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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズス・キリストが死なれた日は

2017年04月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

イエズス・キリストの死なれた日付はいつだったのでしょうか。

4つの福音書が口をそろえているのは、イエズスが死なれたのが金曜日(安息日の前日、すなわち安息日のために用意する「用意日」)だったということです。

マテオ 「日が落ちたころ、アリマタヤの金持ちでヨゼフという人が来た。この人もイエズスの弟子だったので、ピラトのもとに行って、イエズスの屍をさげ渡してくださいと願った。ピラトはそれを渡すように命じた。屍をうけとったヨゼフは、それを清い覆布でつつみ、岩に掘った自分の新しい墓におさめ、墓の入り口に大きな岩をおいて帰って行った。そこでは、マグダラのマリアと他のマリアが、墓のほうにむいて座っていた。
そのあくる日、すなわち用意日の翌日、司祭長たちとファリザイ人たちとはピラトの所に行って、「主よ、私たちは思い出したのですが、あの惑わし者は、生きていた時に、"私は三日後によみがえる"といっていました。ですから、三日間墓を見張るように命令してください。かれの弟子たちが来て、屍をぬすみ出し、"死からよみがえった"と人々にいいふらすおそれがありますから。そんなことをいえば、このうそは、前のうそよりもひどいものです」といった。ピラトは、「あなたたちに番兵をやる。好きなように守りにいけ」といった。そこでかれらは、石に封印をし、番兵をつけて墓を守り固めた。」

マルコ 「夕ぐれになった。用意日、すなわち安息日の前日であった。おもだった議員の一人で、天主の国をまちのぞんでいたアリマタヤのヨゼフが、なんのはばかりもなくピラトのもとに行き、イエズスのしかばねを乞うた。もう死んだのかとおどろいたピラトは、百夫長をよんで、もう死んだのかとたずね、百夫長からたしかめた上で、しかばねをヨゼフに下げ渡した。ヨゼフは、亜麻布を買い、イエズスを十字架からおろし、亜麻布でつつみ、岩にほった墓におさめた。そしてその墓の入口に、石をころばしておいた。マグダラのマリアと、ヨゼットの母マリアとが、その納めたところをよく見ておいた。」

ルカ 「さて、議員で、善良な、正しいヨゼフという人がいたが、・・・かれはあの議決と仕業とに賛成していなかった・・・この人はユダヤ人の町、アリマタヤの人で、天主の国をまっていた。かれは、ピラトをおとずれて、イエズスのおん体の引取り方をたのんだ。そして、イエズスのおん体を十字架からおろして覆布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩にほった墓におさめた。その日は用意日で、安息日があけはじめていた。ガリラヤからイエズスといっしょにきた婦人たちもついて来て、その墓と、おん体がおさめられたありさまとを見て、帰ってから、香料と香油を準備した。それから掟にしたがって、安息日を休んだ。」

ヨハネ 「このことばをきいたピラトは、イエズスを外につれていき、敷石、ヘブライ語でガッバタといわれるところで、裁判の席についた。それはすぎこしの用意日で、十二時頃のことであった。ピラトが、ユダヤ人に、「これが、あなたたちの王だ」というと、彼らは、「殺せ、殺せ!十字架につけよ!」と叫んだ。ピラトが、「私が、あなたたちの王を十字架につけるのか?」というと、司祭長たちは、「私たちの王はチェザルのほかにはありません」と答えた。そこで、ピラトは、イエズスを十字架につけるために、かれらにひきわたした。」

ヨハネ 「イエズスは酢をうけて、「すべてはなしとげられた」といい、おん頭を垂れて息を引きとられた。その日は用意日だったので、安息日に体を十字架の上に残しておかないように(この安息日は、大祭日であったから)ユダヤ人たちは、ピラトに、彼らのすねを折って取りのぞくようにと願ったので、兵隊たちが来て、まず一人、そして、ともに十字架につけられたもう一人の脛を折った。」

ヨハネ 「彼らはイエズスのおん体をとりおろし、ユダヤ人の葬りの習慣どおり、香料とともに、そのおん体を布で巻いた。イエズスが十字架につけられたあたりに園があり、その園に、まだだれもいれない新しい墓があった。その日は、ユダヤ人の用意日でもあり、この墓が近かったので、そこにイエズスを納めた。」

