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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

明月院 花想い地蔵

2009-12-03 22:44:10 | 古都 鎌倉

 

【撮影地】神奈川県鎌鎌倉市山ノ内189(明月院(めいげついん))(2009.9月撮影)
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開山堂の前にかわいらしいお地蔵様がいる。
「人は誰しもはかない花の想い出の中に生きています。 ・・・以下略」
の立て札で有名な「花想い地蔵」だ。
お地蔵さんが両手に抱えている花。その花の命は短いけれど、季節に応じていろんな花が入れかわり、来る人を慰めてくれる。
写真は花想い地蔵ではなく、多くの人が通り過ぎてしまうそのそばのお地蔵様。人気の高い花想い地蔵よりも、ぼくはこちらのほうが好きだ。

地蔵菩薩は、無仏の世界(釈迦入滅から弥勒仏の出現まで)に住み、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に迷う衆生を導く菩薩だ。
頭を丸めた円満で穏やかな僧形で、手には錫杖と宝珠。あの世」の裁判官である閻魔王はお地蔵さんの仮の姿とも言われている。

女性に人気のお地蔵さまは、この明月院の花想い地蔵尊のほかに、長谷寺の三人地蔵や和み地蔵だろうか。
「村外れのお地蔵様」。地蔵菩薩は地域に馴染みの深い存在だ。
宝戒寺の子育経読地蔵菩薩や建長寺の本尊も地蔵菩薩だ。さらに、由比が浜には六地蔵がいる。極楽寺の桜橋のそばには導地蔵。
巡礼古道には金剛窟地蔵尊、成就院のそばの虚空蔵堂内には舟守地蔵、月影谷に月影地蔵、天園ハイキングコースには、貝吹き地蔵がたたずみ、道行く人に微笑みかけている。

鎌倉で一番有名なお地蔵様は、おそらく覚園寺地蔵堂の黒地蔵だろう。毎年夏に催される黒地蔵盆(8月9日深夜0時から翌10日正午まで)には大勢の人々が集まる。地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼に代わって火を炊いたため、「黒くすすけている」という伝説がのこされている。何回彩色しても元に戻ってしまうことから「黒地蔵」と呼ばれるようになったそうだ。

県道32号線(通称鎌倉街道)と、県道304号線(旧江の島道)との交差点(手広交差点)付近に椿地蔵のお堂があり、石造地蔵菩薩像が奉られている。昔は毎年8月14日の縁日には近隣の人で賑わったらしい。


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長谷寺 紅葉の錦

2009-12-02 22:19:51 | 古都 鎌倉

 
 
 
 

「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」 菅原道真

鎌倉の紅葉の時期は毎年遅くなってきているように感じる。
上代歌謡・万葉集から近現代短歌まで四季の風物を通して読まれた名歌・秀歌によれば、晩秋の櫨紅葉 萩黄葉 蔦紅葉 桜紅葉 柞紅葉 草紅葉は長月(陰暦九月)。陽暦では11/7ころまでが相当する。
温暖化の影響は確かにあるのだが、それでもやはり、春の新緑が夏に色濃く成長し、やがて秋風とともに紅葉する四季の移り変わりは、今も昔も同様だ。
人の心を豊かにする。

11月に入って定番の北鎌倉を覗いたがうす紅葉。そこで下旬を待ち、ここならばとライトアップで有名な長谷寺、通称「長谷観音」まで出かけてみた。
期待に違わず境内のもみじがライトアップにより昼間よりいっそうの輝きを見せてくれた。 夜の闇に浮かび上がる紅葉が幻想的な景色を作り出していた。
葉の裏は表の色より一層濃く、葉が重なると見事な紅葉襲(もみじがさね)になっている。
・・・だが、やはり夜は暗いほうがいい。たくさんのエネルギーと経費を使って二酸化炭素を排出しているのは忍びがたい。

この長谷寺の本尊の十一面観音は木造の仏像としては日本有数の立像である。後世の修復が多く、造立年代は定かでないが、室町時代頃の作と推定されている。
山号を海光山、院号を慈照院と称し、上境内から眺める相模湾の景色も美しい。
散った紅葉の葉は持ち帰り自由ということなので文庫本に挟んで栞(しおり)にする。聞くところによると、天ぷらにして食するもけっこういけるらしい。


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屋久島 山の神々

2009-12-01 22:34:19 | プチ放浪 山道編

 
 
 
 

【撮影地】鹿児島県熊毛郡上屋久町白谷(屋久島自然休養林)(2009.11月撮影)
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今日から師走。高度成長期に活躍した全日空の「モヒカンジェット」が20年ぶりに復活し羽田空港を飛び立ったようだ。海外旅行への象徴であった垂直尾翼の「レオナルド・ダ・ビンチのヘリコプター」に、当時はあこがれたものだった。あれから40年。時の流れは速い。。
長らく書きなぐってきた屋久島のトピックスも、そろそろ鎌倉の紅葉の話題に切り替えないと季節に置いていかれそうだ。

屋久島は、別名 「洋上アルプス」と呼ばれ、黒潮の真っ只中から一気に屹立する。島の中央には九州最高峰の宮之浦岳(1935m)をはじめとし、永田岳(1886m)、栗生岳(1867m)、黒味岳(1831m)、扇岳(1860m)、安房岳(1847m)、筑紫岳(1830m)など、1800mを越す山々が重畳と連なり、奥岳として九州最高稜の神域をなしている。
また、奥岳の山々のほかに、島の外周に沿って周囲岸壁からなるモッチョム岳、七五岳、破沙岳、割石岳の鋭鋒、そのほか、愛子岳、国割岳、鈴岳、羽神岳の1000mほどの秀峰が沿岸を美しく彩り、前岳として島の人々の生産活動域を担ってきた。

台風銀座と呼ばれる屋久島。台風は島に莫大な被害をもたらしてきた。山間部では、樹木がなぎ倒され、倒木が道を塞ぎ、海岸線では海水を伴って強風が吹き荒れ、周囲の樹木は塩害でやられて枯れ果てる。人間は自然の前では無力な生き物でしかなく、祈りをささげることしかできない。

屋久島に伝わる「山の神祭り」は、「神様が山を歩き回る日」とか「神様が木を数える日」とか、諸説あるのだが、とにかくこの日は、山仕事に従事するものはガイドも含めて山には入らない。そして、麓で宴を開いて、日頃の山の恵みに感謝をして過ごす。旧暦の正月、5月、9月と年3回行われる毎年恒例の行事だ。

実は山の神が女性であったという伝承は、日本各地、北から南にかけ国土山地に広く分布する。
山村民が守護神として信仰する山の神は、すなわち農神だ。多くの地方で、山の神は年々歳々、山と里の間を去来するという言い伝えがある。つまり、山の神は春に山から里に下り、田の神となって稲作と守り、秋には収穫をもたらして山に帰る。そして、正月には歳神様〔としがみさま〕として、ほかの多くの神様とともに凱旋するのだろう。
良い子には一つ「歳」をくれるが、悪い子は縛って山へ連れていくという、それはそれは恐ろしい神様だ。

恐ろしいものが存在するというありがたさ。人間が頭に乗って愚かなことを仕出かしてしまうことを防いでくれている。
屋久島各地の「山の神」たち。今頃は屋久島の峰嶺で今年の収穫を祝って、正月まで続くおしゃべりでもしているのだろうか。
了。


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