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東急田園都市線の青葉台駅で下車。寺家ふるさと村へは[青30]鴨志田団地行きに乗って10分前後で到着する(もう1便、[青30]寺家循環バスのある)。
寺家町の外側から固めてと、先ずは鴨志田町を歩く。
●鴨志田の板碑
バスを降りて、鴨志田中学校の敷地沿いに東に向かうと、集合墓地があり、その一角に板碑が小祠の中に置かれている。
この板碑(いたび)は解説によると、材質が秩父産の緑泥片岩で、阿弥陀如来一尊種子板碑である。碑面には阿弥陀如来を現わす種子(しゅじ或いはしゅうじで仏・菩薩の象徴として書き表す梵字(ぼんじ))「キリーク」が大きく薬研彫りされている。紀年銘は寛元(かんげん)と刻まれている。今から930年以上も前の鎌倉時代の造立である。
板碑の分布地域は主に関東であるが、日本全国にも分布している。ただし材質が異なっているようだ。設立時期は、鎌倉時代~室町時代前期に集中している。分布地域も、鎌倉武士の本貫地とその所領に限られ、鎌倉武士の信仰に強く関連すると考えられている。
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この板碑は「念仏堂跡」に置かれていたものを区画整理のためこの地に移転したという。
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板碑に彫られている「弥陀如来」を現わす梵字
●甲神社
さらに東へ5分ほど歩いたところに甲神社がある。
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創建の年代は不明であるが、戦国時代と伝えられる。御神体が石剣に似ているので祭神・日本武尊、社名・甲神社と称したのも武士の尊崇が篤かったことが推察される。鴨志田町の産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ・生まれた土地の守護神を指す)として尊崇されている、と解説されている。
参道には石像物が祀られている。
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中央画像はおよそ200年前の1816(文化13)年に造立された不動明王像で、『西 大山みち』と刻まれ、道しるべにもなっている。
右画像の地神塔は1827(文政10)年で『左 大山道、長津田』とこれも道しるべを兼ねている。
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中央画像は千手観音庚申塔のようだ。右画像は願主平五郎、1861(文久元)年、稲荷大明神と赤山大明神と刻まれている。赤山(せきざん)大明神は聞いたことがなかったので調べると、京都・延暦寺別院赤山禅院に祭られている天台宗の守護神。延命富貴を司り商家の信仰を集めた、とある。
甲神社の横の道を北上すると、いよいよ寺家ふるさと村にはいる。
「寺家」という呼称は「新編武蔵風土記稿」によると、王禅寺末寺である臨水山桂月院東円寺という寺院が1922(大正11)年に柿生の王禅寺に合併するまで、この地にあって、この寺院が寺家の地名と関連があるのではと考えられているが定かではない。
中世・鎌倉時代は「吾妻鏡」には、当地は頼朝に従った鴨志田一族の領地であったが、畠山重忠と共に倒れる。「鴨志田」という名は現在でも町名として残っている。そのあとに入ったのが、大曽根・金子一族の先祖である。
小田原北条時代、北条氏直から大曽根飛騨守あての古文書が残されており、大曽根氏は鴨志田・寺家の小領主として軍役を負う替わりに年貢は免除されている。
下山治久氏著『横浜の戦国武士たち』によると、足軽2人、中間1人を従えて戦場に臨んでおり、その姿の復元模型が横浜市歴史博物館に保管されている。その写真を見ると、飛騨守が着けている、兜の前につける飾りのような「前立」の長さには驚く。実に1m73cm(5尺7寸)の大きな装飾である。乗っている馬にも金箔の馬鎧を被せ、金の家紋を添付してあるという。横浜市歴史博物館に展示してあるのなら一度見てみたい。
徳川初期には金子氏を名乗り、小領主として暫くは年貢を免除されていた。その後一時、鴨志田・寺家は旗本・筧(かけい)小座右衛門の所領となるが、中期には再び大曽根氏に戻っている。
文禄及び元禄の検地帳等の古文書によると、1697(元禄10)年には37戸が農業に従事しその後、1843(天保14)年には28戸に減少しており、農産物は、米およそ3t(98石)の他、大麦、小麦、粟、ヒエ、ソバ、ゴマ、生糸、醤油、桑が記録されている。
1877(明治10)年の改正戸籍では29戸、人口143人、田畑・山林・宅地の総計は75.7ha(76町4反)余となっている。明治から大正時代にかけては養蚕が盛んとなる。
村の水田は天水に依存し、各谷戸の奥には先人達の努力により、用水池が6箇所造られていたといわれるが、現在は、新池・居谷戸池・むじな池・大池・熊の池の5池である。
その5池と「ふるさとの森」を中心に歩いてみた。
案内所の「四季の家」で散策マップを20円で買ってスタートである。
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「四季の家」前を流れる用水を渡って突き当たった道を西に進む。
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郷土文化館というから寺家に因んだ品を展示しているのかと思ったら、食事のスペースもある展示場のようで、その日は神田小川町に住む方の藍染の展示をやっていた。
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古い水車小屋が残されているのかと思ったが、「寺家町小川のアメニティ」の一環で造られった水車小屋。、後ろに新池という池があるのでそれを流しているのかと思ったら、小屋のそばにある小さな池の水をポンプで循環しているようだ。小屋を覗いたらポンプの操作盤がみえた。
