、彼の足のすねを折りませんでした。ひとりの兵隊が、槍でキリストの脇腹を貫きました。アリマタヤのヨゼフが、キリストを埋葬するためにその許可を願い出ると、ピラトは許可を与える前に、百夫長に命じてキリストの死を確認させています 。考えてみて下さい。キリストの殺害をあれほど執念深くたくらんでいたキリストの敵たちが、自分たちの計画を中途半端でやめることなどありえたでしょうか。前述したように、「生きていたとき」といっていますが、この言葉から考えても、いまは死んでいるという事実があったからこそ、こういう言葉が出てきたことがわかるのです 。
(ローマの歴史家、タキトゥス(西暦55年―120年頃)は、「キリストは、チベリウスの治下、総督ポンテオ・ピラトに依って死刑にされた」と記しています(Annals.ⅩⅤ.44)。)


【キリストは死者のうちから蘇った。】

 福音書記者たちが教えているところによると、墓がからになっていました。それから、キリストはマリア・マグダレナと他の婦人たちとに現れ、次に、使徒たちに現れ、傷のあとを示しています。「私の手と私の足とを見よ、私自身だ。私に触って確かめてごらん。霊には、私にあるような骨や肉はない 」といって、彼らと話したり、一緒に食事したりしています 。キリストは、エマオへ帰る二人の弟子と一緒に歩き行きましたが、「パンをさく動作 」によって、弟子たちは、彼が主であることを知ったのです。コリント人たちに書き送った手紙で、聖パウロは、「五百人以上の兄弟たちが一緒にいるところに、キリストが現れ、最後には、私にも現れた 」と教えています。

【A キリストの復活に関する証人は信頼に値する】

(1)彼らは、決して嘘つきではありません。彼らには、虚偽の証拠をつくりださなければならない少しの動機もありませんでした。彼らの働きと、そのためにうけた苦難とを思いあわせると、それらはみな、彼らの誠実さを証拠だてるものばかりです。また、彼らは、自己欺瞞におちていたわけでもありません。なにしろその数がひとりやふたりではないし、初めからキリストの復活を信じていたわけではなく、むしろ信じたくなかったくらいなのです。また、キリストの死後、キリストが、彼らとともにいた時間が、相当長期にわたっていたことも、自己欺瞞という説を不可能にするもうひとつの理由なります。

(2)天主は奇跡の賜物を彼らに与えて、彼らが人を騙すような人間ではなく、また浅薄な夢想家でもなく、ひたすら真理を宣言する人たちであることを立証しています。彼らの手によって、キリストのみ名において、天主は、多くのしるしと、不思議とをおこしたので、これを見た、「一般の人びとは、畏れを感じた 」程でした。

(3)何千人という、初代教会の改宗者たちが、聖ペトロのもとにあつまっているが、そのなかには、「非常に多くの司祭たち 」がいたという驚くべき事実に注意して下さい。これらの司祭たちは、特別な階級に属する人たちで、つい最近までは、キリストの奇跡を否定していたばかりでなく、キリストを十字架の刑罰におくりだすために、一生懸命になった人たちでした。また今もなお、天主から来る新しい証拠を抹消するために、やっきとなって努力している大司祭たち、その他の指導者たちといさぎよく訣別してきた人たちであったのです 。これら勇敢な改宗者たちは、彼らの司祭職が提供するいろいろな特権を、一生涯続くかも知れない迫害ととりかえなければならないはめにおちいる、自分たちの立場を、よく承知していたにちがいません。彼らは、彼らが属していた社会を混乱させる者、民族の裏切り者として、あるいは焼き殺されねばならないかも知れないということも知っていたにちがいません。それにもかかわらず、こういう未来に敢然とたち向かっていくことができたのは、何のためであったろう。彼らは、ひたすら自分たちの良心が要求する強い命令に従っただけであったのです。キリストの復活という真理が、彼らの心に水晶のような清浄な姿でうつしだされていたにちがいません。

