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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

大陸の人@ツアーバス

2010-12-11 07:42:18 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

話はチェンマイ2日目の朝に戻る。ホテルのフロントにだまされて、で教えてもらって、旧市街をさんざんさまよい歩いたぼくは、朝食後、今度はしっかりと地理を頭に入れて、旧市街のマーケットを中心に歩いて回ることにした。そして、ターペー門の付近で目に止ったのが、パンジャビ・ドレスを着た恰幅の良いインド人の女性のいる旅行会社。一部のインド人達は、東南アジア諸国・アラブ周辺諸国へ深くその生活を根ざしていて、チェンマイにもインド人は多く、インド・レストランやみやげ物屋がある。
ちなみに、チェンマイを訪れる観光客の数でいけば、第一位がマレーシアで、日本、韓国、中国と続き、イギリス、アメリカ、オーストラリア、シンガポール、ドイツ、そしてインドだ。
話が長くなるので省略するが、空に一斉に打ち上げられるコムローイを見るためのメージョー大学行きを思いとどまらせてくれたのが、このパンジャビ・ドレスを着たインド人の女性だった。ついでに、3日目の首長族訪問ツアーと4日目のドーイステープ見学ツアーを世話してくれたもの彼女だ。チェンマイ市内のロイカートンの見どころも、親切に教えてくれた。英語がほとんど通じないチェンマイで、英語が堪能な彼女と話すのは、地獄(失礼!)で仏(?)に会ったような気持ちだった(比喩がめちゃくちゃだが、それだけ嬉しかったのだ・・・)。
 
その首長族訪問ツアーは、マレーシアの若い夫婦、ドイツの夫婦、そしてイギリス人の女の子2人組が同行メンバーだった。皆、非常にいい人たちばかりで、ツアーそして楽しい昼食を気持ちよく楽しむことができた。問題は、4日目のドーイステープ見学ツアーの方だ。

ピックアップのマイクロバスに乗り込んできたのは、2人づれの中国人2組@大陸。中年ゴルファーがよく着るようなスポーツシャツ、長めの黒いスラックスに、派手な飾りのついた白いローファー、ウェストポーチ。女性たちは蛍光ペンを塗りたくったようなド派手な服装。 
狭いマイクロバスに乗り込むや、4人は大声で話し始めた。あたかも自分たち以外の人間は周りにいないかのように。。
すぐ後ろの座席に陣取りゲラゲラ笑い転げる中国人たちの声に、ぼくは一瞬にして憂鬱になった。これから半日、こいつらと一緒なのかと・・・。真後ろの席の女は、3分毎に大きなあくびを繰り返すし、その左の男は大きなゲップを繰り返している。5分に一度はあたりに響きわたるような嬌声を上げるし、ガイドが説明しているにもかかわらず中国語でしゃべりまくっている。。
・・・結局、彼らは英語があまり得意じゃないことがわかった。だから、ガイドの話なんて全然聞かないんだ。

外国で、大勢で大声で話しながら道を占領して歩くのは、中国人だけじゃない。日本人もそうだ。道を譲るしかない他の国の人々の眉を顰めさせている。だが、同じ騒ぐにしても、多くても4~5人までの日本人たちの方が、中国人たちのよりはまだマシだろう。初日の夜のホテルのレストランは、20人ほどのやりたい放題の中国人たちで占拠され、無礼講のカラオケバーとダンスフロアに化していた。
「飛行場やバスの中など公共の場では、他人に迷惑をかけないように小声で話すようにすれば、日本人はもっとステキになれるに違いない」・・・こんなことを、そのツアーバスの中で考えていたのだが、翌日、チェンマイからバンコクへの飛行機の中では、もっと最悪な日本人の男を見て気持ちがへこんだ。
・・・飛行機のすぐ後ろの席に座った40代の男は、大きな声で、しかも幼児のような言葉を関西弁で話していた。・・・タイ人の若い女性と。
聞きたくなくても、大きなダミ声が耳に入ってくる。日本語を話さないうら若きタイの愛人に対して、懸命に歓心を得ようとしているのだろうが、なにぶん、みっともない。日本人として、同属とは思われたくは無い・・・。こんな日本人はそばにいてほしく無いのだが、飛行機の座席は変われない。
他人のことだからどうでもいいけど、心が通った会話が成立しなければ恋愛の成就なんて無理だ。・・・だからお金での援助交際なんだろうけど。
顔を見ただけでは、中国人も韓国人も日本人も見分けがつかないタイ人たちにとってすれば、お金で何でも買えると思っている日本人や韓国人たちも、マナーの悪い中国人たちも、すべて同一の民族に見えるに違いない。だから、彼らのアジア人に対する軽蔑はそこから来るのだろう。