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新池の横の道を居谷戸池に向かう。小いさな山を越えるような感じで道は造られている。殆ど人は通らないようで何度となく蜘蛛の糸に引っ掛かった。竹林の中を進んで行くとかなりの数竹が倒されている。真竹なのか細めなので風の勢いで折られたようにも思える。
竹林を下ると右手に水田、左手に池が見えた。
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「いやといけ」と読むのかルビをふっているサイトが見つからなかったし、池に置かれている案内板もルビがふっていないので定かではない。
居谷戸池は一番奥まったところにあるのであまり人は訪れないようだ。池の中には赤い鳥居と小祠が祀られている。弁財天のようだ。
居谷戸池の通りには、茶釜師のお宅が案内図に茶釜の絵として示されている。それらしき工房が高台にあることを確認したが、現地に何も示されていないとは、それこそ絵に描いた餅である。
寺家にはもう一軒、茶釜師があると案内図に茶釜の絵で示されている。このお宅もやはり解らない。やっと表札をみてそれらしきお宅と判断した。
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途中、ある民家でトケイソウの花を見つけた。わが家にも2株ほどトケイソウが植わっていたが、花の命は短くて、わが家の花は終わっていて一度も見ていなかった。観賞出来てうれしかった。
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水車小屋の通りを歩いて行くと水田の石垣が立派に組まれていることに驚く。何時頃組み上げたのか。城壁を組む方法と同じ野面積みである。
水田の脇には赤く熟した木イチゴがなっている。
水田に目を落とすとカラスが3羽えさをついばんでいる。この辺りのカラスは水田にエサを求めてゴミ袋荒らしはしないのだろうか。
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「ふるさとの森」の案内杭が置かれているがここからは入らずもう少し先に進む。
オカトラノオが群生している。この先幾度か見かける。
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あぜ道にカモが2羽休んでいる。水田の雑草や害虫を食べて農家の手助けをしているようだ。
むじな池に着く。
大池まで行くのだがこちらの水田は町田市である。丁度市界を歩いていることになる。
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大池に着く。その名の通り寺家の池の中では一番大きいようだ。
「ふるさとの森」のはずれから入っていく。
前日の雨でぬかるみも多々ある。
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それにしばらく進むと駐車場が下に見える。やはりここは横浜市だ。
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東屋もところどころにあるようだ。
熊の橋。下の歩道が続く。
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へら釣り専門の池だそうだ。遠くから赤い幟旗が見えていた。
熊の池の下にもこの池の天水を利用した水田が広がっている。
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山野草、蘭、茶花の販売をしている千草園を通り過ぎると、赤い鳥居が見える。
2社とも稲荷神社と思われる。藪の中に埋もれているのは個人の小祠であろうか。
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もう少し調べると、もともと、この神社は鎌倉の御家人安達氏の一族であった大曽根氏が、港北区師岡にあった熊野神社を、 一族が領有することになった寺家に分社したもので、もとは寺家の入口の東円寺にあったが、 焼けてこちらへ移したものである、とある。
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これで寺家ふるさと村の散策は終わりである。
今日、6月29日は地井武男さんの一周忌である。
「ちい散歩」で二度ほど訪れた「寺家ふるさと村」を一度は訪れて見たいと思っていたので、この機会に、地井さんの冥福を祈る意味も兼ねて梅雨の合間に寺家町を歩く。
この日も晴れ男の神通力が未だに通用して、晴れ間も見え腕が日に焼けて黒くなる。
「ちい散歩」に因んだ場所として、3年ぶり2回目に訪れた内の一カ所「木工アパートメント」を今回お邪魔した。
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地井さんが訪れた時は、枡を大きくして横にしたような園児用の椅子を造っていた。
今回は階段木琴という木工品を造り直していた。螺旋階段状のところに数台の木琴を、また4本の棒状のところにも木琴を固定して子供達にたたかせる楽器である。
5人の若手が共同で工房を持ち、お互いに刺激し合う仕事場が寺家には相応しいと地井さんは述べていた。
「ちい散歩」でいつも書かれているその日の1枚の絵は、春先に訪れて、コブシが青空に春を告げて咲いている姿に感動を覚え描いている。
寺家ふるさと村は、地井さんが『ここに住むかな。住みたくなったな』と云わしめた町である。
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「ちい散歩」最後の谷根千を行く