イエズス・キリストが最後の晩餐をしたのは十字架にかけられる前の晩ですから、木曜日の晩です。

ところで、共観福音によると、イエズス・キリストはご自分の亡くなる前、木曜日の晩に「過ぎ越しの食事」を弟子達と取ったと分かります。

マテオ 「たねなしパンの祭の最初の日に、弟子たちがイエズスに近づき、「すぎこしの食事をするために、どこに準備したらよろしいですか?」というと、イエズスは、「町に行って、某という人をたずね、"私の時は近づいた。私は弟子たちといっしょに、あなたの家ですぎこしをすると先生がおっしゃいました"といえ」とお命じになった。弟子たちはイエズスのことばどおりにしてすぎこしの準備をした。」

マルコ 「たねなしパンの祭の最初の日・・・それはすぎこしの小羊をほふる日であるが、弟子たちがイエズスに、「どこに行って、あなたのすぎこしの食事の準備をしましょうか?」といった。イエズスは、二人の弟子をおくり、「町に行くと、水瓶をもっている人にであうから、その人について行き、その人がはいった家の主人に、"先生が弟子たちといっしょにすぎこしを食べる部屋はどこかとおたずねでした"といえ。そうすると、その人は、席をととのえ、すでに用意された二階の広間を見せてくれるから、そこに準備せよ」とおおせられた。弟子たちが出かけて町に行くと、おっしゃったとおりになったので、そこにすぎこしの準備をした。」

ルカ 「すぎこしをそなえるたねなしパンの日が来た。イエズスは、ペトロとヨハネとをつかわすにあたり、「私たちの食事のために、すぎこしの準備をしにいけ」とおおせられた。かれらが「どこに準備すればよろしいでしょうか?」ときいたので、イエズスは、「市中にはいると、水瓶をもっている人にであうから、あなたたちは、その人がはいる家についていき、家の主人に、"先生が弟子たちといっしょにすぎこしの食事をする部屋はどこか、とおおせられていました"といえ。すると、主人は、席をととのえた二階の大広間を見せてくれるから、そこに準備せよ」とおおせられた。かれらがいってみると、イエズスのいわれたとおりだったので、すぎこしの準備をした。」

もしもこのイエズス・キリストが弟子達と食べたユダヤの過ぎ越しの食事が律法によるものだとすると、ニーサンの14日(木曜日)の夕方になされ、ニーサンの15日(金曜日)にイエズス・キリストが十字架で亡くなったことになります。エルサレム入城はニーサンの10日(主日)になされたことになります。

何故なら「過ぎ越し祭」は、ニーサンの14日の夕方に行われ、その直後から7日間「種なしパンの祭り」が続いた(ニーサンの月15日から21日)からです。(ニーサンの14日から21日までを、「過ぎ越し祭」とも「種なしパンの祭」とも言われていました。)

しかし、もしもこのイエズス・キリスト最後の晩餐が律法に従ってニーサンの14日(木曜日)の夕方になされ、ニーサンの15日(金曜日)にイエズス・キリストが十字架で亡くなったとすると、何故多くのユダヤ人たちがこの日(ニーサン15日)に安息を守っていなかったのかが問題になります。シレネのシモンは労働に行くところでしたし、アリマテアのヨゼフは没薬を購入することも出来たからです。


ヨハネの福音によると、イエズスが最後の晩餐をした翌日、言い換えると、イエズスが十字架に天主の子羊として十字架に付けられて死なれたその日、ユダヤ人たちはまだ過ぎ越しの食事をまだしていなかったとあります。

ヨハネ 「人々は、イエズスを、カヤファのもとから総督官邸にひいて行った。夜明けだった。ユダヤ人たちは、すぎこしの小羊を食べるについて、汚れをうけないようにと、総督官邸にはいらなかった。」

何故、イエズス・キリストの過ぎ越しの食事の日付と、ユダヤ人たちの過ぎ越しの食事の日付が一日ずれていたのでしょうか?

