あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

城下町・金沢いっとき散歩

2015-10-21 15:20:52 | 観光
          

 
北陸新幹線・かがやき503号は東京駅を朝7:20に出発。
上野→大宮→長野→富山と途中4駅停車し、終点金沢には2時間34分後の9:54に到着する、全車両指定の列車である。
次の金沢行きはおよそ30分遅れの「はくたか553号」であるが、到着はかがやき503号から1時間近く遅い10:48のである。東海道新幹線の3分間隔で「のぞみ」が走っているのと大違い。
それならば、「かがやき503号」に乗るしきゃないと思い、6時前の1番バスで濡れない程度の雨降りの天候の中出発した。

金沢駅
 
改札口を出ると、金沢を訪れる人に差し出す雨傘をイメージした、おもてなしの心を現わしたガラスの「もてなしドーム」が。
その先には、伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」が建つ。

広小路バス停
          
東口バスターミナルの8、9、10から発車するバスは全て広小路を経由している。
駅から15分、ここで下車して、「金沢いっとき散歩」が始まった。

にし茶屋街
 
金沢の茶屋街は、東山だけと思っていたが調べると3ヶ所あり、ここはそのひとつ。
午前中なのに、三味の音が。
案内にも「夕刻歩けば、出格子の茶屋様式の家並から三味の音が流れる]とあり芸者さんが一番多い街とも。でもそれほど人気がないのか人はまばらだ。そばに「忍者寺」あるのに。
この茶屋街、加賀藩主十二代の1820(文政3)年に「ひがし茶屋」と一緒に誕生している。

妙立寺
別名「忍者寺」、加賀藩の祈祷所である。この辺りは寺町だが、いざとなった時にはこの寺町が、金沢城の前線基地となり、妙立寺がその要となる。
外観は2階建てだが、内部は4階建て。部屋数23なのに階段は27もある不思議な構造の建物で、その中に様々な仕掛けがあり「忍者寺」と呼ばれている。
「城下町を行こう」というTV番組でこの寺を知り、機会があったら是非にもと思っていたひとつで、今回1番の見学地でもある。人気があるので予約申し込みをしないと見学が出来ない。
見学は30分ごとに十数人づづのグループ4組に分れ内部を見学する。狭いところなのに見学者が重ならぬようにコースがうまくできている。そこも忍者寺だ。所要は予定通り、ぴたりと40分。
          
          
          
                ギヤマン(現在ガラス)張りで本堂屋根の突端部にある物見台・望楼
        
     庫裏の中心にある伝説の井戸 横穴があり城まで続く                  落とし穴階段
          
               29か所ある階段のうち6カ所がここに集中している本堂の階段群
 
                            寺の裏側

つば甚
『加賀百万石の文化、外様の警戒をぬぐうための文化の八達』と新聞の一面広告に、小百合さんの写真で紹介されていた料亭である。出発する数日前の新聞に掲載、住所をみると近くだったので、コースに入れる。
「つば甚」は江戸中期、1752(宝暦2)年から営んだ金沢で最も歴史ある金沢を代表する料亭である。
          
          
                 百万石の国を支えたのは腕力にも負けない文化でした  JR東日本                

犀川大橋
1924(大正13)年に完成、国の有形文化財に登録されている。
建設当時は関東大震災直後で橋脚の鉄骨の入手が難しく、一部英国製が使われ、原産地のイギリスの地方都市の名が鋼材に刻まれていると云う。
 

武家屋敷街
加賀藩士の中・下級武士の屋敷の跡で、立派な土塀が長く続く。
          
          
               大野庄用水は金沢最古の用水で湊から城下へ荷を運ぶ水路として利用

中級武士・高田家邸宅跡
          
                     復元された禄高550石の平士・高田家の長屋門の外と内
          
平士は中士身分に相当し、80石から2,400石の約1,400家であった。中クラス以上の屋敷には長屋、厩(うまや)が長屋門に付随することが許された。
長屋には中間や小者と呼ばれる奉公人が住み、門番やお供の仕事をしていた。
          
加賀藩の最高役職は「年寄」で8家おり、いずれも1万石以上の禄高を拝領し合議制で藩を運営していた。次に「人持」で、1千石から1万4千石、68家でこの中から家老、若年寄を任命した。次が先ほどの「平士」。続いて「平士並」で医者や坊主頭等がこれに含まれる。ここまでの役職の者が藩主にお目通りできる身分。
その下が「与力」およそ300家、禄高は60から350石。そして「御歩(おかち)」およそ300家、「御歩並」およそ400家と続く。
軽輩としては、「足軽」「中間・小者」と続く。
(資料:北国新聞社)
                                       
