阿久和熊野神社で今年も奉納「湯立神楽(ゆだてかぐら)」の舞が例大祭に行われた。
阿久和熊野神社は横浜市教育委員会のガイドによると、
南北朝時代の弘和年間(1381~84年)に小さな社を建てたことが始まりと云われ、その後は一時荒れ果てたが、戦国時代の永禄年間(1558~69年)に当時の領主、小田原北条氏家臣増田駿河守満栄が再建したと云われる、600年余りの歴史ある瀬谷区最古の神社である。
江戸時代にはいると、この地を幕末まで知行した直参旗本・安藤氏が力を入れ、安藤治右衛門定喬(さだたか)は大坂夏の陣でこの社前から出陣したといわれる。
本殿・拝殿は1873(明治6)年に改築、欅造りで堅牢精巧を極め特に拝殿の彫刻は近隣にその比を見ないほどのものである。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)と諺坂姫命(ことさかひめのみこと)である。
かつては日本三大地歌舞伎のひとつと云われた相模歌舞伎の市川柿之助一座などの芝居が神楽殿で上演されていたという。
境内社は、神明社、諏訪社、山王社、稲荷社、疱瘡神社、天神社、八神社の七祭神の末社がある。
湯立神楽(ゆだてかぐら)は、湯花神楽(ゆばなかぐら)、鎌倉神楽とも呼ばれ、もともと鶴岡八幡宮に於いて 職掌(しきしょう・神社に仕えた下級の神官)と呼ばれる人達によって奉納されていた日本の伝統的な神楽形式のひとつである。
釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を行い、無病息災や五穀豊穣などを願ったり、その年の吉兆を占う神事の総称である。
●神事の準備
湯立神楽奉納神事
●能(はのう)
はじめの第一座目に舞う神楽で、扇子に米をのせ四方拝の舞の後、米を四方にまく。
四方の神と神楽座の神に米を撒供(さんく)してお鎮まりいただく神楽。
●お祓い・祝詞(のりと)
特殊な抜串を以て、天地の祓いをする神楽で、神楽座の四方と釜場を祓い清めた後に祓串と御幣を重ね持ち、米を打撒きをして鈴を振りながら神楽の祝詞を奏する。
●御幣招(ごへいまねき)
御幣を捧げて四方拝の舞の後、御幣を左・右・左と振って四方を舞う。
御幣によって四方より大神などの恩頼(みたまのふゆ・神の恩恵や加護)を招き寄せる神楽。
神官が持っているものを「御幣」という
●掻湯(かきゆ)
四方拝の舞の後、四方拝の舞の後、御幣の柄で釜の湯をグルグルと掻き回し釜の中央からフツフツと湯花(ゆばな)を立てる。
湯花の立ち具合で、吉凶を占ったともいわれ、これにより湯花神楽(ゆばなかぐら)ともいわれる。
今回、釜の湯を幾度も幾度も掻き回して湯花の立ち具合を診ていたことが印象に残る。吉なのか凶なのか?
●射祓(いはらい)
弓矢を扇面に戴き、四方拝の舞の後、四方天地に矢を射放って厄災を退ける。
●湯座(ゆぐら)
笹の葉の束を持って四方拝の舞の後、釜の熱湯に笹を浸し、これを左右に振ってしぶきを散らす。
それを浴びることによって邪気を祓い、無病息災であるといわれる舞。
●剣舞(けんまい)
鼻高(てんぐ)の面を着け、鉾(ほこ)を持って四方を舞う。九字(くじ)を切って呪文を唱え、天地をおさめる。
最後の舞。
おわりに、湯釜前の御幣に向かって、二礼二拍手一礼の参拝を全員で行った。
湯立神楽は神社によって方法が違い、熊野神社のように玉串に見立てた枝葉を釜に浸して湯を撒いたり(ほかに藤沢市白旗神社)、素手で湯を払うようにして撒くところもある。
また、ご神体を湯につける珍しい神事を行うなど様々である。
なかには水の代わりに米、お神酒や海水などを釜に入れるところもある。いずれも撒かれた湯や飛沫を浴びることによって無病息災になるとされる。
また、釜の湯を飲むことで御利益があると云う神社もあり、湯を持ち帰る習わしもあるという。
江戸時代から守り続けられている熊野神社の湯立て神楽は、毎年9月19日の例祭日に管理元神社の富岡八幡宮の神官によって、笛・太鼓・鼓の鳴り物入りで、古式ゆかしい舞を演じている。
また、管理元の富岡八幡宮でも9月23日午前10時より湯立神楽の奉納が行われる。
所在地:神奈川県横浜市瀬谷区阿久和東4-7-1(管理元神社:金沢区富岡八幡宮)
交通:相鉄線三ツ境駅下車、神奈中バスで宮沢或いはいずみ野行き原店下車、または戸塚駅行き阿久和下車。