もしも、ユダヤ人たちが過ぎ越しの食事をニーサンの14日の夕方にしていたとすると、イエズスが十字架で亡くなったのがニーサンの14日(金曜日)だということになります。ユダヤ人たちがすぎこしの子羊を屠ろうとする時、天主の子羊が十字架の上で屠られていたことになります。その時、日はまだ高かったのですが、にわかに夕方のように暗くなりました。

もしもそうだとすると、木曜日の最後の晩餐の食事は律法による食事ではなかったことになります。

また前晩の木曜日の食事の時についてヨハネは「すぎこし祭の前」と言います。

ヨハネ 「すぎこし祭の前に、イエズスは、この世から父のもとにうつる時が来たのを知り、この世にいるご自分の人々を愛し、かれらに限りなく愛をお示しになった。食事の間に、悪魔は、早くも、イスカリオトのシモンの子ユダの心に、イエズスをわたそうという考えをいれた。父が自分の手に万物をゆだね、自分は天主から出て天主に帰ることを知っておられたイエズスは、食卓から立ちあがって、上衣をぬぎ、手拭いをとって腰にまとい、それからたらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、まとった手拭いでこれをふきはじめられた。」

ということは、もしもユダヤ人たちの過ぎ越し祭がニーサンの14日(金)だったなら、最後の晩餐は、ニーサンの13日に行われたことになります。

イエズス・キリストが亡くなった年、私たちの今は詳しく正確に知ることが出来ない理由で、ある者はニーサンの13日に、ある者はニーサンの14日に過ぎ越しの食事を行ったと考えられます。

その理由としては、現代の天文学による厳密な月の満ち欠けではなく、肉眼の観察による暦を使っていたため、です。

例えば、イエズス・キリストの時代に、サドカイ派とファリサイ派とは、五旬祭と過ぎ越し祭との日付について論争していました。

例えば、当時、司祭の家系でサドカイ派で極めて影響力のあったボエトゥス家の一派は、五旬祭は必ず日曜日に祝うべきであると主張していました。さらに過ぎ越しと五旬祭との間の50日は、過ぎ越しの八日後の初穂奉献の祭りから数え始めることを主張していました。

旧約の律法によれば「過ぎ越し祭」の間(つまりニーサンの14日から21日までの間)、初穂を捧げなければなりませんでしたが、その捧げる日は「安息日の翌日」altero die sabbati だったからです。サドカイ派は、初穂奉献の祭りは過ぎ越しの後の日曜日に行われることを支持しました。

ところが、これと対立して、ファリザイ派は五旬祭は週の何曜日でもかまわないと主張。そこで初穂奉献の祭りは、過ぎ越しの直後、つまりニーサン16日に行われることを主張していました。ファリザイ派によると、初穂奉献祭の日の「安息日の翌日」altero die sabbati とは、「過ぎ越しの翌日」のことだと主張していたからです。

ところで、サドカイ派は、ニーサンの15日が金曜日に当たると、暦を一日ずらしてこの金曜日をニーサン14日として子羊を屠り過ぎ越しの食事をとり、ニーサン15日が安息日(土曜日)、その翌日(ニーサン16日)に初穂記念祭を行っていました。これは満月がいつであるかを計るために肉眼による測定を行っていたためにおこる揺らぎでした。

しかしファリザイ派はこのようなずらしを受け入れず、何曜日であろうとも過ぎ越しを行っていました。一般大衆はファリザイ派の指導の下にありましたが、上流社会は司祭階級とより結びつきが強く、サドカイ派の影響を強く受けていました。また人々は、自分の都合に合わせてどちらの流儀に従っても良いと考えられていました。

そこで、イエズス・キリストが磔になった聖金曜日は、本来なら「ニーサン15日」でした。サドカイ派は、習慣に従ってこれを一日ずらして、初穂奉献祭「ニーサン16日」が日曜日になるようにしたけれど、ファリザイ派はずらさなかった、と。そこで、聖金曜日は、一部の人々にはニーサン14日であり、一部の人々にとってニーサン15日であったとなる、と言うことです。

