新年最初は、おめでたく「七福神巡り」をとりあげた。
七福神とは・・・。
大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七人の福徳の神をいう。
福禄寿・寿老人は同じであるとして、吉祥天を入れることもある。
七福神は室町時代末期に京都の町衆文化の中ではじまり、確立したする説が有力である。 但し、初期の七福神の構成は必ずしも一定ではなく、現在の構成が確立したのは江戸時代になってからといわれている。
上野寛永寺の住職天海僧正の進言に従い、徳川家康が祭祀したものが、全国に広まり、固定化したともいわれるが、その間の事情については必ずしもはっきりとはしない。
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浅草寺<浅草観音>(大黒天・・出世、開運の神)
東京都内最古の寺で、山号は金龍山、本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。
浅草寺の顔である表参道入口の雷門は向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式な呼び名は「風雷神門」である。現在の雷門は実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願し病気平癒したための恩返しで寄進したものである。像は風神雷神像は頭部のみが古く他は補作している。また、門の背面には、「金龍・天龍」像が安置されている。
雷門からの参道の両側には、「仲見世」と呼ばれる土産物、菓子などを売る90軒ほどの商店が立ち並んでいる。寺院建築風の外観を持つ店舗は、に鉄筋コンクリート造で再建されたものであるが、現在賃貸料値上げの話題が生じている。
また、シンボリックな五重塔も鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺きで位置を移動し、戦後再建された。
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大黒天像が納められている影向堂(ようごうどう)
恵比寿・大黒天堂
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浅草神社(恵比寿・・長寿の神・・商売繁盛、五穀豊穣の神)
三社祭で有名な通称三社様。社殿は徳川三代将軍家光が寄進した建物が現存しており、拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されている。
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待乳山聖天(まつちやましょうてん)(毘沙門天・・病魔退散、財宝富貴の神)
正式名称は待乳山本龍院で、浅草寺の子院のひとつである。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音から待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称される。
この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は出現したもので、そこを龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号「金龍山」の由来となったと伝えられる。
待乳(まつち)は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海であったが、ここだけは真の土であったことで由来とする説がある。
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広重の絵にも描かれた築地塀↑
《大根まつり》
お供えの大根を信者の手によってふろふきに調理されお神酒と共にふるまわれる。
当日は長蛇の列ができる。
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1781(天明元)年製造銅製宝篋印塔(右)
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4人乗りのスロープカー
今戸神社(福禄寿・・知恵の神)
戦前合祀された白山神社の祭神に夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにゆかりがあるとアピールされている。また、絵馬もまんまるで、縁=円の語呂を合わせた形になっている。
江戸時代末期に猫の姿の焼き物を製作、それが今戸焼となったことで、招き猫の発祥と名のっている。
また、新撰組の沖田総司の終焉の地とされているが、それは他の地にもあるようだ。
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橋場不動院(布袋尊・・家庭円満の神)
鎌倉時代以降は浅草寺の末寺であったが、今は比叡山延暦寺の末寺となっている。
数々の火災にも免れ、霊験あらかたな橋場不動尊として多くの庶民に信仰されている。現在の本堂は、1845(弘化2)年の建立である。
当寺の不動尊は相州大山寺の不動尊と一木三体のひとつである。
本堂右前にある樹齢700年の大銀杏、奥の細道へ深川から出発した松尾芭蕉も見上げたであろう。
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石浜神社(寿老人・・長寿の神)
源頼朝が藤原氏討伐の折りに祈願し、大勝をしたことで社殿を造営されたと云われる。
隅田河畔の名所として江戸庶民の信仰厚く、「隅田名勝八景」「江戸名所図会」などにとりあげられている。
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《石浜城址》
室町時代中ごろ、武蔵千葉氏の居城となり、戦乱の世に100年余り続いた城址である。天正年間(1573~91年)、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に北条氏滅亡後廃墟となった。
石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地のひとつである・
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𠮷原神社(旛上弁財天・・芸の神、在運を招く神)
祭神のひとりが市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、つまり弁天様であることは遊女が数多く生活していた吉原遊郭とともに歩んだ神社である。
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《新吉原弁財天池跡(弁天池)》
境内入口近くに築山が設けられており、その上に観音様が祀られている。そこには「大震災殉死者追悼記念碑」がはめ込まれている。大火で逃げ場を失った遊女490人が犠牲となった。また、戦災で亡くなった遊女の慰霊碑も近くにはある。
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鷲神社(寿老人・・長寿の神)
11月の例祭「酉の市(とりのいち)」は広く知られており、そのため「おとりさま」の通称でも呼ばれている。日本武尊が東征の折に戦勝を当神社で祈願したとされ、祈願した日が11月の酉の日であったことから、その日に祭礼が行われるようになり、それが酉の市のはじまりとされる。
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《「なでおかめ」 の云われ》
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おでこをなでれば賢くなり 目をなでれば先見の明が効き 鼻をなでれば金運がつく
向かって右の頬をなでれば恋愛成就 左の頬をなでれば健康に 口をなでれば災いを防ぎ
あごから時計まわりになでれば物事が丸く収まる
と云われている。
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矢先稲荷神社(福禄寿・・知恵の神)
徳川三代将軍家光公がこの地に三十三間堂を建立した。
三十三間堂では「通し矢」が行われたが、社殿が的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられた。今からおよそ360年前のこと。
