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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

いちばん聖心に適う、いちばん天主三位一体が喜ぶ、いちばん効果がある、力がある祈りと犠牲の仕方とは?

2017年04月02日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月4日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月4日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月4日、3月の初土曜日です。マリア様の汚れなき御心の随意ミサをしています。今日特に小さなお友達がたくさん来て下さって、とっても嬉しく思います。マリア様も天国でとっても嬉しく歓迎しています。今日のこの御ミサはマリア様の御心に捧げて下さい。

この前の水曜日から、教会は四旬節という特別の時期に入りました。これはイエズス様の御復活の前の40日間、犠牲とお祈りを捧げる、特に大人は断食をして復活祭まで時間を過ごす、お祈りと犠牲を果たす、という特別の時期です。それでその最初の日に私たちは、額に灰を付ける儀式があります。水曜日にその儀式をするのです。それができない人はその後でもその儀式をする事ができますので、昨日私たちはそれをしました。
もしも、昨日それができなかった方は、今日どうぞなさって下さい。

ミサが終わったら、公教要理もあります。もしも時間がある方は与ってください。
今回はこの前の続きで福音書、聖書の福音書は一体誰が、いつ、どうやって書いたのか?

本を見た時に、一体著者は誰か、誰が書いたのか、どこの大学の先生なのか、或いは学歴はどうなのか、或いは仕事は何をやっているのか、それを見てから本を読む人がたくさんいるかもしれませんが、買おうか買うまいか。

では福音書は一体誰が書いたのか?という事を皆さんに知ってもらいたいなと思って、特に最初の2つの福音書について今日お話できたらなと思っています。



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、特に愛する小さなお友達、今日はマリア様の初土曜です。ですから今日はマリア様の汚れなき御心のこの教会に来ている人たちはとっても嬉しく思っています、初土曜日だからです。

そこでちょうど今年は2017年で、ファチマのマリア様の御出現の100周年なのです。それで特に四旬節は聖ヨゼフ様と共に、またイエズス様の聖心と共に、マリア様の汚れなき御心と共に、私たちの今年の四旬節が始まりました。

ですから今日は特に、このファチマでは100年前、私たちに一体何をイエズス様は求めておられたのか?

私たちはこうマリア様の汚れなき御心というのは一体どういう風に、一体何なのか?どういう風に理解したらいいのか?という事を黙想して、

そして今日この四旬節、特に初土曜日はどうやって過ごしたら良いのか、これから良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。

特にファチマのマリア様は100年前に、小さな子供たちに自分の秘密を話されました。ですから今日は小さなお友達が3人来られて、マリア様の御心の秘密をよく聞いてくれるのをとても嬉しく思います。

ファチマのマリア様は私たちに、「祈りと犠牲を捧げて下さい」とお願いしました。100年前マリア様は、その事を特別にお願いする為に来られたのです。その前には天使たちも子供たちに送りました。ポルトガルの守護の天使で平和の天使です。その天使も子供たちに、「罪人の為に祈りと犠牲を捧げなさい。三位一体、真の天主様を慰める為に祈りと犠牲を捧げなさい」とお願いしました。そこでファチマのマリア様は特に、「祈りと犠牲」という事を私たちにお願いしています。

それで特に、その祈りと犠牲にも色々なやり方がありますけれども、特別の秘密を教えてくれました、「色んなやり方もあるけれども、一番聖心に適う、一番天主三位一体が喜ぶ、そして一番効果がある、力がある祈りと犠牲の仕方は、私たちが聖母の汚れなき御心の信心をする事にあるんだよ。これをこの地上に確立する事を望んでおられる。そしてもしこれをすれば、多くの霊魂が天国に行く、救われる。そして全世界には平和が起こる。それでカトリック教会はますます栄えて、栄光を受ける。」

「もしも私たちがその聖母の汚れなき御心の信心をしないならば、多くの霊魂はもう取り返しのつかない事が起こる。地獄に落ちてしまう。雪が真夜中に冬に降るように、更にもっと吹雪のように、雨がザーザー降るように、霊魂たちが地獄に落ちてしまう。そしてこの世界には戦争が起こる。国と国が立ち上がって戦う。多くの霊魂が滅びてしまう。」