 
               元旦登城                               元旦拝礼

足軽資料館
実際に使用されていた足軽の住居を2棟移築した展示されている。
          
足軽は鎌倉時代に「身軽に行動する身分の低い歩兵」として登場。戦国時代は豊臣秀吉を代表するように戦場で功績を立て出世すると云うことで、農民の多くが志願した。
江戸時代の太平の世になると、武術の訓練以外に門番やお供など武家の補助的な仕事も加わった。
また、「足軽株」があり、それを売買もできた。
足軽の住宅は敷地50坪、建坪20坪余の一戸建てで、野菜や果樹を植えて自給自足の家族だけの生活ができた。
この住宅は明治以降の勤労者住宅のモデルにもなったと云われる。
                    

尾山神社
主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家で、創建は1873(明治6)年。
          
          
1875(明治8)年に建てられた神門は、和漢洋折衷の3層式で、明治初期に建てられた数少ない擬洋風建築遺構のひとつであり現在は、国の重要文化財に指定。
 

金沢城
加賀百万石の居城。石垣や再現された三十軒長屋が見事なもの。
金沢は初めてではなく、7年前の早春に能登半島一周のドライブし、そのついでで訪れている。その際、スケジュール上、兼六園か金沢城の選択となって、金沢城はパスした。
金沢城はパスの観光客は私だけではないようで、閑散とした城の向かい側の兼六園は、出入りする人でごった返していた。特に外国人が目立つ。
   
 
 
          

梅ノ橋
ひがし茶屋街への裏口に架かる欄干や桁隠しが木製の鋼橋で、夜間はライトアップされる。
最初の橋は1910(明治43)年、地元有志の寄付によって建造された橋。
 
          
                       友禅流しをこの上流あたりでやっていたようだ

ひがし茶屋街
金沢三大茶屋街の中で最も規模が大きな茶屋街で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。そのため観光バスでくる客で混雑している。
          
 
細格子の茶屋街は、昔の面影が残っている。この細格子は一般には千本格子と呼ばれているものだが金沢では、キムスコ(木虫籠)或いはキムシコと呼ばれていて、しかも金沢独特の格子幅があるようだ。
ここは「城下町・金沢」、京の町並みにも似ていると観光客は思うが、ここには違った文化がある。
          

中の橋
浅野川大橋の下流にある、白木作りの歩行者専用の橋。
昔は、橋を渡るごとに一文支払ったことから、別名「一文橋」とも言われた。
この橋と梅の橋の間で、加賀友禅灯篭流しが毎年百万石祭りの前夜に行われ、季節の風物詩となっている。
 
木の橋を渡って主計町茶屋街に入る。先ほどは木の橋を渡ってひがし茶屋にはいり、やはり金沢、趣がある。
主計町茶屋街
主計町(かずえまち)は1万石余の藩士・富田主計重家(とだ かずえ しげいえ)の上屋敷があったことにちなむと云われるのだが、当時この地は浅野川の河川敷だったという記録もあり、また、狭い地域でもあるので一万石余の藩士の上屋敷があったとは思えないと地元市民のブログには書かれている。
富田主計は、宇喜多秀家の息女(前田利家の孫・豪姫の子)を奥方に迎えている。
以前、町名は尾張町2丁目であったが、全国で初めて旧町名が復活し主計町に戻った。
歴史ある町名が次々に消えている現在、旧町名復活は素晴らしいことである。今の町名変更は日本郵便だけが利しているように思うのだが。
夜は、町全体がライトアップされる。
          
          
あかり坂
作家・五木寛之氏が命名した坂。
          
暗がり坂
昼間でも日が射ささずうす暗いことから来ていると云うが・・・
人目を避けてこの茶屋街に通う道として使われたと云われ、泉鏡花が繁く使われた。
          
主計町から金沢駅まで徒歩およそ25分。「金沢いっとき散歩」は終わりに近づく。           
                 
金沢滞在6時間、富山に向かう。
開業後半年余りで北陸新幹線に乗るとは思ってもみなかった。
今回の旅は定年退職後再就職し、勤務先が富山という50年来の友人が、そろそろ勇退だと聞き、勇退前に行こうと計画したものだ。
それでかねてからの金沢行きが実現した。
           
富山に戻って山梨の友人の3人で旧交を温めた。翌日は石川をパスし、福井まで車を飛ばす。

訪れた日:2015.10.16