【撮影地】岩手県宮古市鍬ヶ崎第7地割字臼木32番地(浄土ヶ浜)(2008.8月撮影)
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小学校の代用教員や新聞記者などをしながら、郷里や北海道の各地を転々としていた石川啄木。1908(明治41)年春、文学生命を賭けるべく船で単身上京する途中、宮古港に寄港。啄木の日記には、宮古のことが記されている。
<十時頃瓦斯が晴れた。午后二時十分宮古港に入る。すぐ上陸して入浴、梅の蕾を見て驚く。梅許りではない、四方の山に松や杉、これは北海道で見られぬ景色だ。菊池君の手紙を先きに届けて置いて道又金吾氏(医師)を訪ふ。御馳走になつたり、富田先生の消息を聞いたりして夕刻辞す。街は古風な、沈んだ、黴の生えた様[な]空気に充ちて、料理屋と遊女屋が軒を並べて居る。街上を行くものは大抵白粉を厚く塗つた抜衣紋の女である。鎮痛膏をこめかみに貼つた女の家でウドンを喰ふ。唯二間だけの隣の一間では、十一許りの女の児が三味線を習つて居た。芸者にするかと問へば、“何になりやんすだかす。”>
上京して、二度と生きて故郷の土を踏むことのなかった啄木。日記からは、昔日の宮古の空気がしのばれる。
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