あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

「山の日」の休日

2016-08-11 00:00:00 | 

「山の日」の祝日が今年から始まった。
「海の日」があるので山登りを少々かじる者としては喜ばしい。ただ、「海の日」が制定されて20年も経っての記念日は遅い。

「海の日」と云えば、「海の日」制定の運動に力を入れていた丹沢の山小屋のオヤジを思い出す。何故山小屋のオヤジが「海の日」に力を入れたかは忘れたが、最初の「海の日」には小屋仲間と富士登山をしたことを今でも覚えている。

「海の日」の7月20日は明治天皇が1876(明治9年)、東北地方巡幸の際、汽船「明治丸」によって7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941(昭和16年)に制定された根拠がある。

それに引き換え「山の日」は、単に祝祭日のない6月或いは8月に1日設けようとしたもので、国会議員による提案のようだが、何の日でもよかったように思え、「海の日」があるから「山の日」を設けたようにも思える。
それも旧暦のお盆(8月13~16日)につなげた休日を考えていたのだが、8月12日は日航機の事故で外され8月11日となったようだ。
山梨や岐阜県は八月八日、「八」の漢字が山形に因んで「山の日」に制定しているそうだ。
8月11日或いは12日が山に因んでいないのなら、八月八日を「山の日」に制定した方が覚えやすかったのではなかろうか。

「山の日」の休日が始まるこの年に五輪種目に「スポーツクライミング」が追加されたことも嬉しいことだ。
「スポーツクライミング」には、規定の時間内に少ないトライ数で多くの課題をこなせるかを競う「ボルダリング」、高さを競う「リード」、速さを競う「スピード」の3種目が設定されいるという記事を読んだが、まだ一般的ではないので4年後までには広く知れ渡ってほしい。


訪れた日:2016.7.23(丹沢山岳スポーツセンター)

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奥多摩・御岳山ハイク

2011-09-02 13:24:04 | 
国立公園・御岳山

御岳山ハイクと云っても今回はレンゲショウマが目的だったので、御岳山神社までとした。

              
         御嶽神社の摂社、産安社(うぶやすしゃ)から御嶽神社に続く山道

               


ケーブル・御岳登山鉄道 
   


 ケーブルカー「滝本」駅                             「御岳山」駅

昭和10年開設のケーブカーは、高低差423mを所用6分で上る。最大斜度25度、平均斜度22度の勾配は関東一とのことで、その上昇する様は見応えがあり、車両の先頭に是非乗るべきだ。




武蔵御嶽山神社摂社「産安社」
              

社の近くには安産杉(安産・子孫繁栄・長寿)、夫婦杉(良縁・夫婦円満)、子授け檜(子授け・男女和合)のご神木がある(画像左から順に)


御師集落
この辺りは「御師(おし)」という神職で現在は22軒の家が生計をたてている。
御師とは御嶽神社への「講」と呼ぶ信者、参拝者や観光客の宿となる宿坊の運営を行っている。
その歴史は、江戸時代が始まる1600年頃まで遡るようで、その頃、御嶽山で修業をしていた山伏がそのまま定着し、集落を形成したようで、現在まで17代以上続く家系だと云う。


              
              宿坊の長屋門、年代を感じる

                     

 馬場家御師住宅
建物は入母屋造り、茅葺で千鳥破風玄関付、客室は書院造の座敷飾りが施されており、1866年に建てられたとガイド板に書かれている。

                   
                    道筋に道標付き石碑もある

                   
                    掲示板にこんな案内も貼られていた

        


武蔵御嶽神社
神社の由緒によると創建は第10代崇神(そうじん)天皇10年と云うから紀元前88年になる。そんなに古いのと驚きである。
平安時代には大麻止乃豆天神社(おおあまとのつのあまつかみのやしろ)と呼ばれていた。
中世に入って鎌倉幕府の有力な武将たちの信仰を集め御嶽権現の名で栄えた。
徳川家康が関東に入国すると、1606(慶長11)年に社殿を改築した。その際に南向きであった社殿を江戸方向の南東向きに家康が変えさせた。
明治維新の太政官布告「神仏分離令」によって平安時代の社名大麻止乃豆天神社と改称したが、他の神社も名乗ったことから御嶽神社の社号となり、さらに1952(昭和27)年、武蔵御嶽神社と改名した。

