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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ファティマの聖母が要求した「聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献」について回答します

2012年07月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は、ファティマの聖母が要求した「聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献」について、答えることをお許しください。

【質問】
 ロシアの奉献については賛否両論あります。ただし一部の方はこの「ロシアの奉献」が1952年7月7日の『最も親愛なるロシア国民に宛てた 使徒的書簡(Apostolic Letter Carissimis Russiae Populis on the Immaculate Heart and the People of Russia)』により、ピオ十二世のこの言葉「そして今、私たちはロシア全国民をこの同じ汚れなき御心に献呈しかつ奉献致します(so now We dedicate and consecrate all the peoples of Russia to that same Immaculate Heart)」を以って果たされたと主張しています:

教皇ピオ十二世の本名は、ウジェニオ・マリア・ジュゼッペ(ヨゼフ)・ジョヴァンニ・パチェリ(Eugenio Marìa Giuseppe Giovanni Pacelli)。「ヨゼフ」という名の教皇がロシアを奉献するという私的啓示の内容が取り沙汰された事がかつてありましたね。「世界中の司教と共にロシアを聖母の汚れなき御心に奉献する」という条件についてはいろいろ説がありますが、本来の聖母のメッセージには「世界中の司教と共に」という句はなかったと彼らは主張しています。もしこの奉献が為されていたのだとすれば、先日小野田神父様が説明されていた、ピオ十二世による汚れなき御心への世界の奉献後の世界情勢に好転のみならず、ソ連崩壊や、現在のロシアに於けるプーチン登場などは、ある意味聖母に約束された「一時的な平和の時期」と考える事も出来ます。つまり「ロシアの回心」は実現していたという事です。


【回答】
 ファティマの聖母マリアの教皇様への要求は、明らかです。それは次の通りです。

 つまり、(1)教皇様が、(2)ロシアを、その名前を特別に言及して、(3)世界中の全司教たちと一致して、(4)聖母の汚れなき御心に奉献(聖別)する、ということです。

 何故なら、聖母マリアご自身が、シスタールシアに1929年に次のように伝えたからです。

"The moment has come when God asks the Holy Father to make, in union with all the bishops of the world, the consecration of Russia to My Immaculate Heart, promising to save it by this means."


 1917年7月13日、ファティマで、聖母マリアは、「私は、汚れ無き御心へのロシアの奉献(聖別)をお願いに来ます」と、預言(約束)しました。

 その12年後、1929年6月13日、スペインのトゥイというところで、シスタールシアに現れて、「天主が、この方法によってロシアを救うことを約束しながら、教皇様に、世界中の全ての司教たちと一致して、ロシアを私の汚れなき御心に奉献(聖別)することを要求する時が来ました」と伝えました。

É chegado o momento em que Deus pede para o Santo Padre fazer, em união com todos os bispos do mundo, a consagração da Rússia a meu Imaculado Coração, prometendo salvá-la por este meio. São tantas as almas que a Justiça de Deus condena pelos pecados contra mim cometidos, que venho pedir reparação: sacrifica-te por esta intenção e ora.

(聖母はポルトガル語でお話になったはずですので、ここではポルトガル語を載せます。)


 1931年、私たちの主イエズス・キリストは、スペインのリアンホ(Rianjo)というところでシスタールシアに現れて「フランスの王に倣って私の命令を執行するのを遅らせると、フランスの王と同じような不幸に陥るだろう」と警告しました。(聖マルガレタ・マリア・アラコックを通して、フランスの王がフランス王国をイエズス・キリストの御心に奉献することを要求したがその実施はなされなかった。要求の後、ちょうど100年後、フランスには革命が起こり、王座は廃止させられてしまったことを指している。フランス王は、革命軍に拘束され、獄中でフランスをイエズスの御心に奉献した。しかしその時には既に王位は奪われていた。)

 さらにイエズス・キリストはシスタールシアに次のようにも言います。「フランスの王のように、彼らはそれを後悔し、奉献をするだろう。しかし、それは遅れるだろう。ロシアは既に世界中に誤謬をまき散らし、戦争と教会に対する迫害を挑発してしまっているだろう。教皇は大変多く苦しまなければならないだろう。」


 1940年12月2日、シスタールシアは、当時の教皇であったピオ十二世に手紙を書き、次のように伝えています。英語訳を掲載します。

"I take this opportunity, Most Holy Father, to ask you to bless and extend this devotion to the whole world. In 1929, through another apparition, our Lady asked for the consecration of Russia to Her Immaculate Heart, promising its conversion through this means and the hindering of the propagation of its errors.

Sometime afterwards I told my confessor of the request of our Lady. He tried to fulfill it by making it known to Pius XI.

In several intimate communications our Lord has not stopped insisting on this request, promising lately, to shorten the days of tribulation which He has determined to punish the nations for their crimes, through war, famine and several persecutions of the Holy Church and Your Holiness, if you will consecrate the world to the Immaculate Heart of Mary, with a special mention for Russia, and order that all the Bishops of the world do the same in union with Your Holiness.”

 ここでも、シスタールシアは、教皇様に、ロシアという名前を特別に言及し、世界中の全ての司教たちに教皇と一致して同じことをするように命じて、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献(聖別)することをお願いしています。

 もしも、私たちの主イエズス・キリストがフランス王に対して100年の猶予を与え給うたとしたら、1929年から100年後、つまり2029年までは、あと17年しかありません。聖母の汚れなき御心よ、我らを憐れみ給え!

+ + +


 ところで「ヨゼフ」という名の教皇がロシアを奉献するという私的啓示については、知りません。

 しかし、聖ピオ十世が、自分と同じ名前を持つ後継者の教皇が崩壊した大都市ローマを屍の上を逃げる、という私的啓示を受けたことは、話題にしたことがあります。

「私が見たものはおそろしいことだ! これは私に起こるのだろうか、それとも私の後継者のことだろうか。確かなことは、教皇はローマを離れるだろうということ、バチカンを去りながらその教皇は自分の司祭たちの死体の上を踏んで歩かなければならないだろうということだ。」

「私は、私と同じ名前を持った私の後継者の一人が自分の兄弟たちの体の上を踏み越えて逃げる様子を見た。彼はある隠れ場所に逃げるだろう。しかししばらく後に残酷な死を遂げるだろう。天主に対する敬意が人々の心から消え去った。これこそは、この世の終わりの始まり以外の何ものでもない。」

+ + +


 今回はここまでにします。読んで下さってありがとうございます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考資料】
Fatima Consecration - Chronology
The Consecration of Russia:The Request of Our Lord and Analysis of this Request
Essentials: The Facts: The Consecration of Russia

聖ピオ十世会2012年の総会の決議についての御質問に答えることをお許しください

2012年07月25日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は御質問に答えることをお許しください。質問に答える前に、まずこのことを言わせて下さい。ジョン・ヴェナリ氏が言うように、今回、バチカンは聖ピオ十世会のカトリックとしての最も痛いところを突いてきたのです。聖ピオ十世会の力を使って、投げ倒そうとしたかのようです。聖ピオ十世会はカトリックの修道院ですから、もちろんローマを大切にしています。聖ピオ十世会は、ローマの聖伝への復活を信じています。聖ピオ十世会は、民主主義の影響を受けた(第二バチカン公会議による)団体主義に汚染された教皇制度ではなく、本来の君主制としての教皇制度の復活を期待しその復活を信じています。
 私たちは、永遠のローマを愛情を込めて信じています。歴代の教皇様と殉教者とを生み出した真理の教師であるローマです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【質問】
 次回の合意交渉への可能性を伺わせる部分があります。・・・ローマが再度、合意条件を改善して来るなら、ローマの回心を待たず、それに応じるのでしょうか?

【回答】
 この宣言を読めば、確かに、次回のローマとの同意交渉の可能性を残しています。それは、カトリックとして当たり前の話です。

 ただし、クチュール神父様との会話によると、今年の総会で2006年の総会の宣言は再確認された、総長のフェレー司教様は今回ローマから大変に痛い経験を受けた、ローマが第二バチカン公会議を放棄したかのように思い込まされていたが、そうではないことがはっきりとした、ベネディクト十六世の第二バチカン公会議への思い込みと、その年齢とを考えると、現教皇のもとでの同意は全くあり得ない、聖ピオ十世会がローマと同等の立場にあるわけではないので、ローマに回心せよ、と条件を突きつけるわけにはいかない、ローマにも理解できるような表現を選ばざるを得なかった。

【1】聖ピオ十世会の最も大切なカトリック教会への奉仕は、信仰を守ることである。私たちは、天主の御助けを持って、永遠のローマに従う。

「カトリック信仰を、現代においてまさに圧迫されているカトリック信仰を、これに対する止むことのない攻撃の苛烈さに対抗するという決心とともに、天主のおん助けをもって、純粋かつ完全な形で告白し続けることである。」

【2】聖ピオ十世会は聖伝に留まり、第二バチカン公会議を拒否し続ける。

「聖ピオ十世会は、誤謬に汚染されたままに留まる第二ヴァチカン公会議のあらゆる新規なことに関し、また公会議より発布された改革に関し、教会の不変の教導職の教えと宣言を支持し続ける。我々は、連綿と受け継がれたこの教導権のうちに確実な指針を見いだす。」

●「ローマ・カトリック教会、我らの主イエズス・キリストが創設した唯一の教会、その外には救霊も救霊に導くいかなる手段も見いだせない教会における我々の信仰」
(「キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言」Nostra Aetate の「聖霊は他の宗教も救いの手段として使う」の否定)

●「教会が我らの主ご自身がそれを望んだ君主制的組織であること、このことにより地上におけるキリストの代理者たる教皇のみが、普遍的教会を統治する至高権力を持つという信仰」
(「教会憲章」と新教会法典の団体主義と二頭教会の否定)

●「自然的及び超自然的秩序双方の創造主、全人類と社会全体が服従すべきお方、我らの主イエズス・キリストの宇宙的王権における我々の信仰」
(「信教の自由に関する宣言」の信教の自由と諸国の背教の否定)

【3】聖ピオ十世会は、離教呼ばわり、異端呼ばわり、村八分、その他の精神的物理的迫害を受けることを厭わない。

「我々は世界中のさまざまな国々で、現在、カトリック信仰のために苦しみを受け、殉教までにさえ及ぶ迫害を受けているキリスト教徒たちに結ばれることを望む。祭壇の主の犠牲に一致して流された彼らの血は、教会の頭とその成員たちのまことの刷新のための保証である。古くからの格言によれば「殉教者の血はキリスト信者の種」だからだ。」

【4】聖ピオ十世会は、公開的でオープンで真面目な神学の討論をローマとするだろうが、それは教会当局が聖伝へと戻るためである。(聖ピオ十世会が第二バチカン公会議の飲み込むためではない。)
(ただし、これが出来るために、聖ピオ十世会は自由を持っていなければならない。「従順」の名前によって、第二バチカン公会議の批判を禁じられることは出来ない。)

「聖ピオ十世会は、教会当局が聖伝への回帰することを許すような開かれた真面目な討論が可能となる来る日を待ちながら、教会の常なる聖伝のうちに、聖ピオ十世会の指針をも見いだす。聖伝は、時の終わりまで信仰の保存と霊魂の救いのために要求される教えを伝達し、これからも伝達するからだ。」


【5】聖ピオ十世会はルフェーブル大司教とともに、教会の復興のために、自分たちの力によると言うよりも、むしろ聖母の汚れなき御心の介入に期待する。
(今の聖伝の信仰を失ったローマを元に戻すことが出来るのは、聖母の汚れなき御心だ。私たちはローマが聖伝の信仰に戻ることを期待して祈り働く。近代主義は終わりを告げなければならない。ただし、そのためには天主の介入が必要だ。天主がお望みになれば、死者もよみがえる、水はブドウ酒となる。)

「私たちは今日、外部からの敵よりも、さらに徹底的に教会を滅ぼそうとする教会の内部の敵どもを追い払ってくださるため、聖母に介入してくださるよう懇願する。聖母が離教と異端から私たちを遠ざけ、保護してくださるため、信仰の完全性のうちに、教会への愛のうちに、ペトロの後継者への忠誠のうちに、聖ピオ十世会の全会員たち、兄弟会とともに働くすべての司祭、信者たちを聖母が守り給わんことを。」


【6】もしも、聖ピオ十世会が教会法の上での正常化があるとするならば、総長の一人の判断ではなく、特別総会の投票によって決議される。

「我々は、将来あり得る教会法的正常化のための必要条件を決定し承認した。つまり、その場合、審議投票をする特別総会をその前に招集する、と決断した。」


【7】聖ピオ十世会は、その日が来るまで、自分自身の霊魂の聖化に務める。
(天主は、将来、教皇の座に聖伝のカトリック信仰の持ち主を着かせるだろう。天主にはそれができる。人間の眼には不可能に見えても。天主のお望みの方法で、お望みの時に、お望みの手段を使って。カトリック信仰の復興と、教皇制度の復興は、必ずやってくる。エノクとエリアが私たちを助けるためにやってくるのかもしれない。聖母の汚れなき御心の御取り次ぎで。聖母マリア様だけが私たちを助けることが出来る。復興された教皇制度により、司教団体主義やエキュメニズム、自由主義や人間中心主義は排斥され、時の終わりの聖人達が準備されるに違いないだろう。私たちは天主のご計画に信頼を置く。私たちに必要なのは、聖人だ。私たちに必要なのは、高い聖徳である。)

「霊魂の聖化は常に我々の内から始まるものであるということを、我々は必ず記憶すべきである。これこそ、愛徳のわざによって活気づけられもたらされる信仰の実りである。」



【質問】
 今回、司祭会同僚たちへの相談と合意なしに教義前文にはサインしないと約束されていた総長様が、何時の間にかそれにサインされていたというこの事実は、多くの司祭会会員及び賛同者たちにとって理解に苦しむポイントだと思います。

【回答】
 「司祭会同僚たちへの相談と合意なしに教義前文にはサインしない」という約束はありませんでした。
 「教義的前提」あるいは「教義前文」に関しては、何らの約束がありませんでした。
 ただし、総長は、もしもローマとの同意のサインをするような場合には、総会を招集する、という約束はしていました。


【質問】「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」とはどういうことなのでしょうか?