実は、超大手のコンピュータ会社のSEをしている、若いチャーミングな台湾の女性もそのツアーに参加していた。
ツアーが終わって、ぼくらは2人だけターペー門でバスを降りたのが縁で一緒に食事をした。彼女との会話の中で、ぼくには大陸の中国人たちと、台湾の人々との区別がつかないと口を滑らせたら哀しそうな顔をしていた。
・・・全然違うわよ。だって、大声で話をしないし、タバコの吸殻を道路に捨てたりしないし。
ツアーで一緒だったオランダの女の子たちが、路上でタバコを吸う中国人に眉をしかめていた。ツアーに参加したみんなが、一緒の中国大陸のバカップルに対して不快な感情を抱いていた。
でも、ぼくは中国人の彼らが嫌いなわけじゃない。ツアー中、一人でドーイステープを見て回るぼくにくっついて観光していたのは彼らだった。バスの到着を待っていたら、「くるまがきました」と日本語で話しかけてくれたのも彼らだった。彼らは、一日中大声でおしゃべりて、食事して、大きなゲップをして、女と寝て、一日が終わる。人間として当たり前のことを、やりたいようにしているに過ぎない。根はいいヤツラなのだ。・・・品格は最低だけど。

さて、唐突だが、台湾の女性SEと食事をしながらチェンマイの片隅で過ごした時間は、数十年も前に日本の各地で流れた時間に近いような気がした。騒音渦巻くチェンマイなのだが、それでも古い時代の感覚がわずかに残されていて、近代化が徹底した欧米の人びとにとっては憧憬の地であるに違いない。そして、ゴミゴミしたチェンマイの建物の奥には、こうした木々に覆われた静かな一画がある。木陰では微風も吹いて酷暑を遮断してくれ、人生の一時期において、地図を読めない、あるいは、英語を話さない人たちとともに午後のお茶を楽しむのは至福のひとときだろう。了


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ロイクラトン@チェンマイ

2010-12-09 22:38:53 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

ロイクラトンはクラトン(灯篭)を水に流すことにより、川の女神コンカーに収穫の感謝を捧げる祭りだ。この祭りの発祥は、バンコクとチェンマイの中間にある古都スコータイという。スコータイにタイ族の初の統一国家が築かれたのは13世紀中ごろで、15世紀中ごろにアユタヤ王朝に併合されるまで、スコータイ王朝は約200年間続いた。タイ族のもともとは、中国の雲南省から南下してきた中国土着の民が祖先だ。
スコータイの王は、代々、仏教の布教に熱心で、セイロン(スリランカ)から高僧を迎え入れ寺院を建立し、南伝の上座部仏教の興隆に尽くした。サンスクリット語で「幸福の夜明け」を意味する「スコータイ」の名は、そこから来ていると言われる。また、「サンカローク焼」(宋胡録)と呼ばれる陶器はここでつくられ、日本にも「すんころく焼」として江戸時代に入ってきた。
ロイクラトンは日本の鐘楼流しとも類似点が多く、ともに中国の灯篭流しの影響が色濃く出ているような印象を受ける。というのも、街中のあちこちでで鳴らされる爆竹は「魔除け」の意味であり、精霊船の通る道を清めるためものという。

スコータイの末裔の人々は、前述のように華南地方の中国人の血を引いている。彼らは、目は大きく、鼻が低く、華北地方の中国人と比べて、彫りが深い。肌は個人にもよるが、南部のアユタヤー王国周辺のタイ人より白いのが普通だ。だが、現代のスコータイの末裔たちは、中国人の血を引いていると言う意識は弱く、大陸の中国人旅行者に対しても目立った友好を示すわけではない。・・・というか、タイ人にとって、中国人も韓国人も日本人も、顔を見ただけではどこの国の人なのか区別がつかないようだ。

さて、ロイクラトンの夜。チェンマイ市内を流れる、ビン川に架けられたナワラート橋から旧市街のターペー門までの目抜き通りは歩行者天国となり、色とりどりの民族衣装を着飾った人々の盛大な山車のパレードが通過する。橋の上はどこから沸いてきたかと思うほどの観光客で埋め尽くされている。ロイクラトンはタイの人々にとって、ソンクラーン祭りにつぐ大イベント・大切なお祭りというだけあって、チェンマイの街の中の人気スポットはどこも人だらけ。暗くなるにつれその人の数も増えていき、街の中心部やピン川沿いは、人ごみでもう歩けない状態。一方、旧市街を取り囲む道路は、信じられない数のバイクや車で渋滞している。車の流れが止っている分、いつもは大変な道路の横断が、この日ばかりは簡単だった。