               
                随身門

           
             守護神の矢大臣、左大臣            


 拝殿と境内摂社 

          
           旧本殿の常磐堅磐社                  狛犬ならぬ狼
現在の本殿は、1877(明治10)年に造替されたもので、それまでの本殿は、この常磐堅磐社である。
神様の使いは狛犬あるいは稲荷神社では狐であるのだが、狼とは何故なのか、山岳信仰から来ているのではと云う考えもあり、秩父・奥多摩地域には狼像の神社が多いようである。
それとは別に、白狼は日本武尊御東征で、山中で邪神の妖霧によって道を塞がれてしまった際に白狼によって難を逃れたと云うことが神社の由緒の書かれているが、昔から狼は神聖な動物として崇拝され、この神社でも大神(おおかみ)として祀る大口真(おおくちま)神社が境内にある。


参道(今回の下山道)
集落の生活道にもなっている道で、完全舗装されている。
但し、カーブがきつく軽自動車でも切り返しを行う光景を眼にした。

    
くろもん
『ここは御師集落の出入口です。かつては、ここに黒い門がありました。』

「昔名由来」と題してガイドされていた。神社入口の鳥居までの参道(登山道)には気づいた数で9つあった。

              
                5人兄弟杉・・5本もの杉の根が一体となっている、珍しい

         
だんこどう
『昔はここにお堂があり、あちらのお地蔵さん(八大地蔵)が安置されていました。
昔の人は、このお堂を「団子堂(だんごどう)」と呼んでいました。お地蔵さんは、いまも昔も、ここを通り人の道中の安全を願いながら微笑んでいます。』


 ケーブルカーの高架下を通ったり、ケーブルを眺めたり参道はくねりながら続く

       
ろくろっ首
『道(旧道)を眺めてみてください。くねくね・うねうね曲がり道。何みたいですか?大蛇?ミミズ?酔っぱらい?
昔の人は、ここの場所を「ろくろっ首」とよびました。』
左の道はUカーブ、右の「ろくろっ首」はS字カーブになっている。

       
         武蔵御嶽神社の参道入口の鳥居                    滝本の大スギ

参道の杉並木の中で最大なのがこの「滝本の大スギ」である。
滝本から山頂まで26丁(3Km余)の参道は、江戸時代初期に整備されたと伝えられ、両側に並んでそびえ立つ杉の巨木は、御嶽神社の参拝する人々に霊山の荘厳さを感じさせている。
幹回りが約6m、樹齢が300年以上と推定されるものもあって、その総数は600本以上を数える。【青梅市教育委員会】

杉並木の本数は神社側から追い番が打たれており、その数、786本である。


 参道らしく朱塗りの橋や苔むした石橋がある
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今日の富士山 By TAKAO

2011-01-10 20:55:17 | 
                   3連休の最終日 高尾山に登る
                    今日の富士山は如何かな


丹沢山塊と富士山

      
       今日の富士山

飯綱大権現

        

おつとめにお出まし

          

絵馬の数々


皆さん何を祈願したのかな

今年の運勢は

           
           わが家も 社会も そして全世界が このようになってもらいたいもの





     

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高尾山薬王院有喜寺(高尾山ハイク 2)

2009-10-24 17:05:14 | 
     修験根本道場大本山 高尾山薬王院有喜寺
 今から1360余年前に本尊に薬師如来を安置し開山したことから薬王院と称する。
その後飯縄権現を守護神と奉ったことから古来より修験道のお山として繁栄している。
 

浄心門                               神変堂
 浄心門を潜ればここからは聖域である。神変堂は山岳種修験の祖を奉っている。

    
    百八段の石の階段(男坂)                       仏舎利塔
 男坂と女坂に挟まれた小高い地に仏舎利塔は建っている。その中にお釈迦様の遺骨が納められている。
仏舎利塔の裏手には太平洋戦争末期の硫黄島で亡くなられた2万余人の兵士の慰霊碑が建立されており、その他戦争犠牲者の供養塔・碑がいくつかあると云う。

               
               「御志納金」 杉苗の奉納               
 杉苗の奉納には高尾山がこれからも緑豊かな山であり続ける願いから来ているそうだが、この奉納札を見た人がこんなに杉を植えたら杉花粉でたまらないから桧にしてもらえないかと云ったとか花粉症の人には笑えぬ話もあるようだが。