2012年07月05日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今回は御質問に答えることをお許しください。御質問については、少し私が編集しました。

【質問】聖ピオ十世会の総長であるフェレー司教様は、最近のインタビューの中で次のように仰いました。
フェレー司教: 実際そのような考えに影響される人はいるかも知れません。しかし、今に始まったことではありません。その数は多くはないと思いますが、彼らは害悪、特に間違った噂を広めることで害をもたらし得ます。しかし、私たちの中での主な懸念は、何が起こるかわからない、罠をしかけてくるかも知れないという恐れとともに、ローマ権威者たちへの信頼を疑う気持ちがあるということです。個人的には、そういうことはないと確信しています。が、兄弟会としてはローマに不信感を抱いています。あまりに多くの失望を味わったからです。罠かも知れないと疑ってかかる人々の理由はこれです。私たちの敵が、この申し出を罠として利用するつもりかも知れないというのは正しいのですが、教皇様は、本当にこの教会法上の承認を望んでおり、罠として私たちにそのことを申し出たのではありません。
【フランス語】

 小野田神父様、神父様のブログ中には、いつも気になる記述があります。
「聖座を信頼できないから」「・・・という経緯により、バチカンは信用できないので」「ローマ当局に対する不信感」「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」など。

 聖伝とは言いますが、ペトロの座への信頼も、カトリック教会がながらく必死に保存してきた大切な聖伝のひとつです。ピオ十世会は、何番手かの聖伝は守りますが、より大切な聖伝を守ろうとしません。

 ベネディクト十六世は、正当な教皇様なのでしょう?もしもそうなら、イエズス・キリストはベネディクト十六世の口を通して今でも語り続けているのではないでしょうか?もしも教皇様が聖ピオ十世会に関して正当な、良い望みを示すなら、どうしてそれを拒むことが出来るでしょうか?

【お返事】
 ご質問をありがとうございます。

 最初に、現代の教会の問題は、第二バチカン公会議にある、ということを言わなければなりません。聖ピオ十世会は、現在の教会の危機の原因が、第二バチカン公会議の公式文書そのものにある、第二バチカン公会議によってカトリック信仰の純粋性が濁ってしまったことにあると考えます。従って、カトリック教会が健康を取り戻すために、第二バチカン公会議の毒を早く吐き出すことが出来るようにすることが必要です。

 聖ピオ十世会が「聖座を信頼できないから」「・・・という経緯により、バチカンは信用できないので」「ローマ当局に対する不信感」「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」などは「聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議の毒を飲み込ませようとしているのではないか、という不信、疑い、またそうさせようとする罠」のことを意味しています。

 聖ピオ十世会は、カトリック信仰の純粋性を守るために、カトリックとして留まろうとするがために、今あるような立場に置かされてしまいました。

 聖伝のミサは、法によって禁止されていないにもかかわらず、法に反して実際上禁止されてきました。

 カトリック教会法典に反して、聖ピオ十世会は「廃止」されました。

 カトリック教会法典に反して、聖ピオ十世会の4名の司教たちは「破門」されました。

 今まで教会当局は、カトリック教会法典の文字とその目的に反して、カトリック聖伝を迫害してきました。だから聖ピオ十世会はそのような第二バチカン公会議のローマを信頼することが出来なくなってしまったのです。「ローマに不信感を抱いています。あまりに多くの失望を味わったからです。」(フェレー司教)

 マカベオ兄弟達は、安息日の掟を「破って」までも、エルサレムの神殿を守るために闘いました。
 私たちの主イエズス・キリストは、安息日の掟を「破って」も、病の人々を癒しました。
 ルフェーブル大司教様は、緊急の状態のために、聖伝の信仰と歴代の教皇様の教えに従順であるために、見かけ上「不従順」を犯してカトリック信仰を守りました。救霊のために司教を聖別しました。

 19世紀のカトリック教会は、ピオ九世のシラブスに賛成か反対かで分断されました。シラブスは、フランス革命の精神を排斥しており、当時の多くのカトリックは歴代の教皇様の教えに従い、シラブスを支持しました。一部のみがシラブスに反対し、革命精神を取りました。

 第二バチカン公会議では、ラッツィンガー枢機卿(当時)の言うように、カトリックの教えにフランス革命の精神を合体させようとしました。第二バチカン公会議は「反シラブス」(ラッツィンガー枢機卿)だったのです。歴代の教皇様の教えに従おうとする人々は、ルフェーブル大司教と共に、シラブスを支持し、反シラブス(=第二バチカン公会議)を拒否しました。

 現代、カトリック教会は大きな危機を体験しています。それは信仰の喪失、背教の危機です。聖伝のカトリック信仰は、全てを天主であり王たるキリストにおいて復興させようとしますが、第二バチカン公会議は、人間の尊厳と良心の自由とにおいて全てを築こうとしています。

 聖ピオ十世会は、典礼だけのことにこだわっているのではありません。聖伝のミサの背後にあるカトリック信仰にこだわっているのです。新しいミサの背後にある新しいエキュメニカルな人間中心の「神学」を拒否しているのです。

 私たち聖ピオ十世会は、天主の御助けによって、歴代の教皇様の教え続けてきたカトリックの信仰を守りたいと願っています。全教会法と従順とは、この使徒継承のカトリック信仰を守るために存在しています。

 さて、御質問の答えですが、何故「不信感」があるのかは、2つの理由があります。

 第1は、ベネディクト十六世の思想と神学のためです。

 第2は、過去に聖伝の共同体に起きたことのためです。

***


 現在、聖ピオ十世会の「正常化」“regularization,”の話が持ち上がっています。(「正常化」とはどういうことかと言うと、聖ピオ十世会はカトリックの一部ですが、聖伝のミサや聖伝の信仰が不当に排斥され、迫害され、禁止されてきたので、聖ピオ十世会が今まで行ってきたのは、言わば緊急状態の「応急手当」だったのですが、それらの「応急手当」は確かに必要なものであったし、これからも必要なので、これからもそれらの活動をし続けることが出来るように「応急手当」を「正式な病院として組織化」する、という話です。)そして、この「正常化」の条件として、聖ピオ十世会は第二バチカン公会議も新しいミサも受け入れる必要が無い、と非公式に伝えられています。

 もちろん、ティシエ・ド・マルレ司教様と共に言わなければならないのは、イレギュラーな状況にいるのは、聖ピオ十世会ではなく、他宗教とのエキュメニズムや人間の尊厳の原理という第二バチカン公会議の原理によって動いているローマ当局の方です。歴代の教皇様が排斥してきたことを、実践している「公会議の教会」の方です。(「公会議の教会」とは、パウロ六世の命を受けて、パウロ六世の名前でルフェーブル大司教に手紙を書いてきたベネリ司教が言った言葉(1976年6月25日)で「公会議の教会への正真正銘な忠実さ」(genuine fidelity to the Conciliar Church)を訴えて使った言葉です。)

 確かに、教会当局が聖ピオ十世会が確かにカトリックであると公式に発言することは正義であり、それを求めるのは聖ピオ十世会にとっての当然の権利です。しかし、そのような発言がなかったとしても、聖ピオ十世会はカトリック教会の一部であり、聖ピオ十世会は一度もカトリック教会を離れたこともありません。それどころが、カトリック教会の最も大切な中心地に位置しています。

 ルフェーブル大司教は、聖ピオ十世会が「公会議の教会」をカトリックにする為に、「公会議の教会」のシステムの中に入らなければならないと考えるのは、それは全くの幻覚だと言います。何故なら、長上たちを作り上げるのは配下の者ではなく、長上たちが配下の者を作り上げるからです。


 さて、話をベネディクト十六世に戻すと、教皇様が聖ピオ十世会の活動にお墨付きを与えたい、聖ピオ十世会が現在の教会の危機からカトリック教会を救うために教皇様を助けることを教皇様が望んでいる、だから、聖ピオ十世会が第二バチカン公会議を受け入れる必要はない、と非公式的に伝えられています。この聖ピオ十世会の活動の「公認」は、聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議を飲み込ませる罠ではない、と言うわけです。

 ベネディクト十六世は、私たちの正当な教皇様ですが、しかし、それと同時に第二バチカン公会議を信じている人間です。

 例えば、ラッツィンガー枢機卿の1986年の著書『カトリック神学の原理』(Principles of Catholic Theology)の中で、次のように書いています。(Maria Mater tua est!さんの訳を参考にしました。)

「【現代世界憲章】全体は、言うなれば(信教の自由と世界の諸宗教に関する文書と合わせて)ピオ九世によるシラブスの改訂版、つまり一種の反シラブスなのです . . . ですからこの文書は反シラブスとして役立ち、それ自体として、フランス革命の1789年に開かれた新しい時代と公教会との正式な和解の試みを代表しているのだとここでは言うことで満足しましょう。」(381ページ)

 ラッツィンガー枢機卿は同書で「ピオ九世と聖ピオ十世の下で、公教会によって取られた立場の偏った見解」と語り、シラブスは「教会と国家間の時代遅れな関係」を代表していると主張します。

 有名な『信仰について』というメッソーリとの対話の本(1984年)の中で、はっきりとこう言っています。
「第二バチカン公会議が教会と世界との関わりの見直しを望んだのにはそれなりの理由があった。事実、たとえ教会外に生じたとしても、それが正しくふるいにかけられれば、教会のビジョンの中に受け入れられる諸価値も存在する。このいく年かにこの任務は実施された。それにしても、教会と世界という二つの現実が葛藤無しに出会い、さらにはためらうことなく一体化すると考えるものは、教会も世界も知ってはいないことになろう。」(日本語訳49ページ)
 この「教会外に生まれた」二世紀にわたるリベラルな文化を、この世に関する教会のビジョンの中に合体させようとすること、その不可能な和解が第二バチカン公会議によってなされた、というのです。しかし「光と闇との間にどのような和解があり得るのでしょうか?」「キリストとベリアルとにどのような同意があり得るでしょうか?」(コリント後書6:15)

 『カトリック神学の原理』の中で、ラッツィンガー枢機卿は「シラブスへの如何なる帰還もあり得ない」(191ページ)とはっきり言っています。では、ベネディクト十六世にとって、第二バチカン公会議は過去と断絶しているのでしょうか? ベネディクト十六世は、第二バチカン公会議はシラブスと矛盾している反シラブスであるが、これは「不連続と断絶による解釈」ではなく、「改革による解釈」をしなければならない、と言います(2005年12月22日の訓話)。つまり、その時代その時代の思潮に従って信仰の真理は進化する、という解釈です。


 ところで、他の全てのカトリックが第二バチカン公会議を信じなければならないのに、ただ聖ピオ十世会だけが第二バチカン公会議を受け入れる義務から免れることが出来るのでしょうか?