しかし、約60年後に浅草を中心とした大火で焼失してしまい、三十三間堂は深川に移転を命ぜられた。
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七福神とは・・・。
大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七人の福徳の神をいう。
福禄寿・寿老人は同じであるとして、吉祥天を入れることもある。
七福神は室町時代末期に京都の町衆文化の中ではじまり、確立したする説が有力である。 但し、初期の七福神の構成は必ずしも一定ではなく、現在の構成が確立したのは江戸時代になってからといわれている。
上野寛永寺の住職天海僧正の進言に従い、徳川家康が祭祀したものが、全国に広まり、固定化したともいわれるが、その間の事情については必ずしもはっきりとはしない。
浅草名所七福神巡り
古くは江戸時代末期に始まり親しまれてきたが、戦後一時中断、1977(昭和52)年に復活した。その際に寿老人と福禄寿が2社づつに追加され、9社で七福神を祀っている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c1/b13e17cbc541b6d5ad80107d98c2b721.jpg)
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東京都内最古の寺で、山号は金龍山、本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。
浅草寺の顔である表参道入口の雷門は向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式な呼び名は「風雷神門」である。現在の雷門は実業家・松下幸之助が浅草観音に祈願し病気平癒したための恩返しで寄進したものである。像は風神雷神像は頭部のみが古く他は補作している。また、門の背面には、「金龍・天龍」像が安置されている。
雷門からの参道の両側には、「仲見世」と呼ばれる土産物、菓子などを売る90軒ほどの商店が立ち並んでいる。寺院建築風の外観を持つ店舗は、に鉄筋コンクリート造で再建されたものであるが、現在賃貸料値上げの話題が生じている。
また、シンボリックな五重塔も鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺きで位置を移動し、戦後再建された。
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三社祭で有名な通称三社様。社殿は徳川三代将軍家光が寄進した建物が現存しており、拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されている。
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正式名称は待乳山本龍院で、浅草寺の子院のひとつである。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音から待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称される。
この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は出現したもので、そこを龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号「金龍山」の由来となったと伝えられる。
待乳(まつち)は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海であったが、ここだけは真の土であったことで由来とする説がある。
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《大根まつり》
お供えの大根を信者の手によってふろふきに調理されお神酒と共にふるまわれる。
当日は長蛇の列ができる。
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戦前合祀された白山神社の祭神に夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにゆかりがあるとアピールされている。また、絵馬もまんまるで、縁=円の語呂を合わせた形になっている。
江戸時代末期に猫の姿の焼き物を製作、それが今戸焼となったことで、招き猫の発祥と名のっている。
また、新撰組の沖田総司の終焉の地とされているが、それは他の地にもあるようだ。
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鎌倉時代以降は浅草寺の末寺であったが、今は比叡山延暦寺の末寺となっている。
数々の火災にも免れ、霊験あらかたな橋場不動尊として多くの庶民に信仰されている。現在の本堂は、1845(弘化2)年の建立である。
当寺の不動尊は相州大山寺の不動尊と一木三体のひとつである。
本堂右前にある樹齢700年の大銀杏、奥の細道へ深川から出発した松尾芭蕉も見上げたであろう。
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源頼朝が藤原氏討伐の折りに祈願し、大勝をしたことで社殿を造営されたと云われる。
隅田河畔の名所として江戸庶民の信仰厚く、「隅田名勝八景」「江戸名所図会」などにとりあげられている。
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《石浜城址》
室町時代中ごろ、武蔵千葉氏の居城となり、戦乱の世に100年余り続いた城址である。天正年間(1573~91年)、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に北条氏滅亡後廃墟となった。
石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地のひとつである・
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祭神のひとりが市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、つまり弁天様であることは遊女が数多く生活していた吉原遊郭とともに歩んだ神社である。
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《新吉原弁財天池跡(弁天池)》
境内入口近くに築山が設けられており、その上に観音様が祀られている。そこには「大震災殉死者追悼記念碑」がはめ込まれている。大火で逃げ場を失った遊女490人が犠牲となった。また、戦災で亡くなった遊女の慰霊碑も近くにはある。
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11月の例祭「酉の市(とりのいち)」は広く知られており、そのため「おとりさま」の通称でも呼ばれている。日本武尊が東征の折に戦勝を当神社で祈願したとされ、祈願した日が11月の酉の日であったことから、その日に祭礼が行われるようになり、それが酉の市のはじまりとされる。
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《「なでおかめ」 の云われ》
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おでこをなでれば賢くなり 目をなでれば先見の明が効き 鼻をなでれば金運がつく
向かって右の頬をなでれば恋愛成就 左の頬をなでれば健康に 口をなでれば災いを防ぎ
あごから時計まわりになでれば物事が丸く収まる
と云われている。
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徳川三代将軍家光公がこの地に三十三間堂を建立した。
三十三間堂では「通し矢」が行われたが、社殿が的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられた。今からおよそ360年前のこと。
しかし、約60年後に浅草を中心とした大火で焼失してしまい、三十三間堂は深川に移転を命ぜられた。
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