そこでヨハネの福音はサドカイ派の暦に沿っており、共観福音はファリザイ派の暦に従っていると思われます。

すると、ファリザイ派と一般民衆は、聖木曜日に律法の子羊の食事を取り、イエズス・キリストも最後の晩餐を行ったことになります。この聖木曜日はニーサン14日になります。翌日の聖金曜日はニーサン15日(過ぎ越し)となるはずですが、イエズス・キリストを排斥した衆議所の大部分はサドカイ派に属し、彼らにとっては聖木曜日は「ニーサン13日」でした。そこで、彼らは聖金曜日に子羊を屠り、土曜日をニーサン15日(過ぎ越し)と考えていたことになります。そこでイエズス・キリストが亡くなった聖金曜日に、多くの人々が律法による安息を守っていなかったか、が説明が付きます。何故なら、ファリザイ人にとっては過ぎ越し(ニーサン15日)でしたが、一般の人々は様々な理由でサドカイ派の暦に従っていたからです。

2017年4月7日-10日の聖伝のミサの報告(続き):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年04月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

先日の聖伝のミサについてのご報告を更にいただきました。深く感謝します。

どうぞ良い聖週間をお過ごしになり、聖なる復活の主日をお迎え下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
変おそくなりましたが、ひとことだけ所感を申し上げます。(^_^;)

【所感】
4/10の聖月曜日に、レネー神父様が一言だけのお説教をしてくださいました。
その中で、心に突き刺さったお言葉がありました。
聖月曜日の聖ヨハネ聖福音では、イエズス様はベタニヤに行かれ、聖マグダレナがナルドの香油をイエズス様の御足に注ぎ、自らの髪の毛で拭う箇所でした。
ナルドの香油は売れば300デナリオという大金になり、貧しい人々に施すことができるほど高価なものを、イエズス様に注いだ。
イエズス様は「彼女のするにまかせよ。・・・貧しい者はいつもあなたたちとともにあるが、私は常にあなたたちとともにいないであろう・・・」とお答えになり、
マグダレナの行為を良しとされました。この箇所が聖週間に読まれるという意味は、聖週間だけは、施しという善行でさえ、それよりもイエズス様への愛を最優先にしなければならない。
それほど聖週間は受難に向かわれるイエズス様の聖心を思わなければならないと悟りました。
この聖マグダレナの行為は、聖週間のお手本だったのだと理解できました。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。

【お返事】
聖ヨハネの福音による聖月曜日の朗読箇所は、本当に心に残りますね。
聖マリア・マグダレナとユダ・イスカリオトとの対比がすごいと思います。

聖マリア・マグダレナは、高価な香油を惜しみなくイエズス様の頭と御足に塗り、自分の髪で主の足をぬぐいました。
イスカリオトのユダは、それをケチって金貨300デナリオという大金で売れば良い、お金を儲ければ良い、と文句を言います。
イエズスがユダをたしなめると、それに腹を立てたユダは、今度はイエズスを売り飛ばそうと決心します。奴隷の値段の銀貨30シケルで。

聖マリア・マグダレナは、イエズス様の足下に香油を塗って愛情を示し、十字架の足下にまで従い、ついには主の復活の最初の証人の一人となります。
イスカリオトのユダは、イエズスに裏切りの接吻をし、主を売り飛ばして手に入れた金を司祭長たちに投げつけて返し、自分は首をくくって自殺します。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

枝の主日の御ミサをありがとうございました。
枝の主日は、旧約聖書における“過ぎ越しの五日前に部屋の中に生贄の子羊を入れる”ということと 関連していると伺いました。イエズス様がエルサレムに入場される喜びの印に枝をかざして歓迎の歌を歌い行列をし それから ミサ聖祭が執り行われました。

棕櫚の枝を手にするたくさんの信者で狭い会場がいっぱいになりました。また、いつもよりも 香が多く焚かれて、今日は特別な御ミサであることが五感でも感じられました。

長い御受難の朗読が歌われた後の、奉献文「・・・私は 私と共に悲しんでくれるものがあろうと期待したが、一人としてなかった。私を慰めるものを求めたが、一人としてなかった。・・・」を後で読み直し、私も主の悲しみ苦しみをお慰めするどころか逆に苦肝や酢などひどい仕打ちばかりをしていると気づきました。

それで 枝の主日の翌日 聖月曜日の御ミサでマグダレナのマリアが 主をお慰めする場面が読まれるのでしょうか。聖女は主の葬りの準備のためのできうる限りのこととして高価な香油の壷を割りました。きっと この時も 素晴らしい香りが部屋に広がったことでしょう。