 ベネディクト十六世は2009年に全世界の司教たちに、エクレジア・デイ委員会の下に入ってきた「聖伝」の修道会らについて、次のように書きました。

「私自身、1988年以降、以前はローマから離れていた複数の共同体が戻ってきたおかげで、これらの共同体の内的雰囲気が変化したこと、偉大で広大な共通の教会へと戻ってきたことが、一方的な立場を越えさせ、頑なな態度は和らげ、続いて全体にとって肯定的な勢力としてそこから姿を現したということを見てきました。」

 ティシエ・ド・マルレ司教様の証言によれば、2005年8月ローマでベネディクト十六世がフェレー司教様と面会したとき、教皇様は聖ピオ十世会総長に、聖ピオ十世会を第二バチカン公会議へと引導するという意向を伝えています。

 最近出版された『ベネディクト十六世聖下、教皇様の秘密文書』("Sua Santità. Le carte segrete di Benedetto XVI" by Gianluigi Nuzzi, Edito da Chiarelettere, 2012)pp 207-208 には、次の文章
「聖ピオ十世会の将来の承認のために、教皇聖下は必要不可欠な条件として何も求めない」
"Per un futuro riconoscimento della Fraternità San Pio X il Santo Padre non intende prescindere da una condizione indispensabile"
を、ベネディクト十六世自身が次のように訂正したという秘密メモが流出してしまっています。
「聖ピオ十世会の将来の承認のために、必要不可欠な条件は、第二バチカン公会議とヨハネ二十三世、パウロ六世、ヨハネ・パウロ一世、ヨハネ・パウロ二世、そしてベネディクト十六世自身の教導権を完全に認めることである」
"Per un futuro riconoscimento della Fraternità San Pio X è condizione indispensabile il pieno riconoscimento del Concilio Vaticano II e del Magistero dei Papi Giovanni XXIII, Paolo VI, Giovanni Paolo I, Giovanni Paolo II e dello stesso Benedetto XVI."

 『カトリック神学の原理』には次のようにあります。「もしも私たちが教会を救わなければならないのなら、第二バチカン公会議は私たちが引き返さなければならない間違った道だったのだろうか? そうだと言う人々の声はますます大きくなり、彼らに従う人々はますます多数になっています。最近数年のもっとも顕著な現象の中で、聖伝主義者のグループの数が増加していることを挙げなければなりません。彼らの中では、敬虔さと神秘の感覚とを求める望みが満たされているのです。私たちはこれらの運動を矮小化しないように注意しなければなりません。疑いもなく、彼らは、セクト的な熱心を代表しており、これはカトリック性の反対(アンチテーゼ)です。私たちは彼らに対して、堅く抵抗してしすぎることはありません。」(page 389)

 実際、エクレジア・デイ委員会の傘下に入ったとたん、今まで第二バチカン公会議に反対していたような人々は、次々とこれを受け入れざるを得ない立場に置かれてしまいました。

 ジョン・ヴェナリ氏は、1994年、或る司祭がエクレジア・デイ委員会の事務所で、新しく「正常化した」(エクレジア・デイの傘下に入った)セイヴィンチオ・フェレール会(Society of Saint Vincent Ferrer)が「今や第二バチカン公会議の信教の自由を擁護する記事を書いている」と自慢しているのを見ています。


 ル・バルーのベネディクト会の修道士も、「正常化」の後に、第二バチカン公会議の信教の自由や新しい公教要理を擁護さえし始めました。ル・バルーの修道院長ドン・ジェラールや聖ペトロ会は、彼ら曰く、何も妥協することなく旧典礼とふるい公教要理を守ることが出来るように特権を得た、と言っていました。しかし、ルフェーブル大司教はこう言います。「彼らが何も手放すことがなかったというのは、正しくありません。彼らは【近代主義の】ローマに反対する可能性を手放してしまったのです。彼らは、もはや何も言うことが出来なくなりました。彼らに対して特典が与えられたのですから、彼らはただ口を閉ざさなければなりません。公会議の教会の誤りを告発することは、彼らには今や不可能です。少しずつ彼らは、正にラッツィンガー枢機卿によって要求された信仰宣言によって、【公会議の誤りを】支持するようになります。ドン・ジェラールは、自分の修道院の修道士が書いた信教の自由についての小冊子を発行し、それを信教の自由を正当化しようとする最中だと思います。」

【Monseigneur Lefebvre : Quand ils disent qu'ils n'ont rien lâché, c'est faux. Ils ont lâché la possibilité de contrer Rome. Ils ne peuvent plus rien dire. Ils doivent se taire étant données les faveurs qui leur ont été accordées. II leur est maintenant impossible de dénoncer les erreurs de l'Eglise conciliaire. Tout doucement ils adhèrent, ne serait-ce que par la profession de foi qui est demandée par le cardinal Ratzinger. Je crois que Dom Gérard est en passe de faire paraître un petit livre rédigé par l'un de ses moines, sur la liberté religieuse et qui va essayer de la justifier.】

 ブラジルのカンポスでも「正常化」の後に、第二バチカン公会議を受け入れることになりました。カンポスのリファン司教は、新しいミサを捧げることに反対しなくなり、第二バチカン公会議を批判することを司祭たちに禁止するようになりました。

 「良き牧者会」(Institute of Good Shepherd)でも、同じことが起こりました。

 エクレジア・デイ委員会の秘書、モンシニョール・グイド・ポッゾ(Guido Pozzo)は、良き牧者会(IBP)の長であるフィリップ・ラゲリ(Philippe Laguérie)神父に、2012年3月23日付けで、この修道会の教会法による訪問(canonical visitation)の結果として公式の勧告を伝えました。この訪問は、良き牧者会の認可の時にローマによって定められた5年の試験期間の終わりになされたものでした。
 良き牧者会は、2006年9月に、ローマと同意に達した元聖ピオ十世会の会員たちによって創立され、創立のメンバーには、フィリップ・ラゲリ(Philippe Laguérie)神父、ポール・オラニエ(Paul Aulagnier)神父、また、ギヨーム・ド・タヌアルヌ(Guillaume de Tanouarn)神父などがいます。

 創立の際には、良き牧者会は、第二バチカン公会議以前の典礼書を「排他的に使用」するという特権を得ていました。「排他的な使用」とは、同修道会は聖伝のミサだけを執行し、新しいミサを排除する、という意味です。しかしその5年後、ローマのエクレジア・デイ委員会から、原理原則として新しい典礼を排除することを公式に禁止され、聖伝のミサを、「排他的」に捧げるのではなく、単純に「会に固有の典礼様式」とするべきである、と命じられました。

 フランスのクルタラン(Courtalain)にある神学校での司祭養成については、委員会は「良き牧者会は、その学習過程に、第二バチカン公会議と最近・現在の教皇たちの教導権を導入すること」を求めました。それも「単なる第二バチカン公会議を批判するばかりではなく、しかもそれがたとえ「真面目で建設的な」やり方でなされようとも、教師の努力は、継続に於ける刷新の解釈法を強調しつつ、同時にカトリック教会の公教要理nよって説明されたカトリック教理の完全さを維持することを求めつつ、教会の【第二バチカン公会議を含める】全遺産の伝達に焦点を置かなければならない」とエクレジア・デイ委員会は主張します。

 更に、エクレジア・デイ委員会は、良き牧者会が司教区の司教らと協力することを提案し「司教が、全司教区の善のために同会の特定のカリスマを歓迎しそれを評価すること、また同時に、同会の司祭らが、司教区の教会の生活において交わりの精神を持って実際に同調することが大切である」と言います。

 以下は、参考資料で、モンシニョール・ポッゾからの良き牧者会への公式の勧告の英語訳です。

Letter from the Secretary of the Ecclesia Dei Commission
To the Institute of the Good Shepherd in France

March 23, 2012

Conclusions of the Canonical Visit
To the Institute of the Good Shepherd

Generally speaking, it is necessary to develop the founding charisma of the Institute by thinking more on the future than on the past. To prepare for the next General Chapter, it will be useful to meditate on Christ as Pastor.

Anyone who wants to develop the characteristics of a society of apostolic life must avoid any form of individualism. For this, it would be good to enter into contact with other societies of apostolic life capable of helping in this meditation on communitarian life.

The question of the practice of the extraordinary form [of the Mass], such as it is formulated in the Bylaws, must be delineated in the spirit of Summorum Pontificum. It would be suitable to simply define this form as the “rite proper” to the Institute without speaking of “exclusivity.”

The founders of Institute of Good Shepherd Fr. Philippe Laguerie, left, and Fr. Paul Aulagnier with Card. Hoyos Regarding the Seminary of Courtalan, the evaluation is positive, but it would be suitable to include the teaching of the present day Popes and of Vatican II. The pastoral formation should be made under the light of Pastores dabo vobis and the doctrinal formation should include a careful study of the Catechism of the Catholic Church.

To resolve the question of the establishment of the seminary [in other places], unless it is just an extension of the Courtalan seminary itself, the French Conference of Bishops can be asked to suggest the names of the dioceses where it can be installed.

Rather than maintaining a critique of Vatican Council II, even a “serious and constructive” one, the efforts of your teachers must point out the transmission of the integrity of the patrimony of the Church, insisting on the hermeneutics of renewal in its continuity and using as support the integrity of Catholic doctrine expounded by the Catechism of the Catholic Church.

To improve the functioning of the Council and to prepare for the General Chapter, it would be suitable to ask the advice of a canonist. The names of Rev. Fathers Pocquet de Haut-Jussé and Le Bot, OP are suggested. A monthly meeting of the Council seems opportune.

It is desirable to carefully discern the vocations coming from Brazil, as well as to reflect upon the reception of the Institute priests in the different dioceses. It is important that the Bishop accepts and valorizes the special charisma of the Institute for the good of the whole diocese and, at the same time, that the priests of the Institute, with a spirit of communion, insert themselves in the ensemble of the ecclesial life of the Diocese.

The creation of an economic Council will help St. Eloi parish to better conform juridically with the other parishes of the Archdiocese of Bordeaux.

The Angelus school in the Diocese of Bourges must pay more attention to the General Superior. We recommend that it seek to acquire diocesan recognition.

Monsignor Guido Pozzo


 ルフェーブル大司教:「ローマでラッツィンガー枢機卿様とした話し合いの間、私たちが合意に向かって進もうとしている時に、彼は私に教えてくれました。もしパリの聖ニコラ・デュ・シャルドネ教会に於ける旧典礼使用に許可が与えられたら、新しいミサもなければならないでしょう、と。それは明らかです。彼らの心の状態<新しいミサを押し付けようとすること>をくっきり見せてくれました。彼らが、新しいミサを諦める可能性などありません。その反対です。それは分かりきっています。ですから、譲歩に見えなくもないものも、実際には、私たちを出来るだけ大人数の信徒たちから引き離す為の策略なのです。これが展望であって、その中で彼らは常にもっともっと聖伝に譲歩して与えようとするでしょう、それどころかきわめて遠いとことまで譲歩さえするでしょう。それが策略以外の何ものでもなく、公会議派の司教や近代主義のローマの掌中に身を委ねる事は危険であると、私たちは断固信徒たちに納得させる必要があります。それは私たちの信徒を脅かしている最大の危険なのです。二十年間も、私たちが公会議の誤謬を避けようと努めて来たとすれば、それは、まさか、これらの誤謬を表明する人々の掌中に私たちの身を委ねる為ではありませんでした。」


 はい、ベネディクト十六世は、正当な教皇様です。

 イエズス・キリストはベネディクト十六世の口を通して今でも語り続けることができます。

 しかし、もしも教皇様が、聖ピオ十世会に対して、すこしづつ第二バチカン公会議についての批判を止めるように政治的に動きかけているのなら、私たちはカトリックの信仰をまず明らかにするように働きかけるべきではないでしょうか?それが2006年の聖ピオ十世会の総会での宣言でした。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】オリエンスというとは、どういう意味なのでしょうか?