「そればかりではない。民族が国々が、無くなってしまう国々もある、この地上から消え去ってしまう民族や国民たちがいる。そればかりではない。飢餓や飢饉が来て、食べる物も無くなってしまう。そればかりでない。教会が迫害を受ける。私たちが自由に教会に行く事もできなくなってしまう。国民が奴隷のようになってしまう」と。

「でもそれを救う為にはそれから逃れる為には、聖母の汚れなき御心の信心をすれば良い。それをすると、私たちにはそれを防ぐ事ができる」と言うのです。

「えぇ!?すごい!とってもすごい事です。そんなに私たちがする事で霊魂がたくさん救われて、平和がこの世界の平和が来て、そして教会には栄光が来るというのは、多くの人が平和に暮らす事ができるというのは、本当に何かちょっと私たちのやっている事とはちょっと比較にもならない事が起こるんじゃないか」と思うかもしれません。でもそういう事ができるのです。

考えてもみて下さい。誰かが、「富士山から湧き出る水を飲みたい、富士山の山の奥に行って、それをその水を飲みたい」と言ったら、「あぁ、じゃあ、やりましょう!」

普通でしたら山に行って、登山して、雪の中でも山の中に入って行って、そしてその泉からコップを取ってこう手ですくって、「こうやって、ああやって」と言って、「ようやく手に入れた富士山からの山の水です、早く飲んで下さい」と言うかもしれません。でも「もっと飲みたい、たくさん」という時にはどうしたら良いでしょうか?

大変な事もあります、その為には色々な準備をしなければなりません。しかしある力がある人が、富士山から水道のパイプを繋げて、「この蛇口をひねるだけで水が出るように、ドクドク出るように作った。だからもしも富士山の水を飲みたいならば、この蛇口をひねれば良いですよ」という人がいたとすれば、私たちはその富士山まで行かなくても、蛇口をひねるだけでよくなります。

それと同じようにイエズス様も、世界の平和の為には特別の蛇口を作って下さったのです。それが聖母の汚れなき御心の信心なのです。

昔同じ事がありました。旧約時代にシリアという国があったのです。とっても強い国で、軍隊がありました。軍隊もとてもとても強くて、もうその軍隊が行けば他の国の王様は恐れてしまって、とても何もできない。その軍のトップが「ナアマン」という人がいました。特別の訓練を受けた軍人で、ナアマンが「進め!」と言えば、何千人の人がダッダッダッダッと行くし、馬に乗った兵士たちも騎士馬車もヒヒーン!ダダダダダッと何千という馬もあるし、馬車もあったり弓矢も打ったり、とても強い軍隊のトップがナアマンです。シリアの王の特別の愛された軍人で大将軍でした。

ところがこのナアマンは、癩病という大きな伝染病にかかってしまいました。もうそれを治す薬もありません。そしてその事を聞いた王様はとても悲しみました、「あれほどの偉大な軍人がこのまま癩病で死んでしまうのか?薬は無いのか?このシリアの国にはそれを治す医師がいないのか?」いません。

すると、たまたま奴隷で連れられて来たイスラエルのある婦人が、シリアのナアマンの奥さんの妻のしもべとして働いていました。その召し使いが奥さんに、「あぁ、イスラエルにはエリゼオというとても素晴らしい預言者がいます。その方がお祈りして、按手したりお祈りして下さったらきっと治るでしょう」と言ったのです。その事を奥さんが聞いて、「そんな事もあるのか」と言って、ナアマンに言うのです、「あなた、イスラエルにはとても素晴らしい人がいるそうです。お祈りをすると奇跡が起こるそうです。有名なエリゼオという人です、たくさんの奇跡を行なった預言者です。」

するとシリアの王様は、その手紙をイスラエルの王に書くのです。イスラエルの王に、王の手紙で、外交の「もしもこれを聞かなければイスラエルの王、お前何が起こるか分かるな」という特別の手紙を書きました。そしてそれを持ってナアマンは、特別の軍隊を揃えてイスラエルに行きます。そして「これがシリアの王からの手紙です」と渡しました。