主の御受難を黙想して、どのように主がわたしたちのために清いままご自分を生贄として捧げられたかを心に刻みたいと思いましたが、ミサ典書では 続くこの聖週間の聖福音が長い御受難を読むようになっていると気づきました。このところ毎日ミサ典書を読むようにしていましたが、あらためて ミサ典書と典礼の素晴らしさに気づかされました。日本にいるとその全部の典礼に与れませんが、このカトリック典礼が今も地上の各所で捧げられ続けていることは とても大きなことだとおもいます

ところで先日「ラザロの復活」の小野田神父様のお説教を読んだ時に、ラザロが死から甦るというのは わたしたちに当てはめると霊的な復活によって生きかえるということを意味すると教えられて、この部分の意味が突然にはっきりと明かされた思いでした。
そして、イエズス様は死に打ち勝った、ということは、わたしたちもこのあと何年とか何十年とか生きて死を迎えそれから死後に審判の後甦らせていただける希望という意味だけではなくて、いまこの御復活祭で霊的な死から甦って霊的な復活を迎えようとしているという意味でもあるということが、祝別された枝を受け取り、ますますはっきりしました。

生ぬるく怠ってばかりいたことを反省して、もう一度四旬節中のお説教を読みなしました。心から本当の復活の恵みを望みました。感謝いたします。

枝の主日の後のこの聖週間、イエズス様がご自分を生贄としてお捧げするお苦しみとマリア様のお苦しみを黙想して、イエズス様がわたしをどうか霊的な死から甦らせてくださいますようにと、お祈りいたします。そして 教会もどうか霊的な復活をすることができますようと マリア様に取次ぎをお祈りいたします。


【お返事】
ご報告をありがとうございます。
「イエズス様は涙を流された」と書かれているのはここだけなんです。
確かに、別の箇所では、イエズス様が回心しないエルサレムをみて「泣いた」とありますが、実は、全く別の単語を使われています。

エルサレムに対しては、「嘆いた」という意味の「泣いた」(κλαίειν, κλάυμα)が使われています。
しかし、ラザロについては、「涙を流した」(εδάκρυσεν)という単語が使われているのです。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様 いつもまことにありがとうございます。

公教要理のご報告をいたします。
午後の公教要理では まず 旧約の過越しと 新約の枝の主日から御受難までの 対比を お話しくださり、この聖週間の意味を深くとらえる助けをいただきました。とても良いお話をありがとうございます。それから イエズス様の十字架上の七つの言葉について 黙想いたしました。

そのあと 十字架の道行をお捧げしました。午後のこちらは少ない人数でしたが、神父様に先導していただき皆で一緒に心を込めて熱心にお祈りをお捧げすることができて 大変うれしく思いました。ありがとうございました。

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[わかったこと]

A. 「 旧約の過越しと新約の過越しの対比 」
 
◎旧約聖書において エジプトを脱出する際 1歳の傷のない子羊を過越しの子羊として 屠って食べた史実と、イエズス様が天主の子羊・過越しの子羊として 十字架上で屠られたこととの間には つながりがある。

◎その1歳の過越しの子羊は 屠られる5日前に家の中に入れられることになっていた
同じように天主の子羊であるイエズス様も 5日前に 隣のオリベト山からエルサレムに入場していたそして非常な歓迎を受けた(またマグダラのマリアからも特別な歓迎を受けた)

◎木曜の夜に 最後の晩餐でご聖体を制定する
これは エジプトを脱出して約束の地までたどり着くために マンナで民を養ったように 私たちを養おうとされたのである

◎旧約の民は 過越しの食事のために律法の汚れに触れないようにした
大祭司たちはイエズス様を死刑にするようにピラトに願うために、律法の汚れに触れないようにしてピラトの家に入らずに済ませて ピラトに頼んだ。

◎大祭司たちが屠られた子羊の食事をする時刻
その同じ時にイエズス様は十字架上で死去された 天主の子羊が十字架の上で屠られた

◎神殿の幕が真っ二つに裂ける
そのおなじときイエズス様はご死去されて 旧約の時代が終了する

◎イエズス様は (モーゼがイスラエルの民を エジプトから紅海を渡り約束の地に導き出したように) 御受難の自分の血の海を通ってつまり洗礼の水を通して、私たちを 新しい天国の約束の地に導きだそうとしている。