2010年06月04日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
オリエンスという名前をよく耳にされると思いますが、どういう意味なのでしょうか?
東方の悪魔という意味とか・・・・
あと、これとは関係ありませんが、レデンプトール会の紋章についてですが、なぜ、三角と目のフリーメイソンのシンボルが入っているのでしょうか?
このマークは、あるカトリックの福祉施設や、ポントルモの油彩画の最後の晩餐にも描かれていたのを見たことがあるのですが、どういうことなのでしょうか?
よろしければ、教えて下さい。

【お返事】
 オリエンスとは、ラテン語で Oriens (不定形 oriri)で、【太陽などが】昇る、上がる、という意味です。太陽の昇る元、日の本、ということから、一般的に「起源」が origo (英語でorigin)です。


レデンプトール会

 三角形の中に目がかかれているのは、必ずしも、フリーメーソンのシンボルとは限りません。何故なら、カトリック教会でも、三位一体の天主を表すために三角形を使いますし、目は天主の愛にあふれる御摂理(Providentia)とその統括を意味しているからです。摂理という言葉はラテン語で Providentia と言って、見る(Video)という言葉を語源にしています。

 レデンプトール会の目は、フリーメーソンとは全く関係がありません。詳しくは、次をご覧下さい。

The Coat of Arms of the Congregation of the Most Holy Redeemer
History and significance
http://www.cssr.com/english/whoarewe/cssrseal-EN.shtml


In our legislative texts (the Rules of 1749, the Constitutions of 1764 and the Constitutions and Statutes of 1982) there is nothing about the Coat of Arms of the Congregation. They speak only of the seal. However this seal has always been used as the Coat of Arms of the Congregation.

Statute 06, which reproduces substantially Constitution 717 of 1764, defines the seal thus:

“The seal of the Congregation consists of a cross with a lance and sponge mounted on three hills; on either side of the cross are the abbreviated names of Jesus and Mary; above the cross is an eye sending forth rays; over all a crown. Around the seal is the motto: “With him is Plentiful Redemption” (cf. Ps. 129,7)”.

Origin

From the beginning of the foundation the necessity of having a seal was recognized. It was required to guarantee the legality of documents presented to religious or civil authorities for the approbation of the Institute and its Rules and for new foundations. For this purpose St. Alphonsus and his first companions chose some religious symbols that in some way indicated the idea or purpose of the new Institute, adding some decorative elements that more or less followed the rules of heraldry.

The elaboration of the seal took some years, though we do not know precisely the different steps taken before arriving at the final version. In the Casa Anastasio, Scala, there is a drawing sketched on a wall attributed to Brother Vitus Curzio, that is considered the first seal of the Institute. On this wall, over the cooking stove, the cross can be seen above a hill, also the lance, the sponge and a ladder with the date 1738. The seal of the Congregation had to be defined before the pontifical approbation of the Rules (1749), as we see in the Acts of the chapter of 1747.

The Secretary had written: “the seal: the cross over three hills, and above the cross a radiant eye. St. Alphonsus erased the words “and above the cross a radiant eye and added: “the cross with the lance and the sponge, and at the side the names of Jesus and Mary. Above the cross a radiant eye and over all, the crown”. Then immediately follows the design of the seal.

In this seal, however, which seems to have been designed by St. Alphonsus we have the motto Copiosa apud eum redemptio and the coat of arms is supported by two small branches (of palm?) This last detail does not appear in any seal or coat of arms and finds no place in the legislation of the Congregation. From the second half of the nineteenth century the branch of laurel or olive and sometimes of palm appears frequently in the coat of arms of the Congregation, though on this matter the Constitutions are silent.

Two years after the Assembly of 1747 the seal of the Congregation appears on the cover of the second edition of the Visits to the Most Blessed Sacrament, published in Naples in 1749 and from then on was considered the seal of the Congregation.

The Coat of Arms and its symbolism

There has never been an official explanation of the elements that constitute the seal or coat of arms of the Institute. The symbolic elements of which it is composed represent the work of Redemption carried out by Jesus Christ and which the Institute was to proclaim under the protection of Mary. This explains the cross on the hill with the lance and sponge, the names of Jesus and Mary and the motto Copiosa apud eum redemptio.

In heraldry an eye within an equilateral triangle is the symbol of the Trinity. Since the triangle is missing here, the eye can be interpreted as the gracious mercy of God to humanity, divine providence.

The crown, or the branches of palm, olive or laurel can be considered as complimentary heraldic elements or adornment. The crown over the coat of arms can be interpreted as the crown of glory that is the reward for persevering in one’s vocation. The same interpretation of triumph and reward can be given to the palm, olive and laurel. The three summits of the mountain have no special symbolical value. It is the usual way to represent a mountain according to the norms of heraldry.

We don’t know what motivated St. Alphonsus and his companions to choose the elements that compose the seal/coat of arms of the Congregation. The Acts of the Chapter of 1747 give no explanation. The chosen symbols really explain themselves as indicating the purpose and spirituality of a missionary Institute with the name of the Holy Savior. Some biographers, however, consider that in some way the elaboration of the seal was influenced by extraordinary events that took place in Scala during the exposition of the Most Blessed Sacrament on the occasion of a triduum preceding the foundation of the Institute, November 9, 1732. Witnesses testify to have seen in the Host a cross in black or dark color above a mountain together with the instruments of the Passion. Others speak of a star or stars and of something white like a cloud. St. Alphonsus says that he saw “a dark colored cross and what seemed a small cloud like a star that was whiter than the sacramental species at the side of the dark colored cross”.

Mgr. Falcoia informed St. Alphonsus the day following the first apparition on September 11, 1732, that having overcome their initial shock, the Sisters felt that “by this His Divine Majesty wished to authorize and confirm the Institute”.

Taking all this into consideration there is nothing strange about the coincidence of the principal elements of the seal or coat of arms and the basic contents of the Eucharistic apparitions – the mountain, the cross and the instruments of the Passion.

Copiosa apud eum redemption

Mgr. Falcoia had proposed as a motto for the seal in 1736 Jer. 1,11: Virgam vigilantem ego video, but St. Alphonsus preferred Ps.129,7: Copiosa apud eum redemptio. He used these words of the psalm repeatedly in his writings, always with the declared intention of encouraging the confidence of the sinner in the infinite mercy of God. Through Jesus Christ in the work of redemption He had shown his immense love for all mankind in pardoning our sins and making us his children. Redemption is the proof that God loves us and has mercy on us because he has pardoned us and filled us with good things.

In his book, Translation of the psalms and canticles of the Divine Office, St. Alphonsus indicates in the introduction that the fundamental theme of this psalm is an expression of the confidence of the sinner in the divine mercy through Jesus Christ. “In this psalm we consider the Jews before their liberation from Babylon. It serves, however, for every sinner who, oppressed by the weight of his sins, implores the help of God”.

And on verse 7 St. Alphonsus comments thus: “Here the prophet indicates the basis of all our hopes, which is the blood of Christ with which he redeemed the human race. He says this, because the mercy of God is infinite and able to redeem us from all our evil deeds with abundant helps”.

Redemption is plentiful not only because it frees us from sin and all its effects, but also because it gives us a new life in Christ. St. Alphonsus expresses this when he compares verse 7 of psalm 129 with other texts that speak of the “abundance” of grace and the new life especially in John. 10,10: I have come that they may have life and have it in abundance”, and in Romans 5,15: for God’s act of grace is out of all proportion to the wrongdoing and again in Romans 5,20: Where sin increased, God’s grace increased much more. etc.


【質問】祝別の意味とはなんですか?祝別されるとものはどうなるのですか?

2010年05月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 御質問を頂きましたので、ご紹介いたします。

【御質問】
 お恥ずかしい話ですが、私は今まで祝別の意味を考えた事がございません。
祝別とは、只の物が祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になる、とNovus Ordo のカテケージスで教わったのですが、これは正しかったのでしょうか。

【お返事】
 カトリック教会には、秘蹟と準秘蹟があります。
 「祝別」というのは、準秘蹟に相当します。

 ご存じのように、秘蹟は、私たちの主イエズス・キリストが直接に制定したもの、準秘蹟は「カトリック教会」が制定したものです。

 準秘蹟を制定したのは「カトリック教会」であると、カギ括弧付きの「カトリック教会」と書いたのは、準秘蹟の中には、イエズス・キリストからその制定が由来しているものもあるからです。例えば跣足式です。しかし、たとえイエズス・キリストが積極的な意志と行為で制定したのではなく、「カトリック教会」(=イエズス・キリストの神秘体)の意志と行為で制定されたとしても、準秘蹟の偉大さは軽視できません。

 秘蹟も準秘蹟も、天主の命を与えるために制定されました。秘蹟も準秘蹟も、イエズス・キリストの御受難と復活の贖いの業の功徳が元になっています。ただし、秘蹟と準秘蹟とでは、その性質も効果も強さも子となっています。

 弱き人間には、常に超自然の助けが手元に必要です。その助けとして準秘蹟があります。

 人間は、天国に行くために被造物によって邪魔される弱さを持っていますから、準秘蹟は天への道行きの助けとして、それを照らし、保護し、体と霊魂の保全を促進します。

 カトリック教会法典1144条によると、準秘蹟は「教会の取り次ぎを通して効果を得るために、特に霊的な性質の効果を得るために教会が使用することを望む物および行為」です。

sacramentals are objects and actions which the Church is wont to use, somewhat as she uses the sacraments, in order to obtain through her intercession effects, especially effects of a spiritual nature (can. 1144).

 準秘蹟の効力は、カトリック教会の祈りと取り次ぎの力によります。準秘蹟を使う人々の信心によるだけではないのです。

 秘蹟は、事効的に "ex opere operato," 働きます。つまり、自動的に・秘蹟を執行したことによって効力を持ちます。

 準秘蹟は、それを使う人々の信心の程度によって "ex opere operantis," 働きます。たしかにこれは真理ですが、しかし、準秘蹟の効果性はそれだけではないのです。準秘蹟は、行為する教会の業によって "ex opere operantis Ecclesiae" 働くと言えます。まず、キリストの神秘体としての教会、キリストの花嫁としての教会の祈りの力によるのです。

そこで準秘蹟は3つのグループに分類できます。
(1)天主の礼拝に関する空間や人(司祭や司教を除く)や物にかんするもの【祭壇の聖別、修道女の聖別、祭服の祝別など】、
(2)ミサ聖祭や秘蹟の執行のために使われる物にかんするもの【祭壇の献香、聖福音の朗読、洗礼式での様々な儀式など】、
(3)教会における礼拝から延長上にある、キリスト教の家庭生活、仕事などにかんするもの【家の祝別、動物や畑の祝別、道具の祝別、水、塩、薬草の祝別、王や女王の祝別、ペストの時の害虫や有害な動物の祝別、火事や嵐や地震や洪水などから人間を守るための祝福など】。

 もちろん、準秘蹟をつかう信徒の心の状態も効果があるかないかの決め手になります。

 そこで、もしも、何かが準秘蹟として祝別されたのならば、祝別後はもはや只の物でなく、信仰の役に立つ物になるのです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


なぜ天主は第二バチカン公会議後の不幸な結果を許したのか?

2010年03月05日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、四旬節はいかがお過ごしでしょうか?

さて、先ほど、御質問をいただきました。

【質問】
第二バチカン公会議の前は聖伝のミサしかなかったわけですよね。それなのに、なぜ第二バチカンの教父たちはあんなあいまいな決議をして、へんてこりんなミサを作り上げて、信者たちはそれを受け入れてしまったのでしょうか?

第二点は、ファチマのご出現で、「ポルトガルでは信仰のドグマが常に守られるでしょう」と聖母が約束されましたが、ポルトガルのカトリックはピオ10世会と違って第二バチカン公会議を受け入れており、「常に」という聖母の約束は嘘になってしまっていると思われます。これについてはどう思われるでしょうか。

【お答え】
なぜ第二バチカン公会議では、いわゆる、失敗が生じたのか?

これは、天主の聖寵と人間の自由と問題です。

これは、なぜ聖寵の状態にいたアダムとエワとは罪を犯したのか?あるいは、なぜ旧約のユダヤ教の大司祭らはまことのメシアを認めなかったのか?または、なぜイスカリオトのユダは、私たちの主イエズス・キリストを裏切ったのか?などにつながります。

人間の弱さと人間に与えられた自由の大きさ、また、天主の聖寵と人間の自由をあくまでも尊重する天主の知恵。私たちの限られた知性には、はかり知ることができません。

ただし、天主が悪の生じることを許すなら、この悪をはるかに越える善のためです。第二バチカン公会議のために生じたカトリック教会の危機は、それをはるかに越える善が予見されていたのでしょう。それが何か?については、今後の進展を見守って行きましょう。

第二の点についても、天主の神秘の秘密のようです。
ファチマは、まだまだ終わったわけではありません。これからの世界の出来事は、私たちにその深い意味を教えてくれるでしょう。

ファチマの聖母マリアは、消滅してしまう国々、民族についても語っています。
今後の進展を見守って行きましょう。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】2月2日のマリアさまのお潔めの祝日が七旬節の主日と重なってしまう年の時は?