参考資料:阿久和熊野神社・富岡八幡宮
阿久和熊野神社は横浜市教育委員会のガイドによると、
南北朝時代の弘和年間(1381~84年)に小さな社を建てたことが始まりと云われ、その後は一時荒れ果てたが、戦国時代の永禄年間(1558~69年)に当時の領主、小田原北条氏家臣増田駿河守満栄が再建したと云われる、600年余りの歴史ある瀬谷区最古の神社である。
江戸時代にはいると、この地を幕末まで知行した直参旗本・安藤氏が力を入れ、安藤治右衛門定喬(さだたか)は大坂夏の陣でこの社前から出陣したといわれる。
本殿・拝殿は1873(明治6)年に改築、欅造りで堅牢精巧を極め特に拝殿の彫刻は近隣にその比を見ないほどのものである。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)と諺坂姫命(ことさかひめのみこと)である。
かつては日本三大地歌舞伎のひとつと云われた相模歌舞伎の市川柿之助一座などの芝居が神楽殿で上演されていたという。
境内社は、神明社、諏訪社、山王社、稲荷社、疱瘡神社、天神社、八神社の七祭神の末社がある。
湯立神楽(ゆだてかぐら)は、湯花神楽(ゆばなかぐら)、鎌倉神楽とも呼ばれ、もともと鶴岡八幡宮に於いて 職掌(しきしょう・神社に仕えた下級の神官)と呼ばれる人達によって奉納されていた日本の伝統的な神楽形式のひとつである。
釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を行い、無病息災や五穀豊穣などを願ったり、その年の吉兆を占う神事の総称である。
●神事の準備
湯立神楽奉納神事
●能(はのう)
はじめの第一座目に舞う神楽で、扇子に米をのせ四方拝の舞の後、米を四方にまく。
四方の神と神楽座の神に米を撒供(さんく)してお鎮まりいただく神楽。
●お祓い・祝詞(のりと)
特殊な抜串を以て、天地の祓いをする神楽で、神楽座の四方と釜場を祓い清めた後に祓串と御幣を重ね持ち、米を打撒きをして鈴を振りながら神楽の祝詞を奏する。
●御幣招(ごへいまねき)
御幣を捧げて四方拝の舞の後、御幣を左・右・左と振って四方を舞う。
御幣によって四方より大神などの恩頼(みたまのふゆ・神の恩恵や加護)を招き寄せる神楽。
神官が持っているものを「御幣」という
●掻湯(かきゆ)
四方拝の舞の後、四方拝の舞の後、御幣の柄で釜の湯をグルグルと掻き回し釜の中央からフツフツと湯花(ゆばな)を立てる。
湯花の立ち具合で、吉凶を占ったともいわれ、これにより湯花神楽(ゆばなかぐら)ともいわれる。
今回、釜の湯を幾度も幾度も掻き回して湯花の立ち具合を診ていたことが印象に残る。吉なのか凶なのか?
●射祓(いはらい)
弓矢を扇面に戴き、四方拝の舞の後、四方天地に矢を射放って厄災を退ける。
●湯座(ゆぐら)
笹の葉の束を持って四方拝の舞の後、釜の熱湯に笹を浸し、これを左右に振ってしぶきを散らす。
それを浴びることによって邪気を祓い、無病息災であるといわれる舞。
●剣舞(けんまい)
鼻高(てんぐ)の面を着け、鉾(ほこ)を持って四方を舞う。九字(くじ)を切って呪文を唱え、天地をおさめる。
最後の舞。
おわりに、湯釜前の御幣に向かって、二礼二拍手一礼の参拝を全員で行った。
湯立神楽は神社によって方法が違い、熊野神社のように玉串に見立てた枝葉を釜に浸して湯を撒いたり(ほかに藤沢市白旗神社)、素手で湯を払うようにして撒くところもある。
また、ご神体を湯につける珍しい神事を行うなど様々である。
なかには水の代わりに米、お神酒や海水などを釜に入れるところもある。いずれも撒かれた湯や飛沫を浴びることによって無病息災になるとされる。
また、釜の湯を飲むことで御利益があると云う神社もあり、湯を持ち帰る習わしもあるという。
江戸時代から守り続けられている熊野神社の湯立て神楽は、毎年9月19日の例祭日に管理元神社の富岡八幡宮の神官によって、笛・太鼓・鼓の鳴り物入りで、古式ゆかしい舞を演じている。
また、管理元の富岡八幡宮でも9月23日午前10時より湯立神楽の奉納が行われる。
所在地:神奈川県横浜市瀬谷区阿久和東4-7-1(管理元神社:金沢区富岡八幡宮)
交通:相鉄線三ツ境駅下車、神奈中バスで宮沢或いはいずみ野行き原店下車、または戸塚駅行き阿久和下車。
参考資料:阿久和熊野神社・富岡八幡宮