イスラエルの王様はそのシリアの王様からの手紙を受けて、「えぇ!?『私の大将軍ナアマンの癩病を治せ』!?これは罠だ!これを拒否したら、つまり戦争が起こるという事だ。一体どうしたら良いのだろうか。もう挑発に違いない。」うろたえました。

「もしもシリアが攻めてきたら、私たちは皆奴隷になってしまう。どうしたら良いんだ!?」「でも王様、ここにはこのエリゼオの話があるから、このエリゼオに行くように言ったらどうでしょうか?」「おぉ、そうか」と、イスラエルの王様は平伏して、

「あぁナアマン様、はい、この仰る通りです。イスラエルには偉大な預言者がいます。エリゼオという男です。どうぞヨルダン川のふもとにいますから、どうぞそちらにいらっしゃって下さい、お願い申し上げます。もし必要であればその費用も全て、馬とか全部与えますから、どうぞそちらに向かって下さい。」「あぁ、そうか」と言って行くのです。

そしてイスラエルの王は、「あぁ、このまま戦争が起こらなければ良いなぁ」と、とても心配しました。

大軍隊が来たのを見たエリゼオは、「一体何の事か!?」と思って、ナアマンから「イスラエルの王から送られてきた。この病気を治してほしい」という伝言を受けます。

エリゼオはナアマンに会おうともせずに、「では彼に、ヨルダン川に行って、体を洗えと言え。そしたら治るから。」それを伝えて終わるのです。

「えぇ!?」ナアマンは「俺が来たのに、シリアの軍隊のトップだぞ!大将軍だぞ!会いもせずにヨルダン川で洗えと言うのか!イスラエルにはユーフラテス川もあるし、バビロン川もあるし、チグリス川もあるし、そんなヨルダン川のような小さい川よりももっと偉大な川がある。何でそんな所に行かなければならないのか!馬鹿馬鹿しい!あぁこれは戦争を起こすしかない!俺は騙された!」と言いだします。
近くにいた者が、「あぁ、まぁまぁ将軍そう怒らないで、まぁ騙されたと思ってヨルダン川に入って洗ってみたらどうでしょうか?まぁ、すぐ近くにありますし。」
「俺はシリアの大将軍だぞ!エリゼオが私に直接来て、特別のお祈りをしてくれるのが当然じゃないか!」
「あぁ、まぁそう言わずに、エリゼオがそう言うのですから」とお供が宥めます。
「まぁ、お前が言うなら仕方がない」と言ってヨルダン川の方に行って、「え?俺がここに入って洗うのか!」
「まぁそう言わずに大将軍、少しだけです。」
「人が見ているかもしれない。」
「まぁまぁ、大丈夫、誰も見ていませんから。」
「本当か?俺がそんな恥ずかしい事ができるか!」
「大丈夫です、そんなヨルダン川で洗うくらい何も恥ずかしい事ではありません。」

それで、ナアマンという癩病の大将軍はヨルダン川に入ったのです。半信半疑で、「騙されたんじゃないか」と思いながら。

入ってみると、「あっ!!きれいになっている!癩病が治った!」あっという間に治ってしまったのです。

そこでその事を喜び勇んでシリアに帰って報告すると、シリアの王様は、「あぁ、イスラエルの天主こそ本当の天主だ!真のこの世の創り主だ!」と言ってその讃美した、という歴史の事実がありました。

それと同じような事を今回も、イエズス様は私たちを通してやろうと思っています。
「え?」
「マリア様の汚れなき御心の信心を通して、世界に平和を起こす。霊魂を救う!」
「え?本当かな?」本当です。

ではどうやったら良いのでしょうか?

