明け方、町には霧がたちこめていた。久しぶりの深い霧で、街灯もヘッドライトも美しく輝いている。
今日は立冬だ。聞えてくる冬の足音。ニューヨークでは吹雪の可能性があるという。
アメリカでは大統領選の投開票が始まっている。今夜には大統領選の帰趨も明らかになっていることだろう。世界の歯車が進んでいく。
さて、写真展のよいところは、 「会える」こと。「会話ができる」こと。「表情がわかる」こと。
ワイワイガヤガヤ。息をのむようなインパクトのある写真の前では、ため息が交差し、ユーモラスな写真の前では、笑が起こる。なによりも、写真を見た素直な感想が、ギャラリーにあふれる。
写真家も、ゲストに相応して写真の説明に忙しい。写真展は、大抵の場合に会場に活気がみなぎる。
・・・篠山紀信展「写真力」は違った。国内公立美術館初となる大回顧展。訪れたギャラリーたちは、無言で写真に見入っていた。たまに言葉を発する人がいたとして、それは周りに気を使ったごく小さい声だ。
ある意味、写真がアートに変わった瞬間なのだろうか。。
その昔、電車の中とかで無言で篠山紀信の写真に見入っていたら、女性たちから「あの人変態」とヒンシュクをかっていただろう。中学生の頃は、同級生の女子のチクリで持ち物検査をされ、みんなで回し読みしてた平凡パンチを没収された上、女性教師からクラス一の問題児と言われた。
ぼくは今でも、篠山紀信の撮る写真を正視することができないでいる。
振り返れば篠山紀信氏の写真は時代を象徴していたし、ぼくは共にその時代を生きてきた。
巨大なプリントで構成されているギャラリー空間に立つのは、過ぎ去った時代を追体験したような感覚だった。
写真集では得られない体感。
120点の作品を観終わって、人間って素晴らしいなあ、という思いが身体感覚として残った。
・・・「モデルをリスペクトする」。そうやって生まれたとびきりのポートレイトたち。
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