以前、国際間プロジェクトで仕事をしていたとき、隣の研究グループにルーマニアからの研究者がいた。NEDOのフェロー制度を利用しての来日だった。
当時のルーマニアの経済は高いインフレの影響で生活水準の低下が続いていた。研究費の枯渇のため、国の研究機関といえども我が国の研究基盤支援制度を頼らざるを得なかった事情があった。
そのルーマニアの彼と彼の家族とは、プライベートでよく一緒した。
ある日、彼と話をしていて非常に奇異に思ったのは、彼らが言う「ジプシー(ロマ)」のことである。
ぼくら日本人は「悲しき放浪の民」としてロマを捉えていると思うのだが、彼らはそうではなかった。まるで、忌み嫌うべき人々みたいに彼は言うのだ。
その昔、ロマの人々は、鍛冶、馬の商売などルーマニアの経済になくてはならない存在であったにもかかわらず、奴隷に甘んじていた。これは、ルーマニアが特殊な国であるからではなく、ロマの人々が長い期間、西ヨーロッパでは定住化できずに移動し続けなければならなかったことによる。つまり、当時のロマは、行く先々でヨーロッパの人々に追われ、小家族集団で商売・手仕事といった可能性を求めて「移動」という生活手段を選択するしかなかったのだ。ルーマニアは奴隷としてロマの人々を受け入れた数少ない国だった。
インドを起源とするロマの人々は、身体的にも、文化的にもヨーロッパの人々とは大きく異なる。その上、ヒンドゥー教とカースト制に根差した他の文化に対する排他性もあった。これが、当時のヨーロッパで差別を受けた直接の原因だろう。
14世紀に、ロマの人々はルーマニアの前身であるモルドヴァ・ワラキア公国において奴隷制の下で強制労働をさせられた。彼らは「動物にさえ劣るいやしい生き物」という扱いを受け、金銭で売買されていたのだ。この奴隷制を正当化させるため、いつしかモルドヴァ・ワラキア公国の人々は、ロマ民族がキリストの磔に使われた釘を作ったとし、さらには、彼らがキリスト教徒の赤子を盗み出して食べてしまうとの民話を語り継いだ。悪いことをする胡散臭い集団。それが当時のロマのイメージだった。
「否定すべき人々」これが今もなお、ロマに対するルーマニアの人々の偏見の源になっている。
ヨーロッパの中のアジア人。彼らのつらく苦しい歴史の長さを思うと、たとえ、エジプトで生まれたにせよベリーダンスがとても愛おしい踊りに思えてきてならない。
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