 これは、おそらく次にあげる二つの道のどちらかからきたと思われます。その一つは、使徒たちがおこなう奇跡が、間違いなく起きた奇跡であるということを知り、従ってこれはキリストが復活したと主張する使徒たちがただしいことを、天主ご自身が保証するものだと確信するに至ったか、或いは、もう一つの道に従うと、彼ら自身、復活に関係がある多くの証人たちの話しをきいたり、調べたりして(誰とでも直接話しあうことができた)、それらの証拠には、なんら疑問とするものがないことを確かめて、最後の確信に到達するようになるかしたのです。しかし、上述したふたつの、いずれの道を選んだとしても、彼らの多くの人びとは、もう一歩前進したことは確かです。すなわち、さらに遡って、メシアに関する預言をもう一度調べたにちがいません。その結果、旧約の預言が、すべてキリストにおいて成就したことを知ったのです。すなわち、キリストは人となった天主の子で、苦しみをうけ、十字架に釘づけられて死にました。そして三日目に墓から蘇りましたが、これらはみな預言の完成であることを知ったのです。

【キリストの復活に関する証人としての聖パウロ】

 聖パウロの証言は、それ自体、確固たる証明力をもってはいるが、同時に他の証人たちの証言をも立証する特別な力があります。いかなる批評家も、聖パウロがダマスコ途上で、奇跡的な示現にあった事実を疑問視するものはいません。キリストの死後、三十年以内に、聖パウロが、ローマ、ギリシア、小アジアの諸教会に書きおくった素晴らしい手紙、この書面をもって彼は、彼らの信仰の土台であるキリストの復活を諄々と説いていますが、これらの手紙の文献的な価値を無視していくことができる批評家は、一人もいません。また、前身は教会の迫害者だった聖パウロの、聖者としての風格と、誠実な人格とに、疑問符をうつことができる人もいません。聖パウロのように高潔な人格者で、しかも教養の高い人が、詐欺師とか、またはこれに類する人たちの仲間入りができるものではありません。また、復活の証人たちと話しあったとき、何かの不合理を発見したり、彼らの立証に、うたがわしい点を見いだしたりしていながら、そういうことに関する一切の記事をさし控えたなどとは到底考えられるものではありません 。

【B キリストの復活は、復活に関する全世界に及ぶ信仰という奇跡によっても証明される】

 ペンテコステの日、その日はまだ、イェルザレムにおいて、キリストの惨酷な死刑の記憶が、人びとの脳裡にまざまざと浮びあがってくるときでしたが、使徒たちは、その同じ場所に、素面で立ち上がり、人びとの前に姿を現したのです。講演の冒頭で彼らはキリストの復活を説いたのです。「天主が復活させたのはそのイエズスで、私達はみなその事実の証人である」と聖ペトロは説教したが、この言葉でキリストを信仰し、改宗したユダヤ人たちは三千人もいた。それから間もなく、「天主が、死者の内から蘇らせたのは、生命の君 」であるということについて、聖ペトロが説教したときにはさらに、五千人以上の改宗者がこれに加えられています。パレスチナはいうにおよばず、国境をこえて、各階級と民族とに、改宗者の数は日一日と急速に増加していった。数年にもならないうちに、百万人を突破し、数世紀のあいだに、ローマ大帝国の大半をキリスト教化し、更に前進して行きました。聖アウグスチヌスはキリストの復活が事実でなかったとするなら、ガリレアの名もない少数の漁夫たちが、世界をこの信仰に塗り替えたいうことになり、キリストの復活と同じくらい偉大な奇跡になってしまう、といっています。この信仰の奇跡は、また継続的な奇跡でもあって、時代が経過するにつれて、ますます大きくなりました。四億以上の信者がいる今日の教会においては、カトリック教会外にもこの信仰をもっている人々が二億はいると推定できます。信者は、いろいろな階級にまたがっているが、もちろん最高の知識層に属している人たちもいます。従って、天主は使徒たちが真理を宣言したことをこういう奇跡的な事実によって立証しているのです。天主は私達の主イエズス・キリストが、死者のうちから蘇ったことを立証しているのです。

 上に挙げた積極的な論証の証明力は、復活の日の朝、墓がからであったという疑うことができない事実を説明するために反対論者たちが提唱する多くの説が、どれもこれも、とるにたりないものであることが分かれば、さらに強力に浮かびあがってくるのです。

 以上、シェアン司教著 「護教学」 より。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm


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