               
               四天王門
 四天王門には増長天、持国天、多聞天、広目天が安置されている。

    
    四天王
 この四天王とはインド神話時代から増長天(左上)は南方、持国天(右上)は南方、多聞天(左下)は北方、広目天(右下)は西方の守護神とされている。
               
    
    小天狗(別名烏天狗)                         大天狗
 大天狗の神通力で開運をもたらし、小天狗の剣で魔を断ち切ると云われている。

              
              飯縄大権現本堂
 権現の「権」とは「臨時の」とか「仮の」という意味で仏が「仮に」神の形になって「現れた」ことを文字で示しているとのこと。

             
              仁王門

    
    仁王門内の大天狗と小天狗 江戸中期に建立
 天狗は飯縄権現の随身として様々な御利益を施す神通力を持つとされ多くの天狗伝説・信仰があり神格化されており、山伏の姿が天狗と同一視されているとも云われる。

             
             鐘楼

   
    大本坊                                 法螺貝の先導で本坊へ戻られる山主様
 本坊とは客殿、書院、方丈殿などを含めた総称で僧侶の執務室や修行者などの修行、宿泊施設である。

                 
                 飯縄権現本社
 江戸時代後期の代表的な神社建築で入母屋造の本殿と拝殿を幣殿でつなぐ権現造とのこと。社殿前には鳥居があって明らかに神社ではある。寺社の中にある神社であることは神仏混淆(神仏習合)思想の典型例であるとのこと。
明治の神仏分離で各地で打ち壊しの嵐にあった際には寺院であると強く主張し難を免れたとのこと。



飯縄権現本社全体にある華麗で極彩色な装飾の数々


 高尾山ハイキングで高尾に来たと思ったが1号路を歩いたからなのか高尾山の大かたが薬王院の敷地でお寺に参拝に来たと惑うほどの薬王院の広さであった。江戸時代は紀州徳川家の祈祷場でもあり大名からも厚い信仰を得ており格の高い寺のようだ。


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高尾山ハイク

2009-10-22 23:57:24 | 
             高尾山山頂の三州大見晴台 高尾山は武蔵、相模、甲斐の三国の境に位置する
 18年ぶりの高尾山ハイキング。バス、電車を7回乗り換えて2時間かけて遥々来た感じ。

              
               今回ハイキングのスタート地点 京王線高尾口駅
ミシェランガイドに三つ星観光地と紹介され年間260万人超が訪れる今や世界一の登山者数を誇っている高尾山。
その日は平日で主に小学生、幼稚園生の団体や熟年グループでにぎわっていた。


中央自動車道、圏央道八王子JCT方向                    東京都心方向
天気予報では湿度が下がると云うので遠方までの眺めを期待していたが霞んだ状態であった。
やはり冬にならなければダメなのかな。


マユミ もう暫くで真っ赤な実となるだろう                   10月の花 一番右はタカオヒゴダイと云い高尾で初めて発見された植物
1,300種と豊富な植物が存在し、高尾で初めて発見された植物も63種に及んでいる。
今回花の写真を期待したのだが残念ながらなかった。

                   
                   平日なのにこの行列 薬王院境内から登山道への石段
世界一登山者の多い山と頷ける平日の登山者の列が続く。 

               高尾山山頂                               点名高尾山 標高599.15mの二等三角点
標高200mの麓から2時間かけて599mの山頂にようやく到着。
ここにもありました三角点、高尾は駒止より1級上の二等三角点である。全国に約5,000点あるそうだ。
この三角点はしかりとコンクリートで固定されており泥に埋まっている駒止とは比べものにならない。


色づき始め山頂のモミジ                             4号路のつり橋
帰途は4号路を下山
高尾唯一のつり橋があり深山と惑う趣がある。
下を流れる沢は修験者が滝修業をする蛇滝に通じている。



新しい山道か 工事の迂回路か4号路のアルミブリッジ          たこ杉
薬王院境内を中心に樹齢700年とも1,000年とも語られる巨木の杉が何本も存在すると云われている。
この「たこ杉」も樹齢およそ470年
昔、根が工事の邪魔で伐採しようとしたら一夜で後方に根が後退したという伝説とその根がたこの足に似ていることからたこ杉と呼ばれている。

                   
                          参道入口に戻る
18年前のハイキングは小仏から登り小仏峠、城山を登り下山に高尾山を経由したコースであった。
そのためか昔の記憶が全く思い出せずに一日が終わった。
今回は中学時代からの古い友人とハイク第一段である。
この高尾は今後のコース選択の試しハイクだ。次は何処?                  
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入笠山のお遠足