・・・爆竹と花火の音が、一晩中、続いていたロイクラトンの3日目の朝。まだ夜が明け切らないうちに、ホテルの廊下で大勢の人々のざわめきが聞こえた。また大陸の中国人たちが騒いでいるのだろうと思っていた。起き出して1階のレストランで朝食をと思って降りていくと、朝6時をまわったばかりと言うのに、ホテルのロビーにはあふれんばかりの人がたむろしていた。その数、なんと50人以上。
ホテルのレストランでは、すでにその団体の大部分の人々が朝食を取ったあとのようで、朝食バイキング用料理の皿はほとんどが空だった。取り皿やフォークさえひとつもなかった。かろうじて、食パンの切れ端が残っているだけ。南国フルーツたっぷりの食事を諦めて、飲もうとしたコーヒーカップさえない・・・。
行儀の悪いことに、団体の一人の男性客は、立ったままでわずかに残っている大皿のサラダをつまみぐいしている。
また、食事を終えた中年の女性は、各テーブルの上に置いてあるか紙ナプキンをごっそりとバックに入れていた。
・・・フランスを貧乏旅していて、2等の夜行列車で同じようなシーンを見かけたことがあった。始発駅を発車するのと同時に、列車内のトイレのトイレットペーパーを我先に取ってくるのだ。外国での無料サービスは、人に先んじることが大切だ・・・。
昨夜のチェンマイ市内の信じられないような人の数は、このホテルのあふれんばかりの客と、玄関に横付けされた2台の大型バスを見て納得がいった。ロビーの団体客は中国人ではなく、祭りを見にやってきたタイの地方の人々だった。この時期、多くのホテルがタイや外国人の旅行者で満室になるのだろう。
それでも、今年のロイクラトーンは例年と比べると人の出が少なかったらしい。深刻な世界不況の影響なのか、それとも洪水の被害にあった地方からの観光客が来なかったせいなのだろうか。


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2度目の満月@タイ

2010-12-07 21:13:30 | プチ放浪 都会編
 
 
 
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バンコクは30年ほど前、タイ航空のDC-8に乗り、南回りでヨーロッパへ出かけた時の経由地だった。深夜に空港に着いた飛行機の窓から、あたりを煌々と照らす満月が見えた。
空港の中には迷彩色の制服を着てライフル銃を携行した警察官が警備していた。そのものものしい雰囲気に、とうとう外国に来たんだということを如実に感じた。
そして、窓から見た透き通るような月夜に、なぜか砂漠のような乾燥した土地柄を想像した。だが、学生の夏休みを利用した旅行だったから、タイは雨季のど真ん中だったはず。
漆黒の闇に浮かび上がる宝石のような月。そのときぼくは、そのあり得ないような大きな満月を見上げて、いつか必ずここに戻ってくる・・・バクダットへ・・・と、とんでもない思い違いから来る感銘で心を満たしていた。
あれから30年。あいかわらず、ひどい勘違いで周りをあわてさせているのだが、なんとか人生をやってこれている。
****************
チェンマイの朝は、にわとりの鳴き声からはじまる。そして、空が明るくなる頃になれば、道を行くバイクの音が聞こえ始める。
だが、ホテルの部屋の窓からカーテンを開けて見る空は、地平線の向こうは靄がかかり、朝焼けは望めそうに無かった。朝焼けのターペー門とか、朝焼けの通りを行く托鉢の僧などの写真を撮ろうと、心に絵コンテを描いていた。だが、結局、チェンマイではキレイな朝焼けを見ることはなかった。日昼は、ほぼ完璧な“チェンマイ冬晴れ”の空模様なのだが、朝方は遠くが霞に覆われて見通しが利かない。曇天じゃないのに白っぽい空だった。

東南アジアの優等生として工業化・経済成長に成功してきたタイだが、日本がかつて歩んできたように、大気汚染や水質汚濁、ゴミ問題などの公害問題が発生している。
バンコクにおける自動車やバイクからの排ガスによる大気汚染は、一時期は世界最悪レベルとも言われていたことは記憶に新しい。
タイで3番目の街と言われるチェンマイもまた、モータリゼーションの急速な発達、そしてそれに追いつけない政府の排ガス対策、さらに盆地という地理的要因などが重なり合って、大気汚染が悪化の一途をたどっているようだ。
交通量の多い旧市街を取り囲むメイン道路で、車やバイクが吐き出す煙を見たら、夜空に浮かぶ月がおぼろに見えるのもしょうがないかという気持ちになる。