B. 「七つの言葉(イエズス様の最後の遺言としての)」   カトリックの習慣では 聖週間にこの七つの言葉を黙想するというのが非常に盛んだ ヨハネによる御受難バッハによる御受難とかetc.

1 「聖父よ、彼等を赦し給え。彼等はそのなすところを知らざるなり」(ルカ23:34)

赦しを願う言葉について・・・『イエズス様はいまやられている最中に どれほど人となって苦しまれたか、祈らなければならない。ユダヤ人は彼を殺そうとするのに、イエズス様は許そうとする。
「イエズス様 ごめんなさい。あなたは救い主です ゆるしてください」と言うと、痛悔し自分の十字架を受け入れると、(それさえも)ゆるしてくださいます、希望を与えてくれます』。
 
『十字架には三つの種類がある。罪があって苦しむ十字架と罪がなくて苦しむ十字架のうち、罪がなくて苦しむ十字架はイエズスとマリアだけ。罪があって苦しむ十字架に 二つあり、一つはイエズス様を救い主として認めて痛悔して自分の十字架を受け入れる態度、もう一つはキリストなんてどうでもよい苦しみを受け入れない反抗している態度。どちらにしても 苦しみは残る。霊魂が救われるか救われないかは苦しみにあってどういう態度で それに接しなければならないかにある。信仰と痛悔そしてイエズス様に対する愛の態度が 大事』。

2 「私はまことに言う。汝 今日我と共に楽園にあらん」(ルカ23:43)

天国に至りましたらどうぞ私を思い出してくださいという ディスマスの言葉への返事。ディスマスは天国泥棒と呼ばれている。

3 「女よ、これ汝の子なり。」「身よ、これ汝の母なり」。(ヨハネ19:20-27)

聖ヨハネは自分の名を出さないで「愛する弟子」とだけ書いた
第1のエヴァはすべての生けるものの母である
第2のエヴァであるマリアは すべての贖われるべきものの母である。私たちの本当の母として与えられて 立派な最愛の御子のイエズス様が取り上げられてろくでもないもの(私たち)が子供として与えられる。それにもかかわらず マリア様は わたしたちをイエズス様を愛するように愛してくださる。

4 「なぜ私を見捨て給うのですか」(マテオ27:46)

子供として被造物として全く見放されてしまったかのように 天主様から見放されたイエズス様の苦しみは想像を絶する苦しみ。今日のミサの時には その言葉がある詩編21番をずっと歌っていた。

5 「私は渇く」(ヨハネ19:30)

聖心の使徒 霊魂の渇き 嘲り・無関心・冒涜

6 「成し遂げられれた」(ヨハネ19:30)

御父のみ旨をすべて果たしたこと

7 「聖父よ、我が霊魂を御手に委ね奉る」(ルカ23:40)

マリア様のお苦しみは一体もうダメだというようなお苦しみではなく、主と共にこの苦しみを捧げて 多くの霊魂を天国に捧げたいという愛に基づいている。愛に支えられているので気絶もしないで立っていることができる。

(聖心が開かれ 水(洗礼)と血(ご聖体)がでて、そこから教会の花嫁が出たことについてのお話し。)
第1のアダムは 楽園にて あばら骨から エヴァが出た。
第2にアダムであるイエズスからは 十字架の楽園で死の眠りに着いた時に 脇が開かれて 水と血が出て 聖なる浄配(妻)である教会が出た。
イエズス様と教会は一体で離すことができない。聖なる教会は イエズス様の神秘体であり 天主がくっつけたものであって、誰も離すことができない。救われようとするものは 水で洗礼を受け ご聖体に養われて イエズス様の神秘体の一部にならなければならない。
ノアの箱舟の入口が脇についていたが(当時 ノアの箱舟に入った者が救われたように)、イエズス様の脇腹を通って 救われる。
イエズス様の神秘体の一部になれば どんなに悪魔が叫んでも悪魔から逃れて救われる、第二のノアの箱舟ができた。イエズス様の御身体をマリア様が抱えて きれいにされて 人類のためにお捧げになられた。