2010年02月04日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、2月2日の聖母マリア様のお潔めの祝日について御質問を受けましたので、ご紹介します。


【御質問】
アヴェ・マリア!

小野田神父さま
ふと疑問に思ったことがあります。御降誕節は2月2日のマリアさまのお潔めの祝日までとなっていますが、「七旬節と重なってしまう年の時はもし主日が重なった場合は他の日に祝日を行う」とありました。他の日にとはいつ等と指定し決められているのでしょうか。

それから「ろうそくの祝別式」は、いただいたバルバロ編訳のミサ典礼書P838には「主日の前に行う」とあり、P841には「ろうそくの祝別式が、七旬節後の平日になる時は」となっていますが、別の日に移された「マリアさまのお潔めの祝日」とともに行うこともあると言うことですか。その際、終課後に「Ant.Alma Redemptoris Mater」は歌われるのでしょうか?

2月2日の祝日は、2級大祝日となっていて、七旬節、六旬節、五旬節の主日は2級祝日となっていますが、P58の「典礼歴の祝日の等級」に、主日には主日だけの等級があり七旬節、六旬節、五旬節の主日は2級大主日になっており、一級大祝日(とは、時季は違いますが「12月8日の無原罪の御宿りの祝日」や「3月25日のお告げの祝日」等のことと言うことですよね。)だけを行いうると書かれています。(書き方が複雑なように思います。)

1級として主日のミサ聖祭ではなく、2月2日のミサ聖祭とロウソクの祝別が行われた場合、七・六・五旬節の主日のミサ聖祭は別の平日に行われるのですか。

 改めてバルバロ編訳のミサ典礼書の初版年を見てみると1955年になっていて、礼部聖省の新規定を全部応用したとありました。

 ローマ・ ミサ典礼書は1570年に教皇ピウス5世によって発表され、第2ヴァチカン公会議前までラテン語で用いられ、公会議後に改訂され、教皇パウルス6世によって1970年に発表され、日本語版は'78年に発行されたとなっていますので、第2ヴァチカン後に改訂された以前の物であればそれほどの大きな違いはないように思っていたのですが、何故'62年版を規範版としているのでしょうか。



【お返事】

 私たちは、今、1962年版の典礼法規に従っています。何故なら、カトリックの典礼の改革の方針が「よりカトリック的である」ことから、第2バチカン公会議による「よりエキュメニカル的に」と変わるその直前の改訂が1962年の規範版だったからです。

 典礼運動というものが前世紀の初め頃からあって有名なソレムなどが関わっていたのですが、残念ながらこれがいわゆる近代主義者たちに乗っ取られてしまいました。第2バチカン公会議後の典礼改革は、カトリック信仰をよりよく表明すると言うよりは、カトリック典礼をよりエキュメニカルにするという方針に基づいてなされるようになってしまいました。

 ローマ・ ミサ典礼書は太古から存在していましたが、特に、1570年に教皇聖ピオ五世がこれを永久の法として発表しました。第二バチカン公会議以前のミサ典書であれば、それほど大きな違いがありません。

 しかし、細かいところでは、改訂がなされています。その細かいところの違いでも主なものは、いろいろな聖人の祝日が付け加わったりしたことです。例えば、聖ピオ十世教皇様が Divino Afflatu でなした典礼改革では旧約時代の聖人がかなり祝われなくなりました。(それ以外にも細かい違いがあります。)

 1962年以前と以後の違いで言えば、例えば、祝日の等級が微妙に単純化されました。(それ以外にも細かい違いがあります。)

 例えば、1962年以前では、主日は、一級主日(Dominica I classis)、二級主日(Dominica II classis)とそれ以外の主日に分けられていました。

 また、祝日については、次のように細かく等級がありました。

一級大祝日(Duplex I classis primarium)
一級祝日(Duplex I classis secundarium)

二級大祝日(Duplex II classis primarium)
二級祝日(Duplex II classis secundarium)

復誦の大祝日(Duplex majorum primarium)
復唱の祝日(Duplex majorum secundarium)

単唱の大祝日(Festum primarium)
単唱の祝日(Festum secundarium)

 ところが、1962年の典礼法規の改革で、祝日の等級は

一級祝日(Festum I classis)
二級祝日(Festum II classis)
三級祝日(Festum III classis)

だけになりました。

 ところで、バルバロ神父様のミサ典書は、一部、1962年版として変更が付け加えられたところがありますが、細かい典礼暦については以前のまま(1955年の典礼法規のまま)依然として残っています。

ですから、1962年の典礼法規によれば、 2月2日の祝日は、二級祝日であるべきなのですが、「2級大祝日」となっていて「大」が付いているようです。

 何故、バルバロ神父様のミサ典書は、細かい典礼暦については以前のまま(1955年の典礼法規のまま)依然として残っているか、その理由は、おそらく、1962年以後、1970年に新しいミサがでるまで、息をつく間もないほどの改訂の連続で、
おそらく在庫を全てさばく前に、或いは、1962年版に合わせて全て訂正の仕事が完成する前に、革命的な新しいミサが出来てしまったのではないでしょうか。


【浄めの祝日】

<<<1962年以前>>>

 さて、1962年以前は、聖母マリアのお潔めの祝日(2月2日)が、七旬節の主日、或いは六旬節の主日、或いは五旬節の主日に当たった場合、その主日には、ロウソクの祝別と配布とロウソク行列のみをミサ聖祭の前に執行し、ミサについては、七旬節の主日、或いは六旬節の主日、或いは五旬節の主日のミサ聖祭を行いました。(ですからバルバロ訳のミサ典書には「主日(の固有文のミサ聖祭)の前に行う」と書かれているようです。)

 そしてお潔めのミサ(と祝日)は、翌日の月曜日(つまり2月3日)に移動されます。

 但し、例えば司教区によっては、或いは修道会によっては、或いは小教区によっては、司教殉教者聖ブラジオ(2月3日)が主要な守護の聖人(従って、一級で祝う)であったり、或いは、翌日の月曜日(つまり2月3日)がその他のより高い等級の祝日が重なっている場合には、その翌日に、この日もより高い等級の祝日などで「ふさがっている」場合には、更にその翌日、これもダメなら更にその翌々日に移動させます。

 このようにして移動されたお潔めの祝日においては、既に先立つ主日にロウソクの祝別と行列などを執行しているはずなので、お潔めのミサ聖祭のみを捧げて、ロウソクの祝別は行いません。

 またロウソクの祝別は、1962年以前では紫の祭服(カッパ)を付けて行いましたが、1962年以後は、白で行っています。

 Alma Redemptor については、七旬節の主日がいつ来るかに関わらず、必ず待降節第一主日の前の土曜日の晩から2月1日の終課の聖務まで歌います。

 2月2日の終課には、七旬節の主日がいつ来るかに関わらず、常に Ave regina caelorum を歌います。この Ave regina caelorum は2月2日から、聖週間の聖水曜日まで歌います。

<<<1962年以後>>>

 1962年版の典礼法規によれば、聖母マリアのお潔めの祝日(2月2日)は主の祝日と考えられており、もしもこの祝日が主日に当たった場合には、二級祝日が一級祝日へと等級が上がると書かれています。

 ですから、この祝日が、七旬節の主日、或いは六旬節の主日、或いは五旬節の主日に当たった場合、その主日には、七旬節の主日、或いは六旬節の主日、或いは五旬節の主日の典礼はおこないません。しかも、同じ主日は主の日なので、主の祝日が重なってもその記念は行いません。そこで、その年には、お潔めの祝日だけを祝って、七旬節などは何も行わないようになっています。


【降誕節】

 御降誕節については、1962年版の一般典礼法規(Rubricae generalis)によれば、次のようになっています。特に、降誕節(Tempus natalicium)というより大きい時節と、御降誕の節(Tempus Nativitatis)という降誕節の中に含まれるより短い節の違いにも注意してください。

A 待降節について
71 聖なる待降節という時節は待降節第一主日の第一晩課から主の御降誕の前日の第九時課(これを含む)までである。

B 降誕節について
72 降誕節(Tempus natalicium)という時節は、主の御降誕の第一晩課から一月十三日(これを含む)までである。

この時節の間には、次が含まれる。
a) 御降誕の節(Tempus Nativitatis)であり、これは主の御降誕の第一晩課から一月五日の第九時課(これを含む)までである。
b) 御公現の節(Tempus Epiphaniae)であり、これは主の御公現の第一晩課から一月十三日(これを含む)までである。

ただし、1962年以前の典礼法規によれば、このような区分は無かったようです。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】


1962年版以前には、以下の主日が一級主日(Dominica I classis)でした。

待降節第1主日(1級)紫
四旬節第1主日(1級)紫
四旬節第2主日(1級)紫
四旬節第3主日(1級)紫
四旬節第4主日(1級)バラ色(或いは紫)
御受難の主日(1級)紫
枝の主日(1級)紫
復活祭(1級及び1級の八日間付き)白
白衣の主日(1級)白
聖霊降臨(1級及び1級の八日間付き)赤


以下の主日は二級主日(Dominica II classis)でした。

待降節第2主日(2級)紫【--> 1962年には一級主日になる】
待降節第3主日(2級)バラ色(或いは紫)【--> 1962年には一級主日になる】
待降節第4主日(2級)紫【--> 1962年には一級主日になる】
七旬節の主日(2級)紫
六旬節の主日(2級)紫
五旬節の主日(2級)紫


次が一級大祝日(Duplicia I classis primaria)でした。

主の御降誕(1級祝日、八日間付き)白
主の御公現(1級祝日)白
復活祭の前日三日間および後の二日間(1級)白
主の御昇天(1級祝日)白
聖霊降臨の後の二日間(1級)赤
聖三位一体(1級祝日)白
御聖体の祝日(1級祝日)白
イエズス・キリストの至聖なる聖心(1級祝日)白
王たるキリストの祝日(1級祝日)白
聖母マリアの無原罪の御宿り(1級祝日)白
童貞聖マリアの御告げ(1級祝日)白
童貞聖マリアの被昇天(1級祝日)白
大天使聖ミカエル(1級祝日)白
洗者聖ヨハネの誕生(1級祝日)白
童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白
使徒聖ペトロとパウロ(1級祝日)赤
諸聖人の祝日(1級祝日)白


次が一級祝日(Duplex I classis secundarium)でした。【Ducplicia が Duplex となっているのは、複数が単数になっているだけで同じ単語です】

イエズス・キリストのいと尊き御血(1級祝日)赤


次が二級大祝日(Duplicia II classis primaria)でした。

主の御割礼(2級大祝日)白【--> 1962年には一級祝日になる】
私たちの主イエズス・キリストの御変容(2級大祝日)
至聖救世主の大聖堂の奉献(2級大祝日)
童貞聖マリアの潔め(2級大祝日)
童貞聖マリアのご訪問(2級大祝日)
童貞聖マリアのご誕生(2級大祝日)
使徒聖アンドレア(2級大祝日)赤
聖トマス(12月21日)(2級大祝日)赤
使徒福音史家聖ヨハネ(2級大祝日)白
使徒聖マチア(2級大祝日)赤
使徒聖フィリポとヤコボ(2級大祝日)赤
使徒聖ヤコボ(2級大祝日)赤
使徒聖バルトロメオ(2級大祝日)赤
使徒福音史家聖マテオ(2級大祝日)赤
使徒聖シモンとユダ(2級大祝日)赤
福音史家聖マルコ(2級大祝日)赤
福音史家聖ルカ(2級大祝日)赤
最初の殉教者聖ステファノ(2級大祝日)赤
幼子殉教者(2級大祝日)赤
童貞聖マリアの御母聖アンナ(2級大祝日)白
殉教者聖ラウレンチオ(2級大祝日)赤
童貞聖マリアの御父聖ヨアキム(2級大祝日)白


次が二級祝日(Duplicia II classis secundaria)でした。

イエズスの御名の祝日
十字架の発見
聖母の汚れなき御心
童貞聖マリアの七つの御悲しみ
聖母の至聖なるロザリオ
童貞聖マリアの母性
(等々)


ラテン語の ae と oe について:in proelioとin praelio の違いは?

2009年08月21日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
「ラテン語の ae(a+e) と oe(o+e)」について

【その1】
大天使聖ミカエルの祈りの1行目の in proelio が in praelio になっているのを、見たことがあります。
文法的に誤りではないのでしょうか。


【その2】
私の持っているミサ典書では、クレドの冒頭、

factorem caeli et terrae, の caeli も
factorem coeli et terrae, になっています。

レジナ・チェリの祈りも
Regina coeli です。

サンクトゥスも
Pleni sunt coeli et terra gloria tua. です。


【その3】
また、ミサ典書の通常文冒頭、詩編42JUDICA MEの祈りと直前に3回出てくる

qui laetificat juventutem meam. は、
qui loetificat juventutem meam. 

