皇居参観
桔梗門~[1]窓明館(休所)~[2]元枢密院庁舎~[3]富士見櫓~[6]宮内庁庁舎~[7]宮殿東庭・長和殿~[9]正門鉄橋~[10]伏見櫓~[7]宮殿東庭~豊明殿~[11]山下通り~[4]蓮池濠~[3]富士見櫓~桔梗門
桔梗門
皇居参観者は、この桔梗門(ききょうもん)から出入りする。
「内桜田門」と呼ばれているが、昔この門の瓦に太田道灌の桔梗の家紋がついていたことから桔梗門と呼ばれるようになったとも伝えられている。
高麗門と渡櫓門
石垣には普請した大名の家紋(丸に十字・島津藩)が刻まれている【赤丸内】
元枢密院庁舎
1921(大正10)年に完成、国会議事堂のモデルになった建物と言われている。 当時近世復興式と呼ばれた鉄筋コンクリート2階建ての建物で、広さは約1,740平方mである。
富士見櫓
江戸城旧本丸の東南隅に位置する櫓(やぐら)で、当時、品川の海や富士山を眺められたと云われている。この三重櫓の富士見櫓は、1659(万治2)年に再建したもの。天守閣が1657(明暦3)年の大火で焼失した後は復旧されなかったため、富士見櫓が天守閣の代用とされたと伝えられる。
石垣は主に伊豆の自然石で、加藤清正公が主に普請したと云われる。
石垣の高さは約14.5m、櫓の高さは約15.5mで、江戸城本丸の遺構として現在貴重な存在となっている。
宮内庁庁舎
1935(昭和10)年に建築された建物で、1968(昭和43)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。 昭和の初期にこの宮内庁庁舎で1度だけ一般参賀が行われ、正面玄関上の2階の屋根に昭和天皇皇后両陛下がお立ちになったことがある。
また、今上天皇皇后両陛下がご成婚された時のパレードがここからスタートした。
坂下門と宮内庁庁舎
坂下門
西の丸大手門と桔梗門(内桜田門)との間にあり、現在は宮内庁への出入り口となっている。
この門は西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられている。
皇居内からの坂下門 お濠側からでは分らなかったが門をくぐるとすぐに坂となっていた
宮殿
正殿、豊明殿、長和殿など7つの棟から構成されており、国賓等の接伴(晩餐会など)や国の公の儀式・行事(親任式、歌会始など)に使われている。
長和殿
宮殿で一番長い建物が「長和殿」で長さが160mあり、この場所で、新年1月2日と天皇誕生日・12月23日の年2回、天皇皇后両陛下と皇族方が長和殿中央のバルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接お受けになる。
宮殿東庭と長和殿
豊明殿
大きな饗宴が催されるときに使われ、宮殿のうちで最も広い部屋で一棟一室となっている。
内閣の組閣が行われるとき、「正殿松の間」で内閣の親任・認定式が終ったあとで、豊明殿玄関前の赤いジュウタンで記念撮影が行われる。
宮殿の南庭
長和殿の左奥に「宮殿の南庭」がある。二つの小山のように見える刈り込みは「南庭の大刈り込み」と云っていろいろな樹木が合わさって出来た刈り込みであり、高いところでは大きなもので6mもある。刈り込みはすべて手バサミで職人が刈り込んでいる。大刈り込みの下は小川が流れていると云う。
正門鉄橋
この橋は以前は木製であった。堀が大変深いために、江戸時代には橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために「二重橋」と呼ばれていた。現在は鉄製となり名称も「正門鉄橋」になっており、今は二重橋とは言わない。但し、正門鉄橋と石橋を合わせて、通称で「二重橋」と言う場合もあると云う。
現在の石橋電飾燈(左)と以前使用されていた石橋電飾塔(東御苑)
正門石橋
江戸時代は土で出来た土橋であったが、現在は石で出来た橋で、「正門石橋」が正式名称となっている。
しかし、案内板には正門石橋を二重橋と誤ってガイドしているようで、皇居を参観した際、係の方が「二重橋とは言わないので、注意してください。」と説明しているとのこと。
正門鉄橋から眺めた正門石橋
お濠側からの正門石橋 左手に皇居正門(西の丸大手門) 奥に伏見櫓と十四間多聞
伏見櫓
江戸城築城第二期(三代将軍家光の頃)の1628(寛永5)年に京都伏見城から移築したと伝えられる。当時の西の丸殿舎の西南隅に建てられたもので、左右には大きな多聞(たもん・城の石垣の上に築いた長屋造りの建物、兵器庫と防壁を兼ね多聞長屋と呼ばれていた)も残っている。別名「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と云われる。
蓮池濠 毎年7~8月には人の顔ほどになる大きな花が咲くと云う。
およそ1時間15分の参観で、あっと云う間に終わってしまった感がある。緑や花が多くあるので四季折々の楽しみ方が出来ると思う。
皇居の参観は事前に電話・Faxやインターネットなどでの申込が必要となっている。
(参考資料:宮内庁HP)