2009-08-04 15:47:51 | 
 1999年の燕岳~常念岳山行から始まった駒止の夏山登山は今年はスズランで有名な南アの前衛入笠山を7月25、26日の2日間で訪れた。


          あずさ55号白馬行
この列車が山行のスタートである。



               富士見駅
天候不順のこの夏、長野は午前中晴れ午後は曇りの予報のはずが駅を降り立つと駅前の広場には水たまりが見られた。予報はずれでこの先思いやられる。



        沢入の入笠山登山口の立て看板
どなたかのブログにも載っていたが駅からタクシーで丁度3,000円
入笠山登山のスタートだ。



                 駒止山頂会の入笠山登山コース


             12名の面々
一路入笠湿原向けて出発。



 登って初めて出会った花うつぼ草
この花はこれ以降あちらこちらで観うけられ今の季節入笠山の代表的な花のようだ。



                入笠湿原
すずらんが80万株植わっている。



         ツーリング大会
スポーツ用品メーカーSHIMANOのシマノバイカーズフェスティバルが開催。
入笠山林道ツーリングは走行24Km、ゴンドラ山頂から大阿原湿原間の「絶景&絶叫」のダイナミック林道コース。天上散策ツーリングは入笠牧場から大阿原湿原を往復。これらを含めオンロード、オフロード、ツーリングと多彩な催しのようだ。



    今年のバスの運行は終了
入笠山の立派なバスの停留所があるが、今年のバス運行は終わっている。バスが走るのはスズランの咲く期間中の4日間のみである。



     今回のお宿 マナスル山荘 収容60名
山荘と云っても風呂があって、個室で天体望遠鏡まで備わっている。



スケッチ
山頂会2名の画伯が山荘からの景色を描く。



           入笠山案内パンフレット
このパンフレットに載っている地図記号の注釈が面白い、若い女の子が好むような表現だ。



   町の花すずらん、町の木白樺なのにこの花何?


          野生動物の侵入を防ぐネット
通行にはこのネットを開け閉めする。ここもこのようなネットで囲わなければ植物を保護できないようだ。


                外来植物
この花はマーガレット、都会では可愛いと愛でる花であるが高い山ではあってはならない植物なのだ。
人が動物が運んだのか風で飛んできたのかわからぬがボランティアの人たちが取り除いているそうだが繁殖力に勝てないのが現状のようだ。



                        山頂
360度大パノラマのはずなのだがこの天気ではいた仕方がない。案内表示板通りの山々が見えたらほんとに良かったのに、雲また雲 



            首切清水
あまりいい名の場所ではないが歴史的なところのようだ。
でも立札によると高遠藩の金奉行と云うだけで何の何兵衛と固有名詞が何故ないのだろう。町のHPを見ても出ていないので単なる云い伝え程度の歴史的場所なのか、わからぬ。



         もうひとつの湿原 大阿原湿原
さぎすげの果穂が白い点となって広がっていた。


          八ヶ岳を眺める絶景の地
晴れていれば八ヶ岳の全景が眺められて、「あれが○○岳、あれが××岳」ってどなたからか蘊蓄がでたのでは。



                    入笠山で出会った花々
この季節50種近くの花を愛でることができるとあるHPに出ていた。我々は何種の花に出会ったかな。



           帰りはロープウェイで 
皆さん早くひと風呂浴びて一杯とはやる気持ちで予定外のロープウェイでの下山となった。


           ゆ~とろん 水神の湯
8種類の露天風呂、かけ流し単純硫黄温泉。
お食事処く~とろんではたっぷり時間があって美味しいお酒もたっぷりと。



               帰りもあずさ
あずさ24号 八王子17:31着、新宿18:06着。
雨には降られたが歩いている時は降らなかったので「よし」とすべきか。
26,090歩のお遠足であった。
無事 山行が終わる。



 このブログをまとめている時に駒止山頂会の山行行事も10周年の節目で
あったことを知る。これまでの参加者は延べ何人だったろう、そしてその中で
思い出すおふたりの顔。


 10周年の記念に第1回目の山行写真を載せる
これは燕岳から常念岳に向かう稜線で撮った槍ヶ岳、いずれはこの山に登ろうとの願望でシャッター
を切る。



                    来年は10周年+ワン記念山行といきましょう。


 
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