になっています。

一般的に、aeになっているところが、違うスペルでも文法的には問題ないのでしょうか。


【お返事】

 こんにちは!ご質問をありがとうございます。
 ラテン語に興味を抱いて下さって、そしてスペルにも詳しく注意を払って下さっておられ、大変嬉しく思いました!

 この問題については、日本の方々だけではなく欧米の方々も時々疑問に思うことです。例えば、こんなサイトもあります。
http://forums.catholic.com/showthread.php?p=4076753

 私の調べた範囲による、これに関する私の考えは次の通りです。

【1】私たちが今知ることのできる古代のラテン語のアルファベットは、主にローマ帝国時代の建築物の石に刻まれている。それによると、ラテン語では J や U (さらに Z )などの文字がなく、J の代わりに I 、U の代わりに V を使っていた。また人名ではよく、G の代わりに C が刻まれている。

(アルファベットは、実は、フェニキア・ヘブライ語を起源としていると考えられています。文字の形もそうですが、文字の名称も、アルファ A これは牛の頭の形をひっくり返したもので、ヘブライ語で雄牛のことをアレーフと言うし、ベータ B は、元来、家の形から取られたものですが、ヘブライ語で家のことをベートと言うからです。ちなみに食べるパンのことを、ヘブライ語でレヘムと言いますが、私たちの主イエズス・キリストがお生まれになった町、ベトレヘムは「パンの家」という意味です。)

【2】元来、oe という二重母音のラテン語系の単語はそれほど多くなかった。例えば、coetus (グループ)、proelium(闘い)、poena(罰)など。それに引き替え、ae という二重母音の単語はたくさん存在する。

【3】ところで、かなり初期に、ae の発音が、「アエ」あるいは「アイ」、という代わりに「エ」と発音するようになった。日本語で「おまえ」が「おめー」になるように。また、同時に、oe の発音も、「オエ」あるいは「オイ」と発音する代わりに、「エ」と発音するようになった。

【4】写本をするときに a の後にすぐに e を書き写すとき、活字体の a のように書いた ae と筆記体の α のように書いた αe とが、こんがらがって同じ ae なのに、æ と œ との二様の書き方が生じてしまった。さらに、oe の筆記体の写本の文字とも混乱が生じてしまった。

【5】そこで例えば、proelium と言うところを、praelium と誤解してしまうことが始まった(発音は同じであるし、写本の文字も同じであるから)。間違いが広がってしまうと、言語では、それが一般に許容されそれが「正式」になってしまうことさえあります。(たとえば、韓国語では牛のことを소【ソ】と言います。しかし牛の肉は、쇠고기【セコギ】というのが元来の言い方でしたが、間違って소고기【ソコギ】という人が一般化してしまったので許容されるようになりました。)

【6】文法的な間違いではなく、proelium が praelium となっていることは、許容範囲だと思われますが、しかし、「天の」を意味する caeli や「喜ぶ」と意味する laetificat は、元来 ae なので、oe と書くのはふさわしくないように思われます。

 最後に、今回のご指摘で、最初に投稿したときには praelium となっていたスペルを、proelium に訂正いたしました。ご質問を深く感謝しております。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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【質問】ロザリオのお祈りをしますが、大天使ミカエルへの祈りがわかりません。

2009年08月18日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】
ロザリオの、お祈りをしますが、大天使ミカエルへの祈りがわかりません。教えてください。

【御返事】
大天使聖ミカエルへの祈りは、普通聖ピオ十世会では、5連が終わった後で、次のように祈ります。

「大天使聖ミカエル、戦いにおいて我等を護り、悪魔の兇悪なる謀計に勝たしめ給え。天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。ああ、天軍の総帥、霊魂を損なわんとてこの世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。」

ラテン語
Sancte Michael Archangele, defende nos in proelio: contra nequitiam et insidias diaboli esto praesidium: Imperet illi Deus, supplices deprecamur; tuque, Princeps militiae caelestis, Satanam aliosque spiritus malignos, qui ad perditionem animarum pervagantur in mundo, divina virtute in infernum detrude. Amen.

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

読者の愛する兄弟姉妹の皆様からのご質問に忘れずに答えるために(ベータ版)

2009年05月22日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 読者の愛する兄弟姉妹の皆様からのご質問に忘れずに答えるためにこのスペースを作りました。もっと改良の余地があるかもしれませんが、忘れる前にとりあえず。愛する兄弟姉妹の皆様も、まだこの質問をしたのだけれども答えをもらってない、あるいは、この質問をしてみたい、という内容がありましたら、コメント欄に書いてくだされば、私も手が省けるので感謝いたします。内容が難しいために、私の能力の不足のために、すぐに、あるいは全くお答えできないご質問がありますので、ご容赦ください。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【質問】マリア様の冠の十二の星のいわれは何ですか?

2009年05月12日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!

【質問】
 フェレー司教様は、ロザリオの十字軍でマリア様の冠の十二の星と言われましたが、このいわれは何ですか?

【お返事】
 ご質問をありがとうございます。これは聖ヨハネの黙示録に由来します。

 聖ヨハネの黙示録の第12章にはこうあります。
「それから、壮大なしるしが天にあらわれた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた。」

 教父たちによると、この「太陽に包まれた婦人」とは、カトリック教会の表象(figura)です。人類をどちらの方が取るか、竜(=サタン)と生きるか死ぬかの死闘をする教会です。
 太陽を着るとは正義の太陽である私たちの主イエズス・キリストにくるまっているのであり、イエズス・キリストに保護されていることを示します。

 この婦人の足の下に月があるのは、教会がこの世の栄華盛衰の変化の上に超然と立っているからです。何故なら、月は常に満ちたり欠けたりし、いつも変化しているので、人間的なこの世の栄華盛衰のシンボルであるからです。教会はペトロの上に天主の御言葉によって建てられ、永久の運動の中にありながらも揺り動かされることなく立ちとどまるからです。

 その頭に十二の星の冠をいただいていたのは、教会が十二の使徒たちの教えを持つからです。

 また教父たちによると、同時に、この「太陽に包まれた婦人」とは、天主の聖母終生童貞なる聖マリアを意味します。そのとき、十二の星のついた冠は、聖霊の十二の実り(ガラチア五章)です。「霊の実は、愛(caritas)、よろこび(gaudium)、平和(pax)、寛容(patientia)、仁慈(benignitas)、善良(bonitas)、忍耐(longanimitas)、柔和(mansuetudo)、誠実(fides)、慎み(modestia)、節制(continentia)、貞潔(castitas)であって、これらのことに反対する律法はない。」

 ついでに黙示録の続きにある、「七つの頭と十の角をもち、頭に七つの冠のある赤い竜」は、血に飢え渇くので赤いのです。七つの頭とは、ラテン語で septem capita であり、七つの罪源(septem peccata capitalia)です。七つの罪源とは、傲慢(superbia)、 貪欲(avaritia)、(肉欲)luxuria, (嫉妬)invidia, (貪食)gula, (憤怒)ira, (怠慢)acedia です。
Summa, I-II, QUAESTIO 84、または、Theologia moralis et dogmatica. を参照のこと)

 聖書では、角とは、天に向かって立ち上がるものであり、傲慢と天主に対する反乱のシンボルです。「私は仕えない! Non serviam! 」これがそのモットーです。この角が十本あるとは、天主の十戒すべてに逆らおうという意志を表しています。頭にかぶる「七つの冠」とは、七つの罪源すべてについて人間に勝利を収めているということです。

 なお、この回答を書くために "Le Sens Mystique de l'Apocalypse" par R.P. de Monleon, Nouvelles Editions Latines 1984 を参考にしました。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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【質問】どうして教令はルフェーブル大司教様の無効な破門について言及していないのか?

2009年02月11日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 今日はルルドにおける無原罪の御宿り聖母マリア様の御出現の祝日です。
 スビヤコ(スビアコと書かれているみたいですが、イタリア人の発音を聞くとどう聞いてもスビヤコと聞こえるのでスビヤコと書いています)の聖なる洞窟からルルドのマッサビエルの洞窟に黙想が移った感じですね。
 いかがお過ごしでしょうか? もうずっと前のことですが、兄弟姉妹の皆様からご質問がありましたのでお答え致します。

【御質問】

小野田神父様。

 今、今、あの破門の撤回ニュースを知りました。
一体何がローマにあったのですか?
私は混乱しています。

 これは罠ですか?
どうしてあれはルフェーブル大司教様の無効な破門について言及していないのですか?
これは本当の慶びですか?
あれを信じてよいのですか?

 一体全体何が起こったのか、何もわかりません。
これから私は聖ピオ十世会のために何をすればよいですか?
これで聖ピオ十世会はあのリベラル狼とコンサバ狐に取り込まれてしまうのですか?


【御返事】

 ご質問をありがとうございました。お返事が遅れてしまってごめんなさい。
「どうしてあれはルフェーブル大司教様の無効な破門について言及していないのか?」これは悲しい点です。

 自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」の文書の中に、肯定的な点と否定的な点があったのと同じように、確かに、レ枢機卿の2009年1月21日の教令には、幾つかの疑問点があります。それと同時に、幾つかの肯定的な点もあります。

肯定的な点

(1)この教令によってカトリック聖伝に対する「破門」が無効であると宣言されたこと。何故なら、1988年6月30日に聖別された司教様たちへの「破門」は、すなわち、聖ピオ十世会やその信徒の方々、そしてカトリック教会の過去全体への「破門」へと拡大解釈されていたからです。そこで「破門」無効宣言は、カトリック教会全体の利益につながるからです。

(2)この教令は、司教聖省長官によって署名されていること。何故なら、聖ピオ十世会を貶めようとしてきたエクレジア・デイ委員会がサインしたものではないからです。

(3)キリスト教一致週間について何の言及もないこと。何故なら、聖ピオ十世会はエキュメニズムの対象ではないからです。

(4)聖ピオ十世会は、カトリック教会を襲う危機のために苦しんでおり、教皇様にそのための助けとなる神学的な話し合いをすることを願ってきましたが、この教令はこの教義に関する話し合いが「必要である」と認めていること。何故なら、聖ピオ十世会が「属人区」式であろうと「従軍教区」式であろうと、ローマが望むような教会法的タイトルを受ける前に、聖ピオ十世会は、カトリック信仰についてまた第二バチカン公会議について私たちはどうしても神学的に話し合わなければならないからです。


否定的な点

(5)この教令は、1988年7月1日にこの聖省によって宣言された伴事的破門の刑罰が全く無効であったとはっきりとは宣言せず、上記の日付で出された教令を、2009年1月21日の日付より、教会法上の効力が無いと宣言する、と言うに留まったことです。

 スンモールム・ポンティフィクムの場合には、聖伝のミサが決して廃止されていなかったとハッキリと断言したように、1988年7月1日のいわゆる「破門」は最初から決して有効ではなかったと言うことを私たちは求めていました。

 しかし、フェレー司教様を始めとする4名の司教たちは、カトリック教会の危機に対して対策を打ち出したいと願っている教皇様のメンツを考慮し、最新の教令が昔の教令を反古にし無効としたという点を好意的に受け止めようとしたのです。

 過去20年のことは、将来カトリック教会が聖伝に立ち戻ったとき、自ずと明らかになることでしょう。今は、将来に向けて、カトリック教会全体の為に危機に対する対策を教皇様に申し上げるべきであると考えたのです。

(6)ルフェーブル大司教様のお名前が明記されていなかったことも残念でした。しかし、権威ある教会法学者の中には、最後の「教会法上の効力が無いと宣言する」という無効宣言により、暗黙のうちに故人となってしまったルフェーブル大司教様とデ・カストロ・マイエル司教様とに対する「制裁」も教会法的効果を失ったと考える人々もいます。もちろん、私たちはこのような暗黙のうちの理解に満足するわけではありません。私たちは、将来、この二人の偉大な司教様たちの名誉が完全に回復されるために全力を尽くすつもりです。