満月に行われるチェンマイのロイクラトン祭りとイーペン祭りは、現在は同じ一つの祭りとなっている。しかし、もともとはそれぞれ別の祭りとして開催されていたようだ。
ロイクラトン祭りはクラトン(灯篭)を水に流すことにより川の神様に感謝の気持ちを捧げるのに対し、イーペン祭りはコムローイ(ランタン)を空に放ち、仏陀に感謝の気持ちを捧げる。

このコムローイ(夜間にあげるのはコームファイ?)。これを知ったのは、ダニー・ボイル監督の“コミュニティの崩壊”を題材にした映画『ザ・ビーチ』だった。映画では、南の隠れビーチにある若者だけのコミュニティの仲間入りをしたディカプリオらが、歓迎会の夜に仲間たちにコムローイを上げてもらい仲間入りの祝福を受ける。たくさんのランタンが夜空に昇っていくのを観て、その幻想的なシーンに感動したことを覚えている。
この『ザ・ビーチ』。欧米人たちにも印象的だったようで、首に輪を着けたカレン首長族を見に行くツアーで知り合ったドイツの夫婦もそのロケ地となったピピ島のマヤ湾やロサマ湾に訪れた話をしていた。


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地図を読めない人々

2010-12-05 22:46:56 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

ホテルのフロントでは英語が通じない。だから、ぼくは少しでも情報を得るため、街をぶらついてみることにした。
荷物を部屋に置くと、ホテルへ来る途中の車の中で旅行会社の男が言った言葉を頼りに、深夜のチェンマイの街中へ歩きだす。
ガイドブックによれば、チェンマイの旧市街は四角く堀によって囲まれていて、堀を挟んで内回りと外回りの2本の道路が設けられている。
ホテルから200mほど歩いたところに大きな交差点があり、この交差点を直進すると「ターペー北門(チャーン・プアク門)」があると彼が言っていた。この言葉を手がかりに地図で探すと、この辺りは「北西の角」ということになる。彼の話では「ターペー北門」まで歩いて10分、ナイトマーケットまで歩いて20分とのことだった。

歩行者用信号のない2車線の「北西の角」を、猛スピードの車の流れを横切って何とか渡り、「ターペー北門」まで。堀にはところどころにライトアップされた噴水があり、水しぶきがキラキラ輝いていた。また、レンガ積みの城壁の一部が残る「北西の角」には、花とかをかたどった2~3メートルの大きさのランタンが浮かべてあった。
「ターペー北門」までの所要時間は、たしかに約10分だった。
「ターペー北門」の前には大きな広場があり、いろんな色に染められたランタンが整然とぶら下げられていて、深夜と言うのに多くの人々が見物していた。
実は、この「ターペー北門」と思い込んでいた場所が、翌朝、散歩にでたぼくをひどく迷わせることになる。

翌朝、ホテルのフロントにガイドブックを見せてホテルの場所を確認すると、やはり、ホテルは旧市街の「北西の角」のそばにあるらしい。
黒いポロシャツのユニフォームを着た若い男性フロントマンは、ローマ字とカタカナで表記されたガイドブックの地図を珍しげに見ていたが、なぜか自信なさそうだった。
数分、地図を上にしたり、下にしたりして見回してのタイ語での返事だった。しかも、昨夜「ターペー北門」の広場で撮ったはずの写真を見せても、場所の特定ができないらしい。
身振り手振りで会話を進め、それでも、堀によって囲まれている旧市街を一周するのは歩いて約40分ぐらいということを彼から聞き出した。
それも、地図をなぞっての身振り手振りでの質問だったから、彼は質問の意味を間違えようがないはずだ・・・
(こんな時、ダイビングで培った水中コミュニケーション術、すなわち、大げさなジェスチャーが役に立つ)
だが、実際に歩いてみてわかったのだが、四角く囲まれた旧市街の1辺は約2km。歩けば30分かかる。旧市街の周りを一周するには約2時間。
しかも、ホテルの位置は「北西の角」の近くではなく、北東の角。おまけに、昨夜、並んだランタンの写真を撮った広場は、「ターペー北門」ではなくターペー門の前。