とっても簡単なのです。イエズス様は子供たちにこう言いました、「月の最初の土曜日に 、5回続けてミサに与って、それから告解をして罪の告白をして、そして5回続けてミサに与って聖体拝領をして、そしてその月の最初に5連ロザリオを唱えて1環ロザリオを唱えて、それから15分間マリア様のロザリオの玄義を何か黙想しなさい。それだけで良いのだ。」

そしてその事を、その「5ヶ月間最初の土曜日にやる」という事を聞いて、その事をルシアが自分の神父様に言うと、指導司祭に言うと神父様は、「え!?でももう既にそのような信心はある。イエズス様の初金曜日にならって、そしてマリア様の15の玄義を記念して、初土曜日に15回聖体拝領をして、告解して、ロザリオを唱えるという信心がもうあるから、そんなものは必要じゃない」と答えたのです。

すると後にイエズス様がポンテベルデという所に現れて、シスタールチアに言うのです、「私は15回やるというよりも5回を望む。何故かというと、人々は最初はたくさん始めるけれども、最後まで根気よくやる人はいないから。15回もやると長すぎる。また15回無関心に形だけやるよりも、5回熱心にやる方が私にとってもっと心に気に入る。」

イエズス様は私たちの弱さをよく知っていて、子供である私たちが「5回もやればそれで十分だ。5回さえやってくれれば良いんだ」と、一番簡単な方法を選びました。

イエズス様は、たくさん要求をしようとしませんでした。ちょうど「ヨルダン川で体を洗え」と言ったのと同じようです。「5回、たった5回、月の最初の土曜日に告解をして、聖体拝領をして、ロザリオを5連唱えて、15分間黙想をする。これを5回すればいいんだ。そうしたら世界に平和が来る。多くの霊魂が救われる。教会が昔のように栄光を受ける」と約束されたのです。

何故なのかというと、イエズス様はこの特別の御恵みを、「マリア様の汚れなき御心を通して与えたい」と思っているからです。そしてマリア様の汚れなき御心を通して祈りと犠牲を捧げる事によって、この特別の御恵みを与えたいという蛇口を作ったからです。

でもマリア様はそのイエズス様に取り次ぎをする為に、私たちの小さな協力が必要なのです。そしてその小さな協力がこの聖母の汚れなき御心への信心なのです。5回の初土曜の信心なのです。

秋田でもマリア様は同じ事を言いました、「私は御子と共に、この天主の怒りの手を、正義の手を止めるように一生懸命してきました。今、祈りと犠牲をする霊魂を求めています、慰める霊魂を求めています。そして今それは集められています。」そしてその祈りと犠牲をマリア様と共にする霊魂を求めているのです。

私たちが初土の信心をする事によってマリア様は、この私たちのこの小さな祈りと犠牲です。それを効果的に使って、ピタリと止めて、世界に平和を与える事ができます。ですから今日は特別な日で、特に小さな子供たちがここで「マリア様の御心の信心をしよう」と来てくれた事を本当に嬉しく思っています。

では私たちは今日どういう遷善の決心をしなければならないでしょうか?

私たちはですから今日、初土の信心を致しましょう。そして告解をして、そして御聖体拝領をして、そしてロザリオを唱えて、もう既にこれはしました。あと15分間の黙想を致しましょう。今日はでは、「マリア様が御告げを受けた」という事を黙想をするのはどうでしょうか。マリア様がイエズス様の婢女として、イエズス様の救霊の道具として、「はい、私に御言葉の通りになりますように」と言われたマリア様のご謙遜、マリア様がイエズス様をお喜ばせする為に、霊魂の救いの為に、全ての犠牲を受け入れようとしたそのご謙遜、私たちはどうやったら倣う事ができるだろうか、等と黙想致しましょう。

そして第2は、この四旬節をマリア様の汚れなき御心と共に過ごして下さい。復活祭までいつも、マリア様の汚れなき御心の事を考えて下さい。シスタールチアは、「子供の頃からファチマのそのマリア様を見た時から死ぬまで、全ての事をマリア様の汚れなき御心の為にしてきた」と言っています。

「マリア様の汚れなき御心の為でなければ何もしなかった」と言います。私たちもそれを真似て、全てマリア様の汚れなき御心にその為にする事に致しましょう。そして良い四旬節を送る事をマリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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