[感想]
枝の主日は、旧約聖書における“過ぎ越しの五日前に部屋の中に生贄の子羊を入れる”ということと 関連しているということがわかりました。

「三本の十字架」・「十字架に三人がつけられた」、という聖書の箇所一つにさえも、深い意味が隠されていることを教えていただきました。

また、御受難は 人間が考えたものではないことを感じました。気の遠くなるような長い年月をとおして あらかじめユダヤ人に通達(預言)していたということ、、その律法に基づいて 通達(預言)通りに天主様は救いの約束を果たされたのだと 知りました。反抗してご自分から離れてしまった人間の救いのために用意してくださったのは、人間が作りだすことができない贖いであったと 感じました。

不思議に思いますのは、これほどあらかじめ(イザヤ預言書などで) 誰も天主を認めず”なぜわたしを見捨てたもうた” などとまで 言い切っているのは、それほど人間の精神の堕落の深さを天主様が御存じでおられていたからなのでしょうか? 考えられる限りの最大の残酷な苦しみをもってようやく贖われるようなものが原罪というものだからなのでしょうか? 私共の原罪が償われるためには、そこに主がすべてから見捨てられる理由があってだったのでしょうか? 自分の罪の深さをよくわかっていないことを 感じさせられます。
 
御受難は、イエズス様とマリア様の従順と謙遜に満ちたお苦しみを通して ほとんどたった数名のものしか認める者がいないほど、無視され中傷され歪曲されたなかでなされた天主の御業だったということを もっとよく黙想して 救いの意味を考えて 御復活祭を迎えたいと思います。

聖週間を迎えるため 十字架の道行をできまして、またこのような大切なことをお伝えくださいまして ありがとうございます。神父様のご慈愛に心から感謝申し上げます。

デオ・グラチアス!


【お返事】
脱出の書(出エジプト)の第12章には、こうあります。

Dixit quoque Dominus ad Moysen et Aaron in terra Aegypti: Mensis iste, vobis principium mensium: primus erit in mensibus anni. Loquimini ad universum coetum filiorum Israel, et dicite eis: Decima die mensis hujus tollat unusquisque agnum per familias et domos suas. ... Erit autem agnus absque macula, masculus, anniculus: juxta quem ritum tolletis et haedum. Et servabitis eum usque ad quartamdecimam diem mensis hujus: immolabitque eum universa multitudo filiorum Israel ad vesperam.

今月(ニーサンの月)が一年の最初の月となる。今月の第10日目に子羊を自分の家に入れよ。傷のない雄の一歳の子羊である。これを今月の第14日まで留め、それをその夕方に屠れ、と。
そこで、「過ぎ越し祭」は、ニーサンの14日の夕方に行われますが、その直後から7日間「種なしパンの祭り」が続きます(ニーサンの月15日から21日)。そこで、ニーサンの14日から21日までを、「過ぎ越し祭」とも「種なしパンの祭」とも言われていました。

ユダヤ教では、週の曜日に関わりなく、過ぎ越し祭をニーサンの14日にすることになっていました。

私たちの主のエルサレムへの入城は、過ぎ越しの子羊が家に入れられることと重なります。

旧約時代バラアムの時もロバでしたが、イエズスもロバに乗ってエルサレムに入ります。マテオはここにメシアに関するザカリアの預言(9:9)の成就を見ます。「ホザンナ!主の名によって来るものは祝されよ!」 

イエズスにとってこれはご自分のメシアの王国の唯一の公式で盛大な顕示でした。その後、ユダヤを捨てたフラヴィウス・ヨゼフは40年後の別の「エルサレム入城」を描きます。福音によるイエズスの入城は、主の聖名によりて来る天主なるメシアの入城であり、メシアを受け入れなかったがために後に破壊されるエルサレムを嘆き、更に後は異教のローマを壊してキリスト教のローマにする入城。フラヴィウス・ヨゼフは、その反対に、エルサレムを破壊するための人間の入城と、戦利品を持ち運び凱旋のうちに異教のローマに入城を描き出します。フラヴィウスによれば、メシアはローマ皇帝ティトゥスであり、福音史家によるとメシアはナザレトのイエズス・キリストです。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんにちは😃

神父様のブログが 大阪の御聖堂の写真に変えられて
紫の布を被せられた十字架や御像を目にするたび、
大阪に行って御復活の御ミサに与りた~い😭と思います。

聖マリアの汚れなき御心のうちに!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】