今から2200年前、中国で統一王朝をうちたてた最初の皇帝と云う意味で始皇帝を名乗った。
巨大な陵墓の近くに埋められた8千体の陶製の兵士や馬などが出土した「兵馬俑」は、20世紀最大の考古学の発見であり、世界中の驚きであった。
「俑(よう)」とは、遺骸とともに埋葬された副葬品の人形のことである。
今回、東京国立博物館で展示があったので、閉会間際の日に見学した。
展示の前半は秦王朝の軌跡と装飾品などの展示で、後半が期待の始皇帝が夢見た「永遠の世界」兵馬俑と銅馬車(複製)の展示であった。
その展示品
●将軍俑
約8千体のうちわずかに10体。指揮官の将軍俑は、戦闘指揮用の馬車付近で出土し、高位を示す冠をつけている。
リボン状の飾りをいくつもつけた鎧を着ています。実戦での機能性よりも装飾性を重視した身なりである。
●軍吏俑
部隊長級の人物。武器を掲げていたと思われる重装備の豪傑。
●歩兵俑
軽装備の服装で最前列に位置する。
手前が軽装備びの歩兵でその後ろが鎧姿の兵士
●立射俑
弓または弩(ど)を構えたポーズをとっている射撃手
●跪射俑(きしゃよう)
鎧(よろい)に身を包み、元々は右側に弩弓(どきゅう)を携えていたと考えられる。
弩弓とは、弦を張ったまま固定できる弓。履物の裏の滑り止めのブツブツまで表現している。
●騎兵俑
上半身鎧の兵士。
●馬丁俑
正座をする馬飼い。
●雑技俑
兵士ではなく何らかの芸を下ではないか、謎の巨漢。
●御者俑
指揮官が乗る戦車の操作。
●石製鎧兜
およそ600から700枚の加工した厚さ4~5mmの板状の小石に穴をあけて、ひもと銅製の針金でつないでつくっている。重さは合計20kg超。出土品で完全に復元できたのはわずか。
●1号・2号銅馬車
4頭立ての二輪馬車で、実際の車馬の2分の1の比率でできている。1号銅車馬は、立車といい、銅御者1体が手綱を引いて立つ。
2号銅車馬は、安車又はおんりょう車と云い、正座した御者1体が手綱を引く。
皇帝の魂が冥土の世界でも巡幸できるように一緒に殉葬したもののようだ。 軍司令部のミニチュアまで自分の墓の副葬品として準備しており、始皇帝は死後も、墓の中から天下に影響力を持つ意思が固かったと思われる。
兵馬俑は灰色或いは茶色の兵士として出土されているが、もともとは色彩鮮やかであったとされる。
顔は肌色で、鎧兜(よろいかぶと)は黒をベースに赤い線を織り込んだデザインで統一されていたと云う。
赤や黒だけでなく茶色や緑、紫などの多彩な色をつかっていて、現に出土した俑のなかにもカラーがあったといわれ、館内でもカラーの兵馬俑の映像が流れていた。それによると髪を纏めているリボン状の紐は赤であった。
始皇帝は兵馬俑や銅馬車が伴う「写された世界」で死後も皇帝として永遠に君臨しようと望んだ。しかし秦国は彼の死後わずか3年で滅んだ。始皇帝は49歳で亡くなった。
「秦始皇帝陵及び兵馬俑坑」はユネスコの世界文化遺産に登録されている。
会期94日間で入場者は48万人余であった(朝日新聞)。
夜景があまりにも綺麗だったので
◆皇居二重橋側から
◆桜田門側から
◆桜田門
お上りさんになってしまった。
資料:東京国立博物館
訪れた日 : 2016.2.19
訪れた日 : 2016.2.19