桔梗門~[1]窓明館(休所)~[2]元枢密院庁舎~[3]富士見櫓~[6]宮内庁庁舎~[7]宮殿東庭・長和殿~[9]正門鉄橋~[10]伏見櫓~[7]宮殿東庭~豊明殿~[11]山下通り~[4]蓮池濠~[3]富士見櫓~桔梗門
桔梗門
皇居参観者は、この桔梗門(ききょうもん)から出入りする。
「内桜田門」と呼ばれているが、昔この門の瓦に太田道灌の桔梗の家紋がついていたことから桔梗門と呼ばれるようになったとも伝えられている。
高麗門と渡櫓門
石垣には普請した大名の家紋(丸に十字・島津藩)が刻まれている【赤丸内】
元枢密院庁舎
1921(大正10)年に完成、国会議事堂のモデルになった建物と言われている。 当時近世復興式と呼ばれた鉄筋コンクリート2階建ての建物で、広さは約1,740平方mである。
富士見櫓
江戸城旧本丸の東南隅に位置する櫓(やぐら)で、当時、品川の海や富士山を眺められたと云われている。この三重櫓の富士見櫓は、1659(万治2)年に再建したもの。天守閣が1657(明暦3)年の大火で焼失した後は復旧されなかったため、富士見櫓が天守閣の代用とされたと伝えられる。
石垣は主に伊豆の自然石で、加藤清正公が主に普請したと云われる。
石垣の高さは約14.5m、櫓の高さは約15.5mで、江戸城本丸の遺構として現在貴重な存在となっている。
宮内庁庁舎
1935(昭和10)年に建築された建物で、1968(昭和43)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。 昭和の初期にこの宮内庁庁舎で1度だけ一般参賀が行われ、正面玄関上の2階の屋根に昭和天皇皇后両陛下がお立ちになったことがある。
また、今上天皇皇后両陛下がご成婚された時のパレードがここからスタートした。
坂下門と宮内庁庁舎
坂下門
西の丸大手門と桔梗門(内桜田門)との間にあり、現在は宮内庁への出入り口となっている。
この門は西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられている。
皇居内からの坂下門 お濠側からでは分らなかったが門をくぐるとすぐに坂となっていた
宮殿
正殿、豊明殿、長和殿など7つの棟から構成されており、国賓等の接伴(晩餐会など)や国の公の儀式・行事(親任式、歌会始など)に使われている。
長和殿
宮殿で一番長い建物が「長和殿」で長さが160mあり、この場所で、新年1月2日と天皇誕生日・12月23日の年2回、天皇皇后両陛下と皇族方が長和殿中央のバルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接お受けになる。
宮殿東庭と長和殿
豊明殿
大きな饗宴が催されるときに使われ、宮殿のうちで最も広い部屋で一棟一室となっている。
内閣の組閣が行われるとき、「正殿松の間」で内閣の親任・認定式が終ったあとで、豊明殿玄関前の赤いジュウタンで記念撮影が行われる。
宮殿の南庭
長和殿の左奥に「宮殿の南庭」がある。二つの小山のように見える刈り込みは「南庭の大刈り込み」と云っていろいろな樹木が合わさって出来た刈り込みであり、高いところでは大きなもので6mもある。刈り込みはすべて手バサミで職人が刈り込んでいる。大刈り込みの下は小川が流れていると云う。
正門鉄橋
この橋は以前は木製であった。堀が大変深いために、江戸時代には橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために「二重橋」と呼ばれていた。現在は鉄製となり名称も「正門鉄橋」になっており、今は二重橋とは言わない。但し、正門鉄橋と石橋を合わせて、通称で「二重橋」と言う場合もあると云う。
現在の石橋電飾燈(左)と以前使用されていた石橋電飾塔(東御苑)
正門石橋
江戸時代は土で出来た土橋であったが、現在は石で出来た橋で、「正門石橋」が正式名称となっている。
しかし、案内板には正門石橋を二重橋と誤ってガイドしているようで、皇居を参観した際、係の方が「二重橋とは言わないので、注意してください。」と説明しているとのこと。
正門鉄橋から眺めた正門石橋
お濠側からの正門石橋 左手に皇居正門(西の丸大手門) 奥に伏見櫓と十四間多聞
伏見櫓
江戸城築城第二期(三代将軍家光の頃)の1628(寛永5)年に京都伏見城から移築したと伝えられる。当時の西の丸殿舎の西南隅に建てられたもので、左右には大きな多聞(たもん・城の石垣の上に築いた長屋造りの建物、兵器庫と防壁を兼ね多聞長屋と呼ばれていた)も残っている。別名「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と云われる。
蓮池濠 毎年7~8月には人の顔ほどになる大きな花が咲くと云う。
およそ1時間15分の参観で、あっと云う間に終わってしまった感がある。緑や花が多くあるので四季折々の楽しみ方が出来ると思う。
皇居の参観は事前に電話・Faxやインターネットなどでの申込が必要となっている。
(参考資料:宮内庁HP)