世界中のカトリック教会全体の利益のために

 聖ピオ十世会は、ルフェーブル大司教様の足跡を慕いながら、ルフェーブル大司教様が常にそうしてきたようにカトリック教会全体の利益を常に考えてきました。

 聖ピオ十世会としては、聖ピオ十世会だけが聖伝のミサをすれば良いのではなく、カトリック教会の全ての司祭たちが当然持っている聖伝のミサを捧げる自由を求めてきました。

 レ枢機卿の引用は、歪曲化されていましたが、4名の司教様たちは自分たちのことというよりは、1988年の「破門」のために、カトリック教会の少しでも聖伝を守ろうとする司教・司祭・信徒の方々「ルフェーブル派」のレッテルをはられ、いわばカトリックの聖伝が「破門」されている、このために現在の状況は聖伝を守ろうとする全てのカトリックを多く苦しめている、と訴えたのでした。

 聖ピオ十世会は、「属人区」式であろうと「従軍教区」式であろうと、ローマが望むような教会法的タイトルを提案されることでしょう。聖ピオ十世会がサインさえすれば、聖ピオ十世会だけは特別の地位に着くことができるかも知れません。

 しかし、聖ピオ十世会だけが「博物館」或いは「動物園」の檻の中に入って、昔のカトリック教会はこうだったのですよ、今でも絶滅しつつある種がこうして残っているんですよ、しかし皆さんはこうあってはいけませんよ、と言われる存在であることを望みません。

 聖ピオ十世会は、カトリック教会全体の利益のために、カトリック教会の2000年の聖伝の名誉のために、全世界のカトリック教会全体にとって、カトリック信仰についてまた第二バチカン公会議について、神学的に話し合うことを望んでいます。カトリック教会の危機は、聖ピオ十世会だけの問題ではなく、カトリック教会全体の信仰の危機であるからです。

 これは聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議を飲み込ませるための「罠」だったのかもしれません。しかし、ベネディクト十六世教皇が聖ピオ十世会の求めていた2つの前提を満たすように特に働きかけていたことを認識しているので、(5)1988年7月1日に宣言された伴事的破門の刑罰が全く無効であったことが明確に宣言されていなかったこと、そして、(6)ルフェーブル大司教様のお名前が明記されていなかったことをもって、これを大問題としてドラマとすることなく、不完全ながらも教皇様との信仰についての必要な話し合いに移ろうということになったのです。

 ローマとの話し合いで、聖ピオ十世会の代表が信仰の話をちゃんとすることができるようにお祈り下さい。政治の話でも細かい教会法の話でもなく、まずは信仰の話です。バチカンは私たちの長上にカトリック信仰の話ではなく、枢機卿にしてあげようとか、その他この世的な話で釣ろうとすることがあるかも知れませんが、信仰の話をし続けることができますように。

 これからも聖ピオ十世会のために祈りを持って、聖伝のミサに与り続けることによって、支えて続けて下さい。特に日本のような極東の地で聖ピオ十世会の聖伝のミサが盛んになることは、教皇様を力づけ、教皇様をして全世界に対して強い発言をする勇気を与えることでしょう。

 特に私たちは、日本全国に、そして全世界の全ての小教区で聖伝のミサが復活することを望んでいます。聖伝のカトリック信仰が蘇ることを望んでいます。そしてそれによって多くの霊魂が救われることを望んでいます。私たちの願いはそれ以外の何ものでもありません。

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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ウィリアムソン司教様(Bishop Williamson)がしたテレビ局のインタビューの裏に

2009年02月10日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?実は愛する兄弟姉妹の皆様からたくさんのご質問が寄せられておりますので、すこしづつお答え致します。


【御質問】
(1)そのたびのスウェーデンのテレビ局を上手に使った攻撃はいつごろ始まったのでしょうか。 一月21日の 教令の発布の前ですか 後ですか?11月にドイツで録画された インタビューだそうですが、もう昨年中から「この連中の破門の撤回なんかするなよ」という教皇様への圧力の道具として今回のメディアのキャンペーンは始まったのでしょうか? それとも破門撤回の教令が1月21日に出るのとほとんど同時に放映され始めたのでしょうか? 



【御返事】

 スウェーデンのインターネットテレビ局による攻撃は、破門撤回の発表の直前です。

フェレー司教様によると、こう言われています。

「それにしても注意すべきは、というのもこれを単なる偶然の一致と呼ぶことができないからですが、このインタビューは11月1日になされたものです。それは以前サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会でルターの異端説を放棄した元ルター派の牧師が、今ではツァイツコーフェン(=聖ピオ十世会のドイツの神学校)の神学生ですが、助祭に叙階された時のインタビューで、「破門」の撤回という正にその正確な時期に放映されました。
 このインタビューは、本来ならば宗教に関するものであるはずでしたが、インタビュアーはバナナの皮を滑り込ませ、ウィリアムソン司教様はその結果について考えずに滑ってしまったのです。
 私が強調したいことは、この問題は、聖ピオ十世会の目的とは何らの関係もありません。聖ピオ十世会の目的はカトリックの教えの宣教です。これはもう終わったと期待する不幸な出来事でした。これ以上のものではありません。もちろん、今後はウィリアムソン司教様には法的な結果がつきまとうでしょうし、私たちにはレッテルが増えることになりました。
しかしながらこの事件は二つの段階に分けて出すという正確さがありました。まず、ドイツのシュピーゲル紙がこの情報を最初に報道し、スエーデンのテレビ番組についての予告をしました。このシュピーゲル紙の記事は教皇様に反対して書かれていました。教皇様はこんな人々を教会に入れようとしていると、破門の撤回の発表の前に、ズバリとそう書いたのです。教皇にはこのような人々と近づこうとする意志がよく見える、そうしたら問題が起こるだろう、何故なら彼らの中には「否定論者」がいるから、と。」


 事実関係はこうです。

 2008年11月1日、ドイツのツァイツコーフェンの神学校(=聖ピオ十世会のドイツの神学校)で、助祭の叙階式をウィリアムソン司教様が執行しました。
 助祭に叙階された神学生のうちの一人が、シュテン・サンドマーク(Sten Sandmark)で、元ルター派の牧師であったけれどカトリックに回心したスウェーデン人でした。そこで、スウェーデンのテレビ(SVT)のジャーナリストたちもそれに来ていました。ウィリアムソン司教様は彼らの質問に答えることに応じました。
 この質疑応答の際に、ウィリアムソン司教様が数年前にカナダで言った発言について質問をしました。
 ウィリアムソン司教様は、これに答えることによってドイツで刑を受ける可能性があることをハッキリと述べていました。

 年が明けて、2009年1月19日、ドイツの雑誌であるシュピーゲル誌がベネディクト十六世教皇が聖ピオ十世会に対して近々する接近に対して敵対する記事を書きました。
 そしてシュピーゲル誌は聖ピオ十世会の司教の中には「否定論者」がいると述べ、スウェーデンのテレビ番組 "Uppdrag gransning" (調査ミッション)が1月21日に放映されることを予告しました。

 レ枢機卿の教令は1月21日に署名され、1月24日に公表されました。

 バチカン関係専門のジャーナリストパオロ・ロダリ(Paolo Rodari)は、2月3日付けの「レフォルミスタ」紙において、教皇に調査レポートを提出しました。このレポートでは「スウェーデンのテレビ放送の日付の選択の裏に、ベネディクト十六世教皇を失墜させようとする糸が隠れている。この資料はスウェーデンのテレビ局が破門の撤回の発表がある3日前に報道されるように影響を受けたと証明しようとしている。この資料はフランス人女性のジャーナリストであるフィアメッタ・ヴェネ(Fiammetta Venner)がこの否定論に関する質問をするようにと提案したと仮説を出している。」

 フィアメッタ・ヴェネ(Fiammetta Venner)は、フランス同性愛の活動家であり、堕胎と政教分離の闘士で、ロダリによれば、「彼女は、政教分離についての、フランス・フリー・メーソンのグラン・トリアン(Grand Orient)の恒例の講師である。2008年9月には、ベネディクト十六世がフランスを訪問した際に、同士のカロリーヌ・フレ(Caroline Fourest)と共著で次の題の本を発行した:『"Les nouveaux soldats du pape. Les légionnaires du Christ, l’Opus Dei et les traditionalistes" 教皇の新しい兵士たち、キリストの軍隊、オプス・デイ、そして聖伝主義者』(éd. Panama)」

 ウィリアムソン司教様に反対するキャンペーンは、教皇様と聖ピオ十世会とに反対するキャンペーンに広がり変化しつつあります。ドイツでは、シュピーゲル誌(Der Spiegel)と日刊紙ビルト(Bild)は、バチカンと聖ピオ十世会とは、考え方と道徳に関する近代性が獲得したもの全てに反対していると告発しています。

 ヘルマン・ヘーリンク(Hermann Häring)という進歩的神学者は、2月2日、左翼の新聞ターゲスツァイトゥンク(Tageszeitung)に、81才になるベネディクト十六世は辞任・辞職すべきだと宣言しました。曰く「もしもこの教皇が教会に善をしたいと思うのなら、教皇は辞職すべきだ。それは醜聞にもならないだろう。司教は75才に引退する。枢機卿は80才になると全ての権利を失う。教皇もこの賢明な規則に何故従うことができないのだろうか?」と。

Derrière l’entretien de Mgr Williamson à la télévision suédoise…

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【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

2009年02月10日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか?ご質問がありましたので、遅ればせながらお答え致します。

【質問】今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられますか?

http://www.radiovaticana.org/より

教皇ベネディクト16世は、マルセル・ルフェーブル師によって1988年叙階された4名の司教の破門の解消を承認された。

教皇庁司教省は21日付でこのたびの破門解消に関する教令を発布した。

教皇庁広報局の24日の声明によれば、これはバチカンと聖ピオ10世司祭兄弟会の対話を経て決定された。

同会は、第2バチカン公会議によるいくつかの改革に異議を唱えていたルフェーブル大司教が1970年に創立した。

教皇は破門を解消することで、同会のフレー師をはじめとする4人の司教が2008年12月15日付で提出した、カトリック教会に留まり、主イエス・キリストの教会への奉仕に全力を尽くし、教皇の首位を固く信じる意志を表した書簡中の願いに応えられた。

教皇は、2005年8月にフレー師と個人的に会見するなど、一致を取り戻す道を常に模索されてきた。
 とあるのですが....


【御返事】
 教皇様が聖ピオ十世会についてどのように思われているか、教皇様のお立場から、反対派の司教様たちを考慮して心中のお考えをそのままはっきりと表明することができないでおられるかも知れません。

 例えば、聖伝のミサについての自発書簡(モートゥー・プロプリオ)は、出る出ると言われながら世界中の司教様たちの反対に押され、1年以上出されませんでした。しかも、自発書簡という名前は付いていますが、内容は、他の反対意見を取り入れさせられ自分の考えをそのまま出したとは必ずも言い切れない書簡となってしまいました。

 しかも、聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」は、発布の後も世界中の司教たちから無視され、適応に制限を加えられ、妨害され、骨抜きにされつつあります。

 さて、聖ピオ十世会の4名の司教様たちの「破門」の撤回については、バチカン内部では様々な反対の意見がありました。私の聞いたところによると、国務長官のベルトーネ枢機卿やカスパール枢機卿などが反対していたそうです。

 聖伝のミサに関する自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」同様、教令発布の後も世界中の司教たちから、妨害され、骨抜きにされることでしょう。


 ベネディクト十六世教皇様のお考えを、過去の発言や行動から推測することが許されるとしたら、以下は私、トマス小野田圭志神父の個人的な推測でありますが、以下にしてみたいと思います。


 【ラッツィンガー枢機卿時代】
(1)教会の危機:ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、現在カトリック教会に危機があることを認識していました。例えば、聖金曜日の十字架の道行きで、次のように言っています。

「あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。」

「私たちはどれほど多く、彼を考慮に入れることなく、自分たちだけを祝ってきたことだろうか。」(ここで「彼」とはイエズス・キリストのことをさしており、会食の集いに変わってしまった典礼によって忘れ去られたその方のことを言及している。)

(2)新しいミサ:ラッツィンガー枢機卿は、新しいミサ・典礼について、オープンに厳しい批判的な発言をしていました。例えば、
「私たちが今日経験している教会の危機は、「あたかも神が存在していないかのような」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。今日、典礼において、神が存在しており、神が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いて下さるということは、もはや問題外のこととなっている」(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ)。

