【撮影地】神奈川県鎌倉市山ノ内409(円覚寺)(2009.9月撮影)
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・・・武家政権は、それまでのいろいろなしがらみのある宗派とは違う、新しい宗派である禅宗を選んだ。
源頼朝は鎌倉殿として武士の頂点に立ち、京都の朝廷と地方の荘園・公領はそのままで、全国に守護を置いて、鎌倉幕府を開いた。
すなわち、地方支配に地頭等の形で武士が割り込む二元的な支配構造ができあがったのだ。
幕府は「鎌倉殿」頼朝の私的家政機関として設立。したがって、公的な機関ではない鎌倉幕府は、全国の武士を統治したわけではない。
鎌倉殿の知行国および主従関係を結んだ武士(御家人)を支配下においた。そして、元寇以降に全国の武士に軍事動員をかける権限などを手にし、事実上、全国を支配してゆくこととなる。新しい政治のシステムには新しい宗教のソフトウェアーを。。
当時の学問の担い手は主に禅僧や公家である。京都の五山を中心に禅僧の間で漢文学や朱子学の研究が行われていた。当時のお勉強の内容は「宇宙の原理と運動の理解」。一方、鎌倉では、北条氏による政権が安定し始めた時代に、京の公家の文化に対抗して武家の宗教や文化の象徴として、禅宗の円覚寺や建長寺が建立されたのである。
無骨な武士の宗教とは言え、それまでの文化を踏襲する必要がある。禅宗でいうところの悟の境地は、詩や絵画を始めとした芸術的な表現の上に、さらには、茶の湯や生け花を始めとした振舞いなどにも表現されており、振舞いをたどることによって、悟りの世界を味わうという手段も生まれている。
・・・「電気仕掛けの犬にも仏性はあるんだろうか?」
雲水と呼ばれる禅の修行僧たちは、専門道場で修行している。朝は午前3時半頃に起床(開静 かいじょう)、本堂での読経(朝課 ちょうか)の後、禅堂での坐禅を組む。
坐禅の途中、雲水達は一人ずつ師僧(師家 しけ)の部屋に行き、師家より与えられた禅の問題(公案 こうあん)の回答をする。
「大疑無くんば、大悟無し」の立場から、自己に対する疑問によって自心を深めるらしい。
狗子仏性(くしぶっしょう)は、禅の代表的な公案のひとつだ。
『従容録』第十八則では「趙州狗子」。「趙州無字」とも言う。
「狗子に還って仏性有りや無しや」(大意:犬にも仏性があるでしょうか?)
趙州和尚は答えた。 「無」
・・・絶対的な「無」
しからば、「心がないアイボには?」
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