あの町この街あるこうよ

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程ヶ谷宿帷子番所

2011-02-08 17:15:02 | 街道を歩く
鉄道会社が主催する「保土ヶ谷宿」の散策をした。ゴール間際の「金沢横町」の「其爪の句碑」の並びに「程ヶ谷番所」の看板が目に付いた。スタッフのオヤジさんが通りに出ていたので話をする。
「保土ヶ谷宿」の案内やトイレ、記念スタンプを提供するサービス機関だそうだ。
暖房が利いた建物に入ると石仏像や名所の写真が掲示され案内書も置かれていた。「保土ヶ谷宿」を散策する人にとっては便利な場所であるのだが、知られていないようで残念ながら利用する人は少ないようだ。




              

番所のオヤジさんは「お寺はいいよ」と古いけれどと最後の1冊となった保土ヶ谷宿ガイドの小冊子を手渡し、散策コースを案内された。
そのコースは東海道ではなくこの金沢横町の延長「かなざわかまくら道」であった.


          

「保土ヶ谷宿」番外かなざわかまくら道


御所台地蔵尊

          



細い階段を上がりつくと沢山の石像物が目にはいる。
一瞬、「なにっ、これっ!」と唸る。今までこんなに沢山並んでいる石像を見た記憶がなかったからだ。
でも、案内板にはこの場所が紹介されていない、ネットで調べても分らない。
「かまくら道」にあるのだから鎌倉時代のものであろうと軽く書かれているサイトもあるが、石像に江戸時代の年号が刻まれていると詳しく観察されている方もいた。
保土ヶ谷区の歴史的な案内サイトにも御所台の石像物については解説していない。
となると、歴史的には古い石像物だが、石像物「群」としての意味はないのかもしれない。この地域も開発が進み開発の過程で点在していた石像をこの場所に集めて安置したのではないのかなとも思ってしまう。



政子の井戸

              

「かまくら道」と「政子」と云えば、「尼将軍」で名をはせた源頼朝の妻である。
鎌倉時代、政子がここを通りかかった際にこの井戸水を化粧につかったと云われ、江戸時代でも本陣に将軍が休息した時に御膳水に利用したと伝えられる。



北向地蔵

いわな坂の急な斜面を暫く登り、登りつめたところにこの「北向地蔵」がある。

    

この地蔵は、道に迷った旅の僧が夢の中で地蔵に助けられたので地蔵に対する感謝と旅の安全を願う気持から、北(江戸)を向いた地蔵を寄進したと云う。その後、修繕の時などに地蔵の向きを変えても、いつの間にか北向きに戻っているので「北向地蔵」と呼ばれるようになった。

この「北向地蔵」は背の高い「南無阿弥陀佛」の名号塔上に鎮座されていてそばに寄ると見上げる形になる。
北向地蔵は日本全国に400以上もあると云われるが、この地蔵については何故北を向いているのか分ったが、ほかの「北向地蔵」は何故に北向の冠をつけて呼んでいるのだろうか。




          

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