(3)聖ピオ十世会:ヨハネ・パウロ二世の命を受けて、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、枢機卿時代から聖ピオ十世会を直接知っています。例えば1987年5月にはパリでルフェーブル大司教様と直接会い対話をしています。ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、ルフェーブル大司教様が聖伝の信仰、秘蹟、ミサに固執したが為に「処罰」を受けていたことをよく知っていました。そして司教聖別も聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるためであるということも知っていました。
 そこで、例えば次のような事件がありました。ハワイで聖ピオ十世会の信徒の方々が聖ピオ十世会の司教様にお願いして旧典礼のやり方で堅信を受けたことです。ハワイの司教様はこの堅信を組織した6名の平信徒を「破門」しましたが、教義聖省長官であったラッツィンガー枢機卿は、アメリカ教皇大使を通じてこの「破門」が無効であることを繰り返して発表させたのです。

(4)第二バチカン公会議:第二バチカン公会議については、1988年7月13日チリのサンチアゴで、チリの司教評議会に「(第二バチカン)公会議はいかなる教義をも決定したわけではありません。そして故意に、単なる司牧公会議としての慎ましいレベルに止まることを選んだのです。しかしながら、多くの人々はこれをそれ自身で、その他の全ての(公会議の)重要さを取り除くある種の超教義(スーパードグマ)であるかのように取り扱っている」と発言しています。

(5)枢機卿時代の行動:イタリア人サンドロ・マジステルの書いた「ベネディクト16世:教皇とそのアジェンダ(行動予定)」によれば、
「・・・ベネディクト16世は、自分の前任者であるヨハネ・パウロ2世の行ったミサの典礼についても自分の疑念を隠したことはなかった。ヨハネ・パウロ2世の下のローマの諸聖省で、ラッツィンガー枢機卿以上に自由に、批判的に発言したものは誰もいない。そしてカルロ・ウォイチワはこの理由のためにも彼を非常に尊敬した。・・・信仰教義聖省の長官としてラッツィンガーはヨハネ・パウロ2世をいろいろの点で批判した。しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を。
 ラッツィンガーは1986年のアシジの諸宗教の最初の集いには行きさえもしなかった。・・・
 新しい教皇がヨハネ・パウロ2世と同意しなかった別の点は、教会が過去の罪の赦しを求めたことである。・・・ラッツィンガーは別のやり方で自分の批判の声を上げた。つまり彼は上げられた反対意見に、一つ一つ答える神学的文書という形で、だ。・・・
 ベネディクト16世は枢機卿として、ウォイチワ教皇が祭壇の名誉まで高めた聖人や福者たちの終わりを知らない連続をも批判した。・・・
 彼は「政治的正しい言い方(politically correct language)」をいつも無視してきた。1984年、マルクス主義の根がある解放の神学に反対した文書では、彼は共産主義帝国に「現代の恥」とか「人間の恥ずべき隷属化」などとラベルを貼って致命傷的な打撃を与えた。・・・
 ラッツィンガーは、管理者ではなく、偉大なヴィジョンを持つ男として、常に際だっていた。彼は官僚機構の用語としてより簡素な教会を見たいと思っている。彼は教会の中央及び周辺機構―――つまりバチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会など―――が、「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」になることを望まない。」
(詳しくは、マニラの eそよ風 第280号を参照してください。)

 【ベネディクト十六世教皇時代】
(1)ベネディクト十六世教皇様は、フェレー司教様にその謁見の時、特にドイツ、フランスで教会の危機が無いと言えるだろうか?と反語の形で教会の危機を確認しました。

(2)2007年7月7日、世界中の司教たちの反対を押し切って、聖伝のミサが一度も法的に廃止されたことがなかったという事実を確認しました。聖伝のミサこそが、実は、ベネディクト十六世にとって「わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」

(3)ベネディクト十六世は、ルフェーブル大司教様が聖伝の秘蹟と聖伝のミサを執行し続けるために司教聖別をしたということも知っていましたが、もしも、聖伝のミサが「一度も廃止されたことがなく」、「神聖であり、偉大なものであり続ける」のなら、ルフェーブル大司教様の受けた「処罰」は、無効であるはずです。従って、論理的に、ベネディクト十六世は教会法上の効力が無いと宣言することを望んでいました。そして、遂に、バチカン内部の反対を押し切って2009年1月21日に、司教聖省長官をしてそれをさせました

(4)第二バチカン公会議の解釈については、今に至るまでカトリック教会中に混乱がある、と認めています。これはベネディクト十六世が2005年12月に枢機卿たちに言ったコメントによってこれが分かります。第二バチカン公会議に教父の神学顧問として参加したベネディクト十六世は、聖ピオ十世会と第二バチカン公会議について自由でオープンな議論を行いたかったはずです。それが、2009年1月21日の教令のこれから聖ピオ十世会とオープンな議論について「必要な話し合いを深める」という言葉にも現れています。


(5)ベネディクト十六世教皇様が必要としているものは何か:世界中の司教たちの反対やその他の脅迫が予想されていたにもかかわらず、ベネディクト十六世にとって、自分がヨハネ・パウロ二世に対して取った行動を取ってくれる人を必要としていたのではないでしょうか。

 御自身が、枢機卿時代にヨハネ・パウロ二世を誰よりも自由に批判的に発言し、信仰教義聖省の長官として教皇様をいろいろの点で、しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を批判したように、ベネディクト十六世も、そのような誰かを必要としているのではないでしょうか。

 カトリック教会を愛する心から、神学的に、自由に、批判的に発言してくれるだれかを。「政治的正しい言い方(politically correct language)」を無視して、真理をそのまま発言する勇気がある誰かを。

 カトリック教会を愛するが故に、カトリック教会の偉大なヴィジョンを持つ誰かを。
 「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」に、バチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会などが教皇様の動きを妨げることを望まず、むしろ、ダヴィドが選んだ武器としての石ころとなることができる誰かを。

 僭越な言い方ではありますが、ベネディクト十六世の心中は、カトリック教会の危機の克服のために、聖ピオ十世会からの自由な神学的な発言を必要とし求めていたのではないでしょうか。

 聖ピオ十世会は、ベネディクト十六世のカント的啓蒙主義に対して、或いは第二バチカン公会議の革新について、同意せずに自由に批判的に発言することでしょう。しかし、それこそをベネディクト十六世教皇様はお求めになっていると思われます。ヨハネ・パウロ二世教皇様が御自分にお求めになっていたように。

 以上が、今の教皇様はピオ10世会をどのように見ておられるか、ということへのお答えですが、回答になっていれば幸いです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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【質問】所属教区の今年の待降節,降誕祭のテーマ「この世の愛のため」が決まりました。

2008年12月06日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでしょうか? ご質問を受けましたのでご紹介します。

【質問】
所属教区の今年の待降節,降誕祭のテーマが決まりました。
   「この世の愛のため...」とあり
第一主日..この世の愛のため...目をさまそう
第二主日..この世の愛のため...正義と平和の日を
第三主日..この世の愛のため...喜ぶ
第四主日..この世の愛のため...今、幸いな時
ご降誕.....この世の愛のため..救い主がおうまれになった!

共同回心式 テーマ この世の愛のため...ゆるし合う心を!
と言うことですが、言葉尻を捉えていうのも変なのかもしれませんが主はこの世の愛のためには来なかった。私たちの永遠の命のためではないでしょうか? 

【答え】
 原罪をもって生まれてきた私たちにとって、「この世の愛のため」というのは極めて曖昧で、誤解を招かせる、おかしい表現だと思います。何故なら、目に見えるこの世は、天主を愛する手段として大変良いものとして作られましたが、原罪を犯した後、私たちにとって非常にしばしば、この世を愛することが目的となり、天主よりもこの世を愛して罪を犯してしまうからです。そしてこの世とそこにあるものは、通常、罪の機会となってしまっているからです。

 私たちの主イエズス・キリストがお生まれになったのは、そのような「この世の愛のため」ではありませんでした。私たちのため、私たちの霊魂の永遠の救いのためでした。

 使徒信経では正確にこう言います。
Propter nos et propter nostram salutem descendit de caelis
我らのために、我らの救いのために、天から下り給うた(私たちの主イエズス・キリストを信じ奉る)と。

 確かに聖ヨハネは、聖福音の中でこう表現します。「天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された」と、しかし天主が御子をお与えになるほど愛された「この世」とは、「この世にいる私たち」だからです。

 何故なら、同じ使徒ヨハネは書簡の中で次のように書いているからです。「天主が先に私たちを愛し、み子を私たちの罪のあがないのためにつかわされたこと、ここに愛がある。」

 愛の使徒である聖ヨハネは「この世」について、全く別のことを証言していいます。この世は、私たちの主イエズス・キリストを知らず、受け入れず、信じようとせず、憎み、イエズス・キリストを信じる弟子達をも憎む、と。だから、イエズス・キリストはこの世のためには祈ろうとさえもしませんでした。

「すべての人をてらすまことの光は、この世に来ようとしていた。かれは世にあり、世はかれによってつくられたが、世はかれを知らなかった。かれは、ご自分の家に来られたが、その人々はうけいれなかった。」

「モイゼが荒れ野で蛇を上げたように、人の子もあげられなければならない。それは、信じるすべての人が、かれによって永遠の命をえるためである。天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された。それは、かれを信じる人々がみな亡びることなく、永遠の命をうけるためである。天主がみ子を世におくられたのは、世をさばくためではなくて、それによって世を救うためである。み子を信じる人は裁かれないが、信じない人は、天主のおん独り子の名を信じなかったがために、すでに裁かれている。その審判というのは、次のようなことである。光は世に来たが、人々は、その悪いおこないのために、光よりも闇を好んだ。悪をおこなう人は、光を憎み、そのおこないがあらわれることをおそれて光の方に来ないが、真理をおこなう人は、天主によってそのことがおこなわれていることをあらわすために、光のほうに来る」。

「そして私は父に願おう。そうすれば、父は、ほかの弁護者をあなたたちに与え、永遠にいっしょにいさせてくださる。それが真理の霊である。世は彼を見もせず、知りもしないので、彼をうけられない。しかしあなたたちは彼を知っている。なぜなら、彼はあなたたちとともに住んで、あなたたちの中においでになるからである。」

この世があなたたちを憎むとしても、あなたたちより先に私を憎んだのだということを忘れてはならない。あなたたちがこの世のものなら、この世は自分のものを愛するだろう。しかしあなたたちはこの世のものではない。私があなたたちをえらんで、この世から取り去ったのである。だからこの世はあなたたちを憎んでいる。」

「私は、あなたがこの世からとり去って私にくださった人々に、み名をあらわしました。その人たちは、あなたのものであったのに、あなたは私にくださり、そして彼らは、あなたのみことばを守りました。いまやかれらは、あなたが私にくださったものが、みなあなたから出ていることを知っています。なぜなら、私があなたのくださったみことばを、彼らに与えたからです。彼らはそれをうけいれ、私があなたから出たものであることをほんとうに認め、あなたが私をおつかわしになったことも信じました。その彼らのために、私は祈ります。この祈りは、この世のためではなくて、あなたがくださった人々のためであります。」

  愛の使徒である聖ヨハネは、私たちが何を愛すべきかを教えています。

「愛する者よ、たがいに愛せよ。愛は天主よりのものである。愛する者は天主から生まれ、天主を知るが、愛しない者は天主を知らない。天主は愛だからである。私たちに対する天主の愛はここにあらわれた。すなわち、天主はそのおんひとり子を世につかわされた。それは私たちをかれによって生かすためである。そして、私たちが天主を愛したのではなく、天主が先に私たちを愛し、み子を私たちの罪のあがないのためにつかわされたこと、ここに愛がある。愛する者よ、天主がこれほどに愛されたのなら、私たちもまたたがいに愛さなければならない。だれも天主をみたものはないが、私たちがたがいに愛するなら、天主は私たちの中に住まわれ、その愛も私たちの中に完成される。私たちが天主にとどまり、天主が私たちにとどまられることは、天主がご自分の霊に私たちをあずからせられたことによってわかる。私たちは、おん父がみ子を世の救い主としておくられたことを見て、これを証明する。」

 ただし、

世と、世にあるものを愛するな。世を愛するなら、おん父の愛はその人のうちにはない。世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、生活のおごりなどはすべて、おん父から出るのではなく、世から出る。世と世の欲とはすぎ去るが、しかし、天主のみ旨をおこなう者は永遠にとどまる。」

 だから、使徒信経では正確にこう言うのです。
Propter nos et propter nostram salutem descendit de caelis
我らのために、我らの救いのために、天から下り給うた、(私たちの主イエズス・キリストを信じ奉る)と。

 私たちの主イエズス・キリストがお生まれになったのは「この世の愛のため」ではありませんでした。私たちのため、私たちの救いのためでした。「世と、世にあるものを愛するな。世を愛するなら、おん父の愛はその人のうちにはない。」

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.

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