当然のことながら、どんなにはやく歩いても、一周8kmの旧市街を40分ではまわれない。朝食前のクロックス・サンダル履きの散歩には、かなりタフなロングコースだった。
3/4周したところで、つまり、1時間半ほど歩いて、心が折れた。道に停まっていたタクシー( トゥクトゥク)をつかまえて、ホテルの戻ろうと「ホテル・ロイヤル・ペニンシェラ」と告げたところ、「ホテル・ロイヤル・プリンセス」に連れて行かれた。ホテルの名前はたいそうなものだが、「ホテル・ロイヤル・ペニンシェラ」は地元の知名度ゼロ。あわてて地図を示し「北西の角」までもどってもらって自分でホテルを探すが、見覚えのある道には至らない。狐につままれた思いだった。
「日本人の男性、チェンマイで道に迷って行き倒れ」・・・日本の新聞の見出しが頭に浮かんだ。ぼくは途方にくれた。
だがチェンマイにも英語を話す人はいた。通り沿いの高級ブティック風の店に飛込み、中にいた女性に道を聞いたら、すぐに今いる場所の特定ができた。
・・・ホテルのフロントのお兄さんの言った事は全然違うじゃん。
市内のお店の人たちは、旅行者を相手にしているためか英語が話せるし、確実に地図も読める。
またタクシーをつかまえて、ようやくホテルにもどりつき朝食にありついたぼくは、チェンマイで道に迷ってもなんとかなりそうな気がしていた。

地図を読めない彼らの名誉のために書き加えておくが、チェンマイのロイカートンの時期は世界中から大勢の観光客が集まる。ホテルなどの客商売は非常に忙しい時期だ。だから、ホテルマンたちはお祭りなんか見ている暇はないのだろう。飾られたランタンの写真だけで、それを撮った場所の特定ができないのも当然だ。だが、彼らは何故、地図が読めないのだろうか。
旧市街の東にはビン川が流れていて、地図が苦手な人でもひと目でわかるはず。
・・・彼らは地理を理解していないのだろうか。それとも、ぼくがダイビングで培ったジェスチャーによる会話が全然役にも立たないのだろうか・・・。この点に関して、真相はいまだに不明だ。というのも、ホテルのフロントのお兄さんとお話をしていると、さらなる重大な誤解を生みそうだった。


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英語を話さない人々

2010-12-03 23:14:07 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

「お願いです。日本語でお願いします」
タイ人の旅行会社の現地スタッフが涙目でぼくに訴えた。だが、問題は彼の言っている事がまったく理解できないことだった。
******************************
チェンマイ行きの飛行機の出発は1時間遅れ。夜10時をまわっての到着だったが、40代前半と思われるスポーツシャツを着た旅行会社のタイ人の男性が出迎えてくれた。
ホテルへの車の中で、早速、明日のメージョー大学行きの車と、チェンマイ市内の観光ツアーの手配を依頼。旅行会社の男は、携帯電話でどこかに問い合わせをしてくれたようだが、浅黒の顔を暗くしてぼくに告げた。
「無理です。チェンマイのお祭りの最中はツアーはありません。市内も通行止めで車は無理です・・・」

到着したホテルのフロントでは、彼に差し出されたホテルの宿泊名簿にサインをしただけ。客に代わりホテルのチェックイン手続きをすること・・・それが、彼の現地エージェントとしての仕事なのだろう。
チェックインが終わり、旅程の説明になって、なぜか彼はぼくのE-チケットを確認したがった。
そして、ぼくのE-チケットを見て考え込んでいる。
「バンコクでトランジットに時間がありすぎます・・・」
空港で200バーツもぼられて以来、すっかりタイ人に対して用心深くなったぼくは彼に声をかけた。
「Please do not care about my ticket」
・・・おいおい、何をするつもりかと。ぼくの英語に対して
「お願いです。日本語でお願いします。英語は全然わからない」と彼は涙目でぼくに訴えた。

だが、問題は彼が言う「E-チケットをチェックする」その言葉をぼくが理解できないことだった。
日本へ帰る頼みの綱のE-チケットだ。なにか細工でもされたら、たまったものじゃない。
冷静になって考えると、彼は国内線と国際線の乗り換えに時間がありすぎることを問題にしているようだった。
「わたし、とまるホテルに、バンコクで。だからOK」
すでに頭の中が英語モードになっていると、英語で考えていることを日本語に訳して話すから、日本語がどうにも変になる。
知らない人がぼくらを見たら、国籍不明の旅行者が、哀れな現地のバイヤーに、麻薬の取引を持ちかけているように見えたかもしれない。

変な日本語ながらバンコクで一泊することを告げると、彼は安心したのか思わずにっこり。
そして、3日後のピックアップの時間を告げると、さっさとどこかにいなくなってしまった。
・・・結局、ぼくが知りたかったこと、明日の朝食の時間と場所とか、最終日のチェックアウトの時間とか、また、メージョー大学行きの車の手配のこととか、市内観光とか、すべては自分でホテルフロントに問い合わせることになった。・・・だが、ホテルフロントは、当然のことながら日本語はおろか英語すら話せない(涙)。


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